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Archive for October, 2007

JBM / 死亡時になお生存の可能性資料

Posted by guideboard on 2007/10/25/Thu

» JBM / 死亡時になお生存の可能性

広島県に330万賠償命令 県立病院の過失認定

共同通信 2007.10.25

出産の際に脳内出血を起こし、転送先の病院で死亡したのは医師が適切な措置を怠ったためとして、広島市の女性=当時(32)=の家族が、県立広島病院(広島市)を運営する県などに約7800万円の損害賠償を求めた訴訟で、広島地裁は24日、県に330万円の支払いを命じた。

判決理由で野々上友之(ののうえ・ともゆき)裁判長は、出産した病院の過失は認めなかったが、女性が転送された県立病院について「適切に治療していれば、死亡した時点で、なお生存していた可能性は認められる」と述べた。

判決によると、女性は2002年2月、島根県邑南町の病院で帝王切開により出産。その際に脳内出血を起こしたため、県立広島病院に転送され血腫を取り除く手術を受けたが、翌3月に死亡した。

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広島県が敗訴、330万円支払い命じる 県立広島病院の医療過誤訴訟

毎日新聞 2007.10.25

県立広島病院の医療過誤訴訟:県が敗訴、330万円支払い命じる—-地裁 /広島

 妊娠中毒症だった女性(当時32歳)が島根県の公立邑智病院で適切な処置を受けられず、出産後に転院した県立広島病院でも術後の管理が不十分で死亡したなどとして、夫の会社員の男性(36)=広島市南区=らが、邑智病院と広島県に計約7800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が24日、広島地裁であった。野々上友之裁判長は「県立広島病院で適切な身体管理や治療が施されれば救命できた」などとして県に330万円の支払いを命じた。邑智病院については、産婦人科医師が脳出血の原因診断を専門医のいる病院に委ねたのは十分な措置として、訴えを退けた。

判決などによると、女性は02年2月1日、陣痛が始まり通院先の邑智病院で外来診察を受け、そのまま入院。軽度の妊娠中毒症で高血圧症状が半日以上続き脳内出血を起こした。帝王切開で出産後、脳出血の血腫を取るために転院した県立広島病院で手術を受けたが、身体管理がなされずに同3月1日に死亡した。

三宅静香広島県県立病院室長は「主張が認められず残念。判決内容を精査し、対応を検討したい」とした。【井上梢】

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JBM / 死亡時になお生存の可能性

Posted by guideboard on 2007/10/25/Thu

医療における不幸な結果を巡る民事訴訟。医療側に過失を見出し難い場合、原告患者側に、お見舞金、あるいは裁判費用程度の金額の勝訴判決が出る傾向がある。

1. 民事訴訟は、どうしても弱者救済に傾き易い性格を有している。
2. 被告医療側敗訴としないと、医療事故損害賠償保険からの保険金が出ない。

こういった理由が挙げられる。

その原告勝訴とするための理由付けが、説明不十分であったり期待権の侵害であったりした。

説明については、昨今、医師の診療技術を発揮する時間を削ってまで、説明に費やされ、説明が医療資源のかなりを食いつぶしている。私の乏しい経験からでも、勤務医時代、1 日 15 時間の労働のうち、何らかの患者さんへの説明というものには、外来診療以外に毎日 1 – 2 時間は取られていた。土曜日曜にもである。医療資源の数 % 以上は説明に取られるわけだ。それだけ説明して、文書にして渡して、一晩二晩よく読んで、その後に納得したなら署名していただいて、としても、あとからやっぱり分からなかった、聞いていなかった、理解できなかった、もっと異なる治療法の説明も時間を費やしてするべきだった、標準とはかけ離れた治療法についても充分な説明をして選択の機会を確保すべきだ、など、いろんな理由がついて、結局説明不足ということで原告勝訴とする。

期待権の侵害というのは、法律家の世界ででも問題があるのだそうだ。あのときの担当医がもっと良い結果を出すはずと期待していたのにそれが裏切られたなど、そのときの医療の現実以上のものを患者さんが期待してよい、その水準は当時の医療水準であるというものらしい。医療水準とは、学会で発表され、多くの医師が知るところくらいになっていればよいというものである ( 未熟児網膜症訴訟 )。現実と、それよりはいくらかでも上の方を望む、すなわち期待との乖離が、期待権の侵害となるのだろうか。

そして三つ目の原告側の武器として、死亡時になお生存していた可能性というものが出て来た。手を尽くしてもダメだったかもしれない、それは争わないが、でも担当医がもっと何とかしてくれていたら、死亡したときにはまだ生きていたかもしれないというものらしい。そのあと何時間後にお亡くなりになる運命だったとしても、それは問題にしない。裁判の勝ち負けを過失の有無、生死に置くと勝てない場合の逆転技とも言えるだろうか。

広島県に330万賠償命令 県立病院の過失認定
共同通信 2007.10.25
出産した病院の過失は認めなかったが、女性が転送された県立病院について「適切に治療していれば、死亡した時点で、なお生存していた可能性は認められる」

参考資料

JBM / 死亡時になお生存の可能性資料

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奈良県妊婦救急搬送事案調査委員会

Posted by guideboard on 2007/10/25/Thu

現場の最前線の医師たちの苦しみも知らず、厚生労働省と奈良県の役人は、机上の空論どころか、妄言を放つ。

テキスト全文その他の資料や解説は以下に詳しい。

http://ameblo.jp/med/entry-10052331865.html

http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-entry-252.html

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20071025

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ネタ元へのリンクと資料保存

2007年8月奈良県妊婦救急搬送事案調査委員会(第3回)の概要

http://www.pref.nara.jp/imu/2007-8ninpukyukyu/dai3kai/index.html

2007年8月奈良県妊婦救急搬送事案調査委員会(第3回)の概要. ( 3kaigaiyou.pdf 280KB )
出席者名簿 ( 3kaisyussekisya.pdf 48KB )
資料1  対応策の進捗状況 ( 3kaisiryou1.pdf 44KB )
資料2  消防機関への救急要請における産科・周産期傷病者搬送状況について
( 3kaisiryou2.pdf 72KB )
資料3  奈良県の産婦人科一次救急体制の検討 ( 3kaisiryou3.pdf 92KB )
資料4  妊婦搬送事案調査委員会報告書フレーム ( 3kaisiryou4.pdf 40KB )

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大和高田市立病院事件 3 資料

Posted by guideboard on 2007/10/24/Wed

» 大和高田市立病院事件 3

asahi.com 2007.10.24

奈良検察審「産婦人科医の不起訴不当」 出産後妊婦死亡

奈良県大和高田市の市立病院で04年10月、入院中の妊婦が出産直後、子宮内に大量出血して死亡した事故で、業務上過失致死容疑で書類送検された産婦人科の男性医師が不起訴処分(嫌疑不十分)となったことについて、奈良検察審査会が24日までに不起訴は不当として再捜査を求める議決をしていたことがわかった。妊婦の夫が審査を申し立てていた。

議決書は今月14日付で、ショック状態だった被害者の出血を疑い、出血個所の発見に努めなければならないのに、薬を投与して死期を早めたなどと指摘。医師に過失があったとした。

事故は当時30代の妊婦が、出産中に破裂した子宮の大量出血で死亡したもので、県警は06年3月、医師が容体急変の原因究明を怠ったなどとして書類送検。地検は「予見させる症状はなかった」として不起訴処分にした。

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元医師の不起訴不当 検察審議決 大和高田市立病院の妊婦死亡事故

毎日新聞 2007.10.25

大和高田市立病院の妊婦死亡事故:元医師の不起訴不当—-検察審議決 /奈良

◇「処置に重大な過失」

大和高田市立病院で04年、出産した30歳代の妊婦が死亡する事故があり、業務上過失致死容疑で書類送検された同病院の元産婦人科医(34)を奈良地検が不起訴処分(嫌疑不十分)としたことに対し、奈良検察審査会が不起訴不当を議決したことが24日、分かった。

議決書などによると、04年10月、入院中の女性は出産中に血圧が急激に上昇。医師は投薬で数値を下げたが、女性は大量に出血し死亡した。

県警は昨年3月、医師を業務上過失致死容疑で書類送検、奈良地検は今年3月に不起訴処分にしていた。審査会は「医師は出血を疑い、速やかに救命処置をするべきで、女性を出血性ショックで死亡させたことに重大な過失がある」と判断した。

奈良地検の野島光博次席検事は「議決内容を踏まえ、再捜査する」とコメントした。【阿部亮介】

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大和高田市立病院事件 3 / 検察審査会

Posted by guideboard on 2007/10/24/Wed

検察審査会は起訴相当と議決した。申し立ては亡くなった方のご主人。この議決の理由は、頻回にエコーを行って出血源が見つけなければならなかったというものだ。

奈良検察審「産婦人科医の不起訴不当」 出産後妊婦死亡
asahi.com 2007.10.24
奈良県大和高田市の市立病院で04年10月、入院中の妊婦が出産直後、子宮内に大量出血して死亡した事故で、業務上過失致死容疑で書類送検された産婦人科の男性医師が不起訴処分(嫌疑不十分)となったことについて、奈良検察審査会が24日までに不起訴は不当として再捜査を求める議決をしていたことがわかった。妊婦の夫が審査を申し立てていた。

当初の不起訴理由はこうだった。

予測不可能と医師不起訴 奈良の妊婦死亡で地検
共同通信 2007.4.19
奈良地検は18日までに、出産時の処置のミスで女性を死亡させたとして業務上過失致死容疑で書類送検された奈良県大和高田市の市立病院の30代の男性産婦人科医を、嫌疑不十分で不起訴処分にした。
地検は、子宮破裂による出血が超音波検査で確認できず、死因の出血性ショックを予測できなかったと判断した。

超音波検査の限界。検査を頻回にすれば限界を引き上げることができたはず、という主張のようだ。

これまでは、検査をせずにいて異常の発見が遅れたり発見できなかったから敗訴という司法判断はあった。だから防衛医療として、医学的な適切さを超えて量、質ともより多くの医療資源が必要になった。あとから何か言われる前に、無駄かもしれないがやっておこう、ということだ。

これからは、検査結果が陰性であっても、繰り返し行えば陽性に出るかもしれないから、陽性が出るかどうか頻回に繰り返さないといけないというのだろうか。

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検察審査会は、一般の庶民感情が入り込むところである。奈良県の人たちの一般的な考えは、警察、検察が捜査して不起訴としたものでも、もっと追求すべしであった。

医師集団は、この事件の医療側に明らかな過失はないと、この件について報道、ネット上あるいは医師間のコミュニケーションによる情報を基に、判断していた。

それを訴追せよと言った。起訴不起訴という結果がどうなるかは未定だが、捜査がもう一回なされる。その結果が何を引き起こすかまでは想像できない。何人かの産科医が大和高田市、奈良県、あるいは産科を去るだろう。

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今回の奈良の検察審査会では、不起訴不当と考えた審査員が 6 – 7 名いたということになる。

検察審査会法
第 4 条
検察審査会は、当該検察審査会の管轄区域内の衆議院議員の選挙権を有する者の中からくじで選定した11人の検察審査員を以てこれを組織する。

第 27 条
検察審査会議の議事は、過半数でこれを決する。但し、起訴を相当とする議決をするには、8 人以上の多数によらなければならない。

現在の検察審査会の議決には拘束力はないが、司法制度改革の一環として、検察審査会法を改正するための法律が 2004 年 5 月 28 日に公布され、今後は「同一の事件について起訴相当と 2 回議決された場合には必ず起訴される」こととなり、法的拘束力を持つことになった ( 2009 年 5 月 27 日までに施行するよう定められているが、期日は未定、裁判員制度開始に合わせる予定 )。

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今後、庶民感情は法廷に流れ込むようになる。

  1. 刑事裁判への被害者参加が実現すると、医療事故の患者さんの遺族が法廷で医師を責めることになる。
  2. 刑事裁判で裁判員が出てくる時代になると、それはもうすぐだが、こういう一般庶民の目線を取り入れた判決が下される。
  3. 附帯私訴が取り入れられると、刑事裁判の証拠や判断で民事訴訟も裁かれる。

裁判員、遺族という一般の感情を前に、患者さんのためと思って努力した医師は、何を反論しても無駄になるのだろうか。医師という立場では、患者さん、遺族側を攻撃することなどできない。防戦するしかない、刑事も民事も大変不利な戦いとなる。

私刑と収奪にも似た生き地獄。

参考資料

大和高田市立病院事件 3 資料

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大和高田市立病院事件 2

Posted by guideboard on 2007/10/24/Wed

本記事の原典は、2007 年 4 月 19 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2007/04/2_b976.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
産科、産婦人科、医療、事故、送検、奈良県、不起訴処分

昨年目にしたこの事件、不起訴処分となった。

予測不可能と医師不起訴 奈良の妊婦死亡で地検
共同通信 2007.4.19

奈良地検は18日までに、出産時の処置のミスで女性を死亡させたとして業務上過失致死容疑で書類送検された奈良県大和高田市の市立病院の30代の男性産婦人科医を、嫌疑不十分で不起訴処分にした。

地検は、子宮破裂による出血が超音波検査で確認できず、死因の出血性ショックを予測できなかったと判断した。

2004年10月、30代の女性が病院で出産中、心拍数が上昇するなど容体が急変し死亡。医師は心拍数を安定させる投薬をしたが原因を特定せず、適切な治療をしなかったとして書類送検されていた。

コメント


まずは不起訴おめでとう、と叫びたい。
死んだら何でも医者のせい、というDQN家族を何とかしろ!
不起訴になった医師は、遺族と警察を誣告罪と名誉毀損で訴えてくれ!
投稿 鬼瓦権三 | 2007/05/05 9:08:25

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大和高田市立病院事件資料

Posted by guideboard on 2007/10/24/Wed

» 大和高田市立病院事件

asahi.com 2006.6.6

妊婦死亡、医師を書類送検 大和高田市立病院

奈良県大和高田市の同市立病院(松村忠史院長)に入院中の妊婦が出産直後に死亡する事故があり、県警が処置に判断ミスがあったとして、産婦人科の30代の男性医師を業務上過失致死の疑いで奈良地検に書類送検していたことがわかった。病院側はこのケースについて医療過誤とは認めていないが、医師の負担が限界に達し、医療事故を招きかねないとして、7日から分娩(ぶんべん)予約を制限することを決めた。

調べなどによると、事故があったのは04年10月。同病院の産婦人科に入院していた当時30代の女性が出産の途中、脈拍や呼吸状態、血圧が異常に高い数値を示した。このため、医師は投薬によって数値を降下させ、胎児は無事に生まれたが、女性は出産後に子宮内の多量出血で死亡。死因は出血性ショックまたは失血死と診断された。

病院から届け出を受けた県警が処置に問題がなかったか捜査した結果、投薬が一時的に数値を下げるだけの効果しかなかった可能性が浮上。県警は、妊婦の体内に出血など何らかの異常が生じていた恐れがあったのに、対症療法にとどめ、容体が急変した原因の特定も怠るなど、漫然と放置して死亡させたとして今年3月、書類送検に踏み切った。同地検は処分を検討している。

同病院に勤務する産婦人科医師は3人で、ベッド数は40床。年間の分娩取扱数は900件余りで、県内最多という。近隣の複数の病院が産科を休診するなどしたため、分娩予約がさらに増える傾向にあり、病院側は新規の予約を大和高田市など周辺4市1町の住民に限定することを決めた。

同病院幹部は「患者の死亡原因が解明されておらず、処置にミスがあったとは考えていない。分娩制限は、医療事故で訴訟などがあった場合に、病院の管理責任が問われるのを未然に防ぐ意味もある」と話す。

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YOMIURI ONLINE 関西 2006.6.2

出産受け付け、周辺市町に限定…奈良・大和高田市立病院

◆産婦人科医減少で予約急増

少子化などで産婦人科医が減少したうえ、近隣病院の産科の休診で予約が急増したとして、奈良県大和高田市立病院(松村忠史院長)は1日、新たな出産の受け付けを、同市と周辺3市1町の住民に制限する措置を始めた。公立病院が出産の受け付けを地域で限定するのは珍しいという。

同病院では昨年度、924人が出産、うち65%の605人は同市と周辺4市町の住民だった。一方、周辺の五條市などでは、今年に入って中核病院の産科が休診したため、大和高田市立病院への予約が増加、5月の出産者数は昨年より26人増の105人となった。

こうした出産者数に比べ、同病院の産婦人科医は3人と少ない。制限措置に伴い、昨年度のデータで300人程度が利用できない計算となる。

また、親元での「里帰り出産」も、親が大和高田市在住の場合に限るという。

(2006年06月02日 読売新聞)

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大和高田市立病院事件

Posted by guideboard on 2007/10/24/Wed

本記事の原典は、2006 年 6 月 7 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/__31ea.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
産科、産婦人科、医療、事故、送検

また、産科での医療事故が、送検され、ミスと報道された。

asahi.com 2006.6.6
妊婦死亡、医師を書類送検 大和高田市立病院
奈良県大和高田市の同市立病院(松村忠史院長)に入院中の妊婦が出産直後に死亡する事故があり、県警が処置に判断ミスがあったとして、産婦人科の30代の男性医師を業務上過失致死の疑いで奈良地検に書類送検していたことがわかった。

記事からだけでは、整形外科医である私には、どこがミスなのか、事故なのかは分からないが、産婦人科医の某所でのコメントでは、羊水塞栓ではないか、という。血圧の異常な上昇と頻呼吸が符合するという。降圧剤は当然、血圧を一時下げるだけの薬だ。対症的に使われて不思議でない。

羊水塞栓は、簡単確実に救命できる病態だっただろうか。本当の病態は何だったのか。解剖されていないと何も分からない。

何でもミスで刑事訴追。やはり国策はこちらの方へ流れているようだ。

参考資料

大和高田市立病院事件資料

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米国自動車会社のヘルスコスト資料

Posted by guideboard on 2007/10/22/Mon

» 米国自動車会社のヘルスコスト

NIKKEI NET 2007.10.15

http://car.nikkei.co.jp/news/business/index2.cfm?i=2007101510148c0

GM、医療費債務を分離・5兆5000億円、低賃金体系も導入

【ニューヨーク=武類雅典】米ゼネラル・モーターズ(GM)は15日、467億ドル(約5兆5000億円)の医療費債務を分離すると発表した。全米自動車労組(UAW)との合意に基づき、賃金水準を現在の半分程度にした低賃金体系も導入する。高コスト体質を招いた労務費を引き下げ、競争力回復を急ぐ。

GMは退職者らの医療費債務を労組主導の信託基金に2010年1月に移管する。信託基金への拠出は約320億ドルの見込み。基金への債務移管で09年までに合計約40億ドルのキャッシュフロー(現金収支)の赤字が発生するが、10年以降はコスト削減効果が出てくるとみている。

新規採用者向けに導入する低賃金体系では、1時間当たり賃金が14—15.3ドル(現在は約28ドル)にする。医療費など福利厚生を含む従業員1人あたりの労務費は約78ドル(1時間換算)だったが、新賃金体系では3分の1にあたる約26ドルに減る。車両組み立てなど重要な作業にかかわらない約1万6000人を順次、低賃金の新規採用者に入れ替えていくとみられている。

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NIKKEI NET 2007.10.5

http://car.nikkei.co.jp/news/business/index2.cfm?i=2007100501624c0

米GM、08年にも早期退職勧奨か・米紙報道

【ニューヨーク=武類雅典】米ゼネラル・モーターズ(GM)が2008年1—3月をめどに勤続年数の長い工場従業員を対象にした早期退職勧奨の実施を検討していることが4日、明らかになった。早期退職の実施で生まれる欠員分は、新たに導入が決まった低賃金体系で働く新規雇用者で補い、高賃金のベテラン社員との入れ替えを進める。日本勢に対抗するため、労務コストの構造を見直す。

米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が報じた。GMは9月下旬に終えた労使交渉で、新規雇用者向けに時間給が今までの半額の賃金制度を導入することで全米自動車労組(UAW)と合意。新規雇用者の年金制度も確定拠出型にするなど、現在のUAW組合員より福利厚生面の待遇も引き下げている。

GMは労務制度見直しと引き換えに、一定水準の米国内生産を維持するほか、約3000人の臨時工を正社員として雇用することをUAWに確約している。今回の早期退職勧奨は、臨時工の正社員採用の余地を広げる狙いもある。
[10月5日]

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NIKKEI NET 2007.9.29

http://car.nikkei.co.jp/news/business/index2.cfm?i=2007092902892c0

低賃金体系も受け入れ・全米自動車労組、GMと合意

全米自動車労組(UAW)は28日、米ゼネラル・モーターズ(GM)との労働協約改定交渉で、低賃金の給与体系導入で合意したことを明らかにした。労使合意を公表していた医療保険制度の見直しでは、GMが2010年までに退職者向けの支払い義務をUAWの基金に完全移管する。

UAWがまとめた資料によると、資材搬送などにあたる新規雇用者の時給は現行水準の半分近くで、最低金額は14ドル(約1600円)。GMは退職者を低賃金の従業員で補う。また、GMはUAWの医療保険基金に08年1月に241億ドルを拠出。それ以外の負担も含め、移管手続き完了までに総額353億ドルの資金を負担する。

UAWが求めた雇用保証では、UAW加盟の完成車17工場のうち16工場の操業継続を会社側が確約した。改定案承認の組合員投票は10月10日をめどに終える方針。(ニューヨーク=武類雅典)

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NIKKEI NET 2007.9.28

http://car.nikkei.co.jp/news/business/index2.cfm?i=2007092808739c0

GM、医療費基金に353億ドル拠出——米紙報道

【ニューヨーク=武類雅典】米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は28日、米ゼネラル・モーターズ(GM)の改定労働協約案の内容を報じた。GMは会社側の医療費債務を引き継ぐ労組基金に353億ドル(約4兆円)を拠出、医療費負担を削減する。全米自動車労組(UAW)加盟従業員の3分の1にあたる最大2万4000人を低賃金の新規雇用者と入れ替えられるようにもなるという。

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米国自動車会社のヘルスコスト

Posted by guideboard on 2007/10/22/Mon

米国では、企業による社員の医療保険への福利厚生費の支出は、従業員の定年後の面倒を生涯見るという制度をとっているところが多いという。米国の自動車会社もこれによる多額の福利厚生費でコストがかさみ、トヨタの前に敗れ去ろうとしている。

その危機感からか、全米自動車労組も大幅な労働コストのカットに同意した。

しかし、そのカットされる労働コストを見てみると、賃金以外の部分がものすごく多いことに気付く ( 一人当たり賃金が $28 / 時間、労務費全体が $78 / 時間 )。米国では,所得税は源泉徴収などではなく、申告納税なので、賃金以外の労務コストの大部分が福利厚生費なのだろう。

また GM が抱えている福利厚生費の債務の大きさにも驚く。米国での福利厚生のコストは、国庫からのも企業からのも多額であるのに、社会保障としては日本の方がまだましのようだ。医療にしても、これだけのコストをかけた医療保険で受けることができる医療は、所得水準が高くない階層向けのものでしかないだろう。

NIKKEI NET 2007.10.15

http://car.nikkei.co.jp/news/business/index2.cfm?i=2007101510148c0

GM、医療費債務を分離・5兆5000億円、低賃金体系も導入米ゼネラル・モーターズ(GM)は15日、467億ドル(約5兆5000億円)の医療費債務を分離すると発表した。
…..
新規採用者向けに導入する低賃金体系では、1時間当たり賃金が14—15.3ドル(現在は約28ドル)にする。医療費など福利厚生を含む従業員1人あたりの労務費は約78ドル(1時間換算)だったが、新賃金体系では3分の1にあたる約26ドルに減る。

関連記事

自動車 1 台あたりのヘルスコスト

TIME 2007.5

GM $ 1,600
フォード $ 1,200
クライスラー $ 1,500
トヨタ $ 350
日産 $ 250
本田 $ 350

参考資料

米国自動車会社のヘルスコスト資料

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医療崩壊 / 心の僻地

Posted by guideboard on 2007/10/10/Wed

本記事の原典は、2006 年 4 月 17 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/04/post_7ee7.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
地方、分権、僻地、農村、医療、崩壊、逃散、無医村、強制、小泉、改革

小泉改革を無邪気に信じている人たちは、まだたくさんいるのだろうか。

村社会で生きてきた日本人が、戦後日本の政治体制のもとでもそのメンタリティを持ち続け、いやむしろさらに拡大させた。これが僻地医療の問題の一端を生み、小泉改革がそれを加速した。

農業は、江戸時代までは日本の基幹産業だった。戦前までは、富国強兵、鉱工業重視政策であっても、日本はまだ貧しい国だった。日本人の栄養状態は今とは較べられないほど悪く、農業はやはり重要な産業だった。
( おおよそ、江戸時代の日本人男子の平均身長は 155cm、第二次世界大戦のころは 160cm、2000 年には 170cm )

戦後、日本の政治制度は、( 社会主義、共産主義の国のものとは違う ) 農村重視政策、農村が票田、農村に税金を配分し、農村から有力政治家が出るという図式であった ( 小泉首相は都市から出たこれまでにないタイプの政治家と言えよう )。

ここでの農村は地方、僻地とほぼ同義である。

1. 農村 ( 地方 ) は、小泉首相が誕生するまでは、自民党政治の原動力であった。
2. 農村 ( 地方 ) は、都市と異なったメンタリティを人々にもたらした。

1. 政治的なレペルの話
小泉改革は、世のため人のため日本のためではない。小泉の政敵潰しの権力闘争である。それと外国資本やそれに乗っかって儲けを企む財界勢力の利害が一致しているのだ。
地方分権改革は三位一体の改革などと美辞麗句を並べた所で、本質は地方を切り捨て小泉の政敵の政治基盤を弱体化させ、税すなわち国民の所得の都市への配分、財界へ利益を誘導するものである。

当然、農村 ( 地方 ) 社会のインフラは荒廃していく。道路はかろうじて作られていくが、医療は切り捨てられつつある。
医療は箱ものだけではできない。労働集約型産業であり、経費には人件費が大きなウェイトを占める ( 逆にそれだけ医療に多くの労働力を吸収できるともいえる )。ところが日本国政府は、国民皆保険制度を導入した 1950 年代以来、ずっと医療にかける費用、特に人件費を抑圧し続けてきた。医師以外の人々には理解できないことだろうが、1980 年代初めより、医師が手にできるサラリーはほとんど増えていない。開業医でも勤務医でもだ ( 診療報酬とは医師個人のサラリーではない )。農村に立派な病院を作っても、そこで働く医師をはじめとした医療スタッフの人件費はケチる ( 医師の技術料の評価は、欧米諸国の半分以下である )。
2002 年、初めて医療費本体を削減した診療報酬改定も小泉のなせる技だ。それがどういう結果を生んだか。たとえば、ここ ( 医療崩壊リンク集 ) を見てみるがよい。

2. 人の心のレベルの話
戦後 50 年以上にわたり、補助金で養われた農村 ( 地方 )。農家は豊かであり続けたはずなのに、若者は都市へ出て行く。なぜなのか。
私は農村から都市へ出た若者ではなかったので、想像するしかできないが、狭いコミュニティーの中で、様々な因習にとらわれ、村中が相互監視の日々。安定していても発展しない、将来が見えてしまった生活。

そういう所で、何の見返りもなく、安いサラリー、劣悪な労働条件で働こうという医師はいるのだろうか。自発的に農村 ( 地方 ) で働きたいというものもいるが、大多数は、これまでは医局人事という強制力で赴任させられていた。一定期間の辛抱のかわりに将来に少し希望を持つことができた農村 ( 地方 ) 勤務だったのだ。
医療制度改革の端緒の一つが医師研修制度であり、それと医局制度解体は表裏一体なのだが、これが「強制的医師農村 ( 地方 ) 赴任制度」を崩壊させた。

僻地医療の問題を端的に述べているウェブページがあった。無医地区問題と医療費についての歴史の意見は刮目に値する。以下に引用する。
—– 以下引用 —–
無医地区の、無医地区たる理由は、診療所の個人経営が成り立たない地域だからでは無く、医師の子弟の教育が困難なわけでも有りません。 そこの地域住民が悪い、殊に、自分が有力者だと思い込んでいる首長、議員、町内会長、大地主、資産家等が、馬鹿な要求や他所者扱いや三流医師扱いをするから、医師が嫌がって地区を出て行くだけの事なのです。 本質的には、その地区出身の若者がいなくなるのと全く同じ理由なのです。
—– 以上引用 —–

人間は住みたい所に住む。住み慣れた所がどんなに生活に不便であっても、住めば都という言葉がある。例えば、年寄りだけで農作業が辛くなっても農家を続ける、また例えば、豪雪地帯、無医村などでも、人間は住み慣れた所を離れられない。これは人間が基本的に持っている習性、とでも言うしかないのだろうか。

農村 ( 地方 ) は、人の心に農村 ( 地方 ) のメンタリティーを産む。
農村 ( 地方 ) は、人がそこに住みたくて住んでいる。たとえ豪雪地帯でも無医村でも、そんな所に住むのは自己責任だと言われても、そこがいいのだ。

でも、医師にはいて欲しいと思うのだろう。せっかく来た医師が 1 ヶ月で辞めてしまったりするような仕打ちをしたり、何年も一人で奮闘して人々に貢献した医師を逮捕させてしまっても、医師に来て欲しいと望む。

こういうメンタリティーを何と呼ぼうか。ウェブ上にぴったりの言葉が見つかった。「心の僻地」。

———-

自称ジャーナリストの勘違い記事があった。需要と供給のアンバランス〜無医村の増加 ( 2006.4.10 ) という記事を見てみる。
—– 以下引用 —–
金銭的には保護されることは間違いがないので医師という職業全体のモラルの低下と言うことが出来る。しかし強制的に移住などは出来るはずもない。医師という高い尊敬を有する人々のモラルにしか期待できないのが現状である。
—– 以上引用 —–

僻地医療、無医村の問題に医師のモラルを持ち出している。その土地から逃げ出す若者よりも高いモラルを持った医師が喜んでやってくるはずだというわけだ。この著者から見れば、日本中の医師がモラルを失っているのだろう。

その土地の人のため、その土地から人が逃げ出すような所で、自分も自分の家族も犠牲にして、少々高い報酬と言ってもそんなに高いわけではない、しかも有形無形の仕打ちがくる。それに耐えてこそモラルある医師というわけだ。こういう考えは、何かおかしいと思わないか。

———-

モラルがなければ強制と来た。医師の派遣 「説得と強制」がカギ ( 2005.11.20 ) という片桐由喜小樽商大助教授が北海道新聞に寄せたコラムを見る。
—– 以下引用 —–
地方への医師派遣に際し、医局統制の弊害が指摘されて久しい。しかし、自発的な過疎地域への移動を個々の医師に期待できない以上、医局であれ国家権力であれ権威と強制力を盾に彼らを地方へ送り出すシステムは欠かせない。公立小中学校の教師は公務員であるため、転勤命令が出ればどんなへき地であれ行かなければならないのである。いやなら教員を辞めるしかない。
イギリス社会保障の父、ウイリアム・べヴァリジ卿は人を動かすのは「説得と強制」であると断じた。地域医療対策のキーワードであろう。
—– 以上引用 —–

教員も会社員も配置転換を拒否している事例があるが。医師には居所や職場を選ぶ自由は不要というのか。

———-

以下、参考リンク

KALEIDOSCOPE WORLD ( 医療崩壊リンク集 )
マスコミウォッチ ( 無医地区問題と医療費についての歴史 )
くらし専科 ( 医師の派遣 「説得と強制」がカギ )
Letter from Yochomachi ( NHK:豪雪の被害がたいへん……でも、なんであんなところに人が住む? )
Aquarian’s Memorandum ( 散人先生の「でも、なんであんなところに人が住む?」を考える )
社団法人 日本酪農乳業協会 ( 骨からみた日本人 )
Die Kriegs Wirtschaft 戦争経済 ( 平均身長について )
いやしのつえ ( 泉崎村立病院の「無責任な院長」と「僻地医療」の未来予想図 )

参考資料

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (8)

Posted by guideboard on 2007/10/09/Tue

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デーリー東北新聞
(8) 支援体制 確保優先 孤立する現場 2006.3.31

赤字が積み重なり、財政的に行き詰まる病院。激務が続き、働くには魅力を欠く環境。
田子町立田子病院の葛西智徳院長は、これまでに四つの自治体病院や診療所で勤務し、地域医療の現状を見てきた。
何より、医師が根付く環境の整備がなされていない点に疑問を感じた。「地域の病院に出た医師には全責任がのし掛かり、支援体制が不十分だ。医師は勉強できず、レベルアップしたくてもできない」。
自身も田子病院に赴任したばかりの十年ほど前、医師二人が引き揚げたため、二人で当直をこなす激務に追われた。行政からの支援はなく、自分の足で非常勤医を探さなければならなかった。

■現状に憤り

現在、県内の過疎地域の診療所に一人で勤務するある医師は、支援のない現状に憤りを感じている。「県は医師不足解消には取り組んでいるが、医師を確保したらそれっきり。フォローが良くない」。
地域医療を志す医師はいる。しかし、医師を支える環境を行政や病院、大学は十分に整えられず、自治体病院の医師不足を招く一因にもなった。
勤務医を確保する策として、青森県の多くの自治体病院は手当を高くするなどで対応。これに対して葛西院長は「お金で連れて来ても、右から左に医者が動くだけ。抜本的な解決にはならない。『働きがいのある』職場環境にしないと医師は根付かない」と訴える。
地域医療に携わりたいとの志を抱く医師が、魅力を感じる環境整備が大前提だと言う。

■病診連携の行方

田子病院は二〇〇七年度から診療所となる。人口減と医師不足に対応しながら地域医療を存続させるための選択である。今後は近隣の病院との連携が不可欠で、三戸中央病院との協議は始まっている。
県医療薬務課は「田子の医師を孤立させないよう、人事交流の仕掛けをつくる」と支援体制を整備する方針を掲げる。
新年度からは、慢性的な医師不足を解消するため初めての体系的な基本構想となる県の「グランドデザイン」も動きだす。
葛西院長は「地域全体を見て、今いる医師を活用するシステムを整えてもらいたい。われわれ現場も努力するが、調整・統括する行政の役割が必要だ」と強調する。
(第2部終わり=工藤洋平、細越一美、工藤文一、斎藤桂が担当しました)

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (7)

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デーリー東北新聞
(7) 岩手の試み 県と 14 病院 連携を強化 2006.3.30

医師が病院を選択できる新しい臨床研修制度は、医師確保を目指す医療現場に自由競争をもたらした。
東北厚生局の佐久間敦医事課長は「東北地方では岩手が成功しているようだ。他県より一歩リードしている」と評価する。
制度改正を機に、岩手県内の十四の県立病院は、いち早く研修指導医講習会を開くなどして連携を強化。取り組みが功を奏し、研修医一人に対して指導医二人が確保できるという環境が整った。

■危機感を共有

岩手県立中央病院の高橋弘明医師(医療研修科長兼神経内科長)は「各病院に危機感があり、県全体で医師を集めよう、という熱意がある」と語る。
岩手医大や県立中央病院、県立久慈病院など六病院の指導医は二〇〇三年にワーキンググループを編成し、勉強会などを通じ結束を深めた。カリキュラムの充実や医師へのPRなども積極的に推進。この結果、研修医の数は〇四年度が五十五人、〇五年度は六十五人、〇六年度(見込み)は七十四人に上っている。

