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Archive for November, 2007

医療系ブログの認知 / 新小児科医のつぶやき

Posted by guideboard on 2007/11/25/Sun

『新小児科医のつぶやき』CNET Japan http://japan.cnet.com/ の記事中に取り上げられている。

日本は、世界のブログの何割かが日本語で書かれていると言われるほどの、いわばブログ大国である。その中で医療、特に医師が書くブログなど、書き手の絶対数が少ない事、一般の人の興味を引くような事の少ない、専門的な世界が展開される事から、認知度は低いと思われる。

大淀事件のとき、医師が書くブログは反社会的な印象を持って報道されたが、その実態は、専門家による専門的な検討の場としてのものであった。

悪名報道として始まった医師の手によるブログの認知は、ここにきて、急速に社会の中で評価される方向に変わり始めたようだ。公平で専門的な考察が積み重なったブログは、医師の手によるブログの中でも数を増やしつつあり、その最先端に位置すると衆目が認めるものが『新小児科医のつぶやき』である。

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ブログ界の Nature ともいえるアルファブロガー・アワードに、医療問題を扱ったブログ 2 件がノミネートされ、中間集計で上位に来ている。

一つが、上記『新小児科医のつぶやき』、もう一つ、中間集計で上位に天漢日乗が来ている。

掘り下げた考察と充実したコメント陣の新小児科医のつぶやき、情報収集力と鋭い考察の天漢日乗、いずれも必読のブログである。

投票はこちらから

医療問題が社会に周知されるためにも、2007 年 12 月 2 日の投票締切までに、ランクアップして、ぜひとも受章の栄誉に輝いて頂きたい。

『新小児科医のつぶやき』が取り上げられた CNET Japan の記事を参照して頂きたい。ブログは、新しい価値観が社会に登場して少し日にちが経ち、一部の伝道師 ( evangelist ) だけのものから多くの人が当たり前に使うものになった時点での現象、以下の記事でいうところの浸透と拡散、そういうフェーズに入った。すなわち、これまでの単なる個人の日記ではなく、新しい知の共有手段となっているのだ。

以下、

http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/11/25/entry_25002161/

より引用

佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

ブログの「浸透と拡散」

公開日時:2007/11/25 11:50
著者:佐々木俊尚

11月23日、「ブログ限界論」をテーマにしたRTCカンファレンスに出席した。このテーマについてはご存じの通り、上原仁さんの事前アジェンダ設定がかなりの波紋を巻き起こし、さまざまなブログでさまざまな意見が書かれた。議論がどう広がっていったのかについては、徳力基彦さんのブログに詳しく書かれている。

当日、会場で話したことや話し足りなかったことなどを、この場で捕捉しておきたい。

昨年ごろから、ブログの世界に地殻変動が少しずつ起きてきているように思う。その地殻変動をシンボリックに体現しているのが、今年のアルファブロガー・アワードだ。アルファブロガーたちが選んだノミネートブログのリストを見ると、これまでのようなIT系や経済社会論壇系から外れて、より幅の広い分野に広がってきていることがわかる。たとえば、このノミネートリストの中でかなりの票を集めているらしい『会社法で遊ぼ。』。診療所勤務の医師の方が書かれている『新小児科医のつぶやき』など、従来なら「アルファ」と呼ばれなかったであろう専門性の高いブログが数多く候補に挙がっている。言ってみればこれは、ジェネラルなブログから、エキスパートなブログへの普及・拡散が起きていることの証明でもある。

ほんの二年ほど前までは、ブログの世界はおそらくとても小さかった。書いている側も、読んでいる側も、それぞれインターネットの先端的ユーザーで、ネットの世界の空気感を共有していた。つまりは同じ価値観という基盤の中で生きていて、他のブロガーたちに仲間意識を感じ、だからこそブロゴスフィアから派生したリアルの人間関係を培うこともてきたのだった。

ところがいまや、ブログの普及と拡散とともに、その共通の価値観は失われつつある。いや、失われてはいないのだが、その価値観を共有するコミュニティの規模をはるかに超える速度で、ブロゴスフィアは広がりつつある。

この状況は、1970年代にSF小説の世界が迎えた「浸透と拡散」フェーズと酷似している。もともと日本のSFはごく少数の書き手たち--星新一や筒井康隆、小松左京、福島正美といった先駆的な作家たちによって切りひらかれ、しかし1960年代までは世間にはほとんど認知されていなかった。文壇のメインストリームからも無視され、SFというのはごく一部の人たちだけが楽しむ小さなコミュニティ内文学だったのだ。

