国民皆保険 14 / 薬価
Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon
本記事の原典は、2006 年 9 月 6 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/__3f1b.html にアップされた。原典は削除された。
キーワード
医療、健康保険、薬価、薬価差、薬価差益、消費税、損税、ゼロ税率
薬価差が医療機関の儲けになっていたのは過去のこと。今は薬を在庫することが経営を圧迫する。
薬価差は医者の儲け、いまだにこういったことを言う亡霊が医療界のまわりを徘徊している。
消費税導入前 : 薬価 – 仕入れ値 = 薬価差
消費税導入後 : 薬価 – ( 仕入れ値 + 消費税 ) = 薬価差
医療機関が薬を仕入れるときには 5% の消費税がかかっている。公的医療保険において、患者さんに処方する時の公定価格、すなわち薬価には、消費税導入の折、消費税分が上乗せされた薬価が決められたはずだ。
薬価が決められても、メーカー、卸業者、医療機関との間の価格交渉、価格競争といった要因で、次の薬価の決定までの 2 年間に、仕入れ値は少し下がる。
しかし、薬価は 2 年毎に切り下げられ、仕入れ値 + 消費税 > 薬価 となった薬がいくつもある。ほとんどの薬で薬価差と消費税がとんとん。よって薬の在庫、損耗リスクを考えたら、薬価差で儲けるという事態はほとんど無くなって来た。
特に、薬価改定の直前に在庫している薬は、偶数年の 4 月 1 日の薬価改定の途端に、薬価すなわち販売価格が 1 割ないしは大きい場合 3 割程度下げられてしまう。とてつもない在庫リスクがあるわけだ。
医療機関は薬で儲けているのではない。薬はできたら在庫したくない。ところがいまだに亡霊の恨めしそうな言葉が聞こえてくる ….. 「医者は薬価差でぼろ儲けしている」
医療保険財政に占める薬の価格の部分は、少ない方が財政上はよいに決まっている。諸外国を参考に、下げるべきものは下げてよい。しかし、薬価を下げることが、無条件、全面的に善ではない。
毎日新聞 2006.9.6
薬価算定基準:毎年改定実施を 厚労省が論点提示
厚生労働省は6日の中央社会保険医療協議会薬価専門部会で、現在2年に1度の薬価(医薬品の公定価格)改定に関し、「改定の頻度を含めた薬価算定基準の在り方について検討すべきだ」と記した論点ペーパーを提示した。薬価を毎年改定し、より市場価格に近い値段に下げることで医療費抑制を目指す意向を正式に示したものだ。
公定薬価は、保険から医療機関に支払われる医薬品の値段。05年の場合、医療機関の仕入れ値である市場価格より8%高かった。
政府は2年に1度薬価を引き下げ、市場価格との差を2%にまで縮めている。
薬価差と消費税が、今では、医療機関を苦しめている。薬価差を限りなくゼロにする代わりに、次のいずれかをして頂きたい。
・診療報酬にも消費税を課税して、それをゼロ税率にする。
・インボイス制を導入して、消費税分が還付されるようにする。
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医療機関における薬の在庫リスクは、医薬分業によって回避できると言われている。政府は、実際そういう政策を採って、医薬分業を推進して来た。医療機関を締め付け、調剤薬局を優遇する政策である。
しかし、現在の日本の医薬分業は、患者さんにとってメリットが少ない。コストと労力がかかるばかりのものの上に、患者さんの医療への理解を妨げるような事例が発生する。
医師の説明と薬剤師の説明に食い違いが生じることは、日常茶飯事だ。薬剤師は薬のプロと言っても、患者さんの精神身体のどういう状態に、この薬がなぜ選ばれ、なぜこの量なのか、個々の患者さんの事例ごとに医師と同等の理解を持ってその患者さんに説明できるわけではない。
医師が患者さんに、疾患のことも薬のこともすべて話し、薬剤師は患者さんにその薬についてすべてを話し、その上で、その薬を用いるか否かを患者さんが自己責任で決定する。究極のインフォームドコンセントと医薬分業の姿だが、それは患者さんに福音をもたらすものだろうか。そこまでの労力に見合うコストを日本人は払っていないし、日本人が長年、村社会で培って来た曖昧さという生きる術は、そういう医療の姿を受け入れることはできないだろう。
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ヨーロッパの医薬分業は、古来、王侯貴族が、薬を処方する者と調剤する者が同じだと毒殺の危険性が高くなるという理由で、医師と薬剤師を分けて、それぞれを召し抱えたのが始まりだという。
( 1240 年ごろ、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ 2 世の頃が起源といわれている )
日本の医薬分業の起源は異なるようだ。日本では、医師も昔は “くすし” と呼ばれ、医師と薬剤師は、一体のものだった。明治になって新しい医療制度となり、医師と薬剤師が分けられたとき、薬剤師はかつてのような医師としての役割を失った。薬剤師の団体からは医薬分業を求める運動が起こった。これは分業と同時に、医師から独立して薬を扱いたい、かつての ” くすし ” に戻りたい、というような願望であっただろう。
戦前から細々とあった医薬分業は、20 世紀の最後になって、医薬分業政策とともに飛躍的に発展したが、それは医療費抑制政策の一環でもあった。しかし、調剤薬局にかかる医療費は爆発的に増加し、医療費総額を押し上げる一因にもなった。
” くすし ” への憧憬、それは今でも薬剤師やその団体が発するコメントの端々に現れているのを目にすることができる。
医薬分業のあるべき姿とは、どういうものだろう。アメリカにも、ヨーロッパにも、モデルはあるが、そのまま日本に導入できるものではないようだ。
参考資料