■地域偏在

県土が広大な岩手の場合、医師の数だけでなく地域偏在も深刻な問題だ。〇四年十二月末現在の県のまとめによると、人口十万人あたりの医師数は県全体で一七九・一人。全国平均の二一一・七人を下回りながらも、人数は一九八三年以降、増え続けている。
ただ、地域間での格差が大きい。県内九地域に分けた「医療圏」ごとにみると、盛岡の二七三・三人に対し、久慈が一〇五・九人、二戸は一〇七・五人。盛岡一極集中と県北の〝過疎化〟が顕著だ。
背景には、「都市部で経験を積んで技量を高めたい」(高橋医師)という医師の都会志向などがあるといわれる。即効策はなかなか見つからないが、高橋医師は「研修制度の取り組みは十年先を見据えたもの。地方でも実力がつくと研修医に認めてもらえれば残ってもらえる」と力を込める。
県も、研修病院ごとに取得可能な専門医や認定医資格を整理、広報するなど積極的にバックアップ体制を整える。県医療国保課の金田学医療担当課長は「現場の医師の意見を踏まえ、できるところから支援している」と、県と医療現場が一体となった取り組みを強調する。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (6)

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デーリー東北新聞
(6) 若手の決断 県内とどまる学生 4 割 2006.3.29

「入試の面接で受験生のほとんどが“青森県の地域医療に貢献したい”と志願理由を語る。でも、卒業後に県内に残るのはほんのわずか」
こう話すのは兼子直・前弘前大医学部長。それだけ弘前大の卒業生の県外流出は深刻だ。毎年約百人の卒業生を輩出するが、県内に残るのは約四割と半数を下回る。
兼子前学部長は、学生の志が変化することに理解を示しながらも「証拠として面接の様子をビデオに撮って、卒業のときに見せようかな」と苦笑いを浮かべた。

■県内も悪くない

八戸市出身の高橋祐輔さん(23)=五年生=は、中学時代にアメリカの救命救急病棟のテレビドラマを見て医師に興味を持ち、高校二年のときに本格的に志した。
「県内の医療技術が他県よりも劣るとは思わない。プライマリーケア(一次医療)を学ぶには、多くの経験を積むことができる」と高橋さん。
卒業後の進路はまだ決まっていないが「自分がレベルアップできる場所であれば、勤務先はどこでも構わない。県内に残るのも悪くはない」と話す。
大阪府出身の横山拓史さん(23)=同=は、祖父から三代続く典型的な医師の家系。卒業後は函館市内の病院での勤務を考える。「最新設備もないし、有名な医師がいるわけでもない。ただ、熱心な指導医が多い」と首都圏ではなく、あえて地方で勤務することを決めた理由を打ち明ける。
横山さんは「医師不足でかわいそうだから県内に残る—という考えを持った学生はほとんどいないはず。もっと自分の腕を磨き、医師として成長するため必死だ」と強調する。

■ギアは“トップ”へ

県が本年度作成した医師確保の基本構想となる「グランドデザイン」では、特に人材育成を重視した。
海外と連携した臨床教育の検討や、県外から招いた経験豊富な専門医の中核病院への派遣、へき地で実習を希望する医学生の卒前教育など医療環境整備に向け、ギアを“トップ”に入れた。
三浦康久県健康福祉部長は「他県と同じことをやっても駄目だ。医師確保の全国競争に勝つために独自色を出したい」と強い決意を示す。
果たして青森県に医師は定着すことができるのか。グランドデザインではそれができるかが試されている。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (5)

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デーリー東北新聞
(5) 派遣事情 大学に従前の力はなし 2006.3.28

二〇〇四年末に福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が死亡し、先ごろ医師が業務上過失致死罪などで逮捕、起訴された医療事故は、関係者に大きな衝撃を与えた。
日本産婦人科学会(武谷雄二理事長)は「医師個人が責任を問われたのは極めて遺憾」との声明を発表。この医師が年間約二百件の出産をほぼ一人でこなしていた実情を指摘し、「背景には全国的な産婦人科医不足がある」と訴えた。
この問題は、十八日に弘前市で開かれた青森県産婦人科医会でも取り上げられ、水沼英樹弘前大医学部教授は「産婦人科医を希望する学生がますます減るのではないか」と懸念した。

■3年連続入局ゼロ

実際、弘前大産婦人科教室(旧・医局)への〇六年四月の入局予定者はおらず、三年連続ゼロとなるのは確実な見通し。東北六県の大学医学部でみても、合計でわずか八人にとどまる。つまり、大学も医師不足なのだ。
県内の総合病院に産婦人科医を派遣しているのは主に弘前大と東北大。この二病院の人手不足で、最近では十和田市立市民病院と公立野辺地病院、青森労災病院が出産に対応できなくなった。
弘前大は産科医を集約し、将来的には十和田市立中央病院に配置する方針を決めたが、派遣時期は未定。中には「東北大が医師を派遣していた十和田に、弘前大がすぐ派遣できるはずがない」と“学閥問題”を指摘し、皮肉る医療関係者も。
必修となった臨床研修制度などの影響で、大学には従前通りの医師派遣ができる力は残っていなかった。

■住民に説明を

東北地方の医師不足は産婦人科だけではない。現状を打開するため、東北六県の大学医学部が一堂に会したシンポジウムが十八日、仙台市で初めて開かれ、各大学が枠を超えて意見交換し、地域医療の課題を探った。パネリストとして参加した新川秀一弘前大医学部教授は「各県の医師の置かれた状況など、大学間の情報共有が大切だ」と感想を述べた。
県健康福祉部の三浦康久部長も会場で各大学の発言に聞き入った。三浦部長は「市民は大学には潤沢に人材がいると思っている。大学は現状を説明する責任がある」とし、「これからも二回、三回と続けて、より良い方向に向かってほしい」と期待を込めた。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (4)

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デーリー東北新聞
(4) 必修化の功罪 研修医取り込みに躍起 2006.3.27

三月五日、仙台市で開かれた東北地方の臨床研修指定病院の合同説明会。
八十七病院のうち、実に八十一病院が参加する盛況ぶりで、担当者は来場した医学生を自分の病院に呼び込むため、熱烈な“ラブコール”を送った。
二〇〇四年度から必修化となった医師臨床研修制度。大学卒業後の新人医師に総合医療が可能な基本的診察能力を備えるため、研修病院で二年間の勤務を義務付けた。
これにより医師は自由に勤務先を選択できるようなったが、病院間、地域間の“格差”が拡大。以前から問題視された「大学離れ」にも拍車が掛かった。

■さらば大学病院

六十、四十九、五十三—。
この数字は過去三年間の医学生と県内研修病院のマッチング(組み合わせ)結果だ。再募集や国家試験の合否などの関係で、実際の研修医数とは多少異なるが、初年度以降は県全体の募集定員の半数を下回る厳しい状況だ。
特に深刻なのは東北地方の大学病院。〇五年は全六病院でマッチ率が五割を切った。
弘前大医学部付属病院も例外ではなく、募集定員四十七人に対し、〇四年は十人、〇五年の九人と、結果は“お寒い”状況。
同病院総務課は「残念だが、大学以外の違う環境、特に都会で働きたいと考える医学生が多いことを示している」と指摘する。
佐藤敬医学部長は「弘大付属病院は高度医療も行うが、広範囲の診療はほかの研修病院に引けを取らない」とアピール。「制度が存在する以上はその中で努力していく」との決意を示す。

■地方にも勝機

先述の合同説明会に参加したむつ総合病院の小川克弘院長は「来年から研修医の受け入れを六人から八人に拡大する。下北全体をカバーする病院として、今後も力を入れる」と強調する。
医学生は「一人前の医師となるために、しっかりと指導してもらえる病院に行きたい」と病院選びには慎重だ。
主催した東北厚生局の佐久間敦医事課長は「指導医の充実や症例数の豊富さなどの環境で地方にも勝機がある」と話し、魅力ある病院づくりの必要性を訴える。
今月で必修化後の“一期生”が二年間の臨床研修を終える。
県内にとどまるか、県外に流出してしまうのか。動向が注目される。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (3)

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デーリー東北新聞
(3) 手術はまだか 麻酔科医は深刻な状況 2006.3.26

「今の勤務状態のままだと、医療事故にもつながりかねない」
こんな“最悪のケース”を危惧(きぐ)するのは、青森県内のある麻酔科医だ。自身を含め、過酷な労働環境下に置かれる勤務医の現状を憂える。
医師不足—と一言でくくられるが、産婦人科や小児科、麻酔科など、いわゆる特定診療科の勤務医不足が著しい。
麻酔科医は患者の状態を管理し、手術には欠かせない重要な役割を担う。にもかかわらず拘束時間の長さや執刀医の下支えのイメージが強く、全国的になり手が少ない。
しかも、ほかの診療科と比べ、患者からの認知度が高いとは言い難い。麻酔科医不足の影響はじわじわと広がっている。

■手術待ち増加

今年二月、青森市内のある病院で義父の看病をしていた女性は「やっと手術をしてもらえます」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。手術を待つこと一カ月。ようやく手術が可能になった。
県内の高度医療を担う病院では、このような「手術待ち患者」は珍しくない。県立中央病院は三百三十六人(一月末現在)、弘前大医学部付属病院は二百三十八人(三月一日現在)いる。
県病は「心臓や脳外科の専門医が不足するほか、麻酔科医も定員六人に対し五人しかおらず、かなりきつい」と強調。弘大付属病院も「急患が優先なので(比較的症状が軽い)患者には二、三カ月待ってもらう場合もある」と説明する。

■8年前と同水準

八戸市立市民病院では〇三年度末、五人いた常勤の麻酔科医が二人に減った。現在は常勤二人、非常勤四人の体制で臨む。外科系医師も手術時に麻酔を担当する「自科麻酔」で不足分を補う。
昨年十一月、国から公表された〇四年末現在の県内の麻酔科医数は六十一人。全国的には麻酔科医は増加しているが、県内では一九九六年末とほぼ同水準のままだ。
人口十万人当たりでも、全国平均の五・〇人に対し、県内は四・二人と、マンパワー不足は否めない。
県医療薬務課の石岡博文医師確保対策グループリーダーは「麻酔科医は救急医療に不可欠」と、現状打開のための対策を早急に講ずる必要性を訴える。「正直疲れているが、患者がいる以上は仕事量を減らせない」とは冒頭の麻酔科医。厳しい現実と向き合っている。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (2)

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デーリー東北新聞
(2) 重い負担 役割と機能ばかり増す 2006.3.25

「役割と機能ばかりが増していく。県立病院や弘大並みの役割が求められているが、医師確保などのサポートは不十分」。八戸市民病院の澤直哉副院長は、同病院が抱える問題を訴える。

■辞めたくなる

青森県が進める自治体病院の機能再編。同市民病院は三八地区の高度医療を担う拠点病院に位置付けられる。地域がん診療拠点病院や臨床研修指定病院、感染症指定病院—。役割を果たすため、多くの指定や認証を受けてきた。
澤副院長は「拠点病院に求められる仕事量は多い。しかし、対応するにはまずはマンパワーを増やす必要がある」。医師の労働環境を改善しようと、同病院は循環器内科や小児科など十科と救命救急センターで働く医師十九人を募集している。
だが、全県的な医師不足により補充は難しい。問題は一向に改善されず、現場の勤務医だけに負担が大きくのしかかる。
同病院の中でも、入院患者の回転が早い循環器内科。同科の菊池文孝科長は「今の仕事量だと、本来は三年以上の経験を持つ医師が六人は必要」と話す。
これに対し、現在の常勤医は四人。「激務と疲労が慢性化している。現状では、誰もが一度は辞めたくなるんじゃないかな」
多量の業務をこなし、さらに「ミスをしないように」とのプレッシャーにもさらされる医師。数年で心身ともに疲弊し、勤務医を辞めて開業する医師も出ている。

■現場の限界

高度医療を担う同病院ではあるが、その多忙さが専門の医師の腕を磨く時間を奪っていく。「設備のそろった所で高度な専門医療の腕を磨けるのが公立病院、大病院だった。魅力が失われつつある」と澤副院長は言う。
勤務医は電子カルテや入院承諾書の作成など、“ペーパーワーク”に膨大な時間を割いている。赤字経営で十分な設備投資も困難になってきた。「医師が地域の病院から離れるのを防ぐため、専門の知識や技術を身に付けてもらう環境を整えることが病院側の役割」と澤副院長は考える。
「今のままでは、医師にやる気や熱意を持ち続けてもらうことが難しい」。現場でカバーするには限界があると感じている。「病院も努力はするが、医師不足はわれわれの努力だけではどうにもならない」—。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 2 部 (1)

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» 医療崩壊 / 逃散 2 / デーリー東北新聞

デーリー東北新聞
(1) ルポ 40 時間 「仮眠は 1 時間くらい」 2006.3.24

三月のある日午後三時半。八戸市民病院の血管撮影室で循環器内科の長谷川一志医師(34)は、他の医師らと心臓カテーテルの手術に当たっていた。細い血管を傷付けないよう細心の注意を払う。高度な技術が必要だ。長時間の手術から、目は既に充血していた。

■ぎりぎりの人手

「高度医療に携わることができ、やりがいがある。しかし、勤務内容は厳しい」。医師になって九年目の長谷川医師は弘前大学医学部からの派遣医。同病院に来てもうすぐ一年。同診療科一番の若手で、体力的に最も無理のきく年齢だ。
同病院は八戸広域圏の高度医療を担う拠点病院に位置付けられる。心臓カテーテル手術ができる医療機器と技術を持つ医師を備えることから、市外や県外からも患者が集中する。
「先週は二、三回呼ばれたかな」。緊急性が高く、迅速な処置が必要な患者も運ばれて来る。帰宅後でも、時間を問わず呼び出しがかかる。
当直は月に二回ほど。日勤から当直、当直明けですぐに日勤。年中このローテーションが続く。「土日関係なく毎日病院に来ていて、十分に休みも取れない」。
循環器内科の常勤医は四人いるが、広域圏の来院患者に対応するには絶対数が足りない。増員したいが、全県的な医師不足で確保は困難。ぎりぎりの人数での過酷な労働が恒常的になっている。
手術後、長谷川医師は休む間もなく午後五時から当直勤務に突入。「容体が急変することがあるから」。救命救急センターの急患室と入院患者らの間を何度も往復する。
急患が途切れた午後九時四十分ごろ、診察室で長谷川医師はいすにもたれ、ひと息ついていた。「あ、遠い目してる。先生は明日も普通に仕事なんですよね」。看護師が少し離れた場所から気遣う。朝から働き続け、夕食を取る間もなく夜が更けていく。
時計の針はもうすぐ午前零時。電子カルテの作成中、疲労のたまった目元を手のひらで軽く押さえた。「仮眠は三時間取れたらいい方。たいてい一時間くらい」。午前四時、ようやく仮眠室で眠ることができた。

■一日でげっそり

外来診療に備え、午前七時すぎに起き、朝食を取らずに同センターの入院患者の元へ直行。容体を確認し、必要な処置を看護師に指示する。
午前九時半には外来診療が始まった。待合室では既に大勢の患者が順番待ち。「先生はいつ食事をしているんでしょうね」。看護師が、ふと口にした。
やっと外来診療を終えたのは、午後零時半すぎ。昼食もそこそこに一時からカテーテル手術へ。約五時間ぶっ通しで四件の手術をこなす。夕方、マスクを外すと、ほおはげっそり。「脱水症状だ」。すぐに水分補給に向かった。まだまだ勤務は終わらない。

■患者への思い

前日から連続約四十時間の勤務。少しでも気を抜くと体に力が入らなくなる。「自分を必要としてくれる人がいる」。年中無休の激務に耐えられるのは、患者への思いがあるからだ。
理想は「患者さんの立場に立った仕事」。しかし現実は「時間が限られていて、患者とじっくり向き合う余裕がない」。ジレンマを抱えている。

◇   ◇   ◇

“待ったなし”となっている公立病院の勤務医不足問題への対応。人手が足りずに過重勤務となる悪循環を生み出し、結果的に開業を選択する医師も多い。なぜこのような状況に陥ってしまったのか。第二部では勤務医の実態に迫る。
(地域医療取材班)

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (8)

Posted by guideboard on 2007/10/09/Tue

» 医療崩壊 / 逃散 2 / デーリー東北新聞

デーリー東北新聞
(8) 将来ビジョン 複数配置の方向を検討 2006.1.9

一月四日、三村申吾青森県知事は年頭の記者会見で、昨年策定した「医師確保のためのグランドデザイン」の事業内容を明らかにした。深刻な県内の医師不足を解消するために、二〇〇三年七月の知事就任以降、自ら全国を飛び回って医師や有識者の意見を聞いてまとめた—との自負がある。
三村知事は「医師不足は(過剰勤務や研修機会の不足など)負のスパイラル構造にあり、プラスに転換させたい」と意欲を語った。

■産科医集約に着手

県は二〇〇六年度、県内の産科医集約に着手する方針だ。県や市町村、県医師会、大学などで構成する会議を設置して、複数勤務を基本とした将来的な配置方針を検討。加えて、助産師の活用や女医の就労支援など総合的な対策を講じる。
医師集約の必要性はグランドデザインにも盛り込まれている。大学医学部も現状の苦しい“お家事情”を背景に、集約の方向には前向きだ。
ある関係者は「集約により医師の過剰勤務は解消される。だが、病院側の思惑や地元で産みたいと思う妊婦の希望もあり、すんなりと集約先の病院が決まるとは思えない」と指摘する。各病院の同意と住民の理解を得る作業は難航しそうだ。

■全国競争に突入

医師不足には、医師が都市部に集中する「地域偏在」と、産科や小児科、麻酔科などの全国的になり手が少ない「診療科偏在」が大きな要因となっている。県内の医師分布状況も例外ではなく、大学医学部がある弘前市を筆頭に、青森、八戸の旧三市に全体の約75%が集中する。
県はグランドデザインに基づき、医学生への修学資金貸与や専門医の招聘(しょうへい)、海外研修の充実など、さまざまな施策を展開する予定だ。
ただ、パイの奪い合いになりつつある産科など診療科偏在の対策について、三浦康久県健康福祉部長は「抜本的な対策は難しいが、グランドデザインでは医者を育てる良い環境整備など構造転換から始めていく」と強調。「“絵に描いたもち”にならないように、しっかり取り組む」と述べ、全国競争に打ち勝つ強い姿勢をみせる。
県は十年後の医師不足解消を目指す。地域医療を守るため、将来的なビジョンづくりは始まったばかりだ。
(第1部終わり。田中秀知、工藤洋平が担当しました)

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (7)

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デーリー東北新聞
(7) 下北に暮らす むつ除いて ” 空白地帯 ” 2006.1.8

本州最北端の地・下北半島。昨年十二月に営業運転を開始した東通村の東通原発のほか、むつ市の使用済み核燃料中間貯蔵施設などの立地で、近年は“原子力半島”化が進む。周辺自治体は電源三法交付金による地域振興を見込む。
一方で、将来が期待される若者は都会に流出し、過疎化が進行している。お産ができる医療機関は、むつ市内の二カ所だけ。下北半島のほとんどは産婦人科医の“空白地帯”だ。

■もっと近ければ

昨年十二月上旬のむつ総合病院。お産を終えた大間町の小沢美沙子さん(37)=仮名=は、退院の準備に追われていた。
「おかげさまで無事退院できるみたいです」。糖尿病というリスクを抱えての出産だったが、元気に生まれた長女に目を細めた。
地元には公立の国保大間病院があるが、産婦人科はない。船で函館市の病院に行く手段もあったが、車で片道一時間のむつ総合病院に決めた。
「もっと近ければいいんだけど…」。路線バスは一時間に一本。電車は通ってない。大間町に生まれ育った小沢さんは、「仕方がない」と割り切っている。
自治体病院から産婦人科医がいなくなった十和田市や野辺地町の状況について「他の病院との距離は近いし、交通網も発達している。下北と違って恵まれている」と、違う見方をする。

■地域の知恵

佐井村からむつ総合病院に通う妊娠十カ月の藤沢美紀さん(29)=仮名=の場合、やはり通院には一時間半かかる。雪が降ると路面は凍結し、車はスピードが出せない。冬場は二時間以上の長いドライブだが、「夫が運転してくれるのでちょっと安心」と笑顔をみせる。
「最初からむつ市で産むのが当たり前だと思っていた」と藤沢さん。「早めの対応がこの地域でお産するときの知恵なんでしょうね」と話す。
自らも産婦人科医として同病院で腕を振るう小川克弘院長は「下北地域の一般的な医療はここで完結しなければならない。住民の期待はあると思っている」と自負する。
半島という地理的なハンディを埋めようと、同病院では医師確保のために研修医受け入れに積極的だ。
小川院長は「『へき地』『寒い』『遠い』という悪いイメージを逆に利用して、やる気がある医師を呼び込みたい」と断固たる決意だ。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (6)

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デーリー東北新聞
(6) 努力の代償 死亡率改善に心血注ぐ 2006.1.7

これまで全国最悪レベルだった青森県の“赤ちゃん死亡率”。だが、二〇〇四年の県人口動態統計では「乳児」「新生児」「周産期」のすべてで軒並み改善の兆しがみられ、関係者を喜ばせた。
記者発表の席上で、難波吉雄県健康福祉部次長は、改善理由を「産婦人科医の長年の努力や、県内の周産期医療体制の充実」と説明した。

■過酷なスケジュール

昨年七月二十三日、弘前市。三村申吾知事は弘前大医学部産婦人科講座の大学院生と意見交換会を開いた。県内の産科医不足の原因究明に向けて、現場の生の声を聞くためだった。この日集まった四人の院生は、研究や実験の傍ら県内の自治体病院などで非常勤医として従事する。意見交換の中で院生は、びっしりと埋まった一週間のスケジュール表を示した。
厚生労働省の調査によると、若手産婦人科医の約27%が「産科診療はしたくない」と答えている。それは過酷な勤務状況と訴訟の多さが起因している。院生は「労働に見合った対価が得られていない」「県が強力にリーダーシップを取り、各地域をまとめてほしい」などと提言した上で、「県民が安心して出産できるように手伝いたい」と意気込みを語った。

■安全神話

「昔は妊婦や家族は命懸けで出産に臨んだものだ」と話すのは、八戸レディスクリニックの小坂康美医師。医師になりたてだった一九五〇年代は、今の助産師に当たるいわゆる“産婆”が手伝い、出産の約七割が家庭で行われていたという。
今と比べて乳児や母体の死亡率も高かった時代だ。それゆえ、医師や助産師らは赤ちゃんの死亡率改善に心血を注いだ。県内の医療体制は次第に整備され、結果として死亡率は改善に向かった。一方で、医療訴訟の多さに小坂医師は「世間は訴訟という形で評価した」と、努力の代償として得た皮肉な現実を嘆く。
産婦人科医でもあるむつ総合病院の小川克弘院長は「今は出産の“安全神話”が築かれた」と住民意識の変化を指摘する。「安全で安心なお産が一番だが、何が起こるか分からないのもお産だ」と強調。その上で「妊婦や家族への正しい妊娠や分娩(ぶんべん)などの知識の啓発が必要だ」とも話す。
だが、産婦人科医を志した理由を二人ともこう話す。
「やっぱり生命誕生の瞬間の感動ですよ」

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (5)

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(5) 家族のきずな 夫らにのしかかる負担 2006.1.6

昨年十一月三日、青森市のアウガ。「ゆっくりとお湯に入れてくださいね」。助産師の指導に従い、若い夫婦が赤ちゃんの人形を使用して沐浴(もくよく)を体験していた。この日は「1103」の数字にちなみ「いいお産の日」。主催の青森県看護協会は毎年、妊婦や家族を対象に、県内各地で育児支援のイベントを開いている。
「思ったより難しいなぁ」「これからパパになるんでしょ」。会場では夫婦の幸せそうな会話が弾む。同協会助産師職能理事の山田順子さんは「市内はまだ大きな病院や開業医があるが、いない地域の妊婦さんや家族は大変でしょうね」と心配そうな表情を浮かべた。

■全員でサポート

産科医不足は妊婦だけでなく、支えるその家族にとっても大きな負担となっている。
十和田市の下田多香子さん(23)=仮名=は妊娠八カ月。同市内は十和田中央病院の産科が休診しており、出産に対応できるのは個人の診療所のみ。だが、下田さんは八戸市の個人の診療所に通院している。
普段は自分で車を運転して通院するが、体調が悪いときは実家の姉や母の静江さん(54)=仮名=に交代してもらった。「おなかが大きくなってくると往復二時間の運転はきつい。本当に助かる」と家族のぬくもりを実感する。
家族も遠くに通院する多香子さんのことが気掛かりだ。静江さんは「一人目は心配はなかったが、今回は事情が違うので家族全員でサポートしたい」と笑顔で話した。

■二人三脚

昨年七月に八戸市立市民病院で男の子を出産した十和田市の西山美由紀さん(24)は、夫の繁さん(25)=ともに仮名=との“二人三脚”で初めての出産を乗り切った。
繁さんは十和田市内の建設会社に勤務。平日は仕事だが、美由紀さんに無理をさせたくないため、休みを取って病院まで送り迎えをしていた。
出産直前の六月中旬。予定日を過ぎても赤ちゃんが生まれず、美由紀さんは入院。繁さんは出産までの約二週間、仕事が終わるとその足で毎日病院に向かった。
「仕事で疲れていたが、妻が心配だった。同じ境遇の夫はほかにもたくさんいると思う」と繁さん。医師不足の不便さを感じながらも、夫婦のきずなをより確かなものにした。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (4)

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デーリー東北新聞
(4) 広がる影響 休診で分散する分べん 2006.1.5

「やっぱり二つの自治体病院の産科休診は痛いなあ」。昨年十月上旬、青森県内のある病院関係者はこうつぶやいた。
上十三地域の分べん数は年間約千七百件。このうち二〇〇四年度は、出産ができなくなった十和田市立中央病院は約四百二十件、公立野辺地病院は約二百十件と、合わせて同地域の三分の一を占めていた。
それが一気にゼロになったことで、他の公立病院や開業医が扱う数は確実に増加した。この関係者は「全体的に医師は不足しており、ぎりぎりのところでやっているだろう。パンクしないかどうか心配だ」と懸念する。

■変わる妊婦動向

二病院の産科休診による妊婦の動向について県健康福祉部は「三沢市や八戸市、青森市などに分散した。五戸町や七戸町の病院でも増加している」と説明する。
特に、年間約二百二十件の出産を扱っている三沢市立三沢病院は、昨年四—十一月で約三百件とハイペースな伸びを見せる。同年八月末に青森市で開かれた県自治体医学会で、同病院の医師は「分べん数は倍増する見込みだ」と発表した。
古澤次寸事務局長は「普通に考えて、距離的に近い三沢病院に流れている」と分析。その上で「しっかりと妊婦を診られるように院内の態勢を整えたい」と話す。

■七戸病院も休診

公立七戸病院でも一月から出産ができなくなった。同町でただ一人の産婦人科医が昨年十二月末で退職したからだ。ただ、この医師は一月十日から町内で開業する予定で、産科医が空白化する事態は一応、避けられそうだ。
同病院の〇四年度の分べん数は約二百件。だが、〇五年度は十二月中旬までに約二百十件を超えた。大黒博院長は「一人の勤務体制で大変だっただろう」とこれまでの労をねぎらった上で、「開業するという意思は尊重したい。こちらとしては“ノー”とは言えない」と話す。
同病院は、これまで医師を派遣していた秋田大学医学部に対して新たな産科医派遣を打診したが、「秋田県内でも医師不足で県外派遣は難しい」との回答があり、現在のところ後任の見通しは立っていない。
これで、上十三地域の公立病院で出産ができるのは三沢病院だけと、ますます深刻な状況となった。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (3)

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デーリー東北新聞
(3) 悪循環 24 時間体制 多い訴訟 2006.1.4

「医者がいないと言うけど、実感はあまりないですね」。青森市内の産婦人科に通院する会社員女性(25)は、医師不足に悩む青森県内の状況をよく分からない。県立中央病院や青森市民病院、民間の医療機関が多い市内で生まれ育った。
これまで病気や妊娠をした経験がなかったこともあり、新聞やテレビのニュースで取り上げられるまで意識していなかった。「毎年、医学部を大勢卒業しているはずなのに、なぜ?」との疑問がわく。

■負担大きく

「産婦人科の医師不足は今に始まったことではない」と話すのは、山中朋子県医師確保対策監。
県内の産科医の数は、二〇〇二年十二月末で九十八人。人口十万人当たり六・七人で、全国ではワースト四位タイ、北海道・東北地区では最悪だ。
特に公立病院では勤務医の絶対数が少ないため、一人の医師にかかる負担は大きい。出産はいつ始まるか分からない。まさに二十四時間体制の重労働に加え、産科は特に医療訴訟が多い。
産科医のなり手がいなくなり、それが産科医不足に拍車をかける。激務のため最終的に勤務医を離れ、都市部で独立する—という悪循環に陥る。
一方、お産ができる民間病院や開業医は県内約三十件あるが市部に集中しており、郡部では産科医が不在の地域が多い。最近では出産を扱わず、婦人科のみに対応する開業医も増えている。

■集約の必要性

派遣医師の配置集約を進める弘前大学医学部の兼子直学部長は「地域の中心的な病院に集約することで、先進医療の導入やマンパワー(人的資源)の有効活用ができる」と説明。その上で「集約は後退ではない。これからは病院間の機能的な役割分担が必要だ」と強調する。
県は一九九九年度から県内六つの圏域ごとに中核病院を設け、効率的な医療体制の構築を目指す自治体病院の機能再編成に着手した。
上十三地域では昨年二月、十和田市立中央病院を地域周産期母子センターとして機能強化する素案の骨子を了承。だが、実現に向けた動きは足踏み状態だ。山中対策監は「停滞したままだと、悪循環にはまってしまう。圏域で安心、安全な出産の環境を守らなければならない」と危惧(きぐ)する。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (2)

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デーリー東北新聞
(2) 突然の休診 病院からの通告に困惑 2006.1.3

二〇〇五年四月。十和田市立中央病院と公立野辺地病院が相次いで産科を休診し、上十三エリア内の二つの自治体病院でお産ができなくなった。
全国的に産婦人科医は少ない。医師派遣を担う大学医学部も病院へ向かわせる人材を集約せざるを得ない状況だ。東北大は十和田中央病院、弘前大は野辺地病院からそれぞれ医師を引き揚げた。

■大きな病院なのに

「四月から産科は休診となります」。昨年二月、十和田中央病院に通院していた同市の安田佳子さん(28)=仮名=は、突然の病院側からの通告に困惑した。妊娠三カ月だった。担当医が転勤するということを聞いた。
仕方なく三沢市内の開業医に通院先を変更した安田さん。ところが、わずか三カ月余りで、そこも病院側の都合で休診となった。今度こそ安心して出産ができると思った直後の出来事に、「ショックは大きかった」と振り返る。
その後、八戸市立市民病院に通い、無事に女児を出産した。安田さんは「私の場合、運が悪かったのかもしれない。でも、住んでいる街に大きな病院があるのに、何でそこで産めないんでしょうね」と問い掛ける。
現在、十和田中央病院は非常勤医による週二日の婦人科対応のほか、昨年十二月から八戸市民病院と連携して助産師外来を開始、安定期の妊婦検診も行っている。「少しでも患者の役に立てれば」(同病院)と、医師不在を必死にカバーする。

■頭の中が真っ白に

野辺地町の佐々木洋子さん(27)=仮名=は、妊婦検診の際に担当医から「別の病院を紹介しましょう」と言われた。出産二カ月前のことで、頭の中が真っ白になった。
病院内では、以前から産科休診のうわさが流れていた。「覚悟はしていたが、現実を突きつけられるとつらかった」
その後、佐々木さんは通院に一時間要する三沢市立市民病院に移り、元気な男の子を出産した。佐々木さんは「子供は三人くらいほしいけど、今のままではすぐ“次”という気にはなれない」と顔を曇らせる。
大学医学部の医師集約の動きについて神雅彦野辺地病院長は「激務解消のために医師の複数配置は必要だ」と一定の理解を示す。だが、同病院の産科復活については「今のところめどは立っていない」と表情は険しい。

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医療崩壊 / 逃散 2 / 検証医師不足第 1 部 (1)

Posted by guideboard on 2007/10/09/Tue

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デーリー東北新聞
(1) 初めての出産「どこで産めばいいの」 2006.1.1

初冬のある朝。野辺地町で食料品店を営む大原悟さん(36)・恵美さん(30)夫妻=仮名=は、自宅からマイカーに乗り込んだ。悟さんは青森市内の市場へ野菜を仕入れに、恵美さんは約三十五キロ離れた、同市内の県立中央病院に行くためだ。
まだ夜は明けない。暗闇が広がる国道4号をひた走る。

■地元で産めない

「おめでたです」
恵美さんの妊娠が分かったのは昨年六月。既に三カ月目で、初めての赤ちゃんだった。
喜びに浸った大原夫妻だが、一抹の不安もよぎった。地元の公立野辺地病院では昨年四月以降、産科医が不在となり、個人の開業医がいない町内では、子供を産めない状況となっていたからだ。
選択肢は七戸病院か青森市内の病院のいずれかに狭まった。「どこで赤ちゃんを産むべきか」。大原夫妻は悩んだ末、お産や産後の安心感、悟さんの仕事の都合を考えて同市内の総合病院を選んだ。
だが、二週間に一度の通院は予想以上にハードだった。午前六時に出発してから、悟さんが仕事を済ませるまで恵美さんは車で待ち、午前八時半にようやく病院に到着。店を開けなければならない悟さんは先に帰り、恵美さんは診察後、一人でJR青森駅までバスで行き、電車で帰宅する。
恵美さんは「最近はおなかが大きくなって駅の階段の上り下りがつらい。午前中の診察のため朝早く病院に行き、帰ってくるだけで疲れる」と現在の心境を明かす。

■日々募る不安

野辺地町出身の悟さん。当然、自分の子供も町内で産むものだと考えていた。しかし、生まれ育った町で子供が産めないという「想定外」の事態に見舞われた。
悟さんは「どうして医者がいないのか」と疑問を抱きながらも、「常駐が難しいなら週一回だけでも医師が来て診察するなど何か対策を考えてほしい」と切実に訴える。
出産予定日は今月十六日。「陣痛が始まってから病院に向かうまでに、赤ちゃんが生まれてしまわないか」。大原夫妻は初めての出産を前に不安を募らせる毎日だ。
町では、商工会議所青年部が中心となり、野辺地病院への産科医確保を求める署名運動を展開している。大原夫妻も署名したが、今のところ見通しは立ってない。

◇  ◇  ◇

地方の医師不足が深刻だ。病院や診療所から勤務医がいなくなり、特に不足する産婦人科などは、診療科の休診が相次いでいる。事態は住民の目に見える形で進行し、地域によっては日常生活にも影を落としている。医師不足問題の背景と、地域医療の在り方をシリーズで探る。第一部では、青森県南地方の産科医不足を追った。
(地域医療取材班)

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医療崩壊 / 逃散 2 / デーリー東北新聞

Posted by guideboard on 2007/10/09/Tue

本記事の原典は、2006 年 4 月 16 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/04/_2_5633.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医師不足、医師確保、医療事故、過失、刑事、訴追、逮捕、起訴、構造改革、僻地、地方

デーリー東北新聞による、地方での産科医療崩壊の特集記事。
検証 医師不足 – 地域医療の危機 -

2006 年 1 月 1 日から 3 月 31 日まで、計 16 回の記事。

なかなかよく調べてまとまっている。態度も中立的で、医師のモラルだとか、聖職だから、義務、倫理、努力、ひいては根性、赤ひげやヒポクラテスなどを持ち出さない。事実を正確に伝えようという努力が見られる。