ところが1970年代にはいると、状況が変わる。1973年に小松左京の『日本沈没』がベストセラーとなり、1977年には『スターウォーズ』第一作が公開された。『宇宙戦艦ヤマト』も登場し、少し遅れて『機動戦士ガンダム』もやってきた。この結果、SF的なものは世間に受け入れられるようになり、市民権を得た。これまでSFを無視していた純文学、大衆文学の作家たちも、SF小説的な設定を取り入れるようになった。

この状況はSF業界にとっては喜ばしいことではあったのだが、しかし一方で、こうしてSFが普及していくことを「SFが拡散してしまおうとしている」と嘆く人も少なくなかった。1960年代まで日本SFの世界が持っていた先端性が薄れ、毒が消え、大衆文化に堕していく。スピリット・オブ・ワンダーが失われていく。そういう「SF的精神」が徐々に消失していくと考えられたのだ。さらに加えて、それまでの日本SF業界が持っていた小コミュニティ的な気持ちよさが失われ、一般化してしまうことに対する寂しさもあったのだろう。

そしてこの状況を指して、SF業界の人たちは「SFの浸透と拡散」という言葉で呼んだのだった。

当時私は地方の高校生で、早川書房の『SFマガジン』を愛読していたから、このような論争が中央で起きていたことは何となく理解していたけれども、しかしそういう古いSFの変質なんかよりもずっと、新しいSFの世界の強い興奮を抱いていた。つまりは『日本沈没』や『スターウォーズ』、『宇宙戦艦ヤマト』に対するときめきの方が、古いSF世界への郷愁に勝っていたのである。古いものよりも新しいものにときめきを感じるのは、高校生なのだから当然といえば当然だった。

いまのブロゴスフィアをめぐる状況は、1970年代のSFとまったく同じように思える。ブログは普及し、浸透し、拡散しつつある。いまやかつてのあたたかいブログ共同体は、現在のブログ圏域とイコールではなくなっている。失われた共同体を懐かしんでもしかたないし、日々面白いブログは日本のあちこちで生まれてきているし、それを一生懸命発掘して必死で読まなければならない。

たぶん私がいま高校生だったら、「へー、ブログの限界とか議論している人たちがいるんだ」と感心しながら、しかし新しいブログを読んだり、モバゲータウンで誰かと会ったり、魔法のiらんどでケータイ小説を読んだりするのにときめきを感じているかもしれない。時代は後戻りしないのだ。

次のエントリーも、この話を少し続ける予定です。

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医療崩壊 / 殉職

Posted by guideboard on 2007/11/24/Sat

まずここをご覧頂きたい。

犠牲 http://blog.m3.com/nana/20071120/1

若い医師が勤務中に亡くなられた。心身をすり減らす職務の行き着いた先だった。

また、少し以前になるが、私の同級生が浴槽に沈んでいるところを発見された。

倫理観、使命感、それが至上命題として現場の医師の背中に乗りかかっている。これまでコスト、アクセス、クォリティを奇跡的に並立させて来た日本の医療制度は、現場の医師と医療従事者たちの献身によって支えられて来た。

日本の医療は、これまで成し遂げて来た奇跡の基盤が崩れつつある。これらの尊い犠牲をもってしても防げない。それでもなお、日本人は現場に献身を求める。赤ひげだの、ヒポクラテスだの、医療で社会保障費を削るだの、僻地勤務義務化だの、さらなる犠牲者の山を築こうというのか。

今は、殉職と言ってよいだろうこれらの方々の冥福を祈るのみだが、このままでは済ませられない。

関連のリンク

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医療崩壊 / 僻地医療崩壊の歌

Posted by guideboard on 2007/11/24/Sat

僻地医療が崩壊する要因を取り上げて歌にしたものが YouTube にあった。2007 年、医療崩壊が決定的となったこの時期の記憶に残すべきものである。

僻地医療崩壊を歌う
http://jp.youtube.com/watch?v=hmd7wCkjV3Q

またビデオに保存してあるものもある。
QuickTime movie, MPEG-4, 480 × 480 pixels, 33.8MB

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JBM / 死因究明機関 / 日本医師会の大罪

Posted by guideboard on 2007/11/17/Sat

虎ノ門病院泌尿器科部長、小松秀樹先生が、2007 年 11 月 17 日、九州医師会総会で講演した内容である。転送可ということである。

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2007年11月17日

日本医師会の大罪

虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹

  • 国民と患者のため、医療の改善と向上のため、現場の医師による自律的な集団が必要である
  • 厚生労働省は医師に対する全体主義的な統制を行う強大な力を手に入れつつある
  • 過剰な統制は自律性を奪い、医療システムを破壊する
  • 日本医師会の役員の一部は全ての現場の医師を裏切り、厚労省に加担した
  • いま、日本医師会に対し、現場の医師は自らの意見を明確に主張しなければならない
  • 国民と患者には、自分達自身と家族のために、現場の医師を支援していただきたい

