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国民皆保険 11 / 明細付き領収書資料 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 11 / 明細付き領収書

月刊保団連 2006 年 6 月号より。
園原健児 : 領収証発行義務化の底流. 月刊保団連, no. 903, p:58-63, 2006 (6).

論考
領収証発行義務化の底流
一領収証発行による「医療構造改革」の推進−
岡山県保険医協会事務局長
園原 健児

2006年4月1日より、医療機関に「内容の分かる領収証の発行」が義務づけられ、医療機関は大きな戸惑いをみせている。この領収証発行において、義務化の是非、領収証の意味、医療内容の開示、患者本位の医療の在り方などが滞然一体として議論され、多分に情緒的な議論の真にある真の狙いが覆い隠されている。本稿では、議論の整理と「領収証発行の義務化」の底涜を論じてみたい。

1中医協で議論することか?

この医療機関への「領収証発行の義務付け」は中央社会保険医療協議会(中医協)で決められたものである。しかし、中医協は、政府によって決められた診療報酬改定枠のなかで、「配分を決める」ことが権限とされている。

であるならば、「領収証発行の義務」が、このような権限しかない中医協で決められてよいものであろうか。なんらかの「義務」は法律で定められるべきものである。「療養担当規則」という一片の告示によって、医療機関の義務が左右されてよいものであろうか。ここにこの問題の異常さが隠されているような気がする。

さらに、中医協の議論は、「出すか、出さないか」、「どの程度の内容か」という程度の議論に終始してきたが、「領収証発行の義務」は、その程度の問題なのであろうか。議論のなかで明らかになっていることは、「明細の分かる領収証」で、「患者に医療内容を伝える」ためといわれている。であるならば、これは一片の領収証の問題などではなく、「医療の情報開示」、「医師と患者の関係」の問題である。その内容の大きさに比べて、あまりにも粗末な議論だといえよう。

2 そもそも、領収証に発行義務があるのか?

1)領収証発行には義務はない

領収証については、民法第486条に「受取証書の交付請求権」が定められているだけであり、通常行われている領収証発行は商習慣に過ぎない。印紙税法においても、営利事業に該当しない保険診療費は「印紙税は不要」と定められている。つまり、領収証の「発行義務」など、どこにも存在しないのである。それがなぜ、医療機関にだけ「発行義務」が課せられるのか?

いまでも、医療機関が領収証を発行しているのは、この商習慣に倣っているだけであり、患者の「支払ったのだから、その印ぐらい欲しい」という気持ちに応えたものである。また、所得税やさまざまな医療費控除の申請、授受に領収証が必要なため配慮しているものである。このような趣旨の領収証発行であれば、医療機関もなんの異論もないし、内容も受領金額が明確であればよいのである。

それが、なぜ「明細の分かる」領収証になるのか。つまり、ここには「明細が分かる」ことと「領収証発行」というまったく次元の異なる問題が意識的にか、あるいは無意識的にか、混在されて議論されている。

2)一部負担金の領収は保険者の責任

また、もともとを考えれば、日本の医療保険制度は、保険者と被保険者の保険契約であって、医療機関は保険者に代わって、医療を「現物給付」しているものである。つまり、本来的に一部負担金は、保険者による保険給付の一部負担であるから、その徴収は保険料徴収と同様に保険者が行うべき業務である。しかし、健康保険法の「一部負担金を受くべし」という規定に従い、歴史的に医療機関が代行してきたのである。もちろんこれは、一部負担金を受診の都度負担させることで、国民のの受診を抑制しようとするものであり、現にその役割を果たしている。

もし、医療保険がその理念どおりに10割給付であれば、領収証などの議論は存在しないものである。言い換えれば、領収証は、政府と保険者が一体となって患者一部負担金を高騰させ、あるいは医療費控除や高額療養費申請の添付書類としたために必要になってきただけである。つまり、「領収証発行」の問題は、日本の医療保険制度の弱点による被害の象徴である。

ところで、国は所得税などの領収証を納税者に直接発行しているのか? 保険者は被保険者に保険料領収証を発行しているのか?彼らは金融機関や事業主に代行させているのではないか。それに伴い、保険料を滞納した事業主による被保険者の受給権喪失という事件さえも起きている。これこそ正されるべきではないのか。国や保険者は根拠もなく医療機関に領収証発行を義務づける前に、自らの保険料の領収と使途を被保険者に知らせるベきであろう。

3 奇妙な「患者の立場」論

1)何のための領収証発行か

さて、患者側やマスコミからも「領収証発行」が声高に叫ばれた。その理由に「患者本位の医療の実現」、「医療被害を防ぐ切り札」などと主張されている。なぜ、領収証が「患者本位の医療の実現」につながるといえるのだろうか。その理由として、「患者に治療の中身を開示するから」旨の説明が行われてはいるが。