朝日新聞福島県版とは大違いである。

さらに、具体策としてどうすればいいのか、現場の多数の医師の声を拾っていって欲しい。行政や大学、病院の偉い人たちの妄言は、もう聞き飽きている。

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参考資料

デーリー東北新聞が、2006 年 1 月から 3 月にかけて連載した特集記事を保存しておく。

検証 医師不足 – 地域医療の危機 -

第 1 部 産科医がいない
(1) 初めての出産「どこで産めばいいの」 2006.1.1
(2) 突然の休診 病院からの通告に困惑 2006.1.3
(3) 悪循環 24 時間体制 多い訴訟 2006.1.4
(4) 広がる影響 休診で分散する分べん 2006.1.5
(5) 家族のきずな 夫らにのしかかる負担 2006.1.6
(6) 努力の代償 死亡率改善に心血注ぐ 2006.1.7
(7) 下北に暮らす むつ除いて ” 空白地帯 ” 2006.1.8
(8) 将来ビジョン 複数配置の方向を検討 2006.1.9

第 2 部 勤務医の実態
(1) ルポ 40 時間 「仮眠は 1 時間くらい」 2006.3.24
(2) 重い負担 役割と機能ばかり増す 2006.3.25
(3) 手術はまだか 麻酔科医は深刻な状況 2006.3.26
(4) 必修化の功罪 研修医取り込みに躍起 2006.3.27
(5) 派遣事情 大学に従前の力はなし 2006.3.28
(6) 若手の決断 県内とどまる学生 4 割 2006.3.29
(7) 岩手の試み 県と 14 病院 連携を強化 2006.3.30
(8) 支援体制 確保優先 孤立する現場 2006.3.31

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医療崩壊 / 逃散資料 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 医療崩壊 / 逃散

東奥日報 2006.3.19

産婦人科への新規入局 弘大ゼロ

二〇〇六年度、東北地方の六大学の医学部産婦人科に新規入局する若手医師は計八人にとどまり、うち弘前大学はゼロであることが日本産婦人科学会の調査で分かった。新規入局者は全国で二百十人と、三年前に比べ半減。地方大学の産婦人科が先細りする一方で、全体の三分の一余りの七十三人が東京都での勤務を予定しており、不均衡な一極集中も浮き彫りになった。

調査は三月で二年間の卒後臨床研修を修了する研修医の入局意向を把握するため、同学会が二月、全国八十一大学付属病院の教授、総医長、医局長に対しアンケート形式で実施した。回収率は100%。十八日に弘前市の弘前プラザホテルで開かれた「県臨床産婦人科医会」で、弘前大学医学部の産婦人科医師が発表した。

調査によると、来年度の医学部産婦人科入局見込み者は全国二百十人。二〇〇四−〇五年度は卒後臨床研修制度のスタートに伴い、全国的に新規入局者がいないため比較できないが、〇三年度の四百十五人に比べると半減した。地区別では東京都七十三人、関東(東京都を除く)二十八人、大阪府十人、中部三十六人、九州十四人、東北八人、北海道五人など。東北地方八人の内訳は弘前大学ゼロ、岩手医科大学二人、東北大学ゼロ、秋田大学一人、山形大学一人、福島県立医大四人となった。

〇一−〇三年度をみると、弘前大学は毎年三人ずつ入局し、東北六県では十八−二十四人の新規入局者がいただけに来年度は大きく減員することになる。これは過重勤務、訴訟の多さなどにより産婦人科を敬遠する傾向が強まったことや、研修先を選択できるようになった卒後臨床研修制度により、若手医師の都会志向や大学病院離れが一気に顕在化したものとみられる。

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デーリー東北新聞 2006.3.19

弘前大産婦人科教室への入局者3年連続ゼロ

弘前大医学部産婦人科学教室(旧・医局)への二〇〇六年四月の入局予定の医師がいず、〇四年度から三年連続で入局者ゼロとなる見通しであることが、十八日分かった。東北六県の大学医学部でも、入局予定者は合計で、わずか八人にとどまる。激務や医療訴訟の多さなどが背景にあり、産婦人科医不足はますます深刻な状況になっている。

同日、弘前市で開かれた青森県臨床産婦人科医会で、弘前大の横山良仁講師が明らかにした。

それによると、東北地方の医学部がある六大学の産婦人科学教室への〇六年四月の入局者見込みは、福島県立医科大が最多の四人、岩手医科大は二人、秋田大と山形大はそれぞれ一人。弘前大と東北大はともに三年連続で入局者がゼロだった。

全国的にみても、産婦人科へ入局予定の医師は二百十人。〇三年度の四百十五人と比べ、ほぼ半減する。また約三分の一が首都圏の大学に入局する見通しで、都市への偏在に拍車がかかる。
 十八日の医会には約七十人が出席。医学生や研修医、医師の代表者が「産婦人科医獲得を目指して」をテーマに意見を発表した。

医学生は「忙しくて訴訟が多いというマイナスイメージが大きい」、「(産婦人科は)学生時代の実習で広く学ぶことが困難で、興味を持つことができない。改善が必要」と訴えた。医師からは「地域の偏在は何もしなかった厚生労働省のミス」、「安心して働くことができる環境をつくることが大事だ」と指摘した。

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読売新聞医療ルネサンス 2006.3.25

産科 厳しい現実に尻込み
「産科や小児科の現場を見て、尻込みしました」

医師になって2年間、今月まで金沢大などで臨床研修を受け、来月から内科に進む島田幸枝さん(26)は、複雑な表情で語る。

医学生時代は、内科か、赤ちゃんや子供を診る産婦人科や小児科の医師になりたいと思っていた。

2年間の研修でも、3科を重点的に回った。特に産婦人科では、大学での2か月の研修に加え、「お産の現場を知りたい」と自ら希望し、地域の開業医のもとで1か月間、研修した。産声を聞き、母親や寄り添う父親の笑顔を見て、やりがいのある仕事であることを肌で感じた。

一方で、勤務の厳しさも味わった。お産のため、開業医は深夜に診療所に駆けつけ、誕生を見届けると、そのまま朝から外来診療にあたることも少なくなかった。出産の際、突然、胎児の心音が聞こえなくなったこともあり、お産は危険も伴うことを痛感した。

小児科でも、満足に休暇をとれない医師たちの激務を目の当たりにした。

島田さんは今月結婚した。いずれ子供が欲しいが、仕事も中断せずに続けたい。産婦人科や小児科は魅力的だが、仕事と家庭を両立できるだろうか。

「産科や小児科では、若い間は身を粉にして働けるかもしれないが、燃え尽きてしまいそう」。結局、内科医を目指すことにした。

日本産科婦人科学会の調査では今春、臨床研修を終え、大学や研修指定病院の産婦人科に入る医師は約310人。最近数年に比べ1割以上減った。東北地方12人、北海道7人、北陸9人など、特に地方は少ない。

調査をまとめた藤田保健衛生大産婦人科教授の宇田川康博さんは「現場を体験して進路を決められる研修は、研修医には望ましいが、働く環境が厳しい産婦人科や小児科の医師不足を加速させてもいる」と話す。

全国の80大学病院の産婦人科のうち、入局予定者ゼロは14か所あった。金沢大もその一つだ。

同大産婦人科医局長の田中政彰さんは「島田さんのように、熱心に産科研修に取り組んだ人に来てもらえないのは残念だ。魅力ある産婦人科診療の体制をどう整えるかが問われている」と言う。

今春、産婦人科に新たに入る医師の7割が女性だ。それだけに女性が働きやすい環境作りが望まれる。産科や小児科を志す医師をどう育て、支えていくか。課題は多い。(田村良彦、坂上博、中島久美子)

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YAHOO! NEWS 毎日新聞 2006.3.21
福島ニュース – 3月21日(火)13時1分

大野病院医療ミス:県立医大医師派遣、応援継続を要望−−三春町長 /福島

県立大野病院(大熊町)の医療事故をめぐり、産婦人科医の1人勤務体制が課題となっている問題で、三春町の鈴木義孝町長は20日、県立三春病院(三春町)への県立医大からの産婦人科医の応援を継続するよう佐藤栄佐久知事に要望書を提出した。

三春病院は、県立病院としての廃止決定を受け、07年4月から町立病院に移行する。現在、産婦人科は常勤医1人と県立医大からの派遣1人の2人体制で運営している。

要望書は「県立医大では、医師不足から医師派遣取りやめや地域の拠点病院への集約化に向けて検討すると聞いている。仮に現体制が維持できないままに移譲を受けるようになれば、地域住民に不安が広がり、町の病院開設に危機感を持つ」と訴えている。

これに対し、佐藤知事は「体制についてはこれから検討するので、三春病院についてどうなると決まっているわけではない」と即答を避けた。鈴木町長は「田村地域で産婦人科があるのは三春病院だけ。しっかりした体制を組んだ上で病院の移譲を受けたい」と重ねて要望した。【上田泰嗣】

3月21日朝刊(毎日新聞) – 3月21日13時1分更新

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毎日新聞 2006.3.22

産婦人科医:若手医師は4割も減 勤務条件などが敬遠材料

04年度に必修化された2年間の臨床研修制度を終えて4月から大学で産婦人科を専門に選ぶ若手医師は、制度発足前に比べ4割も減ることが日本産科婦人科学会(日産婦、武谷雄二理事長)の調査で分かった。勤務条件の悪さや出産トラブルによる訴訟が多いことが敬遠材料になっている。福島県立大野病院で起きた帝王切開手術中の死亡事故で、産婦人科医が業務上過失致死などの罪に問われ、学会内には「さらに希望者が減る」との懸念もある。

調査は今年1〜2月に全国81大学の産婦人科医局を対象に実施した。研修を終え、4月以降に医局に入る医師数やその減少の理由を聞いた。

81大学の産婦人科医局に入局する医師は合計で210〜212人と推計された。臨床研修制度の発足前の年間約350人に比べ4割減だった。

特に、北海道や東北、信越地区と九州の大学で減少が目立った。

志望者が減った理由について16大学は「臨床研修制度でほかの診療科を経験し、負担の多い診療科を敬遠するようになったため」と回答。夜間や休日の出勤が多いなど勤務条件の悪さや訴訟のリスクが高いことを挙げる回答も目立った。

「(勤務条件のいい)麻酔科や皮膚科、形成外科に人気が集中し、志望者の一人が麻酔科に変わった」(信州大)や「入局を勧めたが、(勤務がきついと)拒否された」(山口大)など、リクルートの難しさを指摘する意見も寄せられた。

北村聖・東京大教授(医学教育学)は「臨床研修の必修化から2年が経過し、人気のある診療科と不人気な診療科がはっきりしてきた。産婦人科の医師不足は恒常化するだろう。特に地方は不足が深刻になり、お産できる病院が限られてしまう」と話す。
【山本建】

毎日新聞 2006年3月22日 21時11分

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医療崩壊 / 逃散資料 1

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 医療崩壊 / 逃散

某所より拾ってきたコメントを保存しておく。
私は、このように訴える医師たちを避難することはできない。その気持ちは充分すぎるほど理解できる。

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加藤医師を救い、かつ自分が二の舞にならないために今勤務医としてできること。

1) 全ての院内死亡症例を『異状死』として届け出る。
理由 : 医療にかかわった死である以上、異状死の可能性は否定できない。全ての患者を解剖に附し、全ての遺族にその異常性を理解していただきましょう。

2) 労働基準法を厳守しそれ以上の労働は行わない。必要があれば院長に管理者責任として対応していただきましょう。
理由 : 言うまでもありませんが過剰労働は医療事故を誘発します。

3) 重症症例は極力これを受け入れず全てを高次の大学病院へ送りましょう。大学病院の場合は全て東大か京大へ送りましょう。
理由 : 今の司法は「医療の平均水準」ではなく、明らかに最高水準を要求しています。実際の東大や京大がどうだかは知りませんが、患者が納得できるブランドを選びましょう。

4) 侵襲的な手技や治療は一切行わない。
帝王切開を行って癒着胎盤があると「経験が少ない」と断ぜられる始末です。当然ですが侵襲的な治療には予期しない状況が生まれやすいので、これを「未然に」防ぐには診ないのが一番です。皆、投薬(内服)で済ませられる程度、点滴も末梢で済ませられる程度に留めましょう。

5) 入院ベッドをいつも満床にするように心がけましょう。
理由 : ベッドを開けておくと重症を受け入れさせられますから、極力軽症、社会的入院で埋めてしまいましょう。

0) 忘れてました。産科・小児科・救急・外科一般、これらの勤務医はとっととマイナーかなんちゃって内科に鞍替えしましょう。
これは大前提です。当然ですが僻地に住むのも却下です。

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加藤医師を救うのは、大変な労力になりそうですね。検察もマスコミも敵にまわしたうえ、医師会も何故か統一した支援を打ち出さない。こうなったら、本当に防衛医療しかありませんね。
「もう、重症患者は診ない」なんて、患者さんを脅かすつもりもないんです。

自分が地雷を踏むのが怖いだけなんです。
医者を尊敬して欲しいとか、救命が崇高な仕事だとか思って欲しいわけでもないんです。
他の職業と同様に、悪い医者は逮捕してもらって結構です。また、たとえ誠意のある医者でも勉強不足による医療過誤を起こしたならば、プロとして失格なのですから、裁きを受けて当然です。

ただ、加藤医師にはミスも過誤もなかったし、私らも明日はわが身であることを知ったのです。
もう、司法にも、マスコミにも、患者たちにも、うんざりなんですよ。

いつかはこんな日が来ると予感はあったけど、加藤医師逮捕で、私の決意は固まりました。
患者さんを、いつものように、プロとして、診療します。しかし、他人なのですから医者側のリスクは可能な限り回避することにします。急変しても、救急依頼があっても法的責任以外のサービスは行いません。自分と家族を守るために。

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私もメスを置くことにしました。
執刀は後輩。
外来でも難しい患者はみんな大都市、大病院に送る。

40 歳前で、自分でも「かなり出来る」と思ってますが、 知人で訴えられた医師がいて(ほとんど無実の罪だと思う苦情で)もう怖くて外科系の仕事はできません。

自己防衛に徹した医療を心がけます。
絶対に訴えられないようにします。
近日中に大都市に撤退予定です。

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医療崩壊 / 逃散

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 3 月 21 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/03/post_bc5f.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医師不足、医師確保、医療事故、過失、刑事、訴追、逮捕、起訴、構造改革、僻地、地方

現場の医師は、過去の 10 年ほどの間、警告を発し続けていた。燃え尽きる医師は後を絶たず、少しずつ、静かに現場からいなくなっていった。そして、過酷な勤務に加え、臨床研修制度、医局から医師を派遣する慣習への批判、民事訴訟の多発、ひいては刑事訴追が日常のものとなり、医師の逃散は雪崩を打ったように拡大した。

地方の切り捨ては、なにも三位一体の改革、地方交付税の話だけではない。財政の議論と並行して、医療政策の分野でも地方は切り捨てられている。各地の病院で産科、小児科、麻酔科、のみならず整形外科などの医師の確保が困難になっているだけではない。とうとう大学病院への入局者がいなくなった。

東奥日報 2006.3.19
産婦人科への新規入局 弘大ゼロ
二〇〇六年度、東北地方の六大学の医学部産婦人科に新規入局する若手医師は計八人にとどまり、うち弘前大学はゼロであることが日本産婦人科学会の調査で分かった。新規入局者は全国で二百十人と、三年前に比べ半減。
…..
地区別では東京都七十三人、関東(東京都を除く)二十八人、大阪府十人、中部三十六人、九州十四人、東北八人、北海道五人など。東北地方八人の内訳は弘前大学ゼロ、岩手医科大学二人、東北大学ゼロ、秋田大学一人、山形大学一人、福島県立医大四人となった。

地方大学だけでなく、旧帝大でもゼロなのだ。

私たちの先輩が、戦後、様々な困難を乗り越えて築いてくれた世界に誇ることができる日本の医療制度、それはもう崩壊したのだ。

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さらに福島県では、産婦人科医を招聘したいという町からの要望が出されているという事態は、何と言ったらよいのだろうか。一人医長の産婦人科医は、もはや福島県では働けない。いや、何人いようとも、大学病院や高次医療センターでないと働けないだろう。

YAHOO! NEWS 毎日新聞福島ニュース
大野病院医療ミス:県立医大医師派遣、応援継続を要望−−三春町長 /福島
県立大野病院(大熊町)の医療事故をめぐり、産婦人科医の1人勤務体制が課題となっている問題で、三春町の鈴木義孝町長は20日、県立三春病院(三春町)への県立医大からの産婦人科医の応援を継続するよう佐藤栄佐久知事に要望書を提出した。

記事本文とは関係ないタイトルをつけて、しかも「大野病院医療ミス」とトップに持ってくる。毎日新聞社の性根は腐っている。

参考資料

医療崩壊 / 逃散資料 1
医療崩壊 / 逃散資料 2

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医療崩壊 / 医療の限界資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 医療崩壊 / 医療の限界

「医療の崩壊」を警告 政策転換要求 日本医学会がシンポ
救急車での患者選別搬送、06年度に選別基準作成
介護保険料 65歳以上は月4300円超 政令市平均 小池議員が軽減要求

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しんぶん赤旗 2006.3.18

「医療の崩壊」を警告
政策転換要求 日本医学会がシンポ

「市場原理」にゆだねた弱者切り捨ての米国医療の悲劇を日本で再現していいのか——日本医学会総会(会頭・杉岡洋一九州大前総長)の公開シンポジウム「どうする日本の医療」が十六日、東京都内で開かれました。

アメリカ在住の医師で、『市場原理が医療を亡ぼす』の著者、李啓充氏が、「市場原理と医療—米国の失敗を後追いする医療改革」と題して基調講演。日本が「改革」のモデルとするアメリカで、公的医療保険にも民間保険にも入れない無保険者が四千五百六十万人にのぼり、医療費を払えないことによる破産が、個人破産原因の第二位になっていることを生々しく報告しました。また、民間保険会社など「医療におけるビジネスチャンスの創出をねらう勢力が、混合診療解禁などの『規制改革』を主張している」とのべました。

パネルディスカッションでは、『健康格差社会』の著者・近藤克則日本福祉大教授が、公的医療費を抑制した結果、入院待機者や患者の待ち時間の増加、医師の海外流出などが相次ぎ、医療を荒廃させたイギリスの経験を紹介。日本の医療費は国際的にみて低く、患者や現場にしわ寄せされており、政府の政策は「やせている人が、ダイエットするようなものだ」と批判しました。

同じくパネリストの本田宏・埼玉県済生会栗橋病院副院長は、日本の医師数は現在二十六万人で、OECD(経済協力開発機構)基準をあてはめると十二万人も少ないことを指摘。青森県十和田市で産婦人科医がいなくなるなど「日本の医療の崩壊は始まっている」とのべ、政府の医療費抑制策の転換を求めました。

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asahi.com 2006.3.17

救急車での患者選別搬送、06年度に選別基準作成

増え続ける救急車の出動への対策を検討してきた総務省消防庁は17日、患者の緊急度や重症度に応じて優先順位をつける「トリアージ制度」の導入に必要な医学的な「判断基準」と「運用要領」を06年度に作成することを決めた。実用化に向けた試行テストも行う。

同日開かれた同庁救急需要検討会(座長、山本保博・日医大教授)の最終報告書を受けたもの。具体的な対応策として、通報時や救急隊の到着時にトリアージを行うための優先度を判断する「選別基準」と、具体的な事例をこの基準に当てはめる際の「運用要領」をつくる。ただ、トリアージの導入は各自治体の判断にまかせることにした。

また、検討会では、基準を決めるための検証作業が必要としており、同庁は、東京消防庁などに協力を求め、現場でのテストをする考えだ。このため06年度に新たに専門家の検討会を設ける。

人件費などがかさむためあまり活用されていない病院所有の救急車について、民間運行会社への業務委託や複数の病院による共同運用を進める。緊急性の低い患者に民間搬送車を使ってもらうようにするため、業者情報を知る際の電話番号を全国一律の専用番号にすることも検討する。有料化については、慎重論が根強いため、再度議論することにした。

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しんぶん赤旗 2006.3.17

介護保険料
65歳以上は月4300円超
政令市平均 小池議員が軽減要求

今年四月から六十五歳以上の介護保険料(基準額)が、政令指定都市の平均で月四千三百円(現在三千四百六十六円)を超えることが、十六日の参院厚生労働委員会での日本共産党の小池晃議員の質問で明らかになりました。厚労省の磯部文雄老健局長が答えたもので、政令市十四市のうち十二市の平均は月四千三百四十一円にのぼります。

小池氏は「毎月千円近い負担増だ。高齢者の負担能力は限界にきている」と追及。現在25%の国庫負担引き上げや、介護保険財政が赤字の市町村が借り入れている財政安定化基金への償還繰り延べなど負担軽減に必要な措置を求めました。

また、小池氏は四月から設置される「地域包括支援センター」の整備の問題を取り上げました。同センターは、新介護予防給付のケアプラン作成などを行うものです。その設置について、厚労省は昨年六月時点では「人口二、三万人に一カ所が目安」と言っていました。ところが、小池氏の調査では、千葉県松戸市(人口四十七万人)で一カ所、柏市(三十八万人)で一カ所などとなっている状況です。

小池氏は、四月からの介護報酬改定で、新予防給付を支援センターから委託する場合、ケアマネジャー一人あたり八件までという制限が付き、しかも委託料が一件四千円と低く抑えられていることをあげ、「すでに委託は引き受けないという事業者も出ている。このままでは支援センターにケアプラン作成が集中し、介護予防が受けられない“ケアマネ難民”が発生する危ぐがある。地方自治体からも懸念の声が出ている」と批判しました。

川崎二郎厚労相は「状況を把握しながら注視していきたい」と答えました。

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沖縄タイムズ 2006.3.10

社説(2006年3月10日朝刊)

[ヒヤリハット事例]
安全が病院選びの基準だ

一件の重大事故の背後には二十九件の小さな事故があり、さらにその背後には三百件の「ヒヤリ」「ハッ」とするミスが隠れている。安全工学でよく言われる「ハインリッヒの法則」だ。事故を未然に防ぐには、この三百件に切り込まなければならない。

日本医療機能評価機構の調査によると、一歩間違えば医療事故になりかねないヒヤリハット事例が、二〇〇五年一月から六月までの半年間に、対象となった全国二百五十医療機関で九万一千件にのぼった。

日本集中治療医学会が、百九十病院を対象に集中治療室(ICU)でのヒヤリハット事例を調査したところ、三分の一の病院は「患者一人当たり二十五日に一回以上」と改善が必要なレベルであった。

全国には三十八万余りの医療機関があるから、「あわや医療事故」というケースは相当数にのぼるとみられる。

医療機構の調査で最も多かったのは「薬の処方」におけるミスだった。当事者別では看護師が80%と圧倒的に多く、確認や観察を怠ったために起こった事例が目立った。

「多忙だった」「夜勤・当直だった」を理由に挙げた人も多く、看護師不足が事故と隣り合わせの状況を生んでいる実態も浮かび上がる。

確かに医師や看護師不足は深刻な問題だ。が、そのために「病院で事故に遭うのでは」と心配するのは、たまったものではない。

日本は世界で最も長寿の国であるにもかかわらず医療に対する患者の満足度が低い。医療の質が社会問題となっていることと無関係ではないだろう。

医療事故が航空機事故などと異なるのは、事故が隠ぺいされ、なかったものとされるケースが多いことでもある。事故を減らすためにも情報開示が重要であることはいうまでもない。

医の安全を確保するには、「数」と「質」の両方が不可欠だ。安全を軽視したつけは何倍にもなって返ってくる。ヒヤリハットにまで踏み込んだ包括的な対策を講じてほしい。

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医療崩壊 / 医療の限界

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 3 月 18 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/03/post_7120.html にアップされた。原典は削除された。なお、小松秀樹先生の著書よりも本記事がこのタイトルでアップされたものが、時系列で早い。

小松秀樹 ( 著 ) 医療の限界 ( 新書 )


キーワード
医療、崩壊、破綻、逃散

物事は限界近くまでぎりぎり耐えていて、限界を超えると一気に変化が進む。

過去 20 年、日本は公的医療保険にかける費用を出し渋ってきた。バブルの頃までは、医療費の伸びを経済成長より低く抑え、2002 年からはマイナスに切り下げた。GDP と医療費を連動させると言っておいて、2005 年の GDP がプラス成長に転じたにもかかわらず、2006 年、医療費を過去最大の下げ幅で引き下げた。

G7 諸国で最低の医療費、OECD 参加 21 カ国中 17 位の低い医療費、先進国で最下位の医師数、病床あたり最低の医療従事者数、WHO の評価で世界一の医療制度と健康保険制度。しかし国民の医療への満足度は低い。望みは限りなく高く、出すものは限りなく少なく、だ。

医療従事者は善意、奉仕の精神で耐えてきたが、ほころびは何年も前から目に付き始め、その限界点をとうとう超えてしまった。

大多数の国民はそれが理解できない。医師をはじめ医療従事者は、ずっと以前からその危機を訴えてきたのに、国民はバッシングを浴びせ続けてくれた。

以下の報道の市井の人々のコメントを見よ。

河北新報 2006.3.18
「身勝手だ」と憤る住民もいる。
ある保育所の女性保育士(51)は「人の命を預かる仕事だから万全の準備をするのは当然」と怒りをあらわにする。別の保育士も「実情を知る医療界が、1人体制の厳しさや危険性を今になって言い出すのはおかしい」と疑問を投げ掛けた。

参考資料

医療崩壊 / 医療の限界資料

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医療崩壊 / 的外れ資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 医療崩壊 / 的外れ

東日新聞 2006.3.21

新城市民病院改革委が経営縮小提言 救急受け入れ制限も

新城市民病院改革委員会(委員長・長隆総務省地方公営企業経営アドバイザー)は20日午後4時から、同市民病院で第3回改革委員会を開き、最終報告書を発表した。それによると4月から産婦人科は休診、小児科は外来だけ診療、向こう1年間の救急受け入れ制限—など経営縮小を提言、市民にとっても厳しい内容になった。

しかし、全国でも初めての試みとして、不足する医師確保のためドクターヘリを医師通勤用に運用することを提言、地元医師会との協力体制を確立、院内開業も視野に改革を進めるとの新提案も。

また、経営の透明性を確保して豊橋、豊川、蒲郡市民病院、東栄病院との連携や安定した医療体制確保のため「地域医療システム改革協議会」を速やかに設置し、東三河北部医療圏の基幹病院としての役割を再構築する—とした。

医師の確保では、通勤用ヘリ利用で年間7000万円弱の予算を使うが、それほど医師確保がひっ迫していることをPRする意味もある。院内体制では「日本一働きやすい病院」を目指して改革を行う—など。

長委員長は「各自治体病院も同様に苦しんでおり、医師通勤用ヘリ導入は政府に窮状を知ってもらうのも狙い。これは、医師のアクセス改善になり、周辺公立病院にとっても不足する医師を確保できる」と全国初の試みを積極的に検討してほしいと強く要望した。

(2006-03-21)

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週刊新潮 2006.3.23 p. 72 – 73
あとの祭り 連載 93
渡辺淳一

データだけ見て患者を診ない

さる二月、埼玉県に住む女性が、医師の手違いで、甲状腺を摘出されるという事件が起きた。
いったい、どうしてこんなことがおきたのか、以下、理由をおってみると。

甲状腺を取り違える

この事件の舞台は、埼玉県毛呂山町にある埼玉医大病院。

ここにAさん(六十九歳)が昨年十二月、甲状腺機能低下で、甲状腺の細胞を調べる検査を受けた。

ところが同じ日に、甲状腺ガンの患者さんのBさん(七十歳)も検査を受けた。

そこで、検査技師が二人の検体を取り違えたまま、名前のラベルを貼ってしまった。

おかげでAさんはガンと診断され、二月に甲状腺を摘出する手術を受けたが、ガンは確認できず、取り違えが判明したという。

ミスに気付いた病院側は、副院長らがAさんを訪問して謝罪し、医療事故報告書を提出したという。

さらに横手病院長は、「患者さんとご家族に多大な肉体的、精神的苦痛を与えたことを深くお詫びします」とのコメントを発表した。

まったくそのとおり。なんでもない甲状腺を誤って摘出された患者さんの苦痛は、いかばかりか。

これに対して、「深くお詫びする」のありきたりな言葉だけでいいのか。

患者さん側の出方にもよるが、金銭的な賠償も考えるぺきではないか。

さらに、病院側は今後、このようなミスを絶対おこさぬよう、対策を講じるのは当然だが、はたして取りかかっているのか。

そのあたりを含めて、県や医療事故調査委員会は、徹底的に調べるべきである。

検査は大丈夫か

それにしても、このような事故はなぜおこるのか。

この場合、第一に考えられるのが、検査技師によるうっかりミスである。

本来のガンの検体のほうに「異常なし」 のラベルを、そしてなんでもない人のほうに「ガン細胞あり」 のラベルを ……

むろんそこに悪意があったとは思われないが、考えてみると怖い。

鼻歌まじりではなかったにせよ、緊張感のないまま軽い気持ちでいつものように貼りつけた。

それが、Aさんの運命を根底から変えることになってしまった。いやAさんだけでなく、Bさんの運命も変えたかもしれない。

医療事故というと、普通、医師のミスと考えるが、医師の背後には多くの檎査技師がいる。この技師の技術と判断が、患者さんの運命を握っている。

このことはあまり知られていないが、医師は検査技師からのデータを見て病名をつけ、治療方針を決めていくのである。その基本となるところが狂っていては、その先すべてが狂うことになる。

大きな病院では毎日、何百件、何千件という検体が検査されている。それはガン細胞の病理的な診断から、血液型の判定まで、まさに千差万別。

これらがすべて正確におこなわれて、さらに判定された結果がすべて正しく分けられ、ラベリングされているのか。

そのなかには乳ガンや子宮ガンの検査結果もあるかもしれない。それらがもし取り違えられたら、と思うと、怖くて病院に行けなくなる人もでてくるかもしれない。

訴訟が怖い?

今回の事件は表面だけみると、柏査技師の誤りのようである。

それを受けて、間違った検査結果が送られてきたら俺たちはそれに従うよりないではないか、とうそぶく医師もいるかもしれない。

しかし医師も責任を逃れることはできない。

なぜなら、医師は職務上、検査技師の上に位置しているからである。技師が間違ったとしても、医師はそこを統括し、監督する責任がある。

さらに、医師なら検査結果だけでなく、その患者の全身情報を熟知し、そこから判断するぺきである。

今回の事件についても、たとえ「ガン」という棉査結果がでても、まわりの状態やこれまでの検査データなどから、「本当なのか」と疑うことはできたはずである。

どうしてこんなに一気にガン細胞が増えたのか。注意深い医師なら考え、検査結果について、逆に技師に尋ねたかもしれない。

察するところ、この外科医は検査結果だけを鵜呑みにして、あっさり手術に踏み切ったのだろう。

いわゆる、最近はやりのデータばかり見て患者を診ない、データ医師だったのかもしれない。

しかし、医師の基本はまず、人を診ることである。患者さんを自分の目で診て、自分の言葉で話し、これまでの、そして現在の患者さんの様子をいろいろな点から分析する。

そのうえで、さまざまな検査データを重ねて、最後に総合的に判断する。

それさえしていれば、こんな誤りは犯さなかったはずである。

最近、外科系にすすむ医師が減りつつある、といわれている。その理由は、なにかというと訴訟をおこされ、面倒なことに巻き込まれるから、だとか。

なにを、つまらぬことをいっているのか。

訴訟が怖いという以前に、そういう問題を引き起こさぬ医師になるぺきではないか。内科なら訴訟沙汰にならないということは、内科なら間違っても隠せる、というわけか。

医学教育も、根本から改めるときにきているようである。

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医療崩壊 / 的外れ

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 3 月 21 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/03/_2_3929.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医師不足、医師確保、医療事故、過失、刑事、訴追、逮捕、起訴

勘違いな事例二つを紹介する。何が勘違いか、分からない方はもっと勉強して欲しい。

東日新聞 2006.3.21
新城市民病院改革委が経営縮小提言 救急受け入れ制限も
「全国でも初めての試みとして、不足する医師確保のためドクターヘリを医師通勤用に運用することを提言 …..
医師の確保では、通勤用ヘリ利用で年間7000万円弱の予算を使うが、それほど医師確保がひっ迫していることをPRする意味もある。」

医師のヘリ通勤とは、深夜にオンコール医師を呼び出すのにヘリを使うのか。毎朝毎夕、ヘリで医師が通勤するのか。論評以前の、なんとも表現のしようがないものだ。
7,000 万円の年間予算を医師の人件費に使えば、3 – 4 人の中堅医師が雇える事に気がついているのだろうが、なぜ素直に医師をこれだけの予算で雇います、と言えないのか。

———-

臨床経験を積んだ医師でありかつ大作家、大学病院の医療の問題点を肌で感じて知っている渡辺淳一氏ですら、これである。私は作家渡辺淳一氏が嫌いではないが、このコラムだけは頂けない。

週刊新潮 2006.3.23 あとの祭り 連載 93
渡辺淳一 データだけ見て患者を診ない
「察するところ、この外科医は検査結果だけを鵜呑みにして、あっさり手術に踏み切ったのだろう。」

簡単に言ってくれるが、全身所見を見、検査所見を見、画像所見を見、その上で癌を疑えばこその細胞診である。初診で何もせずにいきなり細胞診をする訳ではない。本事件の調査をしっかりやって再発防止策へたどり着いて、はじめて本件外科医が不注意だったかどうかも論じることができよう。そんなに簡単にこの外科医を不注意と言えるのか。

ちなみに渡辺淳一医師は整形外科医だった。甲状腺癌を語るには、慎重にして頂きたい。

「訴訟が怖いという以前に、そういう問題を引き起こさぬ医師になるぺきではないか。」

今は、渡辺淳一医師が和田心臓移植を目にしたときとは時代が変わっている。民事のみならず刑事訴追が日常ありふれたものになってきている。訴訟は日本中の医師の足許に迫っている。

さらに、システムの安全を設計する、という観点が抜け落ちた論評である。

もう一つ、事故を起こさない医師を養成せよ、とは不可能ではないか。

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注記
渡辺淳一医師が札幌医科大学整形外科学講座講師であった時、札幌医科大学で和田外科教授による本邦初の ( 疑惑の ) 心臓移植が行われた。

参考資料

医療崩壊 / 的外れ資料

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国民皆保険 18 / 理想的な日本の保険制度資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 18 / 理想的な日本の保険制度

神戸新聞 Web News くらしあんしん 2003.6.30

http://www.kobe-np.co.jp/kurashi/kaigo208.html

医療分野の規制緩和 石原・愛媛大教授に聞く
2003/06/30

「アメリカに倣い、競争原理の導入を」—。株式会社の病院参入や混合診療の解禁など、医療分野の規制緩和をめぐり、よく米国の例が引き合いに出される。アメリカの医療は日本のお手本になるのか。海外の事情に詳しい愛媛大学医学部の石原謙教授に聞いた。(竹内 章)

理想的な日本の保険制度/「抑制」より公費投入を

世界保健機関が治療費の平等性や施設面で各国の医療を調べたところ、日本は一位、アメリカは十五位(二〇〇〇年)。

「日本のように国民全体を対象にした公的な医療保障制度がないアメリカは、民間保険が中心。このシステムでは、保険会社が指定する医療機関以外を受診した場合、保険は適用されない」