07年10月17日、厚労省は診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する第二次試案を発表した。
その骨子は以下のようなものである。

1) 委員会(厚労省に所属する八条委員会)は「医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者」により構成される。

2) 「診療関連死の届出を義務化」して「怠った場合には何らかのペナルティを科す」。

3) 「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、」「調査報告書を活用できることとする」。

4) 「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う」。

第二次試案は、この制度の検討会の座長で刑法学者である前田雅英氏の主張「法的責任追及に活用」(讀賣新聞07年8月14日)に一致している。法的責任追及という理念の実現が目的であり、これが現実に人々に何をもたらすのかを、多様な視点から考えた形跡がない。日本の刑法学はマルキシズムと同様、ドイツ観念論の系譜にある。理念が走り始めるとブレーキがかかりにくい。ここまでの統制が、医療に対して求められなければならないとすれば、他の社会システム、例えば、裁判所、検察、行政、政党、株式会社、市民団体などにも、相応の水準の統制が求められることになる。理解しやすくするためにこの状況をメディアに置き換えてみる。

1) 報道被害調査委員会を総務省に八条委員会として設置する。事務は総務省が所管する。

2) 委員会は「報道関係者、法律関係者、被害者の立場を代表する者」により構成される。

3) 「報道関連被害」の届出を「加害者側」の報道機関に対して義務化し、怠った場合にはペナルティを科す。

4) 行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、調査報告書を活用できることとする。

5) ジャーナリストの行政処分のための報道懲罰委員会を八条委員会として総務省に設置する。報道被害調査委員会の調査報告書を活用して、ジャーナリストとして不適切な行動があった者を処分する。

厚労省医政局の幹部には歴史的視点と判断のバックボーンとなる哲学が欠如している。そもそもわが国の死亡時医学検索制度の貧弱さこそが問題なのだという現状認識すらない。このような異様な制度は、独裁国家以外には存在しない。独裁国家ではジャーナリズムが圧殺されたばかりでなく、医療の進歩も止まった。

私は、自由とか人間性というような主義主張のために、過剰な統制に反対しているのではない。この制度が結果として適切な医療の提供を阻害する方向に働くからである。
システムの自律性が保たなければそのシステムが破壊され、機能しなくなる。「システムの作動の閉鎖性」(ニクラス・ルーマン)は、社会システム理論の事実認識であり、価値判断とは無関係にある。機能分化した個々のシステムの中枢に、外部が入り込んで支配するようになると、もはやシステムとして成立しない。
例えば、自民党の総務会で市民団体、社民党、共産党の関係者が多数を占めると、自民党は成立しない。内部の統制は内部で行うべきであり、外部からの統制は裁判のように、システムの外で実施されるべきである。
そもそも厚労省は、医療を完全に支配するような強大な権力を持つことの責任を引き受けられるような状況にあるのだろうか。当否はべつにして、厚労省はメディア、政治から絶え間ない攻撃を受け続けてきた。政府の抱える深刻な紛争の多くが厚労省の所管事項である。
憲法上、政治が上位にあるため、厚労省は攻撃にひたすら耐えるしかない。しばしば、攻撃側の論理を受け入れて、ときに身内を切り、現場に無理な要求をしてきた。
現在の厚労省に、社会全体の利益を配慮したブレのない判断を求めることは無理であり、強大な権限を集中させることは、どう考えても危険である。

第二次試案発表から15日目の07年11月1日、ほとんど報道されなかったが、日本の医療の歴史を大きく変えかねないような重要な会議があった。自民党が、医療関係者をよんで、厚労省の第二次試案についてヒアリングを行った。厚労省、法務省、警察庁の担当者も出席した。日本医師会副会長の竹嶋康弘氏、日本病院団体協議会副議長の山本修三氏、診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業事務局長の山口徹虎の門病院院長(立場としては学会代表)が意見を述べた。
私はめったなことでは驚かないが、この会議の第一報を聞いたときには、びっくりした。全員、第二次試案に賛成したのである。
なぜ驚いたか。07年4月以来、この制度について検討会で議論されてきた。ヒアリングに出席した山口徹モデル事業事務局長、日本医師会の木下勝之理事、日本病院団体協議会の堺秀人氏、の三氏は検討会の委員として、この間、議論に加わってきた。私自身、第二回検討会で意見を述べる機会を得たが、検討会では猛スピードで議論がすすめられた。議論はかみ合わず、かみ合わせようとする努力もなしに、多様な意見が言いっぱなしになった。
8月24日に発表された「これまでの議論の整理」も、多様な意見が併記されていただけだった。