しかし、では「患者本位の医療」とはなにか。なぜ治療の中身が分かる領収証が発行されれば「患者本位の医療」や「医療被害を防ぐ」ことができるといえるのか。

仮にそうだとすると「一部負担金のない患者は領収証が発行されない」が、それはどうなるのか。医療扶助、原爆、労災、公害、特定疾患、乳幼児医療等々これは扶助だから、患者本位でなくても、医療被害があってもよい、とでもいうのであろうか。

また、「患者も、領収証を見て診療報酬のおかしさに気づき、その改善を発言するようになる」「医療機関も説明できない内容かも知れないが、そのことを患者に分かってもらえばよいではないか」というお奨めもある。

では、散髪代を払って、「カットがいくらで、髭剃りがいくらで、洗髪がいくらで ….」などと考える客がいるだろうか。包括点数というものはそういうものである。また、看護労働などの低評価ないしは無評価すら気づくはずがない。なぜなら、スーパーのレシートにはパート職員の人件費などという項目はない。価格に含まれていると理解するのが通例である。医薬品の高価格も比較できるものがあって初めて、高いか、安いかの議論が始まるものであり、「この薬は高いなあ」という感想程度で済んでしまう話しである。 さらに、発行義務化を議論する人たちは、すでにかなり多くの医療機関で項目別の領収証が発行されていることを知っているのであろうか。レセコンの普及が進んでいる病院、医科診療所では項目別の領収証が当たり前のように発行されている。しかし、それで医療の内容が分かって患者の信頼が高まった、診療報酬のおかしさに患者が気づき始めたなどという事例は聞いたことがない。領収証は所詮、領収証に過ぎないのである。

つまり、診療報酬のおかしさは、そのこととして説明、訴える以外に理解は得られないものとしか考えられない。この「診療報酬のおかしさを患者に理解してもらう」という主張は、ただの方便であろう。われわれは「領収証を発行すること」に反対しているのではない、領収証は領収した金額の証明に過ぎないということ。なんの根拠もない「義務化」、レセプトまがいの詳細の発行の「医療機関への押しつけ」に反対しているのである。

このようにみてくると、領収証発行の議論は、根底的には「患者による不正請求の監視」という程度のものではないかと思えてくる。「医者は金儲けのためにろくでもないことをやる。だから不正が起き、医療事故が起きる。詳細な領収証でも出させれば、変なことはしなくなるだろう」ということではないだろうか。

2)領収証発行は両刃の剣

現行のような説明のつかない診療報酬点数と算定ルールの下での領収証発行は患者と医療機関相互の信頼と不信を熟成する両刃の剣である。不信感が高まれば次には、「詳細の分かる領収証」が要求される。しかし、それでも結局はなにも分からない。なぜなら、患者からみれば、どんな治療が行われたとしても、領収証はその理由や結果までを明らかにしてくれるものではない。もし、診療の詳細を領収証でもって説明させようとするのなら、それは見当違いである。診療の詳細は診療のなかにおいて説明し、納得を得るべきものであって、これを領収証ごときで代用することはできるはずがない。

3)患者の医療への参加は別の方途を

真に、患者が知りたいことは、なぜその治療、検査、医薬品などが必要なのかということである。領収証は、いくら詳細にしてもこれには応えられない。なぜなら、食品一つとってもその成分をいくら詳細に記載されても、その成分がなにであるか、なんの必要があるか、どういう効果があるか、害がないかどうか誰にも分からない。むしろ、メーカーのネームバリューや危険なら問題になるだろう、国が監督しているだろうという信頼感のうえに成り立っているのである。医療は、それ以上に医師や医療機関への信頼のうえに成り立っている。

もし、患者が、治療の内容を知り、納得して支払うということにしようとすれば、究極の方式は「償還払い制」、しかも、一部不払い担保付きということになろう。

患者にとっても、領収証の発行は、詳細になるほどプライバシー漏出の危険性が高まるだけである。所詮、領収証は領収証にすぎず、医療の内容については別の話として検討すべきであろう。領収証発行を契機に、患者に医療内容の説明が行われるなど・と考えることば、余りにも現実を無視している。その程度の説明は現在でも行われているが、それでも理解できないから「説明不足」を不満とする声が高いのである。患者に対して無言で診療を行う医師はどこにもいない。

4)詳細の分かる領収証発行は保険者の責任

もし、どのような内容にいくら支払ったかを患者に知らせるのであれば、それは給付について管理責任を持つ保険者が通知することが当然である。自動車保険を思い浮かべれば分かるように、被保険者は修理(治療)を受け、その代金を保険者に請求し、保険者が修理業者(医療機関)に支払う。これが保険者の在り方である。代金の請求受領に関してはあくまで修理業者は代行しているに過ぎない。

