医療崩壊 / 心の僻地
Posted by guideboard on 2007/10/10/Wed
本記事の原典は、2006 年 4 月 17 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/04/post_7ee7.html にアップされた。原典は削除された。
キーワード
地方、分権、僻地、農村、医療、崩壊、逃散、無医村、強制、小泉、改革
小泉改革を無邪気に信じている人たちは、まだたくさんいるのだろうか。
村社会で生きてきた日本人が、戦後日本の政治体制のもとでもそのメンタリティを持ち続け、いやむしろさらに拡大させた。これが僻地医療の問題の一端を生み、小泉改革がそれを加速した。
農業は、江戸時代までは日本の基幹産業だった。戦前までは、富国強兵、鉱工業重視政策であっても、日本はまだ貧しい国だった。日本人の栄養状態は今とは較べられないほど悪く、農業はやはり重要な産業だった。
( おおよそ、江戸時代の日本人男子の平均身長は 155cm、第二次世界大戦のころは 160cm、2000 年には 170cm )
戦後、日本の政治制度は、( 社会主義、共産主義の国のものとは違う ) 農村重視政策、農村が票田、農村に税金を配分し、農村から有力政治家が出るという図式であった ( 小泉首相は都市から出たこれまでにないタイプの政治家と言えよう )。
ここでの農村は地方、僻地とほぼ同義である。
1. 農村 ( 地方 ) は、小泉首相が誕生するまでは、自民党政治の原動力であった。
2. 農村 ( 地方 ) は、都市と異なったメンタリティを人々にもたらした。
1. 政治的なレペルの話
小泉改革は、世のため人のため日本のためではない。小泉の政敵潰しの権力闘争である。それと外国資本やそれに乗っかって儲けを企む財界勢力の利害が一致しているのだ。
地方分権改革は三位一体の改革などと美辞麗句を並べた所で、本質は地方を切り捨て小泉の政敵の政治基盤を弱体化させ、税すなわち国民の所得の都市への配分、財界へ利益を誘導するものである。
当然、農村 ( 地方 ) 社会のインフラは荒廃していく。道路はかろうじて作られていくが、医療は切り捨てられつつある。
医療は箱ものだけではできない。労働集約型産業であり、経費には人件費が大きなウェイトを占める ( 逆にそれだけ医療に多くの労働力を吸収できるともいえる )。ところが日本国政府は、国民皆保険制度を導入した 1950 年代以来、ずっと医療にかける費用、特に人件費を抑圧し続けてきた。医師以外の人々には理解できないことだろうが、1980 年代初めより、医師が手にできるサラリーはほとんど増えていない。開業医でも勤務医でもだ ( 診療報酬とは医師個人のサラリーではない )。農村に立派な病院を作っても、そこで働く医師をはじめとした医療スタッフの人件費はケチる ( 医師の技術料の評価は、欧米諸国の半分以下である )。
2002 年、初めて医療費本体を削減した診療報酬改定も小泉のなせる技だ。それがどういう結果を生んだか。たとえば、ここ ( 医療崩壊リンク集 ) を見てみるがよい。
2. 人の心のレベルの話
戦後 50 年以上にわたり、補助金で養われた農村 ( 地方 )。農家は豊かであり続けたはずなのに、若者は都市へ出て行く。なぜなのか。
私は農村から都市へ出た若者ではなかったので、想像するしかできないが、狭いコミュニティーの中で、様々な因習にとらわれ、村中が相互監視の日々。安定していても発展しない、将来が見えてしまった生活。
そういう所で、何の見返りもなく、安いサラリー、劣悪な労働条件で働こうという医師はいるのだろうか。自発的に農村 ( 地方 ) で働きたいというものもいるが、大多数は、これまでは医局人事という強制力で赴任させられていた。一定期間の辛抱のかわりに将来に少し希望を持つことができた農村 ( 地方 ) 勤務だったのだ。
医療制度改革の端緒の一つが医師研修制度であり、それと医局制度解体は表裏一体なのだが、これが「強制的医師農村 ( 地方 ) 赴任制度」を崩壊させた。
僻地医療の問題を端的に述べているウェブページがあった。無医地区問題と医療費についての歴史の意見は刮目に値する。以下に引用する。
—– 以下引用 —–