自民党の働きかけが、モデル事業、日本医師会、日本病院団体協議会の三者に、第二次試案に対し賛成か反対か態度を鮮明にすることを迫った。自民党の迫力に背中を押されて、三つの団体が賛成の機関決定をした。結果として、自民党に対し、大半の医師が第二次試案に賛成しているというメッセージを送った。
日本医師会はなぜ賛成したのか。前会長は、小泉自民党と対立した。現会長になって、自民党につきしたがうようになったが、
それでも邪険にされつづけている。
日本医師会の最大の関心事は診療報酬改定である。現在、診療報酬の改定作業が進行中である。厚労省の第二次試案に賛成することが、自民党を支えることになり、診療報酬改定で自分たちが有利になるとの期待があると考えるしか、日本医師会の行動を合理的には解釈できない。だとすれば、目先の利益を、今後数十年の医療の将来に優先させたと非難されるべきである。
よく考えると、日本医師会の行動が、目先の利益につながるのかどうかも疑わしい。
自民党内にも、第二次試案に対する疑問の声はある。第二次試案の真の姿が、社会に広く理解されるようになったとき、第二次試案でよいとする説得力のある理由が用意できていなければ、日本医師会の信頼性が更に低下する。実際、一部の医師会役員は、執行部が第二次試案に賛成したことを知って激怒したときく。

私には、日本医師会が時代から取り残されているように思える。現場で働く開業医と議論すると、日本医師会の中枢を占める老人たちとの間に、越え難い溝があることがよく分かる。この危うい状況を本気で検証して、対策を講じないと日本医師会に将来はない。

現場の医師はどうすべきか。このままだと、医療制度の中心部に行政と司法と「被害者代表」が入り込み、医師は監視され、処罰が日常的に検討されることになる。この案に反対なら、それを示さないといけない。
自民党の理解では、医師がこの案に賛成していることになってしまったからだ。モデル事業運営委員会、日本医師会の指導者、病院団体に意見を撤回させて、それと同時に、多くの医師がこの案に反対していることを自民党にも分かるようにしなければならない。
学者は無視して、ここは、行動の対象を最大の政治力を持つ日本医師会の一部役員に絞るべきである。
第二次試案では、勤務医のみならず、開業医も厚労省のご機嫌を伺いながら、常に処分を気にしつつ診療することになろう。積極的な医療は実施しにくくなる。開業医と勤務医の共通の問題と捉えるなら、日本医師会内部で執行部に抗議をして撤回を迫るべきである。

しかし、第二次試案は開業医より、勤務医にとってはるかに深刻な問題である。第二次試案は主として勤務医の問題といってよい。産科開業医等を除くと、日本の診療所開業医は高いリスクを積極的に冒すことによって生死を乗り越えるような医療にあまり関与しない。
勤務医の多くは、目の前の患者のため、リスクの高い医療を放棄できない。日本医師会には多くの勤務医が加入している。勤務医と日本医師会の関係が問題になる。端的にいうと、日本医師会が勤務医の意見を代弁してきたのかということである。
勤務医は収入が少ないので、会費が安く設定されている。このためかどうか知らないが、代議員の投票権がない。発言権がないといってよい。それでも、日本医師会は医師を代表する団体であるとして振舞いたいので、勤務医の加入を推進してきた。
「勤務医と開業医が対立すると、厚労省のいいように分割統治されるので、勤務医も日本医師会に加入すべきだ」という論理が使われてきたが、日本医師会は、常に、開業医の利害を代弁し、勤務医の利害には一貫して冷淡だった。
最近、日本医師会の役員が、勤務医の利害を配慮してこなかったと反省を表明するようになったが、今回の問題でそれがリップサービスに過ぎないことが明白になった。どうみても、勤務医は「だしにつかわれてきた」と考えるのが自然である。

そこで勤務医のとるべき態度である。これは、日本医師会に抗議すれば済むような生易しい利害の抵触ではない。第二次試案に賛成か、反対かを確認するだけで、抗議する必要はない。生命を救うためにぎりぎりまで努力する医師を苦しめ、今後数十年の医療の混迷を決定づける案に日本医師会が賛成していることが確かならば、すべての勤務医は日本医師会を脱退して、勤務医の団体を創設すべきである。