また、なぜ、「求め」があるなら、保険者へのレセプト開示を求めるようにしないのか、せっかく制度をつくったではないか。さらに、そんなに詳細を知らせることが重要なら、保険者がレセプトの写しを毎月、患者に送ってはどうか。それらの制度の活用を検討することもなく、医療機関に内容の分かる領収証発行を義務づけるのは本末転倒である。医療機関は受領した(預かった)一部負担金について領収証を発行することは患者サービスとして受認できても、保険者に代わって保険の給付内容の説明まで請け負う義務はない。医療費の内容はレセプトとして保険者に提出し、査定という仕打ちまで受けているではないか。あくまで、支払いに関する責任は保険者にある。

われわれは、国民に分かりやすく、かつ必要な医療が保障できる診療報酬にするための主張を繰り返し、『医療改革提言・2005』を提案してきた。

にもかかわらず、医療費抑制のためにのみ不合理で、保険診療にさまざまな制限と障害をもたらす診療報酬点数に固執し、矛盾を拡大してきたのは財界、政府厚労省、保険者であり、それを応援してきたのはマスコミ等ではなかったのか。また、それを承認し、決定したのは中医協ではなかったのか。自分たちで決めてきた不合理な診療報酬を医療機関に押しつけ、説明せよ、というのは盗人猛々しい。国民、患者に説明し、疑問に答えるべき責任は、これらの人びとにある。

5)議論の落とし穴

これらの議論に欠落しているものは、医師と患者の信頼関係を、どう強めるのかという視点である。この視点を欠いた議論は、たとえ善意ではあっても医療機関への不信感を拡大し、診療行為を明らかにすることで、患者の監視による診療行為への牽制をもたらすものでしかない。また、仮に、少々患者の理解が高まったとしても、今日の「医療構造改革」の流れのなかで、その流れに加担し、日本の保険医療制度の崩壊に利用される恐れの方が大きい。

そもそも、これらの患者、マスコミの議論を誘発させ、さらに便乗し、領収証発行を「医療構造改革」の一方策として推進しようとしているのは、宮内義彦・オリックス会長などが議員である規制改革・民間開放推進会議など規制改革推進勢力である。その狙いは、「情報の開示」による「患者の選択」、そこから「医療機関の競争」を組織し、医療に市場原理を持ち込もうとするところにある。

4 これらの議論の底流に流れるもの

1)市場原理思想の流布

これらの議論の根底には、「消費者の選択による医療」という思想、つまり、「医療はサービス」という市場優先の思想である。「医療はサービス」と語る時、そこには「悩める患者」は、自らの力で選択権を持つ消費者として立ち現れ、その時、献身的な医療人は、医療サービスという商品の提供者となる。

新自由主義思想における市場原理主義は、すべてを「市場に委ねよ」、そうすれば「市場により最適の状態が実現される」という仮説の上に成り立っている。市場における売り手と買い手の取引、売り手の競争によって、最適の価格と最適のサービスを実現することができるという。事実がまったく異なることは姉歯建築士・ヒューザーによる耐震偽装事件、ライブドア事件、東横インホテル事件、JR西日本尼崎事故などつぎつぎと証明されている。

この医療を商品化し、自由取引に委ねる市場原理(規制緩和)の思想は、「患者の選択」、「医療機関競争」の名の下に、「混合診療解禁」、「株式会社導入」を制度化し、「国と企業の責任」、「誰でも平等な医療」を柱とする公的保険思想を崩壊させようとするものである。

この議論の前提にある「選択権を持つ消費者」となるための「情報の非対称性」の克服なども、あり得ない前提である。例えば、日常生活に密接なご飯でも、この米がどのような土壌で、どのような水を使って育てられ、どのような農薬がどれくらい使われているのか、どのような成分が、どのような割合で存在するのがうまいかなど、誰が知ることができるのか。医師と患者が同一の情報(知識)を確保することは不可能である。それは医療だけでなくすべての職業においてそうである。だからどのような職業においても高い倫理性が求められるのであり、それが人間関係における信頼なのである。そして、その倫理性を「金」と「競争」で、つぎつぎと崩壊させているのが、今日の構造改革(新自由主義)である。その信頼を「情報の開示」で代用しようなどという発想は、人間社会を冒涜するものでしかない。信頼関係は優れて人間的な営みである。医療においても、健康を取り戻すという共通の目標に向けて、情報を医師と患者がそれぞれの立場から交換、理解するところから始まる。だからこそ、それぞれの立場での相互理解、努力が払われて、治療が進む。これは医療における協同である。