米国医療の影の部分を切り取った映画「ジョンQ/最後の決断」(二〇〇二年・米)。加入した民間保険が安いため、わが子が移植手術を受けられない現実に直面する父親が描かれる。

「米国の民間保険は数百種類もあり、安い保険だと医師を選べないなど、医療サービスに制約がかかる。医療は社会保障ではなく、有料の民間サービスという解釈だ」

正常分娩(ぶんべん)を例にとると、日本では一週間ほど入院して三十—四十万円ほど。アメリカは百五十万円もかかり、普通の保険では出産翌日には退院しなければならない。

イギリスは家庭医(登録医)という制度をもつ。患者は初期医療を担う家庭医をあらかじめ登録し、登録医以外の診察は全額自費。専門医を紹介されても数カ月待ちという状況が社会問題になっている。

「待たずに専門医の診断を受けられるのは交通事故など緊急時のみ。自国での医療を嫌ってフランスで治療を受ける人も珍しくない。健康保険証があれば、誰でも、どこでも、何の制限もなく受診できる日本は、他国から見たら理想的といえるのだが」

三十兆円に上る国民医療費。この額をどうみるか。公的年金は四十兆円、建設投資額、いわゆる公共事業費は五十兆円。

「先進国の中で公共事業が社会保障より多いのは日本だけ。日本の公共事業費は米独仏などサミットG7の他の六カ国の合計額よりも多い。規制緩和派が唱える医療費亡国論は誤り」

日本では医療ミスが起きると、個人の資質に置き換えられがち。だが一方で、日本の医師はアメリカの医師の約八倍の外来患者を診察しているという過酷な数字がある。

「日本の医療現場は慢性的な人手不足で、これが『三時間待ちの三分診察』といった批判を呼んでいる。株式会社参入などの規制緩和は決して医療の質を高めはしない。取り組まねばならないのは、医療費抑制をやめ公費投入を増やすことだ」

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国民皆保険 18 / 理想的な日本の保険制度

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 10 月 27 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/10/post_84d7.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
国民皆保険、公的医療保険、健康保険、国民医療費、医療費亡国論

2003 年に石原謙愛媛大学医学部教授が神戸新聞のインタビューに答えた記事を発掘した。

このときよりさらに以前から、二木立、李啓充両先生をはじめ、日本医師会も、名もなき多くの医師たちも、警告を発して来た。著名な方はマスコミ上で、そうでないその他大勢の医師たちはウェブ上で、発言してきた。それを黙殺したのは、最近では小泉政権と、それを支持した大多数の日本人だ。

今さら医療崩壊などというな、医師は何もして来なかったではないか。そういう意見が目につくようになってきた。しかし、自分の無知を棚に上げ、人を非難していればよいのだろうか。

医療制度研究会 このままでいいの?日本の医療 ≫ 医療,医療制度,医療事故,改革 http://www008.upp.so-net.ne.jp/isei/top2.html
医療政策を考える会 http://www.orth.or.jp/seisaku/

神戸新聞 Web News くらしあんしん 2003.6.30

http://www.kobe-np.co.jp/kurashi/kaigo208.html

医療分野の規制緩和 石原・愛媛大教授に聞く
2003/06/30

「アメリカに倣い、競争原理の導入を」—。株式会社の病院参入や混合診療の解禁など、医療分野の規制緩和をめぐり、よく米国の例が引き合いに出される。アメリカの医療は日本のお手本になるのか。海外の事情に詳しい愛媛大学医学部の石原謙教授に聞いた。(竹内 章)

理想的な日本の保険制度/「抑制」より公費投入を
世界保健機関が治療費の平等性や施設面で各国の医療を調べたところ、日本は一位、アメリカは十五位(二〇〇〇年)。
「日本のように国民全体を対象にした公的な医療保障制度がないアメリカは、民間保険が中心。このシステムでは、保険会社が指定する医療機関以外を受診した場合、保険は適用されない」
米国医療の影の部分を切り取った映画「ジョンQ/最後の決断」(二〇〇二年・米)。加入した民間保険が安いため、わが子が移植手術を受けられない現実に直面する父親が描かれる。

参考資料

国民皆保険 18 / 理想的な日本の保険制度資料

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国民皆保険 17 / 政府と製薬会社の癒着資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 17 / 政府と製薬会社の癒着

毎日新聞 2006.9.3

医薬品機構:製薬企業OB9人を雇用 新薬の審査部門に

医薬品の安全性などを審査し、厚生労働省に新薬として承認すべきかどうか通知する独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(東京都千代田区)が04年4月の設立以降、製薬企業8社のOB9人を雇用していたことが分かった。企業で開発部門に携わっていた人物を審査部門に配属するなど、いずれも企業在職時と関係の深い業務に就いている。専門性の高さや人員不足などを理由とする例外規定に基づく措置だが、専門家からは生命にかかわる公的業務の中立性を不安視する声が上がっている。

◇公的業務の「中立性」に不安も

新薬審査は薬事法上、厚労相が最終決定権を持つが、「承認して差し支えない」とする機構の判断が覆された事例は04、05年度で一件もない。薬害エイズ事件後の39人の天下りが発覚した厚労省に続き、強大な審査権限を持つ機構も業界と結びつきを強めている実態が浮かんだ。

9人は05年3月〜今年1月、公募方式で採用された。2社から各2人、残る6社から各1人ずつ雇用されている(うち1人は2社に在籍)。機構就職後は医薬品の安全審査や、工場への現地調査により申請書通りの製造工程が守られているかなどをチェックする品質管理業務を担当している。

機構は9人を採用した事実や出身企業名などは明らかにしたが、氏名や肩書(企業時代も含む)、具体的な業務内容など詳細は一切公表していない。

民間からの採用については機構の設置法などで(1)製薬企業の現職役員の場合、機構役員への登用は禁止(2)採用前5年間、企業で医薬品の研究・開発に携わっていた場合、機構就職後2年間は医薬品の承認審査業務に関与できない−−などの制限がある。

9人は雇用後すぐ企業時代の担務と密接な関係のある部署に配置されており、(2)の規定に反する。しかし「治験データの分析・評価、医薬品・医療機器の工程検査の分野で、かつ他職員とともに業務に当たる場合に限り関与を認める」とする機構の例外規定により採用された。規定は「専門知識が必要なため人員確保が困難」などを理由に定められたという。

機構設立前は、一部の文書チェックなどを除く審査に関する全業務を厚労省や国立研究所に所属する国家公務員が担当していた。このため、機構の設置法を審議した02年の国会で、健康・生命に関する重要な業務を切り離す点に批判が集まったが、政府・与党側が「厚労相が最終決定権を握ることに変更はない」として押し切った経緯がある。

坂口力厚労相(当時)は機構設立前の02年12月、薬害被害者と面談し「優秀な人の場合どうするかなど個々のケースもあるが、原則的に言えば完全に(民間と)分離をしたい」と企業OBの採用に慎重な姿勢を見せていた。

【小林直、堀文彦】

▽医薬品医療機器総合機構・業務調整課の話 採用は適正な手続きに基づいており、9人は(外部の識者らで作る)運営評議会にも報告している。OB採用で審査が甘くなることはない。

【医薬品医療機器総合機構】

特殊法人改革の一環として、新薬を審査する「国立医薬品食品衛生研究所・審査センター」、被害者救済事業を行う「医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構(認可法人)」などを統合し、04年4月に発足した。審査対象は医薬品だけでなく医療機器にも及び、販売後の副作用情報収集なども行う。4月現在の役職員数は319人。

◇「企業寄り」懸念

医薬品問題に詳しい新横浜ソーワクリニック院長の別府宏国医師の話 「人員確保が困難」との理由も理解できなくはないが、多くの製薬企業OBを採用している現状では、審査が企業寄りにならないか疑念が生じる。OBがどの企業の、どの医薬品の審査にかかわったかなど情報を開示しない限り、適正さがチェックできず不透明さが残る。

◇情報開示姿勢に疑問

企業OBを採用しながら、業務内容などの情報開示を拒む「医薬品医療機器総合機構」の姿勢は、安全審査の中立性をチェックする手段を市民の手から奪うものだ。だれが、どの薬の審査に、どのように関与したかなど、最低限の情報が、一般はおろか内部チェック機関の運営評議会にさえ報告されていない現状は、機構の公益性に照らせば、あまりに不十分だ。

機構の規則によれば、「古巣」と密接に関連する担当部署に配属されたOBは、別の機構職員と合同で職務に当たる。一見、癒着は防げる配慮がなされているようだが、問題は、その「密接かどうか」を判断するのが機構自身であることだ。外部は「きちんとやっている」という機構の説明をうのみにするしかない。

機構の設置法案の骨子も定まっていない02年8月、厚生労働省は製薬企業に「02年度の職員数は約240人。05年度は約370人に強化」など全容を文書で示した。同時期に説明を受けた被害者団体には明らかにされず「企業寄り」と非難を浴び、設置法成立時「業務内容を積極的に公表し、組織や運営状況を国民に明らかにする」との付帯決議までなされている。機構は原点に立ち返り、積極的な情報開示を心掛けるべきだ。

薬害エイズなど過去の悲惨な被害の背景には、官民の癒着が横たわっていた。「受益者負担の原則」により、機構は製薬企業など延べ7891社から約91億円(04、05年度)もの拠出金を受領している。カネに加え、人まで企業頼みの現状は独立性に大きな問題があり、できるだけ早期に企業OBの採用を中止すべきだろう。

【堀文彦】

毎日新聞 2006年9月3日 3時00分

—–

毎日新聞 2006.9.5

医薬品機構:企業OB雇用さらに5人 評議会に報告せず

医薬品審査などを行う独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」による企業OBの採用問題で、同機構が04年4月の設立以降、営利企業から、さらに5人のOBを雇用していたことが分かった。既に判明していた9人については、雇用の事実を外部の識者らで組織する「運営評議会」に報告していたが、新たに判明した5人は「民間時代と関係の無い仕事に就いている」として未報告のままだった。安全審査に強大な権限を持つ機構の不透明な運用ぶりが一層鮮明になった。

機構は、直近5年間に企業で研究開発を行った人物の場合、採用後2年間、新薬審査業務などへの関与を禁じている。新たに判明した5人について、機構は取材に対し「この規定に禁じられていない雇用」とだけ説明。出身企業の業種など、人数以外の一切の情報を明らかにしていない。

既に判明していた9人を運営評議会に報告していたのは、一定の分野で同僚とともに勤務するなど、特定の条件を満たせば、規定に反する就業を許可する代わりに、運営評議会への報告を義務づける例外規定があるため。これについても、どの企業の、どの医薬品を審査したかを伏せるなど、不十分な情報しか伝えていなかったことが既に明らかになっている。

毎日新聞の取材で初めて5人の存在を知った運営評議会メンバーで、全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人の花井十伍さん(44)は「驚いた。なぜ報告しなかったか機構に指摘していく」と話した。

【小林直、堀文彦】

▽医薬品医療機器総合機構・業務調整課の話 5人は規定に基づき適切に配置されており、問題はないと考えている。

◆ぜい弱なファイアーウオール

新たに5人の企業OBが雇用されていた実態は、企業とその製品を審査する「医薬品医療機器総合機構」との間に必要なファイアーウオール(業務の隔壁)が、ぜい弱であることを改めて印象づけた。内部チェック機関の運営評議会にさえ未報告だったという点は、9人の雇用よりも事態がさらに深刻で、早急に全雇用を報告するシステムに変更すべきだ。

「9人」と「5人」で報告、未報告が分かれたのは、前職と密接に関連する就労の場合にのみ報告義務が生じる内部規定によるものだ。「密接」かどうかの判断は機構に委ねられ、5人はノーチェックのままの、言わば“極秘雇用”となった。こうした事態を防止するため、雇用してから評議会に報告する現行システムを改め、評議会の承諾を得てから採用する方式に変更すべきだろう。

【堀文彦】

毎日新聞 2006年9月5日 15時00分

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国民皆保険 17 / 政府と製薬会社の癒着

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 9 月 3 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/post_44d4.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
政府、厚生労働省、医薬品医療機器総合機構、医薬品機構、産業界、財界、製薬会社、癒着

力のある製薬会社の思い通りになりはしないか。

もともと、厚生労働省に、米国の FDA の様な人材、予算、権限を持った組織がなく、政府と製薬会社の癒着のなすがままの薬事行政なのではないだろうか。

これまでの天下り役人、政治献金といったチャンネルだけでなく、こういう交流も産まれていたのだ。

毎日新聞 2006.9.3
医薬品機構:製薬企業OB9人を雇用 新薬の審査部門に
医薬品の安全性などを審査し、厚生労働省に新薬として承認すべきかどうか通知する独立行政法人「医薬品医療機器総合機構」(東京都千代田区)が04年4月の設立以降、製薬企業8社のOB9人を雇用していたことが分かった。企業で開発部門に携わっていた人物を審査部門に配属するなど、いずれも企業在職時と関係の深い業務に就いている。

記者の心配は、薬害エイズ問題のような、センセーショナルなことにしか目が向いていないようだが。

力のある会社の新薬が、早く承認され、高く売れるだろう。
今ある薬に新しい効能効果を認めるかどうか、それも製薬会社の力次第となる。
古くからある優れた薬、しかし製薬会社の力がないばかりに製造できなくなる薬が出てくるだろう。

———-

メソトレキセートという抗癌剤がある。それを極少量を使うことで関節リウマチに対する、最近までは、最も効果が高く、安価な治療薬だった。製造はワイス、販売は武田だ。しかし日本では、効能効果として関節リウマチは認められていなかった。価格が安過ぎて、それ単独の臨床試験をし直して効能効果の追加ができなかったとも聞いているし、メソトレキセートにちょっとコーティングを施しただけの薬に 9 倍以上の値段をつけて、新薬承認を取って売り出すことにしたとも聞いている ( メソトレキセート錠 2.5mg 47.7 円、リウマトレックス錠 2mg 355.5 円、2006 年 4 月現在の健康保険収載薬価 )。

政府と製薬会社が仲良くしても、国民にとってよいことは少ない様だ。

参考資料

国民皆保険 17 / 政府と製薬会社の癒着資料

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国民皆保険 16 / 明細付き領収書 2 資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 16 / 明細付き領収書 2

毎日新聞 2006.12.1

2割が領収証に不備 18機関は総額表示のみ 山口県内医療機関調査
県内医療機関調査:2割が領収証に不備 18機関は総額表示のみ /山口

県内の保険医療機関の約2割が患者への領収証に不備があることが総務省山口行政評価事務所の調べで分かった。30日、同事務所が調査結果を明らかにした。

改正厚生労働省令(4月施行)で適正な領収証の交付が義務付けられたことから、8月-11月末、県内2809機関から無作為に選んだ424機関(病院、医歯科診療所、保険薬局、指定訪問看護事業者)を対象に調べた。その結果、18機関が総額表示だけで明細が無く、54機関が詳細に記載しないなど全体の17%が不備のまま領収証を渡していた。

評価事務所は30日、監督する立場にある山口社会保険事務局に対し指導の徹底を要請した。

評価事務所は「『患者がいらないと言った』と説明する所もあり、改正省令への認識は十分ではない」と指摘している。

広島や鳥取でも同様の調査を行っており、広島21・2%、鳥取24・3%の機関で不備がみられたという。

【長谷川隆】

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国民皆保険 16 / 明細付き領収書 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 12 月 4 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/12/_2_a907.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
健康保険、医療費、明細、領収書

健康保険診療における明細書付き医療費領収書をネタに、また攻撃である。小ネタだが、じわじわと責める手を緩めない。

明細書付き領収書の負の部分と不合理、法的な問題点は過去に指摘した。

2006 年 4 月から制度化され、10 月までが制度移行期間だった。その移行が完了する前に、不備があると攻撃する。

診療に必要なコストとマンパワーを削って紙切れに費やしているのに、それをも叩くネタにする。

毎日新聞 2006.12.1

2割が領収証に不備 18機関は総額表示のみ 山口県内医療機関調査
県内の保険医療機関の約2割が患者への領収証に不備があることが総務省山口行政評価事務所の調べで分かった。30日、同事務所が調査結果を明らかにした。
改正厚生労働省令(4月施行)で適正な領収証の交付が義務付けられたことから、8月-11月末、県内2809機関から無作為に選んだ424機関(病院、医歯科診療所、保険薬局、指定訪問看護事業者)を対象に調べた。その結果、18機関が総額表示だけで明細が無く、54機関が詳細に記載しないなど全体の17%が不備のまま領収証を渡していた。

マスコミにとって、医療とは、叩けば叩くほど旨味があるかのようだ。

参考資料

国民皆保険 16 / 明細付き領収書 2 資料


コメント

とりあえず、まず先に政治家の歳費とか、政治資金とか、そういうお金の明細をきちんと公開すべきでしょうね。

で、余計な事務的な事に医者が時間を取られて、厚労省の役人とか天下り先の人達は、仕事が増える、と。

投稿 Dr. I | 2006/12/04 23:11:10

Dr. I 先生
こんにちは

医療費明細書は、厚労省、財界 ( = 保険者 )、労組が一体となった医療の現場への攻撃で、得をするのは彼ら。患者さんには、ほとんど何のメリットも生まないものだと思います。

投稿 道標主人 | 2006/12/05 9:37:28

>>道標主人さん
最近、更新がないのはお忙しいからなのか、お体の具合でもお悪いのか...
密かに心配しておりますです。

投稿 元田舎医 | 2006/12/10 16:26:00

そうだ、申し遅れました。
諸処でお世話になっております元田舎医の「元田舎医」です。
こちらへは初めてコメントさせていただきます。

鋭い評論によって常々私の蒙を啓いてくださり、なおかつ貴重な資料庫として活用させていただき、感謝しきりであります。
今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

投稿 元田舎医 | 2006/12/10 16:36:16

元田舎医先生

お返事遅れまして申し訳ありません。お気遣いまことに有り難うございます。
おかげさまで元気にしておりますが、多忙にしておりますゆえに、更新ができずに止まってしまっています。

投稿 道標主人 | 2006/12/14 18:10:33

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国民皆保険 15 / 老人定額資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 15 / 老人定額

北國新聞 ( 共同通信 FLASH 24 ) 2006.9.10

病状に応じて定額に 75歳以上の患者負担

2008年4月導入の75歳以上を対象とした新高齢者医療制度で厚生労働省は9日、医師らに支払う診療報酬について、病気の種類や治療方法ごとに額を定める「包括払い」制度を導入する方針を固めた。これに伴い、患者の医療費の自己負担も各自の病状に応じて定額となる。

検査や診療を重ねるたびに報酬が増える現行の出来高払い制度は、医療費の無駄遣いを招きやすいとされており、高齢化が一段と進む中、包括払い導入で増え続ける高齢者医療費を抑制し、併せて患者負担の軽減を図る狙い。

早ければ来月にも社会保障審議会に特別部会を設け、専門家らによる議論を始めたい考え。ただ医師の収入も抑制されることになるため、日本医師会などの反対が予想され、結論が出るまでには曲折も予想される。

———-

毎日新聞 2006.10.5

診療報酬:75歳以上に「定額制」厚労省が検討へ

厚生労働省は75歳以上の人の診療報酬(治療費)について、08年4月から病気の種類や病状に応じた「定額制」とする検討に入った。社会保障審議会に5日、「後期高齢者医療のあり方に関する特別部会」を発足させ、具体案の検討を始める。現行の「出来高制」は医療費増大の要因とされ、定額制が導入されれば医療費の抑制につながるだけでなく、お年寄りの自己負担も減る。ただ、医療機関を適切に評価する制度がない現状では、高齢者医療の切り捨てにつながりかねない危険性もはらんでいる。

出来高制の下では、医師が患者を「薬漬け」にし、収益を上げることも可能。定額制なら過剰診療分は医療機関の出費となり、ムダな治療に歯止めをかける効果はある。同省は「医療費のかかる75歳以上を対象にすれば抑制効果が大きい」と判断した。

具体案は部会で今年度中に詰めるが、厚労省は入院治療について、脳腫瘍(しゅよう)や白内障など個別の病気それぞれに薬剤、検査費まで含めたワンパッケージで価格を設定する考えだ。同じ病気でも投薬量、検査回数など治療の必要度に応じ、複数の定価を設ける。

厚労省は外来や終末期医療への導入も検討しているが、日本医師会は「必要十分な治療ができず、過小診療を招く」と強く反発。小規模診療所まで対象にすれば収入減となる可能性が高く、議論の混乱も予想される。

今年成立した医療制度改革関連法は、75歳以上を対象とした新健康保険創設(08年4月)を盛り込んでいる。同省は、75歳以上の診療報酬も高齢者の特性に応じた独自の体系に再編する必要性を主張していた。

【吉田啓志】

◆出来高制と定額制

現行の診療報酬は、手術、検査など診療行為ごとに点数が決められ、その合計を治療費とする出来高制が基本。医療機関は点数を積み上げるほど収入が増え、過剰診療を誘発すると指摘されている。一方、過剰診療にも決められた価格しか払わないのが定額制で、医療費抑制策の切り札とされる。その半面、差額を浮かすことを狙った過小診療の呼び水となる危険もある。厚労省は06年度、360病院で定額制を試行している。

毎日新聞 2006年10月5日 3時00分

———-

Sankei Web 2006.10.3

【正論】医事評論家・水野肇 間違いだらけの老人医療と介護

■健康寿命を延ばす施策こそ必要

≪現実的には酷な在宅療養≫

「ニコリ・グット」という造語がある。あるシンク・タンクが考案した言葉だそうだが、その意味は「これからの社会はお年寄りが、ニッコリと微笑(ほほえ)んだり、胸にグッときて感動するようなことを展開しなければならない」ということだそうな。

この話を聞いて、私の脳裏をよぎったのは、江戸時代に幕府の圧政に対して、江戸のあちこちに落書された政治批判の川柳、あるいはソ連治下のもとで隆盛をきわめたアネクドートの類だった。この造語の中に、小泉さんの老人への医療対策の不満や、弱い者へのいたわりのなさを表現しているように感じた。

6年近くにわたる小泉前内閣は経済の立て直し、規制緩和を実施するなど、刮目(かつもく)させる業績も残したが、弱肉強食の時代に導入したことも事実である。

とくに弱者といわれる階層への配慮は少なかったといえ、お年寄りは行政的に取り残された感さえある。とくに医療政策の中での老人の扱いは、かなり厳しいもので、高額の自己負担を課されたほか、老人医療そのものへの医療行政的な切り込みも激しく、途方に暮れている人たちも多い。

とくに、事実上の老人の末期医療に近い療養型病床群と呼ばれている医療に厳しい削減の数値が示され、その代替は在宅療養という形にしようとしているが、これは現実的に酷である。というのは、在宅療養は、どうしても家内労働を必要とする。

理屈の上では訪問看護や訪問介護を派遣すればいいということになるのかもしれないが、実際には、そうはいかない。そういった人たちを受け入れるために家内労働を必要とする。かつてのスウェーデンのように、家内労働の部分も、介護を公的にするようにすれば、かえって金がかかる。これは事実上、大変なことである。

≪寿命延びても病気は存在≫

やはり、入院のような形で入る所を確保しなければうまくいかないと思う。とくに、現代のように家庭内の介護力に余裕のない時代であれば、“在宅は安くつく”といった安易な考え方をしてはいけない。

脳血管障害の後遺症のリハビリも配慮が十分でない。多田富雄東大名誉教授が、自身の体験から発表した手記(文芸春秋2001年2月号)のとおりであり、あまりにもお年寄りへのいたわりがない。

それに考えねばならないことは、平均寿命が延びたこと自体は福音だが、よく見てみると、寿命は延びたが、高齢に伴って出てくる多くの疾病は、平均寿命の延びた分だけ遅れて現れるのではなく、個人差はあるにしても、寿命が延びても老化に伴う病気は今までどおりに出てくる。このことは極論すれば、平均寿命が延びることは“病人が死なない”だけのことに過ぎないという見方もできる。

≪生活の質に配慮した策を≫

本当のことを言えば、健康寿命を延ばす施策の推進こそ必要なのである。健康寿命というのは(1)認知症でなく(2)自分のことは自分で処理できる−という条件を何歳まで保つことができるかということで、これは平均寿命の延長より、はるかに有意義である。これを新しい施策として考えるべきである。

75歳以上の老人を別枠にした新しい「老人保険」が誕生することになっている。まだその仕組みは決まっていないが、今までのような小泉流で「老人は応分の負担を」ということが前に出ては、どうにもならないことになる。老人は数字の上では若い人の5倍の医療費を必要とする。だからそれは老人自身で持てというような乱暴なことになれば、老人のクーデターが起きるだろう。

この点は十分に考えないと悔いを千載に残すことになる。それでなくても老人の介護保険の徴収料は鰻登りに上がっている。個人の意見を言わせてもらうと、75歳以上の老人医療は、日本の特徴と言われる出来高払いでない方式を導入せざるを得ないのかもしれない。一考を要する点である。

ここで一言、安倍新内閣に是非言いたいことは、前内閣の考えてきた「政府予算に医療費を多く計上するのは反対だが、患者の自己負担が増えるのは経済の増大になる」という考え方が正しいのかどうかということである。

この考え方が貧富の差を増大させることに基本的につながっているのではないか。そして、老人の医療には、老人のQOL(生活の質)を配慮した施策を展開すべきなのであって、検査結果に一喜一憂するものではない。

(みずの はじめ)

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国民皆保険 15 / 老人定額

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 9 月 10 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/_19__c371.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療費、抑制、老人医療費、定額、削減

先進国最低の医療費をさらに削って、医療の質や安全の保障はどうするつもりなのだろうか。

その上、この報道には作意が感じられる。医療費イコール医師の収入として、日本医師会を悪者に仕立てようとしている。

医療費のうち、医師のサラリーはほんの一部でしかない。医師以外の医療関係職種、医療の設備、薬や器具、その他様々なものにかかるコストが医療費のほとんどなのだが。

—–

北國新聞 ( 共同通信 FLASH 24 ) 2006.9.10
病状に応じて定額に 75歳以上の患者負担
…..
医師の収入も抑制されることになるため、日本医師会などの反対が予想され、結論が出るまでには曲折も予想される。

参考資料

国民皆保険 15 / 老人定額資料


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 『拒否できない日本 』の著者、関岡英之氏の最新の新書です。文藝春秋やわしズム、テーミスなどに掲載されたものを中心に新たに書き下ろしも加え出版されました。巻末には今年3月に武道館で行なわれた『皇室の伝統を守る一万人大会 』で話された内容も載っています。郵政民… [続きを読む]

受信: 2006/09/11 9:50:47

» 包括払い制度 トラックバック 健康、病気なし、医者いらず
2008年から、75歳以上を対象に包括払いの制度が 導入されるかもしれませんね。 「包括払い制度」っていうのは、簡単に言うと、風邪なら5000円、 心筋梗塞で入院したら30万円とか、 病気によって値段を決… [続きを読む]

受信: 2006/09/17 17:54:30


コメント

そう言えば社会保障に関しては「質を落とさず給付を下げる努力をする」とも述べられてましたから、先行きは推して知るべしですね。

投稿 Yosyan | 2006/09/10 15:27:43

Yosyan 先生

こんにちは、またはこんばんは
2008 年に向けて、どんどん来るでしょうね。

投稿 道標主人 | 2006/09/10 17:47:52

医師ではない方だと思いますが、以下に理解あるコメントを見つけました。

http://ameblo.jp/shionos/entry-10016862191.html

投稿 道標主人 | 2006/09/10 18:00:34

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国民皆保険 14 / 薬価資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 14 / 薬価

毎日新聞 2006.9.6

薬価算定基準:毎年改定実施を 厚労省が論点提示

厚生労働省は6日の中央社会保険医療協議会薬価専門部会で、現在2年に1度の薬価(医薬品の公定価格)改定に関し、「改定の頻度を含めた薬価算定基準の在り方について検討すべきだ」と記した論点ペーパーを提示した。薬価を毎年改定し、より市場価格に近い値段に下げることで医療費抑制を目指す意向を正式に示したものだ。

公定薬価は、保険から医療機関に支払われる医薬品の値段。05年の場合、医療機関の仕入れ値である市場価格より8%高かった。

政府は2年に1度薬価を引き下げ、市場価格との差を2%にまで縮めている。しかし、2年に1度では「市場価格はメーカー間競争で大幅に下がっているのに公定価格は高止まりしたまま」というケースも多い。この薬価差を放置すれば保険財政を圧迫するため、毎年格差を是正しようというのが厚労省の考えだ。

同省は6日、より詳細な薬価調査の必要性も併せて示したが、医薬品メーカーなどは強く反発している。

【吉田啓志】

毎日新聞 2006年9月6日 18時01分

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国民皆保険 14 / 薬価

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 9 月 6 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/__3f1b.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、健康保険、薬価、薬価差、薬価差益、消費税、損税、ゼロ税率

薬価差が医療機関の儲けになっていたのは過去のこと。今は薬を在庫することが経営を圧迫する。

薬価差は医者の儲け、いまだにこういったことを言う亡霊が医療界のまわりを徘徊している。

消費税導入前 : 薬価 – 仕入れ値 = 薬価差
消費税導入後 : 薬価 – ( 仕入れ値 + 消費税 ) = 薬価差

医療機関が薬を仕入れるときには 5% の消費税がかかっている。公的医療保険において、患者さんに処方する時の公定価格、すなわち薬価には、消費税導入の折、消費税分が上乗せされた薬価が決められたはずだ。

薬価が決められても、メーカー、卸業者、医療機関との間の価格交渉、価格競争といった要因で、次の薬価の決定までの 2 年間に、仕入れ値は少し下がる。

しかし、薬価は 2 年毎に切り下げられ、仕入れ値 + 消費税 > 薬価 となった薬がいくつもある。ほとんどの薬で薬価差と消費税がとんとん。よって薬の在庫、損耗リスクを考えたら、薬価差で儲けるという事態はほとんど無くなって来た。

特に、薬価改定の直前に在庫している薬は、偶数年の 4 月 1 日の薬価改定の途端に、薬価すなわち販売価格が 1 割ないしは大きい場合 3 割程度下げられてしまう。とてつもない在庫リスクがあるわけだ。

医療機関は薬で儲けているのではない。薬はできたら在庫したくない。ところがいまだに亡霊の恨めしそうな言葉が聞こえてくる ….. 「医者は薬価差でぼろ儲けしている」

医療保険財政に占める薬の価格の部分は、少ない方が財政上はよいに決まっている。諸外国を参考に、下げるべきものは下げてよい。しかし、薬価を下げることが、無条件、全面的に善ではない。

毎日新聞 2006.9.6
薬価算定基準:毎年改定実施を 厚労省が論点提示
厚生労働省は6日の中央社会保険医療協議会薬価専門部会で、現在2年に1度の薬価(医薬品の公定価格)改定に関し、「改定の頻度を含めた薬価算定基準の在り方について検討すべきだ」と記した論点ペーパーを提示した。薬価を毎年改定し、より市場価格に近い値段に下げることで医療費抑制を目指す意向を正式に示したものだ。
公定薬価は、保険から医療機関に支払われる医薬品の値段。05年の場合、医療機関の仕入れ値である市場価格より8%高かった。
政府は2年に1度薬価を引き下げ、市場価格との差を2%にまで縮めている。

薬価差と消費税が、今では、医療機関を苦しめている。薬価差を限りなくゼロにする代わりに、次のいずれかをして頂きたい。

・診療報酬にも消費税を課税して、それをゼロ税率にする。
・インボイス制を導入して、消費税分が還付されるようにする。

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医療機関における薬の在庫リスクは、医薬分業によって回避できると言われている。政府は、実際そういう政策を採って、医薬分業を推進して来た。医療機関を締め付け、調剤薬局を優遇する政策である。

しかし、現在の日本の医薬分業は、患者さんにとってメリットが少ない。コストと労力がかかるばかりのものの上に、患者さんの医療への理解を妨げるような事例が発生する。

医師の説明と薬剤師の説明に食い違いが生じることは、日常茶飯事だ。薬剤師は薬のプロと言っても、患者さんの精神身体のどういう状態に、この薬がなぜ選ばれ、なぜこの量なのか、個々の患者さんの事例ごとに医師と同等の理解を持ってその患者さんに説明できるわけではない。

医師が患者さんに、疾患のことも薬のこともすべて話し、薬剤師は患者さんにその薬についてすべてを話し、その上で、その薬を用いるか否かを患者さんが自己責任で決定する。究極のインフォームドコンセントと医薬分業の姿だが、それは患者さんに福音をもたらすものだろうか。そこまでの労力に見合うコストを日本人は払っていないし、日本人が長年、村社会で培って来た曖昧さという生きる術は、そういう医療の姿を受け入れることはできないだろう。

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ヨーロッパの医薬分業は、古来、王侯貴族が、薬を処方する者と調剤する者が同じだと毒殺の危険性が高くなるという理由で、医師と薬剤師を分けて、それぞれを召し抱えたのが始まりだという。
( 1240 年ごろ、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ 2 世の頃が起源といわれている )

日本の医薬分業の起源は異なるようだ。日本では、医師も昔は “くすし” と呼ばれ、医師と薬剤師は、一体のものだった。明治になって新しい医療制度となり、医師と薬剤師が分けられたとき、薬剤師はかつてのような医師としての役割を失った。薬剤師の団体からは医薬分業を求める運動が起こった。これは分業と同時に、医師から独立して薬を扱いたい、かつての ” くすし ” に戻りたい、というような願望であっただろう。

戦前から細々とあった医薬分業は、20 世紀の最後になって、医薬分業政策とともに飛躍的に発展したが、それは医療費抑制政策の一環でもあった。しかし、調剤薬局にかかる医療費は爆発的に増加し、医療費総額を押し上げる一因にもなった。

” くすし ” への憧憬、それは今でも薬剤師やその団体が発するコメントの端々に現れているのを目にすることができる。

医薬分業のあるべき姿とは、どういうものだろう。アメリカにも、ヨーロッパにも、モデルはあるが、そのまま日本に導入できるものではないようだ。

参考資料

国民皆保険 14 / 薬価資料

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国民皆保険 13 / 不正資料 6

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 13 / 不正

会計検査院の資料

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会計検査研究
社会保障で日本は沈まない

第4号 

社会保障で日本は沈まない   飯塚 正史

飯塚 正史(会計検査院事務総長官房総務課総括副長)
1952年生まれ。77年会計検査院へ,建設省・農林水産省・労働省・文部省・厚生省の各検査課を経て,現職。

I はじめに

昨年のことである。国民医療費が平成二年度の推計で20兆円を超えたという報道があったとき,早速大手出版社系の週刊誌Sに大きく取り上げられ,「医療費亡国は確実に近づきつつある」と喧伝された。

それからしばらくしてある雑誌に帝京大学の江見康一教授が,「社会保障で日本は沈むか」と題してS誌の記事を取り上げ論評を加えておられる。

私はこれらの記事や論評を読んで,週刊誌にはその結論において,江見教授の論文には,医療費問題に対するアプローチの方法において,それぞれ首肯しがたいという感想をもった。以下,この点について述べてみたい。断わるまでもないが,これは私個人の全くの私見である。

私は会計検査院において4年間,医療費の検査を担当した。その間全国各地の病院が提出した医療費の請求書およびその明細書(明細書とは患者毎,月毎に作られた医療費の請求書の内訳であり,これをレセプトという。)に基づいて検査を実施した。私が検査した病院数はのべで約2,400にもなる。現在日本国内には約1万の病院があるから全国でおよそ4分の1の病院の請求について調査したことになる。これを,レセプトの枚数にすると一つの病院について少なくとも100〜200枚のレセプトを調査したから全部で約30万枚ぐらいのレセプトを見たことになる。おそらく霞が関の役人の中で,私は誰よりもレセプトを見ているといえると思う。以下に記すのは,この全国の4分の1に当たる医療機関の医療費の請求の実態を実際に見た者として,その体験に基づく意見である。

従来からの日本の医療費問題の論じ方をみると,大事な視点が欠落しているように思われる。それは,医療機関に対して現在支払われている20兆円という医療費の内訳について,現状を踏まえた内容分析が欠けているという点である。

一口に20兆円の医療費と言っても,

(1) いったい医療の中のどの部分にいくらかかっているのか?診察料はいくらなのか,投薬料は,検査料は,手術料は,看護料は,……13の診療報州の種類毎に見るとそれぞれいくらなのか?