開業医と勤務医の大同団結を説く声をよく聞く。従来、その立場をとってきた友人が、今回の日本医師会の行動をみて、医師会に期待することの限界を感じたと連絡してきた。そもそも、勤務医が医師会の第二身分に据え置かれるような形が続く限り、人間の性質上、勤務医が本気で医師会と協調することはありえない。
勤務医の組織ができて初めて、協調の基盤ができる。今では医師会の理不尽なルールそのものが、医師会の正当性を阻害し、開業医の利益を損ねている。

まず実施すべきことは、勤務医医師会の創設と、患者により安全な医療を提供するための、勤務環境改善を含めた体制整備である。
この中には、再教育を主体とした医師の自浄のための努力も含まれる。自浄作用がないような団体が、自分の利益を言い募っても、周囲には醜く映るだけで説得力はない。
臨床医として活動する医師の登録制度を自律的処分制度として活用している国が多い。全ての勤務医と一部の開業医だけでも、なんとか工夫をして、国の力を借りずに自浄のための制度を立ち上げたい。
これは国民に提供する医療の水準を向上させ、かつ、医師が誇りを持って働くことにつながる。

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JBM / 死因究明機関 / 医療の内部に司法を持ち込むことのリスク

Posted by guideboard on 2007/11/17/Sat

虎ノ門病院泌尿器科部長、小松秀樹先生が、2007 年 11 月 17 日、九州医師会総会で講演した内容である。転送しまくって欲しいということである。

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医療の内部に司法を持ち込むことのリスク
医療と司法の齟齬の解決は多段階で時間をかけて

虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹

厚生労働省の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」が07年4月に発足した。いわゆる「医療事故調」の設立のための検討会である。私は、第2回の会合で意見を述べる機会を得たが、各委員がキーワードの「医療関連死」という言葉さえ異なるニュアンスで使っているような状態で、議論が全くかみ合っていなかった。
驚いたのは、議論をかみ合わせようとする努力なしに、猛スピードで議論が進められたことだ。議論をしたという実績を残そうとしているとの強い印象を受けた。
その後漏れ聞く情報によれば、「医療事故調」に、社会保険庁解体に伴って生じた余剰人員を吸収したいという意図があるとのことだった。本当かどうか知る立場にないが、これが本当なら、厚労省は、省益のために、将来の日本の基本設計の議論をないがしろにしたと非難されても仕方がない。

07年8月末に公表された「これまでの議論の整理」も何の方向性も見いだせておらず、成果はないに等しい。私は検討会の座長である刑法学者の前田雅英氏と07年8月14日の讀賣新聞朝刊で誌上討論を行った。
前田氏との主張には「法的責任追及に活用」、私の主張には「紛争解決で『医療』守る」の見出しがつけられた。この議論から、厚労省の狙いが、法的責任追及に向いていることが強く懸念された。

07年10月17日、厚労省は検討会の議論とは別に、独自の第二次試案を発表した。案の定、「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行えるようこれらにおいて委員会の調査報告書を活用できることとする」と明記されていた。

「医療関係者の中に悪いことをしている奴がいる。そいつらを見付け出して罰してやろう」というスタンスである。罰則で報告を義務付け、医療事故を広い範囲で収集して、罰をあたえるかどうか網羅的に検討しようとするものである。医療について十分理解していない法律家が評価を下し、政治の支配をうける行政官が事務方を担当することになれば、医師は逃げ出さざるを得なくなる。
法律家は医療がどのようなものかほとんど知らない。通常の患者と同じく、しばしば、医療は無謬でなければならないという前提に立っている。現代医学は万能であり、医療行為が適切であれば、有害なことは起こり得えないと信じているふしがある。有害なことが起きれば、それは善悪の問題であり、システムや費用のかけ方の問題ではないと思っているし、なによりも、医療が不確実で限界があることを理解していない。

さらに、本邦特有の問題がある。行政官、とりわけ、厚労省の行政官は政治とメディアから、正当なもの不当なものを問わず、激しい攻撃を受け続けている。このため、攻撃をかわすこと、すなわち、自己責任の回避が行動の基本原理の一つにならざるをえず、しばしば大衆メディア道徳とでもいうべき現実無視の論理に同調して、同僚を切り、あるいは、現場に無理な要求をしてきた。