無医地区の、無医地区たる理由は、診療所の個人経営が成り立たない地域だからでは無く、医師の子弟の教育が困難なわけでも有りません。 そこの地域住民が悪い、殊に、自分が有力者だと思い込んでいる首長、議員、町内会長、大地主、資産家等が、馬鹿な要求や他所者扱いや三流医師扱いをするから、医師が嫌がって地区を出て行くだけの事なのです。 本質的には、その地区出身の若者がいなくなるのと全く同じ理由なのです。
—– 以上引用 —–
人間は住みたい所に住む。住み慣れた所がどんなに生活に不便であっても、住めば都という言葉がある。例えば、年寄りだけで農作業が辛くなっても農家を続ける、また例えば、豪雪地帯、無医村などでも、人間は住み慣れた所を離れられない。これは人間が基本的に持っている習性、とでも言うしかないのだろうか。
農村 ( 地方 ) は、人の心に農村 ( 地方 ) のメンタリティーを産む。
農村 ( 地方 ) は、人がそこに住みたくて住んでいる。たとえ豪雪地帯でも無医村でも、そんな所に住むのは自己責任だと言われても、そこがいいのだ。
でも、医師にはいて欲しいと思うのだろう。せっかく来た医師が 1 ヶ月で辞めてしまったりするような仕打ちをしたり、何年も一人で奮闘して人々に貢献した医師を逮捕させてしまっても、医師に来て欲しいと望む。
こういうメンタリティーを何と呼ぼうか。ウェブ上にぴったりの言葉が見つかった。「心の僻地」。
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自称ジャーナリストの勘違い記事があった。需要と供給のアンバランス〜無医村の増加 ( 2006.4.10 ) という記事を見てみる。
—– 以下引用 —–
金銭的には保護されることは間違いがないので医師という職業全体のモラルの低下と言うことが出来る。しかし強制的に移住などは出来るはずもない。医師という高い尊敬を有する人々のモラルにしか期待できないのが現状である。
—– 以上引用 —–
僻地医療、無医村の問題に医師のモラルを持ち出している。その土地から逃げ出す若者よりも高いモラルを持った医師が喜んでやってくるはずだというわけだ。この著者から見れば、日本中の医師がモラルを失っているのだろう。
その土地の人のため、その土地から人が逃げ出すような所で、自分も自分の家族も犠牲にして、少々高い報酬と言ってもそんなに高いわけではない、しかも有形無形の仕打ちがくる。それに耐えてこそモラルある医師というわけだ。こういう考えは、何かおかしいと思わないか。
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モラルがなければ強制と来た。医師の派遣 「説得と強制」がカギ ( 2005.11.20 ) という片桐由喜小樽商大助教授が北海道新聞に寄せたコラムを見る。
—– 以下引用 —–
地方への医師派遣に際し、医局統制の弊害が指摘されて久しい。しかし、自発的な過疎地域への移動を個々の医師に期待できない以上、医局であれ国家権力であれ権威と強制力を盾に彼らを地方へ送り出すシステムは欠かせない。公立小中学校の教師は公務員であるため、転勤命令が出ればどんなへき地であれ行かなければならないのである。いやなら教員を辞めるしかない。
イギリス社会保障の父、ウイリアム・べヴァリジ卿は人を動かすのは「説得と強制」であると断じた。地域医療対策のキーワードであろう。
—– 以上引用 —–
教員も会社員も配置転換を拒否している事例があるが。医師には居所や職場を選ぶ自由は不要というのか。
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以下、参考リンク
KALEIDOSCOPE WORLD ( 医療崩壊リンク集 )
マスコミウォッチ ( 無医地区問題と医療費についての歴史 )
くらし専科 ( 医師の派遣 「説得と強制」がカギ )
Letter from Yochomachi ( NHK:豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む? )
Aquarian’s Memorandum ( 散人先生の「でも、なんであんなところに人が住む?」を考える )
社団法人 日本酪農乳業協会 ( 骨からみた日本人 )
Die Kriegs Wirtschaft 戦争経済 ( 平均身長について )
いやしのつえ ( 泉崎村立病院の「無責任な院長」と「僻地医療」の未来予想図 )
参考資料