(2) 次に仮に診察料として何百億円支払っているとして,では翻って考えてそれらは本当に全額支払ってもよいものだったのであろうか?つまり,診察料の支払いの対象となった各医療機関の行為は,実際のところは,本当に診察料として支出に値するものと,そうでないものと,あるいはその中間的なものとに分かれるのではないだろうか? もしも分かれるとして,それらは具体的にはどういう態様のものなのか? そして診察料として支出に値しない部分を除くと支出に値する正しい診察料というのは一体いくらになるのか?

(3) 投薬料,検査料,看護料,処置料,運動療法料,……あるいは現金給付としての付添看護料等においても,上記2)と同様に実際になされているそれぞれの行為の種類を分析するとどうなのか? 負担すべき範囲は実際にはどこからどこまでであるべきなのか?

このような観点からの「医療費の内容に関する分析」が従来ほとんどなされていなかったのである。

こういった費用に関する内容分析が欠けていることについては,公共事業費と医療費の取扱いの相違を比較すればより明白なものとなる。西暦2000年までに公共事業費として430兆円を投資するという計画の時の事業費の内訳としては,下水道事業費,住宅・教育施設等建設費,空港・港湾建設費等に分類されており,これらが実際に投資された場合は,担当する省庁も検査院も各工事費毎の内訳にまで遡った検討をし,それを積み上げるのである。たとえば個々に支払われた住宅建設費について,その計画,設計,積算,施工の当否という多方面からの検証が多数の機関の総意によって行われているのと比べて,診察料とか投薬料とかいうような診療報酬の個々の部分に対して今までこの公共事業費と同様のレベルにおける検討がなされたことが一度としてあるであろうか。

医療費について調べようとすると統計的な数表はなぜか数限りなく出てくる。年齢別受診率,地区別受診率,疾病別分類,1件当たり医療費,1人当たり医療費,国民医療費の推移,GNPと国民医療費との割合……。しかし,こういった山のような統計的数値をいくらめくっても,20兆円という医療費の内訳とその当否に関する資料は,逆にほとんどない。なぜか? 個々の医療行為の中味が開示されていないからである。さらに開示されていない理由は,医療行為は本来極めて専門的であること,医療行為の内容の開示はプライバシー保護の見地からできないこと等であり,さらにその背後にはこの世界特有の閉鎖性があるのである。しかし,分業化,専門化はそれこそ現代社会のいたるところで見られる現象であるし,プライバシーの見地からは患者名を伏せればよいだけである。

では次にこの個々の医療費の内訳について分析したものがないということは,どういう事態をもたらしているであろうか。

研究者の方も内外のジャーナリストの方も日本の医療費についてはこれを分析したものがないということから,いきおい単なる合計値でしかない国民医療費「20兆円」という値を,所与のものとして,正しいものとして扱いそこから議論をスタートせざるを得なくなっているのである。しかし,医療費の内訳についての正しい内容分析を行えば,国民医療費は決して20兆円ではない。

私は以下の拙文の中で,まず第一に上記S誌の記事の論拠となったイギリス人のジャーナリスト,ビル・エモット氏の著書「日はまた沈む」(The sun also sets草思社)における将来の社会保障負担額の推計方法に関して,その方法論上の不適切さについて述べてみたい。そして第二に,本件についての私の主張の根拠でもある個々の医療費に関する内容分析の結果について,私見を記述したい。これは,20兆円の医療費について,これを動かし難い所与のものとして扱うのではなく,このうち一体どこまでが正しい請求なのかという観点に立って,これを分析することによって,初めて見えてきた新しい展望である。

II 医療費亡国論

前記の週刊誌Sは,医療費亡国というネーミングからでもわかるようにかなりトーンの高いセンセーショナルな記事となっているが,この記事には,思想的な論拠がいくつかあるようである。ひとつは,ベストセラーになったイギリス人のジャーナリスト,ビル・エモット氏が書いた「日はまた沈む」である。S誌の記事を引用しよう。

「亡国」———は単なる比喩ではない。

ビル・エモットは著書『日はまた沈む』の中で,社会保障費の増大が日本没落の一因となると述べている。

『1987年から88年ごろまでの常識的な対日観は,日本という国はどこまでも昇りつづけるだろうというものだった。だが私はこれには全く反対である。

なぜなら,貿易黒字,資本輸出,円そのものによってもたらせられた日本の経済力自体が,日本を根底から変化させ,新しい方向へ進ませることになるからである。』

新しい方向とは,

『日本は見る間に生産者の国から浪費家の国へ,いつに変わらぬワークホリックで貯蓄好きの国から快楽追求者の国へ,金銭的に慎重で自制心の強い国から投資家の国へと様変わりしていったのである。そして,長い目で見れば,日本は若者の国から白髪まじりの年金生活者の国に変わろうとしている。』

こうした変化に加え,日本の経済的な海外進出も終わろうとしているという。

なぜなら,日本の資本輸出を支えたのは,可処分所得の16%ないし18%に達した貯蓄率の高さだったが,『日本の貯蓄率は確実に低下しており,2010年に日本の個人貯蓄率が現在のアメリカ並の低さ(3〜5パーセント)になることは十分考えられる。』からだ。この貯蓄率の低下をもたらすのが,医療費を含めた社会保障費の増大なのである。

医療費について同氏が語るのは,『医療費が今後増加してゆくのは避けられない。高齢化社会の中で,老人の医療費は確実に増えてゆく。しかし,ここまで医療費が高くなるのは,日本の医療システムが非常に歪んでいるのが大きな原因である。医療費が西暦2000年には50兆円にもなるという推計があるが,医療費が50兆円ともなれば,これは日本経済全般にも当然影響が出てくる。社会保険関係の支出の見直しに大きな失敗をすると,日本は債権国から債務国に転落する可能性がある。』

さて,ここまでのところについて感想を書こう。まず,日本が巨額の貿易黒字,資本輸出の中で,日本人が生産嫌いの浪費家で快楽追求者,貯蓄嫌いの投資家になったとのことであるが,そうだろうか? 私もあるいは読者諸兄も日本人であるから,振り返って自分がここ十年くらいのうちに浪費家で快楽追求者の投資家になったかどうか胸に手を当てて考えてみよう……もっとも,この稿ではそういった主観的なレベルでの議論はさておき,できるだけ客観的にこの議論の当否を検討するという立場に立つことにしよう。さて,S誌には,この主張の根拠がなにも示されていないので,結論の当否について論じたくても客観的に検討する前提がない。このS誌の論調は,「日はまた沈む」で語られるビル・エモット氏の論旨そのままであるので,目をそちらに転じよう。ビル・エモット氏の著書では,日はまた沈むという結論を導くに当たってその論拠となった客観的な資料が示されているのであろうか。

III 「日はまた沈む」について

(その1)

このベストセラーは客観的な論拠のある章とない章とに大別されると思う。このうち世間的には最も有名でこの書の中心部分をなす第2章「消費者の国」,第3章「快楽追求者の国」などは,これをいくら丹念に読んでも,行政において参考となるような客観的な裏付けのある主張はほとんど見あたらない。もちろん同書の読物としての価値はそれとは別である。同書は一流のジャーナリストが書いたベストセラーだけあって,読物としての面白さは格別のものがある。また,これほど丹念に日本のことを調査し,慧眼をもって日本の将来に警鐘を鳴らしてくれる外国人を得たことはわが国にとって有難いことだと思う。しかも,著者は,日本にわずか三年しか滞在していないという。わずか三年で一国のことをこれほど理解できるということはまさに驚異である。

同氏は第2章「消費者の国」のなかで,六本木,新宿といった東京の歓楽街の様子はもちろん,日本の若者達が今何に関心があるかについて,ノンノ,アンアン,ビック・トゥモロウ,POPEYE,Men’s Club,SAYといった若者向け雑誌の内容を紹介している。若者の仕事に対する発想の変化については,トラバーユ,ベルーフといった転職情報誌をリクルート事件の紹介を兼ねながら記し,若者の消費に関する意識の変化については,クレジット・カードの発行枚数の飛躍的な伸びを,価値観の変化については,戦前からの流行歌の歌詞の変遷を丹念にたどったり,古い世代が抱く社会的な偏見に若者がとらわれない例としては85年ごろから好んでチューハイを飲むとか,逆に価値観の変化の中で,古い価値観に対する郷愁として,当時人気のあったテレビ番組おしんを取り上げたり,山口百恵や松田聖子まで登場させるなど例をあげればきりがないほど多方面からの論証を試みている。

つまり,この作者の主張方法の特徴は,自分の結論を理由づけるに当たって,できるだけたくさんの社会的事象を取り上げ,それを整理し,そして再構成していくことを通じて帰納的に自らの結論を理由づけるという方法である。つまり,作者の結論,「日本がもはや勤勉で仕事中毒というワークホリックの国ではなく,消費を好み,快楽追求者の国になった。だから貯蓄率が低下してゆく。」というこの書の結論部分の論証方法として,作者は1980年代後半の実にさまざまな日本の世相を示し,それらを整理して組み立てていくことを通して「日はまた沈む—The sun also sets—」という自説を論証しようとしているのである。しかし,一見巧妙に見えるこの方法には,致命的な欠陥があると思う。すなわち,彼が集めた素材は全て社会的事象であり,社会的事象はことごとく多面的なものであるという点である。クレジットカードにしてもチューハイの人気にしてもテレビ番組おしんにしても,若者の雑誌や転職雑誌にしても,それらが社会的事象の一つである以上それらの語るところは多彩であって決して一つではない。それらのうち論者にとって都合の良い側面だけを集めて自説を組み立てたところで,それはただそれだけのことであって,自説について客観的な結論づけをしたことにはならない。同氏が用いた同じ素材をもとに,この素材の別の面をつなぎあわせて再整理していくことで,全く逆の結論づけも可能になることを考えると,この作者の手法は科学的とは言い難い。つまり,彼の主張には,手法そのものに内在する制約を,その結論においても有しており,論理的必然性という点では多少希薄なものであると言わざるを得ない。

IV 「日はまた沈む」について

(その2)

「日はまた沈む」のなかで唯一客観的なデータに基づくと言える部分は第4章「年金生活者の国」である。

このデータとは,人口動態の推移に関する各省庁の予測データと厚生省と大蔵省が共同で示した「21世紀初頭における高齢化状況等及び社会保障の給付と負担の展望」(昭和63年3月10日)のなかで社会保障を医療と年金とに大別しそれぞれの給付と負担について,2000年と2010年の推計を行っている資料である。

ここでこれらを引用して展開する同氏の議論の筋道を示すと次のようである。

高齢化社会が到来する

        ↓

労働者が支払う税金,社会保障負担額が膨大なものになる

        ↓

個人貯蓄率が大幅に落ちる

        ↓

資本の輸入が必要になる

        ↓

経常収支が赤字となる

        ↓

日はまた沈む

これを具体的に示すと,

・高齢化の割合(総人口に占める65才以上の人口の割合)は,西暦2000年には16.3%,2020年にはこれが23.5%にもなる(ちなみに1990年は12%)

・これに呼応して労働者が支払う税金と社会保障負担額の給与に占める割合は,1985年に12.4%,医療に関する保険料が8%,合計20.4%であったものが,2010年には23.4%,医療に関する保険料が16%,合計39.4%にもなる。

・個人貯蓄率は,1985年には手取り所得の16%であったものが,2010年には3%から5%にまで低下する。

としている。

さて,これについての若干の意見を書きたい。

同氏は2010年における医療に関する保険料を16%としている。おそらくこれは,上記の厚生省と大蔵省が共同で示した「21世紀初頭における高齢化状況等及び社会保障の給付と負担の展望」で示された医療費の推計によっているものと思われる。もっとも同氏は年金部分の負担の増加については詳細に論じているけれど,医療費部分の負担の増加については極めておおまかであるし,2010年の予測値を誤って2000年の予測値を引用し小さな数字を使ったりしている。もしもこの間違いをしなければ,「2010年には給与のなんと半分が税と社会保険料にもっていかれ,サラリーマンの手取りは半分になる。これではとても貯蓄どころではない!」といった調子でよリジャーナリスティックに書けたと思われる。しかし,そんな間違いなど些末な問題である。私が問題にしたい姿勢は,この厚生省等が作成した「21世紀初頭における高齢化状況等及び社会保障の給付と負担の展望」を無反省に用いていることの安易さである。週刊誌Sはそれこそ声高に「10年後には50兆円まで膨れ上がる亡国の医療費」と書いている。またさらに厚生省等の文書によると20年後の2020年には95兆円(より少な目の推計であるB推計でも90兆円となっている)とある。いったい本当にこの推計を無条件に信じて良いのだろうか?

答はノーである。2000年まであと8年半,この間に今約20兆円の医療費が50兆円になることはないと私は思う。

ビル・エモット氏は「日はまた沈む」の日本語版への序文に,将来を予測する場合にとるべき一般原則としていみじくも次のように書いている。

「本書は旧来のそうした見方は間違っているという立場に立っている。私の見方は次のような一般原則にもとづいている。すなわち,将来について全員の意見が一致しているときにこそ,その逆を考えたほうがよいということである。理由は簡単だ。そうした全員一致の見解は,たいていの場合,荒っぽい推測,つまり,最近の傾向を単純に延長して考えた結果にすぎないからである。単に今の趨勢から推測するというのは,先を見通すためには好ましくない方法だ。大きな傾向や動きというものは,必ずといっていいほど,それ自身を打ちこわす種子をはらんでいる。」

しかし,私には同氏自身もまた,将来を予測するに当たって自らの主張するこの一般原則の適用ができず,旧来のそれと同じ誤りを犯してしまったように思われる。すなわち同氏もまた旧来の見方と同様に最近の傾向を単純に延長した予測値でしかない「2000年の医療費50兆円」を無条件に議論の前提にしているからである。他を非難した観点が,自らの立論においてもあてはまるとは,返した刀で自分をも切ってしまったようなもので皮肉なことである。

将来を予測するに当たって最近の傾向を単純に延長して考えてはいけない,というのは一般論として,きわめて正しい見方である。まして,医療費の将来予測においては,二重の意味でこの単純延長の見方をいましめなければならないと私は考える。二重の意味とは,第一にはビル・エモット氏のいうように,医療費であれなんであれ荒っぽい推定をしてはならないという観点からであり,第二には医療費の特殊事情を考慮すると,余計に単純推計を戒める必要性は高いというべきなのである。なぜ,医療費においては単純推計ができないか。この拙文において私が読者諸兄に最も訴えたいこともこの点である。項を改めよう。

V 私見

1 結論

次頁の表を見て頂きたい。国民医療費の伸びを見ると面白いことがわかる。昭和50年から医療費の伸びを毎年見ていくと50年の6兆円は51年には1兆円増えて7兆円,以後きれいに1兆円ずつ増え8兆,9兆,10兆,11兆,12兆,13兆,14兆,15兆,……と増えているのである。1年間で1兆円ずつ増えるというのは話としてはいかにも医療費が増高しているという感じが出ていて面白い。

もしも,医療費が工事費と同じように科学的な積算体系を有していれば,将来についてもある程度の推計は可能であろうと思う。しかし,私が見る限り医療費の積算の体系とその運用は工事費のように科学的ではない。

以下に述べる私見については,他のセクションの方の中には,「そんな……」という心情的な否定感情や異論をもたれる方がおられるかもしれない。反論でも疑問点の提示でも自由にしていただきたい。ただひとつだけ欲を言えば,実態をよく踏まえた上での反論をいただけると有難いと思う。30万枚のレセプトを見た上でのこの結論は,私にとっては半ば確信に近いものである。と同時にここにいたるには,山のように積まれたレセプトの中で汗にまみれ,時によっては夢の中でまでレセプトを見るといった日々を経たものである。仕事とはいえそのことに多少なりとも共感と理解を賜れば,点数表しか見たことのない行政官との議論を私が面倒に思い敬遠する気持ちもわかっていただけると思う。私は点数表という厚生省告示を論じたいのではない。点数表という告示の実際における使われ方そのものを論じたいのである。なお,以下の私見は私と同じ検査に従事し,同じように汗を流してきた私の同僚たちの意見とも同じであることを付記しておく。

結論として言いたいことは,「現在の医療費の構造を実態にあった形で分析し,それを踏まえて適切な対応をとれば,日本の高い医療行為の水準はそのままにして,医療費だけを下げる方途がある。」ということである。そして,会計検査院の医療費検査が目指すものも,まさにそのこと,つまり,個々の医療行為とは全く別の次元で,医療行為の質はそのままにして,医療費という支出だけを下げる道を探すことにあるのである。

こう書くと,そんな都合のよい芸当みたいなことができるのかと思われるかもしれない。しかし,次に述べる医療費のなかの点数的要素というものの存在についてお読みいただければ,私の主張も多少なりとも理解していただけるように思う。

医療費というのは,患者個々に対する医療行為を「点数表」という厚生省告示を媒介にして数量化しているものである。つまり,医療行為という人間の行為を細分化し,それを告示の点数に置き換え,その点数に1点=10円を乗じるという方法である。しかし,私が見る限り医療費の中には,個々の医療行為とのあいだの連関が切れてしまっている部分がある。

実際になされている医療費の請求と個々の医療行為自体とのあいだには,かなりの乖離があるということである。医療費は医療行為を「点数表」を媒介にして数量化しているものであるから,本来この医療費と医療行為とのあいだには一定の相関関係があるはずなのであるが,この相関性が薄れているのである。私は,ここでその相関性が薄れた部分,逆に言えば医療費の中で医療行為に根拠をおかない請求部分を点数的要素と呼ぼうと思う。この点数的要素の存在により,相関性が薄れ,実態と請求との間に乖離がある以上,老人人口数や疾病の種類,今までの伸び率をもとに推計値を出し,それが10年後には50兆円だ,20年後に90兆円だといってもあまり意味がないと私は思う。なぜなら医療行為自体には継続性があるが,医療費と医療行為との関係が点数的要素の介在によって切れている以上,医療行為の継続性は医療費の動向に反映しないからである。

私がこの拙稿の冒頭で,S誌や江見教授の医療費問題に関するアプローチに首肯し難いと書いたのもここに原因がある。つまり,これらの論調は,この点数的要素の存在に気がついていない厚生省と大蔵省の単純推計を前提とし,これらを正しいもの,所与のものとした上で,そこから議論をスタートさせているからである。

整理してもう一度書いてみよう。

理論上の医療費の構成要素は医療行為そのものである。

理論上の医療費∈医療行為的要素

しかし,実際に請求し支払われている医療費の構成要素は医療行為的要素のほかに点数的要素というべきものがある。

実際の医療費∈医療行為的要素,点数的要素

そして,この実際の医療費のうち,たとえば手術料のように医療行為を点数にそのまま置き換えている部分(医療行為的要素)は当然よいとして,今,点数的要素と仮に呼んだそれ以外の部分に着目し,医療費の請求の中のこの部分をチェックしていく体制を保険者や市町村にとらせることが,医療行為の質を下げることなく,医療費の支払を適正化していく道であろうと思う。つまり,現時点においては,医療費の支払を適正なものヘと導き,かつ将来にわたっては,増高する医療費の支払を抑え,さらには医療の質を保持しつつ国民医療費を減じる方向へ導く道であると思う。

2 点数的要素

ここで私が名付けた点数的要素について説明しよう。私は実際の医療費のなかには,その構成要素として医療行為的要素と点数的要素の二つがあると書いた。このうち医療行為的要素とは,手術料のように,行為として明確なもの,顕在化したものを点数に置き換えている部分をいう。医科と歯科の点数表を比べると,歯科の場合はこの医療行為的要素が非常に多いことがよくわかる。次にそれ以外の要素として点数的要素というものがあり,具体的には次の4つの態様に分かれる。

(1) 慢性疾患指導料のように該当する医療行為があったかどうかについて判断が介在するものがある。たとえば医師が診察中に「甘いものは食べない方がよい。」と言ったとして,これをして後で慢性疾患指導料を算定する医師もいるだろうし,単なる診察における問答の延長として位置づけ慢性疾患指導料の請求など考えもしない医師もいるだろう。

そもそも医療費の請求に「出来高払い」という概念を導入することには,理論的に無理がある。なぜなら,本来出来高という概念は,たとえば工事の竣工検査において,出来高の検査と称して堰堤の高さを測るように,または農産物の交付金の算定において,出来高払いと称して農産物の収量を測るというように,有形なものを前提とした概念である。ところが医師の行為の多くは無形なものである。目に見える客観的な出来高というものはほとんどない。そういった無形の人間の行為に出来高という概念を持ち込むから,無形なものを無理に有形なものヘと擬制することになる。たとえば,医師が診察のときに,「甘いものは食べず,風呂に入り,薬はお湯で飲みなさい。」と言ったとする。この言葉という無形なものを有形なものと見立てて細かく切れば切るほど出来高はふえ,医療費も膨らむ。つまり,

診察をした→診察料

甘いものは食べずに→慢性疾患指導料

風呂に入り→生活指導料

薬はお湯で→投薬指導料

という具合である。しかし,普通の医者なら診察料しか請求しないであろう。

つまり,無形な行為を有形なものと見なしてどんどん細分化し,その個々を出来高とみたてれば医療費は膨らむのである。

出来高計算にたけた医者は多くの医療費の請求ができる。いわゆる算術医である。そしてさらに厄介なことがある。それは,月はじめにレセプトを作る医事の担当者が「うちの先生ならきっとこれくらいの指導はしているに違いない。」という見込みでレセプトを作ったり,さらには,当初から電算上そういうふうに仕込んであるというケースである。そういう場合は月々のレセプトを医療機関単位に見るとすぐわかる。診察料のところも検査料のところも処置料のところもどれもこれも似たようなパターン的な請求ばかりだからである。医療費のうちこうして水膨れ的に膨らんだ部分を点数的要素と呼びたい。

(2) 運動療法料には複雑なものと簡単なものとがあり,要件も単価も違う。そのどちらに該当する行為がなされたかは外部からはわからない。運動療法料のうち複雑なものの算定要件は,理学療法士が患者とマン・ツー・マンで40分以上運動療法を行うことである。このうち40分というのが点数的要素である。医師が患者に運動療法を何分やったかということなど当事者以外に知る由もない。支払側は高い単価で請求されてもそのまま支払うしかない。以前運動療法料の請求が病院単位でみると極端な異常値が出ているケースについて,40分という要件を満たしていないとして指摘したことがある。結局指摘したケースの全数が40分という時間的要件を大幅に下回っていることがわかったので運動療法料の返還ということになった。返還金額は1000万円を超える額になった。このケースを最初に見たときに,いろいろな理由からこれは嘘だと直感的にわかったが,それと同時にいくらなんでも丹念に調べてみればこのうち1割程度は正しいだろうと思った。しかし,予測に反して要件を満たしていたのが一件もなかったというのには,さすがに驚いた。

このように支払側が知らない,もしくは知りえないのをよいことに点数的要素を膨らませて請求しているケースは実に多いと思う。

(3) 複数の医療行為の間で医学的に相互に関連しているものがある。たとえば,診察をして,それから投薬をする。もしも無診投薬でもしなければ,診察料と投薬料との請求回数は当然同じにならなければならない。投薬料5回なら診察料も5回でないとおかしくなる。こういう場合に,実際は診察が1回で投薬が5回でも,レセプト上の診察の回数は1回のところを5回にしておかないと辻褄が合わないので付け増しする。このたぐいの検査院の指摘は毎年ある。こういうケースは付け増しではあるが収入を増やすことを積極的に意図した付け増しというよりは「査定を逃れるためにレセプトの形を整えよう,表面上の矛盾を解消しよう」という動機に基づく付け増しである。

(4) 複数の医療費の間で,点数表上の要件が重複しているような場合,つまりAの請求ができるときは,要件的にはBの請求もできるような場合には,Bの請求に該当する医療行為がなくても,これを請求するという場合がある。たとえば,後述するように栄養食事指導料と慢性疾患指導料,精神的疾患における診察料と精神科通院カウンセリング,人工透析の処置料と透析食の加算などある。これらは通常セットで請求される。しかし,書面上要件的には充足していても,それを請求する前提となる医療行為がなければ当然請求はできない。医療行為もないのにこれらを請求していたとしたら,それは点数的要素であって付け増しである。

(1)〜(4)で見たように点数的要素とは,該当する医療行為のあるなしにかかわらず点数表上の要件を満たしていれば,もしくは要件に反していることがわからない限り請求し支払われている余分な医療費をいう。

以下いくつかの実際にあった事例を具体的に見ていくなかで,現在の医療費の中に,この点数的要素がどういう形で入り込んでおり,また,いかにこの点数的要素の問題が根深いものであるかを書いてみたい。もちろん20兆円の医療費のうちこの点数的要素がどのくらいかを数量的に示すことはまだできないが,しかし,

ア 医療費の中にこの要素があるかぎり真の医療費は20兆円ではなく,その内数であること,

イ 医療費の将来予測においては,この要素は全く異質なものであるから,将来予測を行う時はこの部分は別途に考慮すべきであること,

ウ 将来におけるこの点数的要素の部分については,点数表を改正し定額払いの要素を導入するか,医療機関への指導を強めるかによって,これをなくしていくべきものであること,そして,もしこれをなくしていくことができれば,それは医療費の増高を押え,場合によってはこれを減じる方向へのインセンティブを持つものであることを論証したい。

VI 医療費を押し上げている個々の要素

1 栄養食事指導料の怪

私がこの点数的要素に気がついたのは,数年前,ある病院が請求していた栄養食事指導料の検査を行ったころからである。結局調査した結果ある病院の栄養食事指導料の請求が不当であるということになり,この病院からは返還の処置がとられた。この栄養食事指導料の点数表上の要件は,

(1) 慢性疾患指導料等が請求できるような特定の疾患を有する患者で,

(2) 特別食を必要とする患者に対して,

(3) 医師が食事せんを出し,

(4) 栄養士が数日間分の具体的な献立表を作成し患者に交付することとなっている。

このなかで重要なポイントは,栄養士が個々の患者にあった数日間分の献立表を作って患者に交付するという点である。しかし,外来患者に対して,献立表を頻繁に作成するということが実際にあるであろうか。もちろん日に一人二人はあるかもしれない。しかし,何百人という外来患者のほとんどにこういった献立表を作るということは現実的には有りえないことである。実際に指摘したこの病院は,ほとんど全ての外来患者に対して毎月この指導料を請求していた。つまり,レセプト上栄養食事指導料がとれる患者には一件の例外もなくこれを請求していたのである。まさに点数的要素そのものである。栄養士が個々に献立表を作るといった面倒な行為を全ての患者に対して行うということは有りえないし,まして,同じ病名で何ヵ月も通院している多数の患者に毎月献立表を作ってわたすということも有りえないことである。

さて実態はどうであったであろうか。調査の結果,献立表は個々の患者のために作るのではなく,典型的な献立表を予め作成しておき,それを病院のカウンターの上に単に置いておく。患者はそれを任意に持って帰るだけであった。読者の中には,「たとえ個々の患者の為に栄養士が献立表を作っていなくても,何等かの献立表を患者に渡しているのであれば,よいのではないか?」と思われる方がいるかもしれない。しかし,それは少し違う。カウンターの上に献立表を置くという程度のことは,まさに慢性疾患指導料の対象となる行為であり,医療費としては,既にそれを払っているのである。いや,そのこと以上に問題にしたいのは,慢性疾患指導料の請求と栄養食事指導料の請求が医療費請求のパソコンの上でセットになっている点である。私が指摘した実際上の動機もまさにそこにある。慢性疾患指導料とは慢性疾患の患者に医師が指導した場合に請求できるものである。これと栄養食事指導とはまったく別の行為である。まったく別の2つの行為がある場合,結果としては両方指導を受けるか,それぞれ片方だけか,いずれの指導もないかの4通りのケースが区々に現出するはずである。しかし,実際の請求においては,その両者がセットになっているケースしかなかったということは,逆から言えば行為の実態がない証拠である。

栄養食事指導料と慢性疾患指導料がセットになっている請求が多いことに支払側は気がついていない。全国ベースで考えるとこれに要する医療費は何億というオーダーになるであろう。完全な架空とまでは言わないが不当な請求には違いない。医療費というものがこんなことで膨らんでいるとしたら馬鹿馬鹿しい。

ではどうしたらよいか。市町村や保険者の縦覧点検の充実が必要であろう。市町村等は縦覧点検をするとき,同じ病名で栄養食事指導料を毎月請求していたら,それを半年分でも1年分でもまとめて再審査請求すればよい。もしも医療機関が正しい請求をしていると言うのであれば同じ傷病名の人に,1回に3通りの献立を作るとして18〜36通りの献立を考えてあげたことになる。これではまるで患者個人専用の料理ブックを作っているようなものであって,常識的には有りえない話である。病院に患者毎のレセプトを束にして返戻すれば,いくらなんでも病院はこの請求を各月とも減じるであろう。そして,心ある病院なら翌月からこのたぐいの請求はしなくなるであろう。

こういう病院は1枚のレセプト上の矛盾点の有無のみを気にしている。だから逆に慢性疾患で特別食の対象になる人には栄養食事指導料をつけたくなる。それはこれをつけたところでレセプト上の矛盾がないからである。私の言いたい点数的要素とはこのことである。「医療行為のあるなしではなく点数表上請求しても要件的におかしくない場合は請求する。」というものである。この姿勢こそ『医療費請求における病巣』ともいうべきものであると私は思う。

栄養食事指導料はこの点数的要素の一例であるが,このたぐいの要素がどれだけ多いか。医療機関単位にレセプト点検をしている人にはお分かり頂けるであろう。

2 診察料の怪(その1)

私の友人がある病院で薬を1月分もらおうとした。仕事が忙しいためなかなか休みがとれないからである。最初は断わった医事課の職員も彼がしつこく頼むので1月分くれることになった。その時,医事課の職員はこう言ったという。

「それでは今日のほかに月末にもう一度来たことにして下さい。」

これはどういうことかというと,薬を2回分(30日分)出して診察料の請求が1回だとレセプト上は調剤が2回,診察は1回となり書面上矛盾が生じる。調剤が2回なら診察も2回でないと辻褄があわないのである。したがって,この病院は,薬を2回分出したことにより,「診察料も2回,診療実日数の欄も2日という形で保険請求をしますよ。」と彼に予め断わっているのである。もう少し言えば,彼に保険者からの医療費通知があったときに彼が「この月はあの病院には1回しか行ってないのに2回行ったことになっているのはおかしい。」などと,申し立てないでくれということなのである。

1回しか診察を受けていないのに2回分の診察料の請求をする。マスコミ流にこれを書くと「水増し請求!」ということになるかもしれない。確かに事実を断片的に積み上げると水増し的であるから,そう書いても間違いではないような感じがするが,しかし実態はお読みいただいて分かるように「架空だ!水増しだ!」というほどの話ではなく,少しニュアンスが違う。

悪いのは「レセプト上診察料1回と調剤料2回では矛盾する。査定を受けないようにするために2回と2回というふうに数合わせの取り繕いをしよう。」と思う点である。だからこれも実際の医療行為とは別にレセプト上の点数表的整合性を追求することによって,医療費が膨らんでしまうといういわゆる点数的要素の話である。

この私の友人が薬を1月分もらったことによって診察料の付け増しがなされたことはささいなことである。しかし,これが大病院で組織的になされ,それをマスコミが書くとひどい不正請求がなされたかのように書かれてしまう。以前,東京大学や東北大学の附属病院で「診察1回→調剤2回→診察料2回に修正」といういわばおきまりのパターンが発覚したとき,「学問の府で架空請求!」とマスコミはセンセーショナルに書いた。返還額も確か1億円ぐらいにはなったと思う。たしかに,診祭を1回しかしていないのであるからそれを2回と書き請求することは,架空と言って言えなくもない。しかし,これら国立の病院の本当の動機は,架空に請求して国の会計を潤おそうなどというものでは決してない。

東京大学の立場を代弁するならばこうである。「こういった慢性疲患の患者であれば,半月後に病院に来てもらってもう一度診ても医師としては同じ判断をするであろうことが十分予測できる。それなら,患者の便宜も考慮して,病院に二度来るという手間を一度にしてあげよう。病院もそのほうが混まなくて済むから,他の患者さんのためにもなる。ただ,薬を2回分出すのだからその薬代は保険から回収したい。診察1回としておきながら薬を2回分請求しても,診察の回数分しか薬は認めてもらえない。それでは損をしてしまうから,診療実日数2日,診察2回とせざるをえない。結果として診察料は2回分の請求になる。しかしこれは薬代を切られないための自己防衛的な行為なのであって,診察料を余分に請求してこれでもうけようという意図などさらさらない。」多分こういうことであろう。要はこの程度の話でしかない。

しかし,これをマスコミは架空請求と書いたのである。何かがあった場合,それをきつく糾弾することで,かえって本質が見えなくなることがある。一昨年盛んに不正と書かれたキセノンガスの振替請求事件もこれと同様である。世間には本質が伝わっていない。これらの「事件」のとき,もしもマスコミがこういったアプローチをせず,もっと事柄の本質を追求しようとする姿勢を貫ぬけば,もっと別のものが見えてきたはずである。そのことによって,一つ二つの病院を悪者にすることはできなくなる。しかし,その代わりこの点数的要素というものでいかに医療費が膨らんでいるかということに国民の目を向けることができたはずである。

医師会の方と話をすると「今の日本では病院を悪者にしたてて書くとそれだけで大方の賛同を得る傾向がある。」という話をよくされる。たしかにそういう面はある。もっとも,これをさらにもう少しよく考えてみると,マスコミがこのように本質を突くことなく,その時その時の特定の医療機関固有の話とし,その医療機関をのみ「悪者」にしたてることにより,実は同じことをしている他の医療機関には累が及ばないという面もあるのである。つまり,このような姿勢は結果的には,特定の医療機関をスケープゴートにしたてているのと同じである。マスコミはセンセーショナルに書ける点で得をし,医療機関側は他の医療機関に累を及ばさない点でそれぞれ得をしている。国民だけが,本当の事実からは遠いところに置かれている。

3 診察料の怪(その2)

最近の大病院に行くと,受付の診祭カードを入れるところに「薬だけの方」「診察を受ける方」と書いた表示があり,それぞれ患者が自分で判断して自分の診察カードを入れるようにしているのをよく見かける。ある自治体病院の院長は,私に「この方式をとることにより随分混み具合いが緩和されました。」と言っておられた。大病院の院長ともなるとこういった形をとることにより診察してもいない日に診察料を請求することになることなどご存じないのであろう。