司法、政治、メディアはものごとがうまくいかないとき、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。これに対し、医療、工学、航空運輸など専門家の世界では、うまくいかないことがあると、研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとする。あるいは、規範そのものを変更しようとする。
社会学者ニクラス・ルーマンは、司法・政治・メディアなどを規範的予期類型、医療・工学・航空運輸などを認知的予期類型に大別し、両者の考え方の違いを整理した。
「(違背にあって)学習するかしないか それが違いだ」とルーマンは表現している。地動説に対する宗教裁判は、
規範的予期類型が認知的予期類型を押しつぶした歴史的一例であるが、結果としてこの事件は、神学の権威を大きく失墜させる方向に働いた。

このことは演繹と帰納という観点からも理解できる。法律家は規範を絶対視し、規範から演繹的に物事を判断することを当然とする。科学者は、仮説を証明するために、一定条件の対象を適切な方法で検討し、帰納的に仮説が真かどうかを検証する。
科学的真理とは、対象と方法に依存した仮説的真理である。真理の表現方法、精度、限界は方法に依存している。
司法は、この仮説的真理という醒めた見方を共有できないため、白か黒かを無理やり決めようとする性癖がある。
さらに規範が適切かどうかを、現実からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。このため規範が落ち着いたものにならない。

「医療事故調」が議論されるようになった背景には、医療崩壊の危機がある。医師が患者の無理な要求や、それを支持するマスコミ、警察、司法から不当に攻撃されていると感じるようになり、士気を失い病院を離れ始めた。崩壊を食い止めるための方策の一つとして、患者と医師の軋轢を小さくするという文脈で「医療事故調」の議論は始まった。このような状況で、なぜ、医師を処罰の対象として考え、何かあれば取り締まってやろうという立場で調査制度を設けようとするのか。

私は、医療事故に関する調査機関を設けること自体には賛成である。科学的調査を行い、事故原因を究明することは医療の安全向上に不可欠である。調査結果を患者側に説明をすることは紛争解決に不可欠である。
過去に医療がこのような仕組みを組み込んでこなかったことを、われわれは真摯に反省しなければならない。
しかし、調査機関への事故報告を義務付けて、報告しなかった場合には罰則を科すというやり方には賛成できない。このようなことをすれば、激しい軋轢の原因となる。

今の日本社会は大きな欠陥を持っている。何か不都合が生じたとき、「悪いやつを探し出して罰しろ」と主張する「被害者感情」が、制御なしに一人歩きをしている。
人間の感情は個人の心の中に限定された現象である。攻撃を受ける側にも感情がある。感情をそのまま社会的コミュニケーションに持ち込むと、当然ながらコミュニケーションそのものが成立しなくなる。社会的コミュニケーションに感情を持ち込むためには、感情を社会で扱えるような形にする必要がある。
社会で扱えるように整理された感情はたぶん感情というようなものではなくなるが、このような作業がないと社会は成立しない。日本のメディア、司法、政治は感情の社会化ということをもっと意識して考える必要があるのではないか。感情面の軋轢を小さくして事故を冷静に検討するためにも、事故調査と医師の処分は制度として分離すべきだと思う。

医療、工学、航空運輸など専門領域は、内向きの世界として、国家横断的に大きく発展している。航空運輸の分野では事故をシステムの問題と捉え、将来の安全向上のために調査を行う。航空運輸は国際的な分野であり、国際民間航空条約(ICAO条約)の第13付属書に、事故調査についての取り決めが記載されている。
付属書は「調査の唯一の目的は、将来の事故又は重大なインシデントの防止である。罪や責任を課するのが調査活動の目的ではない」とする。また「罪や責任を課するためのいかなる司法上又は行政上の手続も、本付属書の規定に基づく調査とは分離されるべきである」と明記している。ところが、日本では警察が法的責任追及のために事故調査を行い、検察は航空・鉄道事故調査委員会の報告書を刑事裁判の証拠として使用してきた。
システムの問題を直接事故にかかわった個人の罪として追及してきた。警察が収集した情報は警察内にとどめられ、事故防止に利用できない。ICAO条約に抜け道の条項があったのも確かだが、日本の司法が条約の基本思想を受け入れていないことは間違いない。

