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JBM / ガリレオ裁判

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

本記事の原典は、2006 年 9 月 12 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/post_ca0c.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療訴訟、医事紛争、医療事故、医療過誤、医療ミス、科学、裁判、テオフィリン中毒、出血性ショック

非科学で科学を裁くとどうなるか。

亡くなった方とそのご家族にとっては気の毒なことであり、残念な気持ちは理解できるが、この出来事が医事紛争となり、科学を曲げる結果になっては、誰にも得るものはない。

毎日新聞 2006.9.12
医療過誤:病院に慰謝料8100万円支払い命令 千葉地裁
判決によると、男子生徒にはぜんそくの持病があり、治療のため同病院に入通院していた。01年1月1日午前4時半ごろ吐き気を訴えて受診したところ、ぜんそく薬による中毒と診断され、胃洗浄、薬物投与などの治療を受けたが、けいれんなどを起こした。医師が血管にカテーテルを挿入した数分後、血尿が止まらなくなり、午後9時半ごろ死亡した。
病院側は「死因はぜんそく薬による中毒だった」などと主張したが、小磯裁判長は「病院側に過失があったと言わざるを得ない」と退けた。

他人がこの判決を見て、何かを得ようと思ったら、医療の記録と解剖結果、裁判の記録、これらがそろって、そこから検討を始めるしかないのだが、この新聞報道からだけでもおかしなことが一点指摘できる。

血管にカテーテルを挿入する手技に過失があったら、血尿が出るのだろうか。

以前、A 型の血液と B 型の血液が混じったから AB 型の血液ができたとでも言うような頓珍漢判決があったが ( 草加事件東京高裁判決 )、科学の素養がない人は、いくら優秀な頭脳を駆使しても、こんなことを言うのだ。

草加事件東京高裁判決
被害者の血液型が A 型 ( 非分泌型 )、その体垢と加害者らの B 型および O 型の体液が混合して、被害者の体に付着した体液が AB 型 ( 分泌型 ) を呈する可能性がある、という検察の主張が東京高裁で認められた。

———-

裁判官がなぜとんでもない判断を下してしまうことがあるのか、以下の論述が参考になるだろう。

立教大学大学院法務研究科教授 荒木伸怡
証明力評価に関する一考察

http://www.rikkyo.ne.jp/~araki/chikanenzai/shiryou/takakubo.htm

自由心証主義の下ではあっても恣意的な事実認定を許さぬことを目的として用いられている「論理法則」や「経験則」という用語が、その目的に叶う機能を十分に果たしているとは思われない。とりわけ、「経験則」という用語は、それを裁判官が用いることにより、恣意的な事実認定を隠蔽したり正当化したりすることすらありうる用語である。そして、もしもこのような事態を生じた際に、たとえそれを「訴訟手続の法令違反」として控訴しえるとしても控訴審において、法令としての効力を有するのは裁判官が適用した「経験則」と控訴人が主張する「経験則」とのいずれであるのか、いや第三の「経験則」があるのかという論争が起きてしまうであろう。

経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味で「経験則」という用語を用いるという共通理解が法律家の間に存在せず、各人がそれぞれの思いを込めてこの用語を用いているのが現状であるから、法解釈の場合と同様にその決着は、控訴審の裁判官の有する価値観により付けられることになる。すなわち、もしも弁護人が経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味での「経験則」を示したとしても、控訴審の裁判官がそれに全く理解を示さず、自分の価値観に基づいて選択した「経験則」により結論を出すこともありうるのである。その結果、恣意的な事実認定を制約すべく研究者が教科書等に「経験則に反してはならない」旨を記述しても、ほとんど実効性が無いのである。

私は、このような状態に至ってしまっている理由の一つは、「経験則」という用語が経験諸科学の発生・発達前から、法律家の間で用いられてきた用語であり、いわゆる手垢にまみれた用語となってしまっていることだと考えている。
…..
証拠の証明力の有無・程度を、事実認定の役割を担う者が抱いた心証の程度により決めることは、合理的でありかつ説得力を有するであろうか。「少年達の自白調書があり、その内容により確信の心証を抱いたので、犯人は少年達である。少年達の血液型がB型およびO型であり、他方、現場遺留三物証が血液型AB型で分泌型を示していることは、少年達が犯人であることと矛盾しない。精液と毛髪は別の機会に着いた可能性がある。唾液は被害者の体垢と混合してAB型を呈している。」草加事件の抗告審および民事控訴審が採るこのような論理に、合理性および説得力があると思えないのは決して私のみではあるまい。では何故、合理性および説得力が無いのであろうか。

思うに、供述証拠であれ非供述証拠であれ、直接証拠であれ間接証拠であれ、それぞれの証拠は証明力の有無・大小を具有しているのである。それ故、事実認定の役割を担っている裁判官がそれを無視して証明力の有無・大小を恣意的に決めることを許しては、過去に起きた一回的犯罪事実の解明を妨げ、冤罪・誤判を生み出すであろう。また、経験諸科学により既に解明されている法則を無視しつつ恣意的な法則を創出して判断することについても、同様である。
…..
被害者の乳房から唾液を採取する際に、被害者の体垢が唾液に混じることはありうる。しかし、採取した唾液の分析に際して、そのような事態をも前提にした法医学上の法則をあてはめ、唾液自体がAB型を示しているというのが検査技師の判定であり、その後に行われた法医学者による鑑定結果である。少年達の無実を明らかに示しているこの事実について、体垢中のA型の血液型物質がB型で分泌型の唾液と混合するとAB型を呈するという恣意的な法則を勝手に創出してそれを適用し(16)、少年達が犯人であることと矛盾しないと認定することは、あまりにも非科学的な事実認定である。

草加事件において、恣意的な法則を勝手に創出したのは、公益の代表者であるべき検察官である。すなわち、検察官は先ず、被害者の体液(汗)と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成して裁判所へ提出した。ところが、被害者が非分泌型であることに気付き五日後に、被害者の体垢と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成し直して、裁判所へ提出している。裁判所が、このようなものでしかない検察官作成の報告書に依存して、恣意的な法則を適用した理由はおそらく、検察官の主張・立証への全幅の信頼であろう。

参考資料

JBM / ガリレオ裁判資料
JBM / ガリレオ裁判 / 草加事件資料

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