大病院の中には,この方式がさらに進み,患者がいちいち診療科まで行かずに,病院の玄関のところで用が全部済んでしまうところまである。つまり,病院の玄関に駅の切符の自動販売機のような機械が何台もおいてある。その機械に薬だけを希望する人は自分のカードを入れ,診療科の番号を選択して押すと,前の処方と同じ薬の処方箋が出てくるという方式である。患者はその処方箋をもち,計算の窓口で自己負担分を支払い,投薬の窓口に処方箋を出して薬をもらうのである。ここまでくると病院は病院というより単に保険で薬がもらえる大きな薬局という観がある。

さて,このケースは前に書いた診療日数の付け増しのケースとどう違うであろうか。片方は2回目の投薬分については病院に行くことなく最初の投薬のときに薬を2回分もらっており,他方は病院へは行くけれど,医者に会わずに玄関先で帰っているのである。かたや病院へは行かない,かたや病院の玄関先までしか行かない。大同小異といえばそうである。

診察とは医師が直接患者を診ることが原則であると思う。なぜなら,患者に対する医学的な判断の前提となるのは患者の身体そのものであるからである。もちろんこれは原則であるから例外は当然ある。点数表でも電話による再診は認めているし,介護に当たるものから症状を聞いて判断するということも認めている。つまり,ある程度の間接性は認めてはいるものの,これらはあくまでも例外でしかない。例外である以上それぞれ合理的な事情がある場合にのみ認められるのであって,電話再診の場合は緊急止むをえない場合となっている。

さて,そのような原則からもう一度上記の事態についてその悪さの程度を考えてみよう。まず,東京大学等の例のように2回分の薬を一度に出し保険請求上は2回診祭したことにするのは,明らかに違法である。どういう場合でも嘘は悪い。このケースでも,仮にこうすることに含まれている若干の合理性を説明できる人が,たとえいたとしても,人に手を挙げたら負けであるのと同じで,病院に来てもいないのに来たと嘘をついたらそれで負けである。

では薬のみの方と書いてある箱にカードを入れて薬をもらうという行為の方はどうだろう。この場合は,正確にはとんでもなく違法なものと,多少弁明の余地のあるものと2つある。すなわち,医師がカルテを見て処方箋を書いているか否かである。駅の自動券売機のようにカードを入れるだけで機械的に処方箋(正確には処方箋ではなく,薬の指示書)がでてくるとしたらそれはとんでもない話である。そういう場合は病院はおそらく月末にこのたぐいの指示書をまとめてカルテに日付の判とRPDO(前方通りの意)という判を押すに違いない。直筆だとまずいので判を押すのである。日付とRPDOの判をカルテに押すことにより,その日に医者がこの患者を直接診察し,症状が変わらないという判断のもとに薬を投与したという話ができ上がるのである。

患者に対する個々の判断もせず機械が処方箋をだし,月末に医師が見たこととしてカルテに記入するのであるから,これはどう考えても不当な請求と言わざるを得ない。前記の大病院を例にとるとこういった方法で不当に支払われている額は数千万円にのぼる。(たとえ数千万円になっていても検査院としてこれを指摘できないのは,検査院は直接医療機関に入って行う検査をまだ実施していないからである。この類の指摘はレセプトをみているだけではわからない。)病院に来てもいないのに来たことにして付け増しするのが悪いのと同様に患者を診てもいないのに診たことにしてカルテを作るということも同様に不当なことである。

次に患者には直接は会わないが,その日までのカルテを診て以前の状況から現在の症状を推測した上で,薬だけ欲しいという患者の希望を医師が認めて投薬したとしたらどうか。処方箋もその医者が書く。これは,医師の裁量権の範囲内といえるであろうか。

今の点数表では診察料を,間接的なものと身体を診る直接的なものとを分けておらず,診察料の値は一義的に決まっている。今の蔓延しているこういった状況が,乱れすぎないうちに点数表を改正し,点数自体を段階的にし,軽重をつけるべきなのかもしれない。しかし,「前回と同じ状況だから同じ薬でもよい。」という患者の素人判断を医学行為の前提としてよいのかという問題がどうしてもつきまとう。この点を重視して考えれば診察料の段階化など出来ないし,今の病院のやり方は永遠に不当ということになる。

いずれにしても,この点に着目して診察してもいないのに支払っている診察料を整理したら,それは全国的には医療費の大幅な減になるはずである。また,さらに副次的には日本人の大病院指向も改まるかもしれない。痛風という病気がある。その治療に当たって,ユリノームという錠剤を一生飲み続ける人がいる。彼にとって必要なのは,体内の尿酸値のコントロールである。血液検査を毎回して,尿酸値や肝機能や腎機能を検査し,ユリノームや重曹を出してもらうだけであれば,これだけのためにわざわざ大病院に行く必要があるであろうか。これが,無診投薬は駄目だということが徹底し毎回医師の診察が必要だということになれば,大病院で診察を受け薬をもらうのに要する時間は相当なものであるから,薬だけという患者は中小の医療機関へ移るであろう。そして,これにより大病院はこのような典型的な慢性疾患の患者のくびきから解放され,他方中小の医療機関は,尿酸値のコントロールができているか,薬の連用による副作用がないかという点についてより親密にチェックし,さらにそこから家庭医的な役割を担っていけるはずである。

診察料を少し整理するだけで

・国民医療費が下がる。

・カルテを不正で汚さなくてすむ。(カルテに嘘のRPDOを記載しなくてもよい。)

・大病院から中小医療機関へ患者が移動する。

・大病院の混雑が緩和する。

・中小の医療機関に患者が回り,患者にとっては親密な治療がうけられ,医療機関にとっては経営の基盤が安定する。

つまり,国家財政上も,医師法上も,医療機関の機能分化という政策的にも,プラスになるはずであるがどうであろうか。

4 看護料の怪

「病気をしたときのための蓄え」という言葉がある。しかし,日本は国民皆保険のはずである。本当に保険がきくのなら,病気をした時のための蓄えなどいらないはずである。建前だけからすると絶対にそうである。特に年金程度の収入しかない老人にとって,もし建前と現実とが違っているとしたら,つまり,実際には病気をしたら相当の費用がかかるとしたら,これは大変なことである。以下,

・「病気をしたときのための蓄え」というものが本当にいるのか?

・いるとしたらどのくらい必要なのか?

・建前からしてそういうことでよいのか?

・よくないとしたらなにをどうかえればよいのか?

について考えて見よう。

「病気をしたときのための蓄え」というものが本当にいるのか?

結論を先に書けば,残念ながら蓄えは必要なのである。具体的には,付添い看護料と差額ベッドである。まず,理解しやすいように建前の方から書こう。老人保健法には,この法律の適用を受ける70才以上の人であれば,どんな大病を患おうと,1日当たりの入院の費用は400円(1日当たり400円×31日=1月当たり12,400円)であると書いてある。12,400円なら年金生活者でも支払可能である。では70才未満の人はどうであろう。健康保険法,国民健康保険法といったその患者が適用を受ける法律の種類によって,自己負担額は異なる。一番自己負担額の多い国民健康保険の場合で考えよう。現在,国民健康保険法における入院医療費の平均は,1月に39万円であるから,自己負担額はこの3割,つまり12万円弱となる。この場合は,結構まとまったお金が必要になる。しかし高額医療制度という制度があって,1月に5万3千円以上負担した場合は,その超えた額については返還される。ただ高額医療制度による扱いは市町村への申請から3月程度の時間がかかる。とすれば,12万円の3月分である36万円程度あれば,4月目から高額医療制度で1月5万3千円の負担でよい。さらにこれでも大変だという家庭のために,低利で融資する医療費貸付制度がある。こうしてみてくると,制度は二重三重に手厚く作られている。それなのになぜ病気のときの蓄えはいるのか?それは保険外負担と呼ばれるものがあるからである。保険外負担とは,通常の保険給付より以上の給付を望む人にそれなりの負担を求めるというもので,差額ベッド料といわれるものと,これから書こうとする付添婦をつけた場合の付添看護料の負担とがある。このうち差額ベッドは6人部屋ではいやだと言い小部屋を希望した人が負担するものであって病院の強制でない限り,相応の受益者負担としての性格があるといえる。問題は付添看護料の負担である。

世間でよく言われているのは,病院に入院した場合,病院から付添婦を付けるように言われることがあるということ。そして付添婦をつけると1日の負担は1万数千円となり,国からの看護料の給付を受けても1日に約1万円ぐらいの負担を覚悟しなければならない。こぅなると1月の負担は約30万円ぐらいになる。これに医療費の自己負担分12万円をたすと月42万円の負担となる。たしかに42万円の支出というのは,通常の世帯ではなかなか支払えない額であり,病気のための蓄えは必要ということになる。この辺の事情をもっと正確にみてみよう。そしてさらにこの裏にある事情,私には許し難いと思われる事情を書いてみたい。

現在,基準看護の承認を受けている病院に入院した場合は,この付添婦をつけてはいけないことになっている。基準看護とは入院患者数に比べて看護婦,准看護婦等の数が多い場合の看護をいい,その分だけ病院に支払われる医療費(看護料)が加算されるというものである。この場合に付添看護を認めないのは,看護婦等の数が多いということで,看護料を加算しているのだから,付添看護という形態を認める必要がないという趣旨である。しかし,全国の病院のうちこの基準看護の承認を受けた病院は4割程度であるから,残りの6割の病院は相対的に看護婦が不足していることになり,この付添着護料の支給の対象になる。

国立病院や自治体病院の経営の多くは赤字である。その主要な原因は言うまでもなく人件費である。そして,病院の中でもっとも人件費のウエイトが高いのは看護婦等にかかる人件費である。となると赤字を避けるために,病院が考えるべきことは看護婦等の人件費をいかにして抑えるかであろう。以下のケースは,今年新聞に報道されたある医療機関の人件費を抑えるためにとった方策である。私はこれが,前述の診察料の付け増しのケースのように多くの医療機関に蔓延していると書くつもりはない。証明していないのであるから,1をもって10を述べるような書き方はできない。しかし,全国的にこれがどのくらいあるかはまだわからないものの,話としては実にありそうな話である。

このケースの説明をしよう。病院の看護要員を区分すると,看護婦の資格をもった正看護婦と,准看護婦の資格をもった准看護婦,それになんの資格ももたない看護助手の3つに区分される。他方付添婦を患者がつけた場合,現行の付添婦を資格の面で見ると看護婦や准看護婦といった正式な資格をもたない看護助手がほとんどである。もしも病院の中の看護助手たちに要する人件費を病院が支払うのではなく,患者が雇った看護助手として位置づければ,その人件費は患者の負担になる。国は1日につき4,000円程度の看護料を患者に直接支払うから,結局このようなケースでは,病院が本来支払うべき人件費を支払わないで,その負担を患者と国にまわすことになる。病院が本来負担すべき人件費を負わず,国と患者に負担させるとしたらそれは病院の巧妙な方法による人件費逃れである。東京都の場合は国が負担した残り全額を都が負担しているから,病院が払うべき人件費を病院は国と都に付添い看護料としてそのツケを回していることになる。

今年の上旬に報道されたこのケースは,付添婦を紹介する家政婦等紹介所がなんと病院の中にあり,病院の事務長が紹介所の所長をかねていたという非常に悪質な例である。病院が患者に付添婦をつけるように言う。そう言われても患者には何のつてもないから付添婦の紹介を病院に頼む。病院はまったく外部の家政婦紹介所を経由させた形を取りつつ,実際は病院の配下にある看護助手をあたかも外部の紹介所が紹介してきたかのようにして患者に振り向け,病院の看護要員として組み込む。そして,人件費相当の費用を患者と国からとる。

さらにまだ解明はできていないが,全国的に見ると病院と家政婦等紹介所が1対1で対応しているところ,つまり,紹介所の紹介先が特定の病院のみとなっているケースが随分見られるのである。そういう所の付添婦は付添う患者こそ時々変わるが,病院との関係で見るとその病院の看護体制に組み込まれた形で仕事をしていることがわかる。そして,中には365日連日看護料の請求があり,しかもそのすべてに泊まり込み加算がついているというケースもままある。泊まり込みの仕事を365日も続けることができるわけがない。先の新聞に報道されたケースでは,病院と事実上の雇用関係があるのに紹介所から紹介されて来たと言う形を取って不正に支払われていた看護料のうち国の負担分だけで億のオーダーに上っている。患者が負担した分を合計すると数十億の規模の話である。全国にこれに類するケースがどのくらいあるのかは今後の検査によるが,20兆円の医療費といっても中にはこんなものが含まれているのである。

VII 医療費増嵩の理由

栄養食事指導料,再診料,看護料の中にある点数的要素ともいうべき部分を説明することによって,国民医療費がこの点数的要素を軸として,どんどん膨らんでいく姿を多少なりとも書くことができた。点数表に記されている点数の種類は非常に多い。前述の3点は単なる例示であって,これら以外の相当部分にこの点数的要素の存在を認めることができる。今回は紙幅の関係からその全部について書くことはできないが,別の機会にこういったものをより体系的に示したいと思う。

この点数的要素というものは,現在の国民医療費のなかの病巣ともいうべきものである。本来の医療費は医療行為のみを要素とし,個々の医療行為を点数に置き換えていくというものであったはずである。それが,医療行為とは直接関係のないこういった要素によって余分にふくらんでいる。それがなぜなのか,なぜ点数的要素なるものが存在するのかを最後に考えてみたい。

理由は三つあるように思う。

第一に現在の審査機関に構造上の限界があるということである。ここでいう審査機関とは社会保険診療報酬支払基金と各都道府県の国民健康保険団体連合会である。ある県の連合会に行った時,一月に審査するレセプトの枚数を同じ月の審査委員の審査時間の和で割り戻してみた。一枚のレセプトにどのくらいの審査時間を要していることになるのか計算したかったからである。するとレセプト1枚に要する審査の時間は,なんと5秒しかなかった。この数字の意味するところは大きく重いと私は思う。理由を書こう。この県の審査委員の数は40人である。審査機関の審査が不十分だから色々な問題がおきるというのであれば,この40人の委員を仮に10倍の400人にしたらよいのであろうか。審査委員を400人にすること自体現実的にはできないことであるから,これは全くの架空の想定である。しかし,仮に400人にしたところで5秒は50秒にしかならないのである。老人病院のレセプトにはその補助箋の長さが50センチを超えるようないわゆる「巻物」がいくらでもある。たかだか50秒の時間など与えられても,質的にも量的にもとても見きれるものではない。私がここで言いたいのは,仮に今の十倍の医師を審査委員にしたところで,あるいは事務方の職員数をどんなに増やしたところで事態が変わらないということ,つまり,医療費の件数等の増加のなかで,審査機関にレセプト審査を委ねるという数十年来の方式は,もうすでに制度的な限界をはるかに超えてしまっているということである。制度を十倍にするというような不可能な手直しを想定してさえも,この制度上の瑕疵は治癒しないほどのところにきてしまっているのである。医療費の増加についてはいろいろな意見があるものの,今述べたこの点については指摘する声がほとんどなく,社会的にもあまり知られていないことは遺憾なことである。

まず,この事実をどうとらえるか,医療費問題の検討の出発点はここにある。

点数的要素という病巣がはびこってきたのも,医療機関の方に「どうせ見やしない」という意識が潜在的にせよあるからである。この問題を解決するための私なりの対案はあるが,紙幅の関係で今ここではそれに触れることはできない。

第二の理由は,厚生省が市町村や保険者に対して行っているレセプトの点検や保管に関する指導方法の問題である。厚生省は老人保健法のセクションも国民健康保険法のセクションもいずれも,市町村等がレセプト点検をするときは老人番号順や,世帯番号順にレセプトを並べかえてから点検するように指導している。しかしそんな並べ変えをしたら見えるものも見えなくなってしまう。病院が請求する多額の医療費を「象」に例えよう。病院という大きな象の姿や特質を研究し問題点を抽出しようというときに,その象を細胞毎に細切れにした上に,他のものと一緒に混ぜてしまったら,混ぜた後の姿を見てももとが象だったかネズミだったかわからない,もう何も見えてこない,それと同様なのである。今一番何が問題なのか?それは,医療機関毎の請求傾向のはずである。患者個々の受診傾向,たとえば重複受診などチェックしたところで医療費全体から見たら一体どれだけの効果が期待できるというのだろう?せっかく医療機関毎に送られてきたレセプトをさしたる効果も期待できないことを意図して並べ変えてはいけない。

検査院が「○○病院」の請求傾向,つまり病院毎の傾向的な誤りの有無を検査しに行っているときに,「○○病院のレセプトはここの書庫の世帯ファイルのどこかにまぎれています。」と言われ,10万人分のファイルを格納してある書庫へ案内されても検査にならない。そして,そういう状況では効果的な検査ができないということは,市町村や保険者も同じように効果的なレセプト点検ができないということを意味する。幸い札幌市他いくつかの市は,検査の時の私のアドバイスを聞いてくれて,点検の方式やレセプトの保管方法を大幅に変えた。しかし,厚生省には4年間言い続けたが,私の意見は今もって取り入れられていない。もっとも市町村に対して「医療機関毎にその傾向に着目した点検をせよ。そのためにそれがしやすい方法で保管せよ。」という話は,厚生省という役所の性格上受け入れられない種類の話なのかもしれない。検査院は独自の考えで市町村を指導する。なぜなら,ことは公費の支出の基となる請求書の保管形態の話であって,検査院としても看過できない会計経理そのものの話だからである。そして,レセプトの点検方法,保管形態について,市町村が厚生省の指導通りにするか,はたまた検査院の意見を聞くかは市町村独自の判断によって決めるべき問題,つまり地方自治の問題として位置づけるべきなのだろう。市町村は自ら国民健康保険という保険制度を運営しているのである。自分のところに来た請求書をどのような形で保管するか,どのように点検すると効果があがるか,自らの問題としてよく考えるべきである。

第三は「書き屋」の存在を許す風潮である。書き屋とは,月初めに医療機関に赴き,カルテをもとにレセプトを書くことを職業とする業者を言う。業者は請求点数の2〜3%の委託料をもらう。書いた枚数ではなく請求した点数の多寡によって委託料が決まるのである。請求点数が上がれば,収入も増える。そこに当然書きこむことができるものは書き,請求できるものは請求するという風潮が産まれる。

私がこの医療費検査を始めたころに見たケースのなかに,レセプトにあわせてカルテに業者が書き入れるという本末転倒のケースがあった。嘘だと思われるかもしれないが本当の話である。これは生活指導料を指摘した年のことである。カルテに生活指導の実績が書いていない。しかし,業者は当然のことながらレセプトにこれを書きこの費用を請求したい。業者はどうしたか。レセプトに書いた後,カルテの月初めのところに生活指導の判をどんどん押していったのである。医療行為を点数表に置き換えるのが医療費の本来的な請求の姿であるはずである。しかし,診祭室という密室の中の医療行為の事跡を記録したものはカルテしかない。したがって,カルテに書いてある範囲でレセプトに転記するしかない。それが今の話では逆なのである。

私が問題にしたいのは,カルテを書き屋に見せ,レセプトを書くことを委託することが保険医療機関の行為として許されるかということである。規制する法的な根拠はカルテを第三者に見せることが問題だということになるであろう。どのような形をとるにしても,請求点数によって委託料の多寡が決まるような委託を放置することは,行為の実態のない点数的要素が増えるだけである。早急に考えるべきであろう。

しかし,たとえ国の指導でこれらの規制ができたとしても,さらに大きな問題がある。それは,書き屋に委託しなくても,医療機関の中に書き屋的な発想をもった「内なる書き屋」がいるという点である。医療費の請求における病巣とは,せんじつめると正にそこに行きつく。そして,検査院の医療費検査における真のターゲットは,医者でも病院でも診療所でもない。この「内なる書き屋」の存在そのものである。そして,これがある限り検査院の検査は続くし,またこれが一掃されたときに検査院の医療費検査は終わると私は思っている。

VIII おわりに

「社会保障で日本は沈まない」と題して書いたこの拙文のテーマは,ビル・エモット氏がその著書「日はまた沈む」において,自らの論証の根拠とした厚生省・大蔵省の予測値のうち,医療費の予測分(西暦2000年には50兆円という単純推計)については,医療費の中には比例的に増加しない部分があるので,これを考慮していないこの予測値をそのまま使用することはできないということである。

しかし,このテーマを述べるという体裁を取りながら実は私が最も主張したかったのは,医療保険各法や厚生省告示では当初予測していなかった「医療費問題の病巣」とも言うべき部分についてこれを詳しく論証することである。

すなわち実際に行われている医療費請求の中には点数的要素といって,法が本来予定していないきわめて異質な部分があること,そしてこの要素についてはまだ世間ではほとんど語られていないけれども,この要素こそ現時点での医療費問題の核心的な部分であり,この解明とこれに対する適切な対応(たとえば出来高払い制から定額制への移行)は医療費の将来を語るときのポイントになると思われること,さらにはこのような事態がなぜ生じてしまったのか,その病根はどこにあるのかという点を虚心に書いたつもりである。

私の見方に間違いや御疑問があれば是非本誌にご投稿いただきたい。私の論拠は私が見た30万枚のレセプトである。しかし,それとて全体のごく一部であるからとても十分とは思えない。

以前文部省関係の雑誌に文部行政に関して私見を掲載したことがある。私は原稿を4回に分けて連載しその中で反論を募ったところ,ある大学の方からとてもご丁寧なご意見を頂いたので連載の4回目に拙文に並べて掲載してもらった。誌上討論のようになって私はとても嬉しかった。

問題が大事なものであればあるほど,多くの人が自由な立場で自由な議論をするべきである。医療制度は国民が膨大な金を払うことで支えられている国民的な制度である。しかも国民の健康と命に関わるかけがえのない制度である。このもっとも大事な制度の健全な発展を真に担保するものは何だろう。それは,やや大時代的な書き方をすれば,医療費問題についての「言論と思想の自由市場」を確保することであると思う。そして,その自由市場に議論の材料を提供するという意味で,医療機関の医療費の請求の実態に関する本稿のような分析を,レセプトを常時見ている各機関がいろいろな角度から行うべきである。

最近医者の行う医療行為について患者の同意を求めるという意味でインフォームド・コンセント(informed consent)つまり「知らされた上での同意」という言葉がよく使われる。しかし,インフォームド・コンセントが必要なのは,単に医療行為についてだけではない。国民が支払っている膨大な医療費についても,その内訳について国民に十分知らせ,かつ十分な議論を経た上で国民の同意を得るということが必要である。検査院の検査はまさにその一助として位置づけるべきものであろう。

そして,この世界の閉鎖性,特にプライバシーを理由とする極端なまでの情報の非公開性という特質を前提に考えると,検査院という第三者的機関の検査は,医療費問題における真の意味での国民のインフォームド・コンセントの形成にとって必要不可欠なものであると思えるし,また,そうであればあるほど検査活動を広く知っていただく努力や検査の質を高める努力を絶やしてはならないと考える。

検査院は物を産み出す官庁ではない。いやむしろ産みの苦しみ,育ての苦しみの中にある受検庁に対して,さらに意見を言わなければならない立場にある。

しかし,検査院の意見は受検庁にとって耳が痛いものであろうか?今日本が突入しつつある高齢化社会は人類の歴史上未曾有のものである。かつて誰も経験したことのない状況のなかを行政が進むとき,そこには沢山の失敗と沢山の無駄があるのはむしろ当然であろう。未曾有の状況下で失敗をし地にまみれている者を一体誰が批判しよう。批判するどころか,同じ仲間として手を貸し,肩を貸したいとさえ思う。

大事なことは,失敗をしないことではない。大事なことは,社会保障という複雑な制度と現代という錯綜する現実の中で,なかなか見えなくなっている行政の失敗そのものに気付くこと,そして,その失敗を率直に認め,さらには将来に向かってその失敗を活かす方途を捜すことである。失敗の中から本来のあるべき姿を見いだし,その姿を目指してあらためて産み育てる,それこそが重要なことである。

自分で物を産まない検査院は,確かに産みの苦しみを知らない。しかし,行政の失敗に気付き,その失敗の中から新しいものを産み育ててゆくという上記の過程において,例えて言えば,検査は行政の失敗を将来に活かす産婆の役を担うべきであると思う。社会保障に関する検査院の意見は耳に痛い指摘でも批判でもない。失敗の中から新しい子を取り出そうとする産婆の声である。

産婆は母の偉大さには到底かなわない。しかし,願わくば,真理が哲学という産婆によって取り出されるのと同じように,行政上の真理,すなわち,「高齢化社会における福祉国家の建設」という難題に関する行政上の真理が検査という産婆によって取り出すことができれば,もしくは,その一助になりうればと思う。

そして,こうして生まれ出る新しい子供たちがいる限り,社会保障で日本は沈まない。

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国民皆保険 13 / 不正資料 5

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 13 / 不正

もう一つ、続報。

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歯科医療の資料室
シンポジウム『「過剰診療・不正請求」を考える』の報告
www.geocities.co.jp/WallStreet/3939/rece03.html

シンポジウム『「過剰診療・不正請求」を考える』の報告

ご注意:以下は、患者および一般市民としての立場から、管理人が個人的に感じたことをレポートするものです。公的な議事録ではありませんので、その点をお間違えないように。当日配布された資料や、その場でとったメモをもとにして、各発言者のコメントを再現していますが、一字一句完全に再現したものではなく、各発言の主旨を尊重しながらも、実際には管理人が理解した内容として再構成したものです。また、全ての論点をカバーするものでもありません。

シンポジウムの概要
1998/4/11に、『「過剰診療・不正請求」を考える』と題したシンポジウムがあり、話を聞きに行ってきました。このシンポジウムは、『医療「抜本改革」シンポジウム』の第1回と位置づけられていて、今後もいろいろなテーマを取り上げながら、シンポジウムが続けられるようです。会場は、港区の芝青年会館ホール。入場は無料でした。

主催者について

主催は、医療団体連絡会議。こういう会議体があるのをはじめて知りました。医療団体連絡会議は、次の団体によって構成されています。
・日本生活協同組合連合会医療部会
・全国保険医団体連合会 (以下、保団連と略)
・新医協
・全日本民主医療機関連合会
・日本医療労働組合連合会
・日本患者同盟
主催者の事務局が保団連にあるため、完全な公平中立性は期待できないと思いました。また、主催者がいったいどういう団体なのかを説明する資料は配布されませんでした。司会者がごく簡単に口頭で説明しただけです。いろいろな団体で構成されているからこそ、よけいに主催者のポリシーを明確にすべきだと思います。なにしろ、主催者の構成団体である保団連の副会長がシンポジストとして出席しているのですから。

開催案内の広報について

定員200名のホールですが、かなり座席は埋まっていました。聴衆は、個人としての参加はあまり多くなく、シンポジストあるいは主催団体に関係する人や、医療関係者が多いように感じました。こうしたシンポジウムの開催を知る手段が、一般の人にはほとんどないことが影響していると思います。管理人は、「払いすぎた医療費を取り戻せ!」の発行元・メディアワークス社のホームページにて、シンポジストのひとりである勝村久司氏(同書の著者のひとり)の掲示板への書き込みによって、このシンポジウムのことを知りました。今後は、医療人や内輪だけへの開催案内では意味がないので、患者および一般個人の参加をうながすため、広報活動をもっと積極的に行ってほしいものです。

シンポジストについて

シンポジストは次の5名(50音順)でした。
・宇佐美 宏氏(歯科医師、全国保険医団体連合会副会長)
・勝村 久司氏(医療情報の公開・開示を求める市民の会事務局長)
・田辺 功氏 (朝日新聞編集委員)
・西岡 幸泰氏(専修大学経済学部教授。専攻は社会保障政策)
・橋本 巌氏 (全国社会保険診療報酬支払基金労働組合副委員長)
下の写真では、左から順に司会、宇佐美氏、勝村氏、田辺氏、西岡氏、橋本氏の順に並んでいます。厚生省からの参加がありませんでしたが、厚生省が参加すると、厚生省攻撃一色になってしまって議論が進まない恐れがありますから、これはこれでいいのかとも思います。

議事進行について

司会は、桜井氏(日本生活協同組合連合会医療部会事務局長)。13:30に司会の挨拶からはじまり、各シンポジストが約15分ずつテーマについて話をし、そのあと質疑応答。17:00に終了しました。各発言の時間配分がきちんと管理されず、また質疑応答のときにテーマと無関係な質問・意見などを受け付けてしまったために、時間延長したものの、消化不良のままで幕切れとなりました。この運営不備は、司会のイニシアチブ不足に原因があると思います。主催者の他の構成団体の手前、司会者がずけずけと物申すのが難しいのであれば、外部から司会者を招くのもいいでしょう。

シンポジストの中で、残念ながら存在感に欠けたのは西岡氏(専修大学教授)です。それは同氏の力不足というよりも、医療問題があまりにも各自にとって切実かつ密接な問題なので、学者の理論・理屈を重視するよりも、それぞれの当事者の実際・実態が重視される雰囲気が強かったからだと思います。ただ、同氏のコメントの中で、「医療保障制度は、患者と医師との信頼関係を強める方向で作用するべきである」という一節が印象に残りました。

シンポジウムのテーマ

今回のシンポジウムで最大の議題となったのは、朝日新聞などでの「医療費不正・過剰請求の報道」に関するものでした。これは、匿名証言として「医療費の不正請求が9兆円ぐらいある」と報道したもので、これに対して宇佐美氏(保団連)、橋本氏(支払基金)が保険医および支払基金としての立場から反論しました。

ちなみに、不正請求というのは、架空請求などの明らかに不正な請求のことです。過剰請求とは、過剰診療などによる法規に反する請求、あるいは法規に反する恐れの強い請求のことですが、請求事務上の単純ミス、正当な医療行為の内容・範囲に関する見解の差違なども関係しているために、非常に複雑かつ広範囲にわたる問題といえます。

「不正請求」の議論について

このシンポジウムのテーマに含まれる「不正請求」と「過剰診療」には、このように大きな差違があるのですが、これをまず指摘したのは勝村氏(市民の会)でした。同氏は「不正請求の問題は独立した問題として論じるべきであり、他の問題と絡めるなどしてはいけない。この問題は今日の大きなテーマである」と指摘しました。ただし、残念ながら「不正請求」の議論はほとんど行われず、「過剰請求」の議論のほうに大きく傾いてしまいました。

「過剰請求」の議論に傾いた雰囲気を作ったのは、宇佐美氏(保団連)だと思います。同氏は「不正請求は断じて擁護しない。過剰請求については、何をもって過剰とみなすのか、その基準が不明確であり、またいろいろな理由(ここでは省略)から必ずしも過剰ではない。朝日新聞などの報道には根拠がなく、誤解を招くものだ」と主張しました。

宇佐美氏(保団連)は不正請求を「擁護しない」としていますが、それは単なる掛け声にすぎません。掛け声だけだったということは、保団連としては、不正請求を根絶するために何の方策もとっていないものと思われます。また、同氏は過剰請求の話題にばかり議論を誘導していて、不正請求の話題を避けています。勝村氏(市民の会)が宇佐美氏(保団連)に対して「不正請求根絶のために、例えば患者が窓口で支払う際に、レセプト相当の書類を医療機関側が患者に示し、患者が内容を確認してその書類にサインするようなことを保団連として進めてくれないか」と要望するという場面があったのですが、それに対して宇佐美氏(保団連)は「勝村さんは厳しいことをおっしゃる(笑)」としてお茶を濁し、話題をそらせてしまいました。

「不正請求9兆円」報道の妥当性について

宇佐美氏(保団連)は、「不正請求9兆円」という報道への抗議とそのための説明に時間を割きました。たしかに、これは詳細かつ具体的な根拠に欠ける報道だと思います。

しかし、この抗議に対しては、田辺氏(朝日新聞)がこう反論しました。同氏は朝日新聞の科学部に属するため、当の報道には直接関わっていませんが、保団連などから抗議を受けたマスコミ側の意見を述べるために出席しています。曰く、「医療費不正請求が9兆円にのぼるという報道の具体的な根拠はないが、それを示唆する断片的な事実(ここでは省略)がいくつかある。また医療関連に30年ほど携わってきた経験からも、9兆円という数字が正確かどうかという話ではないものの、現在の薬剤費の2分の1は無駄、検査の3分の1が無駄であると感じている。さらに、医師および医療機関、そして厚生省などが情報を開示しないことも、正確な報道を阻害している」。田辺氏(朝日新聞)は、当の報道に直接携わっていないために発言の責任がそれほど重くないということがあるのでしょうが、それでも予想以上に踏み込んだ発言をしていました。

勝村氏(市民の会)も情報公開を求めました。曰く、「医療裁判を行うときには、原告である患者が立証の責任を負っている。しかし、立証しようとしても、証拠物件であるレセプトやカルテは被告である医療機関が持っている。レセプトはようやく開示されるようになったが、カルテは開示されないか、あるいは開示されても改竄されていることがある。そもそも、患者側でそれだけの証拠を入手するのが大変である。医師および医療機関の情報公開を求める」。

医師および医療機関が十分な情報公開をしていない現状では、不正請求や過剰請求の規模を算出しようにも、そもそもデータが手に入らないわけですから、厳密な根拠を示すことはできません。だから、それが9兆円なのか、そんなにないのかという議論には、あまり意味がありません。9兆円というショッキングな数字は、その背後にある問題に注目を集めるためのきっかけにすぎなかったのだと思います。たしかにこれは、スキャンダル性を求めるマスコミの体質をあらわす報道手法でもあるのですが、患者および一般市民のためになる限りにおいては、許されるべき報道手法だと思います。

支払基金の存在意義について

過剰請求の話題においては、支払基金側からのコメントもありました。橋本氏(支払基金)は「過剰請求の内訳をチェックしたところ、大半は資格関係過誤によるもの。また診療報酬制度が複雑なため、事務上の単純ミスも意外に多い。さらに、医療機関が再審査を請求できるのだが、煩雑さからその請求権を放棄している場合も少なくない」とコメントしました。

資格関係過誤というのは、たとえば被保険者が転職したりすると、保険者も変更となるのですが、その手続きをしないままに保険診療を受けた場合に「過誤」として査定されることを指します。この場合は単に事務上の手違いなので、これを過剰請求として扱うのは不適切だというわけです。これについて田辺氏(朝日新聞)が「それは保険者がばらばらであるために起こること。昔から私が提言しているように、保険者を全国で一本化すれば、そんな問題は解消される」と指摘しましたが、これに対して、橋本氏(支払基金)のコメントはありませんでした。

橋本氏(支払基金)は、支払基金側の労働組合の副委員長です。同氏は、「支払基金側にも直すべきことはある」として、労働組合としての立場で支払基金側への要望をいくつか挙げていました。しかしまた、「支払基金には存在価値があり、しかもそれは公的な存在であるべきであり、だから現在の形のまま存続させることが妥当」とも言っていました。このように、労働組合としての主張と支払基金(の経営側)としての主張とをごちゃ混ぜにした発言が気になりました。本来は、支払基金の経営側の人が出席すべきところです。

橋本氏(支払基金)は、支払基金の存在の正当性を強調しました。しかし、同氏自身が「支払基金としては、レセプトの中身まではチェックできないので、不正請求をチェックすることはできない」と言ったことを考えると、ほんとうに支払基金の存在が妥当なのかどうか疑問に思えてきます。

つまり橋本氏(支払基金)の言葉を言い換えると「支払基金は事務上の単純点検を行うだけ。不正請求を点検するような仕事はできない」ということです。付加価値のない単純な作業を、なぜ特殊法人という形でぬくぬくと行う必要があるのでしょうか。民営化してもいいし、あるいは公的に行うにしても、もっと効率的に、競争原理が働くような形で行う体制にするべきでしょう。質疑応答のときにも、支払基金に勤務する人が、「支払基金は公的機関として必要であり、これは患者のためになることだ」と橋本氏(支払基金)と同じような趣旨の発言をしていました。シンポジストと同じ所属の人が、質疑応答のときにそのシンポジストと同主旨の発言をするとは、支払基金の民営化論議・不要論議をよほど恐れているのでしょう。なぜそれが患者のためになるのか、彼らの説明はあまりにも抽象的だったと思います。