日本学術会議の工学系を中心とする専門家はこの状況を憂慮し、05年6月23日「事故調査体制の在り方に関する提言」(日本学術会議のホームページで入手可能)をまとめた。この提言ではシステム性事故を科学的に扱うこと、そのために各種事故を対象とする独立性を持った常設の機関(3条委員会)を設置することを提案している。
報告書ではこの機関が扱うべき事故の種類を広くとり、医療事故も含めている。機関そのものに専門性を持たせるのではなく、各種専門知識を持つ機関を動員して結びつける役割を想定している。故意や重過失に対する刑事処分は容認しているが、関与者の過失については、人間工学的な背景分析も含めて当該事案の分析を十分に行い、被害結果の重大性のみで、短絡的に過失責任が問われることがないよう配慮することを求めている。処罰を目的とする調査は当事者からの証言を得にくくし、真相究明の阻害要因となる。
また、事故の引き金を引いた直近の当事者を処罰してもなんら問題解決にならないと刑事司法の欠点を指摘する。調査報告書については、民事裁判での証拠としての使用は容認しているものの、事故当事者の証言に対応する部分については、刑事裁判の証拠としての使用を認めていない。

日本学術会議の提言は事故調査の目的を安全においている。航空機事故は、件数が少ないため事故ごとに対応策を考えることが可能であるが、医療事故は発生件数が桁違いに多い。事故なのか、本来の病気のためなのか分からないようなものも少なくない。
先に述べた厚労省の第二次試案では、委員会に「遺族の立場を代表する者」が参加し、「個別事例の分析に加え、集積された事例の分析を行い、全国の医療機関に向けた再発防止策の提言を行う」としている。個別性を持った情報を元に、遺族の立場を代表する者が参加する委員会が安全対策を策定すると、膨大なものになりかねない。これを現場に押し付けると現場は疲弊する。
責任を伴わない権限で、整合性のない安全対策を強要されると、病院は経済的に破綻する。
事故情報は匿名化して、既存の医療事故防止センターの専門家の下に集め、重み付けをして、総合的に対策を考えるべきである。航空機事故の調査は安全向上が第一目標になるが、医療事故の調査は、安全のみならず、医療の保全を常に考える必要がある。

医療について議論する刑法学者には、刑法の狭い枠にとらわれずに、航空機事故調査をめぐる議論の蓄積を学んで欲しい。検察官と裁判官の一部が医療現場を見学していることを知っているが、法律学者、弁護士(病院側の弁護士も)が医療現場を自分の眼でみて認識を広めているという例を聞いたことがない。認識が広ければ、狭いことの良し悪しを判断できるが、狭いままだと、広いことの必要性は判断できない。

私は、死生観を含めて、医療とはどのようなもので、医療に何を期待できるのか、できないのか、共生のための行動の制御はどうあるべきかなど医療に関わる根源的問題について、認識を一致させる努力を「医療臨調」のような場を設定して、国民に見えるように演出することを提案してきた。
認識の違いを埋める努力なしに、医療制度の内部に司法を取り込むと、取り返しのつかないことになる可能性がある。医療事故調の調査報告書を刑事処分、行政処分の追及に使うことは、現在の業務上過失致死傷罪の医療への適用より危ない。

責任追及の在り方についての司法と医療の齟齬は、双方の考え方が異なる以上、考え方の変更なしに、一気に解決することは不可能である。互いの認識の変更を確認しつつ、一段ずつステップを重ねていくべきである。システム間の齟齬は、多段階で時間をかけて解決していくしかない。業務上過失致死傷は医療だけの問題ではない。多くの分野を巻き込んだ議論が必要である。
法律が存在する以上、当面、医療事故調と関係なく、用すればよい。個々の事例で認識の違いが生じれば、その都度、社会に見えるところで議論すればよい。
医療の問題は、ステークホールダー間の利害調整や、合理的判断を超えた権力の行使で無理に解決すべきではない。医療は、そのような危うい決定方法に委ねるには、重要すぎる。医療を良くすることは社会の共通利益である。互いに双方の立場を理解しつつ、多段階で時間をかけて解決していくべきである。

医療サイドがすべきことは、医師の自律的処分制度を作ることだろう。厚労省の第二次試案では、医療事故調の報告書を活用して、医道審議会の処分を拡充しようとしている。医道審議会は厚労省に所属する8条委員会であり、厚労省の支配を受ける。厚労省が医師を処分することには多くの問題がある。

第一に、厚労省の行政官は日本国憲法の下では、政治の支配を受ける。政治はメディアの影響を受ける。日本のメディアの感情論が処分に影響を与えるようになると医療の安定供給は困難になる。

第二に、日本やドイツでは政治の命令で医師が国家犯罪に加担した歴史がある。

第三に、行政官は現行法に反対できない。ハンセン病患者の隔離政策に対し、一部の医師は科学と良心に基づいて、身を挺して反対した。しかし、行政官は法令に基づいていたが故に反対できなかった。