2)「消費者の選択」は「購買力の選択」

一部負担金や差額費用が必要な現在の医療では、消費者の選択は「消費者の購買力」によるものとならざるを得ない。それを是認することは、その結果としての「松竹梅」医療の容認(彼らはむしろ歓迎)と同義となる。逆に、購買力のない患者は、費用による治療辞退、萎縮診療の強要から、事前価格提示制への移行を促し、現物給付の制限・崩壊へつながる。負担の安全弁としての包括定額制容認への動機にもなる。それらは必要な人に必要な医療を提供する上で大きな障害になるものである。

3)保険者機能強化、IT産業の市場に

一方、領収証発行と連動したIT化の推進は、レセコンや電子カルテの普及、オンライン請求を促進させ、保険者点検の強化、診療の標準化など保険者の間違った機能強化を進める。そもそも保険者に求められる機能とは、被保険者が必要とする療養を最大限確保することであり、決して医療の質を低めたり、保険給付を削減したりすることではない。

さらに、この領収証発行を始まりとする医療IT化の推進は、IT産業の市場拡大のためでもある。ちなみに政府は、2011年を最終目標にレセプトのオンライン請求システムを完成させるとしている。

この保険請求IT化の強要ほ、歯科医の間では領収証、患者交付文書、請求のオンライン化を合わせて、「歯科医リストラの3点セット」と評されている。医療の知識や技術でなく、まったく事務的な機器の扱いで医師としての仕事を奪い、患者の受療権を奪うなど常軌を逸したものといわざるをえない。

5 社会保障としての医療は、「協同の思想」で成り立っている

医療は元来、患者の人権(健康)を守るものであり、前述したように医療者と患者の信頼のうえに成り立つ協同作業である。医師と患者の協同を強めるには、情報開示も、治療計画の説明も、治療結果の説明も重要なものである。それは、患者の治療への参加を高めることになる。患者本位の医療を進めるためには、このような医療活動を評価し、それに見合う人手と時間、設備の確保などを保障することが不可欠である。

日本の医療は長年の低診療報酬政策の結果、医師や看護師などスタッフの過重労働、低報酬など劣悪な条件によって支えられている。本当に患者本位の医療というならば、まずこの問題こそ議論し、解決すべきであろう。もはや日本の保険医療制度は危機的状況を呈している。離島へき地だけでなく市中の基幹病院ですら医師不足、看護師不足に喘ぎ、小児科、産科医療を扱える医療機関すら不足している。事務スタッフも非正規雇用者に置き換えられている現状である。診療所でも同様な困難にある。医療担当者の慢性的過重労働、安全対策への投資不足など医療機関の経営困難を解決することなしに、より良い医療への前進は不可能である。

この改善要求を掲げることなしに、「領収証発行」などと情緒的に「患者本位の医療」「患者の信頼」「医療の質」をいくら叫んでも、医療現場と医師と患者の信頼関係に混乱を招くだけである。また、それは医療構造改革の推進に貢献することはあっても、真の医療改革にとっては有害無益であることを知るべきである。

領収証の交付を義務づける療養担当規則の改定は4月診療報酬改定の一環として行われた。4月4日『日本歯科新聞』に「内容の分かる領収証の発行は指導医療官の仕事を減らす側面もある。患者自身が医療機関をチェックできるようになるからだ」との匿名技官の見解が掲載された。当会の「匿名技官の罷免」要求に対して、厚労省は「あれは個人の意見」と述べ、「注意した」と答えている。

しかし一方、4月27日の新潟県保険医会の交渉において、厚労省の担当官は「(金額だけの領収証の交付では)療養担当規則違反となる。各部単位の領収証を発行していないからといって直ちに保険医療機関取消にはならないが、改善されなければ行政処分もあり得る」と答えている。ちょっと待ってほしい。健康保険法において、医療機関が処分される事由は第70条「療養の給付」に反する場合である。一体、領収証の発行が療養の給付なのであろうか。なんでも療養担当規則に盛り込んで、それに違反すれば処分するなどという発想は「生類哀れみの令」を公布した「犬公方」にも等しいものであろう。

さらに5月11日、当会と中国ブロックで行った厚労省交渉において、同担当官は、領収証発行の法的根拠がないことを認め、「患者への情報提供のため」を繰り返したが、「一部負担金のない患者には情報提供がないが、それでいいのか」「包括点数では内容が分からないではないか」との追及には返事もなく「不要だという患者についてはその旨が分かるようにしておいて欲しい」というのみであった。

もともと理念も、道理もない義務づけであるから答えようもないのは当然であろう。

(『京都保険医新聞』2006年4月17日付に補筆)

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