まとめ

勝村氏(市民の会)と田辺氏(朝日新聞)は、医療の情報公開が必要という点で一致していました。また、そのための指摘や提言を行いました。もちろん、彼らの発言や行動にも限界があり、あるいは誤りがあるかもしれません。しかし、患者および国民のために情報公開が必要であるという認識を、はっきりと彼らは示しました。一方、宇佐美氏(保団連)、橋本氏(支払基金)は、「患者のために」という美しく聞こえる言葉を使うものの、そのための具体的な指摘や提言を行っていません。

私たち患者および一般市民は、「患者のために」という美しい言葉に満足するのではなく、そのためにどんな具体的行動・提言をしているのかということを、注視・監視していかなければならないと感じました。

最後になりますが、シンポジウムの議事録の公開を求めたいと思います。今回の議事録が公開されるかどうか、また公開されるとしてもどのような形で公開されるのか、シンポジウムの場では全く説明がありませんでした。もしも議事録が公開されたならば、それも合わせてお読みいただきたいと思います。

以上、長くなってしまいました。読者のみなさん、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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国民皆保険 13 / 不正資料 4

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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その他の続報

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1998.12.11
医療費不正請求60億円 97年度厚生省まとめ

厚生省が11日まとめたところによると、97年度に返還を求められた医療費の不正請求額は60億3842万円に上がった。82年に調査を始めて以来2番目の額になる。厚生省によると、不正請求などで監査を受けた医療機関及び薬局は76施設、医師、薬剤師は184人で、このうち、悪質と認定された44医療機関、41人の保険医が登録取り消しの処分を受けた。

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鳥取県臨床内科医会
www.shimane.med.or.jp/rinshonaika/tafuken020808.htm

日医FAXニュース(1254号、2002.4.19)からの引用であるが、平成14年4月11日に放送したフジテレビの情報番組に次のような内容があった。

「医療費30兆円の内、医師や病院の不正な請求が9兆円」
「2000年の不正請求は18,000件にのぼる」
「不正請求には罰則が無い」など。

日本医師会は勿論抗議をし、日本医師会の指摘で、厚生労働省保険局も「情報の収集や精査を十分に行い、番組を制作するように求める」文書を同テレビに送った。

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ASAHI ネット ビジネス
社団法人行革国民会議

国民会議ニュース 1998年 4 月号
www.mmjp.or.jp/gyoukaku/toron/199804.htm
シリーズ討論
これからの医療保険のあり方について
− 丹羽雄哉・与党医療保険制度改革協議会座長との懇談会 −
与党医療保険制度改革協議会座長 丹羽雄哉

これまでは不正請求については、保険医の取り消し期間が最長が2年で、不正請求の加算金が最高10%だったのですが、今度これを、期間を5年に延長し、加算金も40%に引き上げることに与党協で決めました。ただ問題は、率直に申し上げて何十億万枚のレセプトの数がありまして、これをみるのがお医者さんなんです。一般の人は良くわからないのです、現実には。そういうところに限界があるし、重点審査ということでこの病院はおかしいというところで絞られているということがありますし、それから健保組合なんかで削りあっているようなところがあって、それ専門でやっている方もございますようですが、私はもうちょっと機械化をしていかなければいけないと思っております。解釈の違いなんかはありますけれども、不正請求に対しては医師のほうもかなり認識をしだしているのではないか。医師会は不正請求に対してはもう永久追放でもかまわないというぐらいの覚悟であります。ただ、私が5年と決めましたのは、ほかの免許であるとかそういうものに横並びにして、一番厳しいものにしたということでございまして、だんだんそういう方向になってきているのではないかと思います。安田病院なんていうのは、異例中の異例になっているのではないかと思っています。

一番の問題は、こんなことをいってはいけないんですが、実際問題としては、病院ではやりにくいんです。病院は何百人といますから、なんかあるとすぐ、うちの病院でこういうことをやっているという投書がくるそうです、ご心配しなくとも。だから病院においてはだんだん少なくなってきている、なかなか統制が効かないというそうでありますけれども、まだ小さいところに一部あるのではないか。しかし、これも、大分減ってきている。

ただ、数秒間で1つのレセプトをチェックするということで、なかなかこれには限界があるということを聞いております。レセプト審査を行う社会保険診療報酬支払基金と国民健康保険団体連合会には1カ月間に9600万枚のレセプトが届く。ですから、1枚をチェックするのに数秒で目を通すというところに問題があるわけでありまして、このへんをどうやって改革していくか。ただ、医者じゃないとなかなか良くわからないというのも現実のようでありますから、その辺のところも正直申し上げてネックになっております。

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朝日新聞社説 1997.9.6

「医療費の不正請求をなくせ」

今月から、病院や医院の窓口で支払う患者負担が上がった。薬代の一部負担も新たに加わった。「それにしても、患者ばかりが財政赤字のツケを払わされるのはおかしい」と感じている人は多い。

今回の改正のように、医療費が増え続ける構造をそのままにして、目の前の財政赤字を患者負担の引き上げで埋めても、数年後には再び医療保険は赤字となる。保険料や患者負担の引き上げが操り返されるだけだろう。

医療費がむだに膨らみ続ける構造にメスを入れなければ、ほんとうの制度改革にはならない。なかでも許せないのは、医療費の不正請求だ。厚生省は、病院などへの立ち入り調査をする監査の見直しや、診療報酬明細書(レセプト)の審査体制の強化に、本腰を入れて取り組んでもらいたい。

不正請求は方法も金額もさまざまだ。大阪府の安田病院グループは、看護婦の数などをごまかして、院長らが起訴されただけでも、数千万円の診療報酬をだまし取る、病院ぐるみの大がかりな不正をしていた。当の高齢者が8月に亡くなっているのに、9月になっても通院治療の医療費を請求していた医院の例もある。

不正請求をチェックするには、二つの方法がある。一つは監査だ。安田病院グループの場合は都道府県の係官が立ち入り調査をして、保険医療機関の指定を取り消した。ただ、この事件のように刑事罰に相当する不正が明らかな場合には、指導をせずに直ちに監査することもできるが、通常はまず指導をして、それでも改まらない場合に監査をするとされている。

このような手順は、1959年に監査を受けた保険医二人が相次いで自殺したことから、厚生省と医師会の間で見直し協議があり、決められた。しかし、問題があれぱ直ちに監査に入れるように、制度を見直す必要がある。

もう一つの方法は、医療機関に医療費を支払う前に行われるレセプト審査だ。各都道府県の支払基金や国保連合会で審査されているが、全国で月に6千万枚ものレセプトが出てくるから、あらかじめ問題のある医療機関をチェックして重点的に審査する方法がとられている。レセプト審査を早く機械化し、基本的なチェックは機械に任せ、人による専門的な審査をもっと効率的で目の行き届いたものにすべきだ。

脱税に重加算税がかけられるように、不正請求にも経済的な罰則を設けることを検討してはどうか。今年夏からレセプト開示が行われ、患者本人が見られるようになったことは、不正請求の歯止めに大きな力になるだろう。負担増によって、患者がレセプトを点倹し、おかしな点を追及することが多くなれぱ、不正請求はもっと少なくなるはずだ。

不正請求を多くの医師や医療機関が日常的にしているわけではない。しかし、一部であれ、不正請求が繰り返されれば、医師と思者の信頼関係は損なわれる。日本医師会会長だった故武見太郎氏は在職時代、「不正請求は医療への国民の信頼を失わせる」として、「故意に不正請求をした場合は医師会を除名する」処置をとるよう都道府県医師会に指示した。身内に厳しい姿勢を、改めて医師会に求めたい。

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国民皆保険 13 / 不正資料 3

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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9 兆円不正報道の続報。ゲンダイネットより。

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ゲンダイネット
医療費の不正請求は年間3兆円!? 2005.12.6
馴れ合いの審査機関 2006.12.13
患者がカルテとレセプトをチェックするしかない 2005.12.27

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【医療費Gメンが明かす仰天実態】
2005年12月6日 掲載
医療費の不正請求は年間3兆円!?

国民医療費は年間約30兆円。その中には不正請求もかなり含まれていると考えていい。表面化したものだけでも平成15年度は63億円に上り、38もの医療機関が保険医療を取り消されている。

もちろんこれは氷山の一角で、発覚しない不正請求は何倍にも及ぶはず。実態はつかめないが、「国民医療費の1割程度、約3兆円は不正請求ではないか」と指摘する医療費Gメン(指導医療官)もいる。

不正請求の手口もさまざまだ。今年6月には奈良の有名病院で、カルテに記載されない外来診療料を年間600万円も不正請求していたことがわかった。レセプト(診療報酬請求書)を偽造して、保険医取り消し処分になった歯科医もいる。

最近も北海道の病院が、医師数を水増しするなどして約6億円の介護報酬を不正請求していたとして、元院長らが詐欺罪で送検されている。また、横浜では自由診療で患者から医療費を取りながら、さらに保険請求もするという二重請求をしていた医師が書類送検されている。

不正請求で医療費が増えれば、その分患者や国民に付けが回る。水増し請求や二重請求で余計な医療費を直接払わされるだけではない。医療費が膨れ上がると、患者の自己負担や保険料の値上げにもはね返ってくるのだ。(医療費取材班)

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【医療費Gメンが明かす仰天実態】
2005年12月13日 掲載
馴れ合いの審査機関

「不正請求や過剰な医療で無駄に使われる医療費を抑制すれば、患者の負担をもっと減らせるはずだ」

話を聞いた医療費Gメン(指導医療官)は全員がこう指摘する。

「しかし実際に発覚する不正請求は、全体のごく一部にすぎません。審査機関はあることはありますが、身内の馴れ合いによる甘いチェックが横行してきたのです」(医療費GメンのA氏)

審査は健保の場合は社会保険診療報酬支払基金が行っている。この組織は社会保険庁の外郭団体で、厚労省や社会保険庁からの有力な天下り先の一つだ。支払基金は各都道府県に審査委員会を置き、そこの委員がレセプトを一枚一枚チェックすることになっている。不正請求や不適切な治療はここで把握することができる。

このチェック機能がきちんと働いていれば問題ないのだが、実態は問題だらけなのだ。まず、審査委員のメンバーである。審査委員は医療者、保険者(各健保)、公益代表の3者構成になっているが、メンバーのほとんどが医師や歯科医師なのだ。公益代表も医学部の教授だったりする。医療者の代表以外は医師でなくともかまわないのに、実態は3者ではなく“1者”である。

このことが問題となり、医師、歯科医以外のメンバーを入れる動きもあったが、相変わらず医師・歯科医の“1者構成”が続いている。要するに仲間内で仲間の審査をしているのだから、チェックは甘くなる。審査委員も実質的に地域の医師会・歯科医師会の推薦だから、会員に不利な審査がやりにくくなるのは当たり前だろう。

(医療費取材班)

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【医療費Gメンが明かす仰天実態】
2005年12月27日 掲載
患者がカルテとレセプトをチェックするしかない

「後を絶たない不正請求は、甘いチェック機能だけでなく、不正請求に対する医療側の罪の意識の低さ、患者や健保など支払う側のお任せ体質によって、ここまで野放しにされてきたといっていいでしょう」

医療費Gメン(指導医療官)のA氏の言葉だ。

「医科の3割、歯科の5割が不正請求」という調査もあるそうだが、先日、厚生労働省はレセプト(診療報酬請求明細書)請求を2010年度からオンライン化する方針だと発表した。これにより不正請求もチェックしやすくなるというのだが、チェック態勢を改めない限り“新たな抜け道”が出てくるはずだ。

不正請求を防ぐには、まず、患者がお任せ体質を変えていくことが重要になる。労組や各健保では「自分たちで不正請求を発見しよう」というキャンペーンを展開している。「病院に行ったら必ず領収書をもらう」「医療費通知と照らし合わせて、疑問があったらレセプトを健保に請求する」といったことを呼びかけ、レセプトをもらいやすくするためにカードも発行している。

前出の医療費GメンA氏が言う。

「レセプトの請求だけでは効果がありません。医療費請求の元となるカルテがいい加減に作られているとしたら、実際の不正請求をチェックすることは難しい。まずは、個人情報であるカルテを要求することです」

ところが、法律で記録が義務付けられているカルテをまともに書けない医師もいる。現に、関東地方のある県では、「カルテを開示しなければならなくなったが、開示できるようなカルテを書けない医師が多いから、勉強会をしたい」という要望書を県に出し、税金で講習会を開こうとしている医師会さえある。

「患者が自分のものであるカルテを請求していくことで、医療者に目を覚ましてもらうしかありません」(医療費GメンA氏)というのが実情なのだ。

(医療費取材班)

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国民皆保険 13 / 不正資料 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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過剰請求 3,000 億円の報道を検証した資料。

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数字のウソ 5

http://kyonc.cool.ne.jp/suji/SUJI05.HTM

「医療費過剰請求3千億円」は本当?
Last Update 1997-12-05

97年10月末、新聞各紙が「医療費過剰請求3222億円」などと報じた。これは厚生省が与党医療保険制度改革協議会に提出した資料にもとづくものである。内訳をあきらかにせず、総額のみを提示することにより、歪曲したイメージを植え付けようとする意図が窺われる。

3千億円ナニガシは「請求点数」から「確定点数」を差し引いた数字である。H7年度の資料では下記のとおり。厚生省は、これをすべて「査定」として説明した。

社会保険(支払基金)
1,254,806,982 – 1,236,033,180 = 18,773,802 (A)

国民健康保険(国保連合会)
1,215,057,615 – 1,201,607,659 = 13,449,956 (B)

{(A)+(B)}×10=3222億円

このたび、不完全ではあるが厚生省が再提出した内訳の資料を入手できたので、検討してみる。

減額された3222億円の内訳は下記のとおり。

      社会保険   国保    合計
資格関係分 963億  671億  1634億
一次審査分 283億  312億   595億
再審査分  658億  362億  1020億

「資格関係」は保険証が変更になったりしたものが正しく記載されていない場合であり、診療内容とは全く関係がない。これが半分を占める。

日本には5千を超える保険者があり、転職・転勤や転居によって保険証が変更になる。混乱に拍車をかけるのが、国保の「さかのぼり加入」であり、持参した保険証と資格のある保険証が一致しないことがある。

資格関係を除いた分を「診療内容にかかわる査定」と厚生省は説明したようである。しかし、これにも問題が多い。

一次審査分には「返戻」が含まれる。これは別に分類されるべき項目である。たとえば、生年月日や性別の記載が不備だったり、受診日数の記載が不備だったりといった事務的な記載ミスが多く含まれ、レセプトがまるまる返却されるので、見掛け上の金額が膨らむ。そのほとんどは訂正のうえ再度請求される性質のものである。

一次審査における、返戻以外の減額分すなわち「減点査定」について。ここでも記載上の間違いによるものが少なくない。残りは、診療側が必要と考えて行った診療行為を審査側が必要ないと判断するために生じている。昨年結審した京都の「不当減点復活訴訟」では、まさにその点が争われ、病院側の全面勝訴となった。もしも、すべての医師が自信をもって裁判にまで持ち込むならば、ひっくりかえるものが相当あるだろう。しかし、裁判にかかる労力と費用を考えると行動をおこせないのが実情である。

保険者からの再審査請求による査定(再審査分)が最近急増している。健保組合などの保険者が「レセプト点検業者」に歩合で委託し、チェックを強化しているためである。その内容については更なる詳しい検討が必要である。というのも、ほんらいは「返戻」や「査定」とすべき内容のものが、一次審査を通ってしまい、保険者からの再審査請求によって査定されるケースが多いのである。

健保組合が鬼の首でも取ったかのように言い立てている「過剰診療」のなかには、レセプトコンピュータへの入力時にキーを押し間違えたとしか思えないケースがある。過小になるような間違いも当然あるが、これらは無視される。

健保組合などは一次審査の不十分さを批判する。それは当たってはいるが、彼らの期待とは異なり、一次審査でチェックされれば、請求−確定の差額はむしろ減少するだろう。

厚生省から追加資料の発表があったあと、とんでもない事実が判明した。一次審査と再審査が異なる県にまたがる場合、査定額で集計するのではなく、請求額で集計されていたのである。額は600億円にもなるとみられている。「資格関連」、「返戻」の扱いに加えて、これでは査定額の水増しと言われても仕方がない。

このように3千億円の差違の中には不当に集計されているものが多く含まれている。これらの事実が明らかになったあとも、マスコミは以前の報道を訂正しようとしない。

請求額と確定額に差があることは、保険の請求・審査にかかわる事務処理がきわめて煩瑣であり、そのための誤りが多く発生していることと、診断・治療には見解の相違がつきものであることをあらわしているのであって、それをあたかも不正であるかのごとくに言い立て、医療担当者への不信を煽るために使うのは見当はずれなのである。

1997−12−05 小熊

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国民皆保険 13 / 不正資料 1

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 13 / 不正

医療費不正請求報道の実態の資料。

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連合
医療費の「不正請求」を一掃しよう
www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/kokohen/fusei.html

Web Iwakami
医療費値上げの前に必要なこと
www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/medcost.htm
不正請求 9 兆円を最初に書いた、雑誌「世界」の記事の著者への取材。

数字のウソ 2
kyonc.cool.ne.jp/suji/SUJI02.HTM

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連合

医療費の「不正請求」を一掃しよう
www.jtuc-rengo.or.jp/kurashi/kokohen/fusei.html

医療費の不正請求

病院からもらった領収書と、後日手元に届く医療費通知をつき合わせたとき、自分はその月に全くお医者さんに行っていないのに、行ったことになっていたり、健康診断(保険はききません。病気以外は実費です)に行ったはずなのに病気扱いになっていたりしていたら、これがいわゆるお医者さん(医療機関)による医療費「不正請求」です。

現在、わが国の医療費は年間約30兆円。国家予算の約半分に匹敵する大きなものになっています。「不正請求」は9兆円とも、4兆円とも、1兆円とも言われていますが、いずれにしても大きな金額ですね。

連合は、医療費のムダをなくすために自分たちでできることをやろうということで、97年11月から医療費「不正請求」一掃運動をしています。

具体的には、自分ができることとして、診療所や病院へ行ったときには必ず領収書をもらうこと、その領収書と医療費通知を照らし合わせようということを呼びかけています。

また、健康保険が組合健保の場合は、労働組合から組合健保に対して、レセプト点検の強化、医療費通知の内容充実(月1回の送付、日時と医療機関名の明示等)を働きかけるよう取り組んでいます。

不正請求の主な内容

架空請求
診療していないのに、診療したことにして診療報酬を不正に請求していた。

健康診断の保険請求
健康診断を保険請求した。(健康診断には保険は適用されません)

看護婦等の水増しによる請求:看護要員が長期にわたって不足していたにもかかわらず、変更の届出を行わず、診療報酬を不正に請求していた。

付増請求
血液検査の際、採血は1回だったにもかかわらず、数回に分けて検査したように診療報酬を不正に請求していた。

振替請求
外来診察なのに入院診察として扱い、診療報酬を不正に請求していた。

二重請求
患者が自費で診療したものを、保険診療したとして二重請求していた。

重複請求
健康保険の継続療養の対象となる傷病について、健康保険、国民健康保険の両制度に請求していた。

私たちにも不正請求は発見できる

診療所や病院へ行ったときは、必ず領収証をもらおう!
領収書と医療費通知を照らし合わせてみよう!

疑問をもったら、レセプトを請求しよう!

医療費通知をみたら、自分が行った覚えがないのに医者にかかったことになっていたり、金額が多額だったために不審に思った人が、レセプト開示を保険者(健保組合等)に求め、そのことによって不正請求が発覚したということがありました。

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Web Iwakami
「医者が金持ちになる本当の理由」などの著作があるノンフィクション作家、岩上安身氏のサイトから。

医療費値上げの前に必要なこと
www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/medcost.htm

取材協力=土屋敦

医療費値上げの前に必要なこと

「約27兆円にのぼる保健医療費のうち約3割は不正請求」という
現役指導医療官の衝撃的な発言を掲載し、
雑誌初出時に大きな反響を巻き起こしたルポルタージュ。
ここに、「不正請求疑惑」追求の減点がある。

97年9月1日から、各保険制度の財政赤字を理由に、患者の自己負担増を軸にした新保険制度がスタートした。これにより、サラリーマンや公務員の医療費における本人負担分は、従来の一割から二割に倍増する。薬剤費も、従来は負担ゼロだったのが、一日分につき2〜3種類なら30円、4〜5種類60円、6種類以上は100円を患者本人が負担しなければならない。高齢者の入院時の負担も、現行では1日710円のところが1日1000円になり、98年には1200円までアップする。

政府管掌健康保険(中小企業のサラリーマンなどが加入)の保険料率も、8・2%から8・5%に引き上げられ(引き上げ分は労使折半)、総額としては、約2兆円の負担増となる。

今、サラリーマンの懐具合は決して楽ではない。不況が長引き、所得の伸びは著しく鈍っている。97年4月には消費税率がアップしたばかり。そこへ追い打ちをかけるかのような今回の医療保険の負担増である。サラリーマンの間に不満といらだちが鬱積(うっせき)していないといえば嘘になる。

にもかかわらず、抵抗らしい抵抗の声も上がらず、政治問題と化すこともなく、改正案が国会を通過した背景には、現行の医療保険財政が赤字に転落、破綻の危機に瀕しているという現状があり、そうした現状に対する認識が、渋々ながらも広く国民間にいきわたっているからだろう。政府管掌健康保険の場合、92(平成4)年度まで黒字だった単年度収支は、93年以降赤字に転落し、95年度には、2,783億円もの赤字を出した。

もっとも、今回の負担増も実は焼け石に水であり、2年後の99年には破綻が確実視されている。改正後の新制度でも、政府簡保の単年度収支は4,050億円の赤字。この赤字の穴埋めのために、96年度末現在で約5,500億円残っている積立金(事業運営安定基金)が取り崩されるが、それも98年度末には底をつく。厚生省の統計によれば、2001年度には、8,840億円の赤字になると推計されており、さらなる負担増は息つく間もなく必至である。

この底なし沼のような悪循環から逃れるためには、薬漬け医療の元凶とされる現在の薬価基準制度や出来高払い制を中心としている診療報酬体系など、現行の保険制度を抜本的に見直す「構造改革」に速やかに着手しなければならないという声が、医療界や厚生官僚、有識者の間で高まっている。

しかし、その「構造改革」なるものも、まだブループリントの段階であり、国民に過酷な負担増を強いることなく、また、医療の質の低下を招くこともなくスムーズに実行に移せるのか、またその結果として健保財政の赤字は本当に解消できるのか、保証の限りではない。「改革」に手を染め、いたずらに制度をいじったあげく、今までよりも状況が悪化する、ということも充分ありうることだ。

「構造改革」といえば聞こえはよいが、要はギャンブルである。濃厚診療の元凶の出来高払い制を定額払いに切り替えたために、今度は過少診療が問題化する恐れがある。むろん、現行制度のまま何もしなければ、待っているのは際限のない保険料の値上げだけであることは明らかだが、といって「座して死すよりはまし。打って出るべし」という闇雲な追い詰められた気分にかられて突っ走るのも考えものである。「構造改革」を論議すること、大いに結構だが、その前にやるべきことは果たしてないのか。

ある。「構造改革」をやろうがやるまいが、そんなこととはお構いなく、是が非でもやらなければならないことがある。保健医療費の不正請求の摘発強化である。

様々な不正請求の手口

約27兆円にのぼる保健医療費のうち、約3割は不正請求である、と断言するのは、医療機関に対して診療報酬の指導や監査にあたっているベテランの現役指導医療官のA氏である。

「保健医療費のうち、ブラックゾーンとグレーゾーンがかなりのパーセンテージを占めています。グレーゾーンとは、不正や過誤の可能性も高いが、レセプト(診療報酬明細書)を一見しただけでは断定ができない不透明な請求のことで、ブラックゾーンとは医師や医療事務担当者が確信犯的な意識をもって行った不正請求で、監査をすれば不正を立証できる可能性の高い請求のことです」

ややこしい話になるが、ここで診療報酬払いの仕組みを説明しておこう。

診療報酬は、社会保険診療報酬支払基金と国民健康保険団体連合会が、各医療機関から提出されたレセプトを審査し、算定したうえで各保険者に請求される。保険者とは、被保険者の支払う保険料を預かる各健保組合(組合管掌健康保険)特に(政府管掌健康保険)および市町村(国民健康保険)のことである。ここでレセプトを点検の後、支払基金・国保連を通じて、診療報酬が各医療機関に支払われるのである。こうした一連の過程のなかで、不正が行われるわけだが、ひと口に診療報酬の不正請求といっても、その手口は様々である。

診察や検査・投薬などの医療行為を行っていないのに、被保険者の保険証のコピーなどを流用し、診療報酬を請求するのが、「架空請求」である。保険請求が認められていない健康診断を、診療行為を行ったとする手口も、この架空請求のカテゴリーに含まれる。最近の事件としては、大阪市北区の淀川善隣館付属診療所が、中小企業を対象にして行った無料健康診断の際、必要がないのに健康診断のコピーを提出させて、カルテを偽造し、約1億8,000万円を不正請求していた例が挙げられる。

診察や調剤などの診療行為を患者に対して行ったうえで、その患者に行っていない診療費を上乗せして請求する手口を「付け増し請求」という。似たような手口だが、ある診療行為を実際に行っておいて、請求の段階でより点数の高い診療行為を行ったことにして水増し請求することを「振り替え請求」と呼ぶ。

また、ひとつの診療行為で、患者の自己負担分を保健と偽って請求するのが「二重請求」である。こうした「架空請求」「付け増し請求」「振り替え請求」「二重請求」などは、すべてA氏の定義する「ブラックゾーン」に分類される。

前出のA氏の話に再び耳を傾けよう。

「レセプトの審査というのは、書かれている検査と病名、そして投薬等の診療内容が、適切な対応関係にあるかどうかをチェックすることです。Aという病気に対して一般的に用いる薬Bではなく、薬Cが多量に使われていたり、「軽い疾患なのに、不必要に検査回数が多かったりすえば、怪しいということになる。つまり『作文』として論理的に辻褄(つじつま)があっているかをみるわけです。

しかし、患者の容態が急変するなどして、医師の裁量で緊急処理をなされたような場合もあり、作文としての辻褄が合わなくても、不正とは一概に決めつけられない場合も多い。逆にレセプト一枚単位では辻褄があっていても、一つの医療機関で似たような『作文』が頻出するような場合は、怪しいと思われる。とはいえ医師側からすれば、言い逃れができないことはない。そうした、ボーダーライン上の請求を、グレーゾーンと呼んでいるのです。

長年にわたって支払基金と国保連の両方で審査委員を務め、レセプトを実際に審査してきた人間として言わせてもらえば、明らかにおかしい、きちんと監査を行えばまず間違いなく不正が破格すると思われるブラックゾーンのレセプトは、全体の約3割を占めていると断言できます。95年度の保健寮費総額は約27兆円ですから、このブラックゾーンをカットするだけで、9兆円も減る。少なく見積もって1割をブラックとしてカットするだけでも、2兆7,000億円が浮くことになります」

A氏の言う通り、膨れ上がる一方の保健医療費の3割が「ブラック」であるならば、これをきちんと摘発してゆくのは喫緊(きっきん)の急務であろう。換言すれば、悪質なケースを確実に摘発することすらできなければ、健保財政の苦境は改善されるはずもない。

それでは、不正請求摘発の実績は、現実にはどの程度のものなのだろうか。

95年度に、不正が発覚し、健保組合などの保険者に対して変換するように命じられた不正請求の総額は、約46億1,400万円である。その内訳を記すと、監査を受けたのは医師150人、歯科医師16人、薬剤師54人と、病院・診療施設56施設(歯科含む)、薬局48施設。その中で手口がきわめて悪質であったり、不正請求額が大きかったなどとして、保険医の資格を取り消されたのは医師12人、歯科医師6人。保健医療機関の指定を取り消された病院は9施設、歯科医院は6施設である。

約46億円という金額は、巨額に聞こえるかもしれないが、先にA氏があげた「ブラックゾーン」の「9兆円」という数字のわずか2,000分の1にすぎない。むろんA氏は大雑把な実感を述べたのであって、正確な統計数字とは違う。実態以上に誇大に思い込んでしまっているかもしれない。しかし、そうであるにしても、数字がかけ離れすぎている。

では、95年度だけ不正請求額が例年になく低かったのかといえば、そうではない。逆である。95年度分のこの数字は、薬害エイズで悪名をはせた製薬メーカーの「ミドリ十字」などが、未承認の放射性検査役を大量にあちらこちらの病院にばら撒いたため、不正請求額がハネ上がった89年度の約69億円に次ぐ、史上2番目の数字なのである。

参考までに、過去10年間の不正請求返還額を並べてみよう。

86年度 15億3,655万円
87年度 22億643万円
88年度 45億7,200万円
89年度 69億893万円
90年度 24億6,741万円
91年度 26億7,989万円
92年度 28億5,086万円
93年度 31億4,107万円
94年度 36億1,519万円
95年度 46億1,377万円

この10年間の総額を1年平均にならしてみると、33億5,921万円。95年度が、「例外的に高額」なのは、厚生省によれば、「保険適用が認められていない、内視鏡を用いた手術を行って、診療報酬を不正請求したケースが全国で多数見つかったため」だという。

大型のケースが摘発された年は数が伸びるが、そうでない都市は20億円台が「例年並み」なのだ。

おそらく97年度の不正請求額は、再び「例外的な高額」となるに違いない。大阪の安田病院グループによる巨額の不正請求事件が発覚したからである。A氏の指導医療官としての「実感」と、摘発された不正請求額の乖離(かいり)の謎はひとまず横において、安田病院事件を検証しながら、不正請求の実態はいかなるものかを見てみよう。

2年間で不正請求
20億円

97年7月17日午後、大阪地検特捜部と大阪府警は、安田基隆院長(77歳)が実質的に経営する安田系列3病院に対して、診療報酬の不正請求による詐欺容疑で強制捜査を行った。

これに先立ち、大阪府と厚生省が、97年3月に3病院に対して行った立ち入り調査により、187人の職員が、実際には在籍しない「幽霊職員」だったことが発覚、不正受給した診療報酬は約20億円近くにのぼることが明らかになった。

この20億円という金額は、95年と96年の2年間にわたる不正請求の総額であり、それ以前の数字は含まれていない。安田院長のワンマン経営のもと、不正行為が組織的、継続的に行われていた状況から考えて、大規模な不正請求はかなり前から行われていたとみて、まず間違いない。過去に遡(さかのぼ)って、すべての不正請求を算定したとしたら、途方もない金額になると思われる。

安田病院グループが不正受給した約20億円という金額は、先にあげた過去の不正請求事件と比較すると、いかに大きいかはっきり実感されるだろう。統計を完全に調べきれたわけではないので断言はできないが、一人のオーナーが実質的に経営してきた病院の不正受給額としては、おそらくワーストスリーに入るのではないか。この事件が97年度分の不正請求返還総額を大幅に押し上げることになるのはまず間違いない。

7月28日には、安田院長と病院幹部らが詐欺容疑で逮捕されるに至ったが、彼らが不正に搾取してきた金はもとはといえば、我々、被保険者が自分の財布の中から毎月コツコツと支払ってきた貴重な金である。それを盗み取ってきた安田院長らの行状は厳罰に処されるべきであり、同情の余地はない。

しかし、問題なのは、安田院長のようなケースは、ごく特異な例外なのかどうか、である。

安田病院グループは、史上まれにみる悪質な不良医療機関であるのか、それとも、「ブラックゾーンのほんの氷山の一角」にすぎないものの、たまたま運が悪く摘発されてしまったのか、一体どちらなのかという疑問である。

近畿在住のある医療関係者は、「安田だけが特別だとはいえない」と言い切った。

「たしかに安田系列の3病院は、不正請求のやり口にしても、医療の質の低さをみても、悪質きわまりない。しかし、同様の病院が他にないかといえば、残念ながらそうではない。

安田病院は『うば捨山』的な老人病院の典型であり、大和川病院はこれまた典型的な『強制収容所タイプ』の前近代的精神病院で、大阪円生病院は、行き場のない高齢の生活保護者や病気になったホームレス、いわゆる『行路病人』などを入院させている『行路病院』でした。

家族からも社会からも見放されてきた社会的弱者を、積極的に受け入れてきた、といえば、聞こえはいい。しかし実態は、世間が『厄介払い』した患者を引き受けるから、そのかわり甘い汁をすわせろ、という暗黙の了解が行政との間に成立していたのです。

ひどい不正行為を働いているのかどうかはともかく、似たようなタイプの病院は大阪だけでも幾つもあります。本格的にメスを入れれば、おそらくあちこちから膿がいっぱい出てくるでしょう」

不正の実態が明らかになった後では信じがたいことなのだが、診療報酬の不正をチェックする機関の間では、安田グループはノーマークで、ブラックリストにも載っていなかったという。

安田系列3病院に対して立ち入り調査を行った大阪府福祉部社会保険管理課の井上五雄医療管理官は、こう語る。

「我々は捜査機関ではない。強制捜査権もありません。我々の調査できることは任意の調査どまりです。したがって、病院側の協力とお互いの信頼関係がなければ、我々の仕事は成立しません。確信犯的に届け出を偽造されたりすると、見抜くのは大変難しい。

また、調べにあたる人員の絶対数も足りない。府下の約600の病院に対し、わずか2、3人で審査・調査にあたっており、とてもじゃないが、すべてに目が行き届かないのが現実です。

それゆえ調査の対象は、不正が行われているという情報が多く寄せられた要注意の病院に限られる。それ以外の病院は、書類が整ってさえいれば、信頼せざるをえません。安田の場合は、その要注意リストの中に入っていませんでした。

レセプトの請求額が、常に高額であれば、『要注意』となるのですが、安田系列3病院の場合、レセプト1枚あたりの請求額は高くなかった。平均か、それ以下だったのです』

7月に入ってから安田側は「病院側の見解」という文書を発表しており、その中でこう主張している。

「当病院においては、現在迄社保、国保診療報酬基金審査委員会においては、優良病院であって今迄あまり減点もなく注意も受けておりませんのに、今回突如診療内容の指摘を追加されるのは何故でしょうか。当病院の請求点数は、日本全国の平均請求点数以下で医療保険の経済に協力しております」(原文ママ)

過去に大阪府医師会の理事や、住吉区医師会長を歴任した安田容疑者は、診療報酬支払基金の審査委員を務めた経験もある。皮肉な話だが、彼はレセプトをチェックして不正を見つける立場の人間だったのである。

安田容疑者は、膨大な数になる系列3病院のレセプトすべてを自分でチェックしていた。レセプト審査の裏も表も知り尽くしていた彼は、減点査定されないよう、レセプトの「作文上の辻褄合わせ」に余念がなかったのである。

おそらくレセプト審査委員の内では、安田系列3病院は「グレーゾーン」扱いにすらなっていなかっただろう。レセプトの書面審査だけでは、実はすべての不正を見つけるのは困難なのである。