第四に処分機関をもつことで厚労省と医師の関係が変化して、行政に支障を来たしかねない。世界的に、医師の行動の制御は、政府ではなく、医師の知識と良心に委ねるべきであるとされている。

処分の端緒は、事故ではなく、医師の不適切な行動とする。当然、事故がきっかけで不適切な行動が判明したものも含まれる。申し立ては患者・家族、医療従事者、病院など広くする。事故調査と処分制度と完全に切り離す。
未来の医療の質を高めるためのものなので、処分には教育的意味が大きくなる。被害がなくても、同僚の目から見て明らかに不適切な行動を取った医師は、処分の対象にする。
こうした制度は国が行うのではなく、医師というプロフェッションの団体として自律的に行う必要がある。そして、その方が適切なものになると思う。

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JBM / 死因究明機関

Posted by guideboard on 2007/11/02/Fri

厚生労働省は、かねてから医師の処分の迅速化を計画していた。それが一つの形になろうとしている。医療事故による死亡について死因を究明する機関の設置とそれの調査による医師の処分の迅速化、厳罰化である。

この機関による死因調査の結果は、行政処分、民事提訴、さらには刑事訴追にも用いられる。この機関への届出は、現在 ( 2007 年 10 月時点 )、全例義務化という線で話が進められている。

厚生労働省は、診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案をまとめ、パフリックコメントを募集した ( 2007.10.17 – 2007.11.2 )。
案件番号 495070148
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=495070148&OBJCD=&GROUP=

日本の沈み行く医療をさらに深淵へと叩き落とすような危険を感じたので、以下のコメントを厚生労働省に送った。パブリックコメントを募集する段階では、既に事態は先へと進んでいて、この制度の設立は既定路線なのだが、現場の危惧を記録に残しておく。

なお、参考資料としてロハス・メディカルブログの以下の記事を拝見させて頂いた。川口氏のご尽力に敬意を表するとともに深謝申し上げたい。

死因究明検討会8
虚報
死因究明検討会7
死因究明検討会6
続・死因究明検討会5
死因究明検討会5
死因究明検討会4
死因究明検討会3(その2)
死因究明検討会3
死因究明機関検討会2
検討会


「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案について」に関して意見を提出いたします。

本試案に基づいて調査機関を拙速に設立することには反対します。

反対する理由

1.
社会保険庁が解体されることによって生じる余剰公務員の受け皿のために、今のうちに組織機関を作りたいという貴省内部の意向は、既に知られています。

単なる余剰公務員の受け皿づくりなどには反対です。

必要なものは、まず第一に、膨大な数の調査に必要な多数の解剖医、臨床医というマンパワーです。

年金の処理すらおぼつかない社保庁職員など、医学的真実の究明の場にふさわしくありません。

2.
本試案を基に、設立された調査機関に対して全例の報告義務を課すことへ議論が進んでいると伺っております。

貴省では、かねてより医師に対する処分を迅速化するべく議論がなされていたと聞き及んでいます。

しかも本試案で示されますように、調査結果は行政上のみならず、民事訴訟、さらには刑事訴追にも用いられるとのことです。

諸外国の同様の制度では、航空機事故などとともに医療事故でも、医学医療の発展と医療安全の向上、再発防止のための調査では、個人の責任追及がなされないことが必須条件です。

個人の行政上、民事、刑事での責任追及を大前提に掲げる本制度は真実究明の場とはならず、届出も滞り、医療の現場はリスクを遠ざける努力が優先してしまうでしょう。

よって処分を前提とした調査機関の設立には反対です。

3.
死亡事例の場合、解剖に基づく詳細な法医学的、病理学的検索が必要ですが、全国の法医学、病理学の医師を総動員しても、全例届出に続く全例解剖にはとてもマンパワーが足りません。

設備も、その他の必要な職員や検査技師も、財源も足りません。しかも調査検討には、一例一例、複数の解剖医と臨床の専門家の数を重ねた合議が必要です。

とてもそれだけの人員と時間とお金をかけられる計画には見えません。

不充分な調査しかなされない場で、真実とはほど遠い調査結果を基に、行政処分、民事提訴、刑事訴追を受けるような事態が危惧されますので、上記の理由とともに、拙速な調査機関の設立につながる本試案の実現には反対です。


厚生労働省の資料を保存


法医学者の悩み事 の記事が大変参考になるので、リンクさせて頂く。

http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/29537568.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/30509181.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/30552589.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/31449563.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/37234541.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/37327223.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/37420101.html
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1/37679276.html

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