安田系列3病院では、職員数を水増しして届け出て、高い点数の基準看護料を受けとる一方、実際の職員数は極力少なくしてコストを圧縮し、不当利益を手に入れていた。そうした暴力的なコスト削減の結果、寝たきり老人の患者らは電気代節約のために冷暖房を切られた病室で、ろくな診療も介護も受けられず、放置されていたわけである。

医療機関における不正の横行は、財政の悪化といった経済問題の次元にとどまらず、患者の生命や健康を脅かすことになりかねないところが恐ろしい。

こうした職員数の水増しによる不正請求を見抜くのは、レセプトの書面審査だけでは困難で、立ち入り調査などによる医療実態の把握が欠かせない。

問題は、今回のケースの場合、その実態把握が極めて杜撰(ずさん)だったことだ。医療機関の職員数などの把握は、大阪府では、環境保健部の医療対策課が管轄する。同課では、年1回定例の医療監視を行っているが、常にその結果、安田系列3病院について「問題なし」と報告してきた。安田側の偽装工作を見抜けなかったのである。

「医師性善説」という前提

今回の不正の摘発は、直接的には今年の3月に厚生省と府が、定例の医療監視とは別に合同立ち入り調査を行った結果だが、そもそも行政が重い腰を上げたのは、あいついだ元職員らの内部告発や、患者に対する虐待など、大和川病院における精神医療の問題を指摘し続けてきた弁護士グループの調査などがあったからである。

そうした外部からの働きかけがなければ、安田らの不正は半永久的にものがされ続けたかもしれない。通常の不正チェックシステムは、事実上、機能していなかったのである。

大阪府医師会理事を務める大北外科病院の大北昭院長も、行政のチェックシステムの機能不全を厳しく批判する。

「病院責任者側の責任は当然問われなければなりませんが、今回の安田病院の不正請求問題で明らかになったのは、行政の責任も非常に大きいことです。府の医療対策課は何をしていたのか。ルールに則(のっと)ったきちんとした医療監視がまったく行われていなかった。

また、病院側が出した新看護基準の届け出を受理するに際しても、府の社会保険管理課や国民健康保険課は、医療現場の実態をまるで把握していなかった」

チェックシステムが機能していないということは、端的に言ってしまえば、安田グループのような医療機関がまだまだ他の存在し、当局に摘発されることなく不正を働いている可能性がきわめて高いということだ。

ここで留意すべきは、安田系列3病院の規模を病床数ではかると、日本中の医療機関の全病床数のわずか0・07%を占めるにすぎないこと、そしてたかがこの程度の規模の病院が行った不正請求事件が、先に述べたように、「過去に例をみない巨額の不正請求事件」になってしまうことである。

私たちは、安田グループのしでかした不正請求の額の大きさに驚くのではなく、実は過去10年間に摘発された不正請求が、年平均わずか33億円でしか内という金額の少なさにこそ驚くべきではないいか。そう思ってみれば、指導医療官A氏の挙げた「ブラックは9兆円」という途方もない数字も妙にリアリティを帯びてきて、あながち真夏の夜の怪談話ではないと思われてくる。

厚生省のノンキャリの某課長代理は、「薬害エイズ問題を引き起こしたり、現役の事務次官が逮捕されたりと、ウチも大きなことをいえた義理ではないですが」> と苦笑いしながら、匿名を条件にこう語った。

「率直に言いますと、問題のある病院というのは、一般の方が想像されるよりはるかに多いんです。20数年間この仕事をしてきたおかげで、『聖職者』扱いされてきたお医者さんの裏の顔を嫌というほど見てきたものですから、本当に医者不信、病院不信になりましたよ。

ところが、いざ医者のやっている不正を糺(ただ)そうとすると、これが実に難しい。医師免許は法律でとてつもない特権を保証されていますから。これは医師というエリートは、悪いことをしないという『医師性善説』の前提に立っているからです。

同様に医療監視にしろ、何にしろ、医療に関する現行の法体系やシステムはすべて、基本的に『医師性善説』を前提にしているものだから、私らなどはたいしたことはできない。できることは、口頭や文書で改善を求める指導が大半です。

そのなかで、悪徳医師や問題のある病院に対して影響力を行使できる数少ない分野が『保険』なんです。だから、乱脈診療をやっていて問題だという病院に対して、その診療内容にストレートに切り込むことはまず無理なので、保険の不正の問題を突破口にして入っていくことが多い。しかしそれも、よほど確実な証拠が手に入ってからでなければ動き出せない。そういう法制度になっている。内部告発の手紙などは、私らのもとにも数多く寄せられるんですが、残念ながらそのほとんどが証拠不足で、動きようがない。我々としても実に、はがゆい限りなんですよ。

不正請求は間違いなく、医療費の膨張に一役も二役も買っていますから、なんとか手を打たなくてはいけないんですが。

期待しているのはレセプトの開示です。これが進めば、不正の発見につながり、ひいては不正請求そのものの歯止めにもなると、期待しているんです」

不正を減らすことができなければ、どのような制度改革を断行しようとも、保険料の引き上げを何度繰り返したとしても、赤字は決して減りはしない。現状のままでは、バスタブの栓を抜いたまま、お湯を注ぎ続けるに等しい。

ところが、子供でもわかりそうなこの理屈が、まったく理解されていない。

96年11月に厚生大臣諮問機関の医療保険審議会は、小泉厚生大臣宛に医療保険制度改正の建議書を提出したが、その文書のどこにも、不正摘発のメカニズムの見直しや強化について言及した箇所がない。意図的にかどうかはともかく、見事なまでにすっぽりと抜け落ちてしまっているのである。

なぜ医療界や厚生行政の世界では、こんな基本的な問題意識が欠けてしまっているのだろうか−−。

さらなる負担を国民に
求める厚生省

本稿のこれまでのところは、『世界』97年9月号に掲載された。以下、同誌10月号に発表した続編を続ける。

拙稿の全編の中で、「保健医療費27兆円のうちの約3割=約9兆円は不正請求の疑いが極めて高いブラックゾーン」という現役指導医療官の証言を紹介したが、これが思わぬ反響を呼んだようである。「あれが事実なら許せない。なぜ今まで行政は放置してきたのか」という読者の声や、他のマスコミからの問い合わせが私のもとに寄せられた。97年8月10日に放映されたNHKの「日曜討論」では、「医療費の約3割が不正請求という話があるが、事実か」と問いつめられた日本医師会幹部が、弁明に終始するという一幕も見られた。

読者の驚きや憤りはもっともである。9月1日からスタートした新保険制度により、患者の自己負担分が大幅に増えることになった。ところが厚生省は、新制度がまだ実施されてもいない8月の段階で、さらなる負担増を国民に求める腹づもりであることを明らかにした。8月8日に発表された「21世紀の医療保険制度」という厚生省案によれば、保健医療費における患者負担分を一律3割、大病院の外来にかかった場合には、何と5割まで引き上げるというのである。

しかも、この厚生省案には、不正請求摘発のための具体策は、例のごとく何も書かれていない。健保財政の破綻のしわ寄せを、国民に対して負担増という形で一方的に押しつけながら、不正請求の摘発についてはまるで及び腰なのである。

職員数を水増しするなどして、約20億円もの診療報酬を不正受給していた大阪・安田病院の安田基隆院長らが7月28日に、詐欺容疑で逮捕されたが、安田病院と同様の悪徳病院は全国どこにでもあることを、この国の庶民は肌で感じている。小手先のごまかしの「改革」では、もはや国民を説得することはできない。

医療ジャーナリストの油井香代子氏は、こう語る。

「診療報酬の不正請求が医療費を押し上げる一因となっています。ところが、厚生省はその不正請求を放置したまま、健康保険の自己負担増という一番安直なやり方で、健保財政破綻の危機を切り抜けようとしているのです。

現行の指導医療官制度は充分とは言えないものですが、少なくとも指導医療官が給料に見合う働きをできるようになりさえすれば、自己負担分をカバーしてありあまるほどの不正請求を抑えられるはずなのです」

前号でも述べた通り、どれだけ国民に負担増を負わせたとしても、はびこる不正請求を放置していては、医療費の伸びを抑えることはできない。栓を抜いたまま、バスタブにお湯を注ぐようなものである。

歯科の不正請求は約5割

なぜ、こんな状況がまかり通るのか。

第一の理由として考えられるのは、レセプトの審査そのものが、おざなりなのではないか、という疑いである。

前号で登場願った現役の指導医療官A氏は、レセプト審査の実態についてこう述べる。

「レセプトの審査は、期日がひどく限られている。支払基金の場合は、月に5日間、国保は4日間です。こんな短時日で、膨大な量のレセプトを、ほんの数人の審査委員で見なければならない。一日中やっていると腱鞘炎になるほどです。

一枚のレセプトを審査するのに要する時間は、だいたい3秒から5秒。パラパラとめくるだけで、念入りなチェックなど、のぞむべくもない。審査委員の中には、まったく何も見ないでハンコを押しているような人もいます」

そんな杜撰(ずさん)な審査しか行われていないにもかかわらず、支払基金はレセプト一枚の審査につき113円60銭の手数料を取っている(現在は116円80銭に値上げされた)。その手数料も、すべて我々が納める保険料から支払われているのである。

不正が横行するもうひとつの理由として、何といっても医師自身のモラルの低下をあげなくてはならない。

「今の医者たちは、自分の利権さえ守れれば、国の財政がつぶれても構わないと考えているんじゃないでしょうか」

そう言いきるのは、群馬県高崎市でしか医院を開業している丸橋賢氏である。

「一般医科の不正請求もひどいが、歯科の不正はもっとひどい。歯科の診療報酬請求の5割は不正請求です」

丸橋氏はそう言いきると、県内の歯科医院のレセプトのコピーを見せた。

「これは、この病院の職員が私のところへ送ってきた内部資料です。これをみると、患者に対して盲嚢掻爬(もうのうそうは)術という歯周病の手術を行ったことになっていますが、実は架空請求なのです」

この盲嚢掻爬術という手術を行ったとして請求する歯科医院は、高崎市内でも非常に多い。ところが不思議なことに、県内の医療機器卸売業者によれば、この手術に必要なグレーシー型キュレットという特殊なメスを購入している歯科医院は、高崎市内ではほんの数件しかないという。

「それ以外の歯科医院は専用メスすらもっていないのに、平然と架空請求し続けているわけです。これはほんの一例で、不正請求のやり方は何十種類もあります。医者の間では、ただ単にレセプトに『作文』を書き込むだけでおカネが入ってくるため、『魔法のボールペン』などと医者の間では呼んでいます」

率直に言えば、丸橋氏から「5割が不正請求」と聞かされても、にわかには現実感が湧いてこなかった。

ところが後日、都内の某歯科大学に勤務するC教授に尋ねたところ、「歯科の不正請求は、保険請求の約半分を占めているはず」と、丸橋氏の言葉とまったく一致する回答が帰ってきたのである。「最近、こんなことがありました」と、C教授は語る。

「私のところに警察の捜査関係者が、都内のある開業歯科医のレセプトをもってやってきた。詐欺の疑いがあるから見てくれという。見てみると、ある年にある患者の歯を抜いたことになっているのに、翌年は同じ患者の同じ箇所を、虫歯治療して充填したと書いて請求している。滅茶苦茶なんです。

ところが、警察の内偵捜査が進んでいるという情報が、その開業医の耳に入ったのでしょう。逮捕に至る前に自殺してしまった。痛ましい話ですが、発覚したら自殺しなけりゃならんと思いつめてしまう犯罪行為を、はぜ、積み重ねてきたのか。愚かしいというしかない」

問題はその後である、とC教授は言う。

「その歯科医師が卒業した大学の関係者たちが、『誰が密航したのか、調べ上げて制裁してやる』と言って息巻いているのだそうです。もしも彼らが、自分の大学のOBの自殺を悲劇だと思うなら、そんな悲劇が二度と起こらないように、学生やOBに対して不正請求を行わないよう、指導を徹底すべきでしょう。

嘆かわしいことですが、医者の世界問いのは非常に閉鎖的で、身内をかばいあう結束意識だけ強く、当たり前の社会常識が通じないところがあるのです」

不正請求がなぜかくも横行するのか、その理由の一端が、C教授の語るエピソードの中に図らずも表れている。

開業医は一人ひとり独立した存在のはずである。にもかかわらず、なぜ足並みをそろえて、似たような手口で不正請求を行っているのかといえば、大学単位や地域の医師会単位で結びつき、互いの不正をかばいあう風潮が蔓延しているからなのだ。加えてそこに行政や政治との癒着が加わる。構造的な汚職のメカニズムが確立されてしまっているのである。これが不正請求が横行する第三の理由である。

抱かせろ、飲ませろ、
握らせろ

前出の丸橋氏は、癒着と馴れ合いの現状について、こう告発する。

「どこの都道府県でもそうですが、不正は歯科医師会ぐるみで行われています。医者が高い入会金や会費を払って、医師会に入るのは、不正請求してもお目こぼしとなるよう便宜をはかってもらえると期待しているからです。逆に、医師会を批判したり、不正に対して毅然とした態度をとると、ひどい目に遭います」

丸橋氏はかつて地元の群馬県歯科医師会の理事を務めていた。その当時、不正行為が蔓延している現状を医師会内部で批判したところ、嫌がらせや脅迫があいつぐようになったという。

「いたずら電話がかかってきたり、脅迫の手紙が届いたりなどというのは序の口です。現状を憂える少数の仲間の医師たちと会合を開くと、どこから聞きつけたのか、その席に、頼んでもいないのにコンパニオンがやって来たり、5万円のお刺身セットが届いて請求されたりする。

それだけではない。不審な人物が家の周囲をうろついて、『丸橋の暮らしぶりはどうか、どんな人間が出入りしているか、娘は何歳か』などと近所の人に根掘り葉掘り聞き回ったりするのです」

丸橋氏が見せてくれた脅迫の葉書のひとつには、「青二才、責任を取れ! 取らずば天誅を下す(家族・家)」と大書きされていた。

「ある時、私のところに監査の通知がきた。冗談ではない。不正請求など一切していないのに、監査に入られるいわれはない。私は手続きを踏んで異議申し立てをしましたが、監査は強行されました。

ところが、当時の指導医療官本人は、常勤なのに、歯科医院を役所の目の前で開業し続けていた。保健課の人間もいい加減なもので、適当な時刻に『先生そろそろ』といって呼びに来る。彼が抜け出している間は、無資格の助手や妻が、患者の歯を削ったりする。もちろん、無資格診療ですから完全な違法行為です。

あまりにも目に余るのでこの人物を告訴した。すると私に圧力をかけていた連中もまずいと踏んだか、それ以降、脅迫も嫌がらせもぴたりと止まりました」

同様の圧力を味わった医師は他にもいる。やはり、地元の歯科医師会に対してたてついた人間ばかりであるという。

「逆に、医師会の実力者や上層部の移行に従順な人間に対しては、レセプトの審査も確実に甘くなるんです。

群馬県内のある市の歯科医師会長が、不正請求のため監査にかかることになったのに、結局、もみ消されてしまったことがありました。私自身が県の保健課の職員から聞いた話では、自民党の中曽根派の県会議員が6回も保健課に足を運び、圧力をかけたそうです。

地元医師会は、いざというときのために、政治連盟を通じて有力議員たちに欠かさず献金しているのです。現役の歯科医師会役員の不正が発覚したのに、たった数百円の返還で済んだという事例もありました」

医師会と、レセプトを審査する審査委員会および指導医療官の馴れ合いはひどい、と丸橋氏は憤りを隠さずに続ける。

「審査委員会は本来、学識経験者の代表と診療担当者(医師)代表、保険者代表の三者で構成されなくてはならないと、国民健康保険法などで定められていますが、すべて地元の医師会会員が占めるという異常な状態が続いてきました。診療報酬を請求する側の人間たちが、自分たちのレセプトを審査しているわけですから、不正の摘発など不可能です。

また、指導や監査を専門的に行うべき立場の指導医療官も地元医師会とべったり癒着している。そもそも指導医療官が、地元の医師ではどうしようもない」

群馬県の場合、現役の歯科医師会の役員が二代にわたって続いた。これではチェック機能などまったくないに等しい。

「レセプトの審査委員会が終わった日は必ず、指導医療官は医師会の接待を受けるのが慣例になっていました。一次会は料亭、二次会はクラブやスナック、そして最後に医師会にあてがわれた女性とホテルに泊まってしめくくるんです。忘年会や納涼会でも同様です。

たびたび『講演会』と称する催しが医師会主催で開かれるのですが、その場合も最初から会場は料亭なんです。

一般会員が酒を飲みながら待っていると、『講師』の指導医療官が、医師会の役員らとともに、すっかりできあがった赤ら顔で登場する、そしてその指導医療官が、酔っぱらったまま、ひと言『本日はお招きに預かりまして、ありがとうございました』と挨拶すると、『講演』は終わりとなり、講演料名目の現金が手渡され、あとはただの宴会となってしまう。

そして最後はお決まりですが、医師会が用意した女性とホテル行きとなるのです。これらはすべて、私自身がこの目で目撃したことばかりです」

「抱かせろ、飲ませろ、握らせろ」という、贈収賄における黄金の「三位一体」が、何ひとつ欠けることなく、衆人監視の中で堂々とまかり通っているわけである。信じがたい腐敗ぶりと言う他はない。

丸橋氏らが厚生省に直接働きかけたこともあり、現在の群馬県の指導医療官のポストには、地元の利害とは関係がない中央採用の人物が就いている。しかし、「状況はまだまだ改善されていない」と丸橋氏は言う。

「審査委員会の方はほとんど変化がない。大学関係者が二人だけ加わりましたが、あとは医師会の息のかかった人物ばかり。医師会の会員たちが、自分たちの都合のいいように、甘い汁を吸える利権構造は今でも温存されたままなのです」

やりきれない話であるが、こうした癒着と腐敗の構造は、群馬県内だけに見られるものなのだろうか。そう尋ねると、丸橋氏は躊躇することなく否定した。

「群馬だけではない。日本全国、どこへ行っても似たような構造になっています。歯科だけでなく、医科も大同小異です。これを根本的に改革しない限り、被保険者が支払う保険料を悪徳医師が食いつぶし、その結果、医療費が高騰したといっては、患者に負担増を求める悪循環を断ち切ることは絶対できません」

元指導医療官の告発

癒着の構造について考えるとき、鍵となるのは、全国で約100人を数える指導医療官の存在であろう。指導医療官は、本来、地元の医師会からも、地元の官僚からも一歩距離をおいた存在であり、「医療費Gメン」とも呼ばれている。この制度が十全に機能すれば、不正摘発に一定の力を発揮できるはずである。

ところが現状はそうではない。ベテランの指導医療官のB氏は、「我々の置かれている立場は、非常に不安定なんですよ」と、実情についてこう語る。

「指導医療官は、医師免許を持った人間がなることと定められている。そのため、厳しい審査をしたりすると、医師会側から『同じ医者なのに、裏切り者め』と、激しい反発を買う。逆に役人の側からすれば、単なる『捨て駒』にすぎない。非常に孤独な存在であり、それゆえ医師会側に取り込まれやすいのです」

指導医療官と医師会の癒着ぶりについて、当事者の立場から生々しい証言を寄せることのできる人物がいる。2年前まで歯科指導医療官を務めていた佐藤一郎氏である。

佐藤氏は、京都府で歯科指導医療官を務めていた92年から95年の間に、府の歯科医師会の幹部や府内の歯科医師などから審査に手心を加える見返りに、計420万円の賄賂を受け取るなどして、95年3月に懲役2年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受けた。

執行猶予中の佐藤氏を自宅に訪ねると、重い口を開き、ぽつりぽつりと自身の体験を語った。

「おカネを受け取ったのは事実です。今となっては遅すぎますが、何と愚かなことをしてしまったのかと、我ながら情けない思いでいっぱいです。

当然のことながら、指導医療官の職は解かれ、420万円の追徴金を支払い、歯科医師免許も取り消されてしまいました。自業自得と言われればそれまでで、人様の同情を買う余地はないのでしょうが……」

佐藤氏が犯した贈収賄という犯罪それ自体については、当然のことだ。しかし、その「犯行」に至る経過をみてゆくと、気の毒な側面もないではない。

彼個人を断罪するだけでは、本質を見誤ることになると、事件の消息を知る関西の医療関係者D氏は語る。

「もともと三重大医学部口腔外科の助教授をしていた佐藤さんは、国立京都病院の歯科医長に転出後、請(こ)われるまま、ドロドロとした地域の医療界の現実を知らずに、指導医療官となった。彼とすれば、当たり前のやり方で、審査をしていたつもりが、指導の件数が前任者の数倍にもなってしまった。

このままでは大変だと、懐柔工作が行われるようになり、結局、彼もその汚れた水に飲み込まれてしまった。そしてそれまで、なまじ厳格な指導を行っていたために、憎しみを買って密告されてしまったわけです」

再び佐藤氏本人の述懐に戻ろう。

「私が着任してきたときには、前任者が積み残した仕事が山積みになっていました。私も前任者にならって、仕事をせず、事なかれ主義を通していれば、問題は起きなかったのかもしれません。しかし、そんな『処世術』が私には身についていなかった。私としては、普通に仕事をしたつもりなんですが……

私が指導をたびたび行うので、府の歯科医師会の会員たちは不満を募らせて、執行部を突き上げたそうです。会員たちとすれば、『高い会費を払っているのに、なぜ佐藤を抑えられないんだ』という不満があったわけです」

京都府しか医師会の会員となるには、500万円近い入会金を払わなくてはならず、その後も、約23万円の年会費を納めなくてはならない。そのうえ、自民党などへ政治献金するための政治団体・日本歯科医師政治連盟に対しても、多額の会費を納入させられる。そうした支出の「見返り」として、レセプト審査で「手心」を加えてもらう、そんな『取り引き』が慣例化していたのである。「とはいえ、指導医療官の権限はたいしたものではない」と佐藤氏は続ける。

「実際には、お飾りのようなものです。いざ指導や監査をやろうとすると、事務方のハンコが必要になる。保健課の課長らがハンコを押さなければ、何もできない。そうした圧力のために指導や監査がつぶされたケースは多々あります。

府の保健課と医師会もべったりで、被保険者の利益を代弁すべき立場の支払基金もまた、彼らと癒着していましたから、被保険者の立場に立って不正を暴こうとする人間は誰もいないような状態でした」

「医療費Gメン」などと持ち上げられてはいるが、指導医療官の現実は、何のことはない、組織の中で汲々としている子役人と変わるところはないのだ。

「次第にやる気をなくしてきたときに、『他府県の例にならって、悪いようにはしないから』と、甘い言葉を節か医師会の幹部からかけられ、94年6月から『講演料』の名目で月に20万円ずつ受け取るようになってしまった。悔やんでも悔やみきれないとはこのことです……。

私のしでかしたことは、まったく弁解の余地がない。しかし、恥をしのんで、こうして、自分の体験をお話しするのは、私の事例を『他山の石』として、私のように何もかも失うような人間が今後は現れてほしくないと思うからであり、また、不正請求がまかり通っている土壌を変えなくてはいけないと痛感したからです」

そう述べてから、佐藤氏は、「ただ」と、一呼吸おいて、無念の表情を浮かべながら言葉を続けた。

「贈収賄というものは、本来、贈賄側も収賄側も、同程度の罰を下されるべきではないでしょうか。しかし、この事件で下された行政処分は、公平なものとはいえません。

私は歯科医師免許取消となってしまった。しかし、収賄側の処分は、府歯科医師会の尾上徹前会長と鈴木実元会長が6ヵ月の偉業停止処分、浅井計征元専務理事と今井和彦元常務理事が同4ヵ月というきわめて軽いものにとどまり、その後はまた元通り、医者を続けているのです。これはあまりに公正さを欠いているのではないでしょうか」

前出のベテラン指導医療官のB氏は、「佐藤氏を擁護するつもりはないが、彼ひとりをスケープゴートにして、それで終わりにしていいはずはない」と、怒気をはらんだ口調で言う。

「95年に佐藤氏の事件が発覚した翌年、全国の指導医療官が東京の厚生省に集められました。その会議の冒頭で、『もっと気をひきしめよ。綱紀粛正せよ』と訓示を垂れたのは、誰あろう、当時の岡光序治事務次官ですよ。

それから1年もしないうちに、岡光自身が収賄で逮捕されてしまった。つくづく、現在の医療行政の腐敗は根が深いな、と思い知らされました」

佐藤氏の事件は、医療界に「一罰百戒」的な心理的効果を、わずかながらでも及ぼしたかもしれない。しかし今まで見てきたような癒着の構造そのものに、大きな変化がもたらされたわけではない。レセプト審査のシステムを抜本的に改革し、不正請求を一掃しようとする動きは、ほとんどみられない。

刑事告発に統一基準を

問題点を整理しよう。

第一に、指導医療官は、地元と癒着することのないように中央で試験を行うなどして一括採用し、「医療費Gメン」の名にふさわしい権限を与え、不正摘発の任務にあたらせるべきであるが、今でも各都道府県単位で地元のコネによって採用される状況がだらだらと続いている。

第二、レセプトの審査委員会も、三者構成の建前が、全国各地で完全に形骸化している。地元医師会推薦の医師がメンバーを占めて、身内が身内を審査する現状は一向に改まる気配がない。また本来ならば、保険料を毎月支払う我々被保険者の利益を守る背金があるはずの支払基金や国保連も、不可解きわまりないことに、不正請求を厳しく審査していこうとする積極的な姿勢に乏しい。

第三に、何より根の深い問題と思われるのは、「診療報酬の不正受給は犯罪である」という当たり前の認識が、医療界や厚生行政の世界においては決定的に欠けていること、そして第四に、行政が刑事告発する場合でも、その基準があまりにも不明確であることだ。

刑事訴訟法では第239条2項で、公務員の刑事告発義務が定められている。安田病院の安田院長らが逮捕されたのも、大阪府がこの条項に基づき大阪地検に詐欺罪で刑事告発したためである。

問題は、告発に踏みきる基準が各自治体ごとにバラバラなことだ。数十万円程度の不正受給事件でも刑事告発が行われ、医師の逮捕に至るケースもあれば、数億円単位の不正受給が発覚した場合でも、地域によっては刑事告発が見送られるケースもある。これは明らかにおかしい。

保険行政は、国が自治体に委任した、いわゆる機関委任事務であり、地域差が許される地方自治体の固有事務ではない。従ってサービスも罰則も、全国で平等かつ一律に行われるべきであり、不正受給事件に対して刑事告発に踏みきる際の統一基準を早急に定める必要がある。また、そうでない限り、地域における医師会と行政と審査委員らとの構造的な癒着を断ち切ることは難しいだろう。

こうして並べていくだけで、不正請求を一掃するための手だてが何一つ打たれていないことに、改めて安全とせざるを得ないが、唯一、光が見えたとすれば、最近になってレセプトの開示が認められるようになったことだろう。

レセプト開示の運動を7年前に始め、今日まで引っ張ってきたのは、大阪の高校教師・勝村寿士氏である。90年12月、陣痛促進剤による自己のため、誕生後9日目に長女を亡くした勝村氏は、裁判の資料とするために、公立学校共済組合にレセプトの開示を請求したが、「厚生省の指導で見せられない」という理由で拒まれるという苦い体験を味わった。

「なぜ、自分たちのプライバシーに関わる情報を、自分たちが手にすることができないのか。この壁は何としても破らなあかん」という思いから、以後7年間にわたり、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の事務局長として、薬害問題を訴える他の市民団体等と連携しながら、厚生省との交渉を粘り強く続けてきた。

「薬害問題にしても、不正請求の問題にしても、根はひとつ、医療界と厚生行政の閉鎖性にあります」と勝村氏は言う。

「医療に関するすべての問題の解決のためには、何よりも医療情報の公開が必要です。レセプトの開示は、情報という『武器』を手にする第一歩。今はまだ、面倒な手続きを踏まなければなりませんが、その遠くない将来、病院の窓口で誰でも受け取れるようになると思いますよ」

医療問題は、同時に経済の問題でもある。この点を勝村氏は強調する。

「医療に関わる問題には必ず、背後に経済的な動機やりがいが控えている。レセプトという一枚の紙切れには、医療内容とその対価の情報が書き込まれているわけです。この情報を我々がそれぞれ『医療消費者』の一人としてフルに活用すれば、医療界の旧態依然とした厚い壁を突き崩せることができるはずです」

かつて日本医師会に快調として25年間の長きにわたって君臨し続けた故・武見太郎氏は、「医師会は高いモラルと技術を備えた職能集団である」と公言してはばからなかった。

頑(かたく)なに「医師性善説」を信奉していたはずの武見氏は、しかし生前にこんな言葉も漏らしていた。
 「(医師の集団は)3分の1は学問的にも倫理的にも極めて高い集団、3分の1はまったくのノンポリ、そして残りの3分の1は、欲張り村の村長さんだ」

医師会は、武見氏自身の言葉を借りれば、「自由主義経済化における開業医の独立を守る」誇り高い組織であったはずなのに、気がつけば、「欲張り村の村長さん」だらけになってしまっていたのではないか。

安田病院のような事件を「稀有な例外」として片づけてしまうのではなく、逆にこれを奇貨として、保健医療システムの真の改革につなげていくべきである。

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数字のウソ 2
kyonc.cool.ne.jp/suji/SUJI02.HTM

全国保険医団体連合会は岩波書店・「世界」編集部に対して抗議を行った。

回答は、当該記事には断定している部分はない、どこが問題なのか、と木で鼻をくくったような内容だった。この論法でいくなら、どんなデタラメを書いても、「〜と誰かが言った」、「〜と言う人がいる」と付け加えれば、すべてが免罪されることになる。ちかごろのジャーナリズムは、一事が万事この調子なのだ。主張するなら堂々と主張すればいい。間違っていたら、ゴメンナサイでもいいではないか。無謬性の神話は宗教とイデオロギーの専売だ。ジャーナリズムが真似ることはない。

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国民皆保険 13 / 不正

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 18 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/__8c2e.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
健康保険、医療費、明細、領収書、領収証、不正、過誤、資格喪失、受給資格、喪失、病名、漏れ、病名漏れ、もれ、病名もれ、無駄、コスト、アクセス、クォリティ

日本の医療には無駄が多い。
医療費請求には不正がある。
不正の額は年間 9 兆円に上る。
日本の医療費 30 兆円は、国家予算の 3 割以上の規模だ。
国の財政赤字は、毎年 30 兆円だ。

これは大変だ。ならば医療の無駄と医療費の不正を無くさなければ。

主に野党政治家、財務省や厚生労働省、小泉政権以後の政府与党中枢、財界、健康保険組合、労働組合、こういった領域の人たちの多くは、こう信じているようだ。

政財官に労働組合と来たら、子供と引退した高齢者以外の日本人の大部分ではないか。医療職従事者はこの中には入っていない。医療職従事者以外の日本人全員が、医療職従事者 ( この場合は医師 ) を指弾している。医療機関に安く受診でき、保険料負担を減らし、国の赤字を削減するために。

—–

果たして、日本の医療には無駄が多いのか。

日本の医療システムは、その効率の良さと相まって、WHO から 1 位にランクされた。G7 7 カ国中、対 GDP 比で最低の医療費、OECD 参加国中 17 位の低医療費。

国民皆保険で、アクセスは保証され、コストは安く、クオリティはまあまあ、世界トップレベルの医療を健康保険で安く受けることができるものも多い。

全く無駄がないとは言わないが、既に、かなりの無駄が省かれているように思える。

日本の医療のアクセス、コスト、クォリティのよさは、これまで医師の労働法規無視の働きによって支えられてきた。これ以上無駄を省いて医療費を削減しようとするのは、栄養不良なのにさらにダイエットをするようなものだ。

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果たして、医療費の不正請求は 9 兆円もあるのか。

この 9 兆円という数字は、雑誌「世界」が 1997 年、厚生省の元指導医療官に取材した際、この元指導医療官の個人的な印象として語られた数字である。それが各メディアに取り上げられ、一人歩きし、国会の場でもこれがあたかも本当の数字、公式に数字のように語られた。

この元指導医療官が語った 9 兆円には、受給資格喪失、過誤などや病名漏れでのレセプトの返戻、診療報酬点数表の解釈の違いによる減額などが含まれていると考えるが、それでも桁が大違いである。

不正請求として表面化するものは、だいたい年間 60 億円前後のオーダーである。これは氷山の一角と見る人もいるだろうが、数億円単位の不正は、レセプト審査や医療監査で発見しやすい。大体は医師、看護師の定数や施設基準の問題である。昨年、北海道や東北地方の公立病院が、何件か処分されたものがこの例である。

9 兆円もの不正を働こうと思ったら、25 万人いる全国の医師が、毎日、どれだけの患者さんに対して不正を働かなければならないか、考えてみたらよい。薬や検査の不正はそんなに高額なものにならない。血液検査で 10 数項目の検査をして数千円レベルのものだ。

不正請求が発覚して行政処分を受ける医師の例の多くが、数十万円から数百万円の単位である。それで 2 年間の保険医停止となる。それがどれだけのダメージになるか。100 万円単位の不正では割にあわないわけだ。大多数の医師は、不正を働こうとは思わない。

受給資格喪失、過誤などや病名漏れでのレセプトの返戻、診療報酬点数表の解釈の違いによる減額などは、件数、金額が把握されていて、年間 3,000 億円前後の数字という。これらには医療機関に責任がないものが多数含まれる。

—–

医療費 30 兆円が国の予算の 3 割以上を占めているのか。

簡単に言うと、医療費 30 兆円のうち、国庫負担分は 8 兆円である。医療費 30 兆円が国の財政を破綻させる、という主張をしたい人が、よくこの数字を使う。

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参考リンク

健康情報 Home Page
報道チェック !

医療制度を考える部屋
医療費の大半は少数の患者で使われています
高額医療と救急医療への提言
日本の医療費の実状
小泉改革

参考資料

国民皆保険 13 / 不正資料 1
国民皆保険 13 / 不正資料 2
国民皆保険 13 / 不正資料 3
国民皆保険 13 / 不正資料 4
国民皆保険 13 / 不正資料 5
国民皆保険 13 / 不正資料 6

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国民皆保険 12 / マサチューセッツ州の皆保険資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 12 / マサチューセッツ州の皆保険

米国マサチューセッツ州で、全州民を医療保険加入させる制度の続報。

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神戸新聞 2006.6.18

ほころぶブッシュ政権
06 米中間選挙 5

医療皆保険 マサチューセッツ州
独自制度 州越えて波紋

今年四月マサチューセッツ州議会で成立した法律を、米主要紙はこぞって「歴史的」と報じた。補助金や罰則を駆使して全州民に医療保険加入を求め、事実上の「皆保険」を目指す全米初の制度導入だったからだ。

米国の公的保険は高齢者と限られた低所得者層だけが対象で、大半は民間保険が頼り。医療費高騰で体力のない企業が次々と補助を打ち切る中、保険に入れない無保険者は全米人口の16%、約四千六百万人(二〇〇四年)に膨らんだ。

州都ボストン郊外のプロテスタント教会に通う、母子家庭のベラ・カーターさん(五四)もつい最近まで、約五十五万人とされる同州の無保険者の一人だった。二万ドル(約二百三十万円)の年収は低所得保険(メディケイド)の上限を超えていた。糖尿病、高血圧、高脂血症の薬代毎月約三百ドル(約三万四千円)を苦労して支払ってきたが、新法で社員に保険を提供しない企業は罰金の対象になることが決まると、勤め先は急きょ、ベラさんに保険提供を申し出た。

五年前に脱サラで無保険になり、糖尿病のインスリン注射などの継続的負担に悩んできたピーター・ブルックさん(四五)も、新制度下では州の補助金で安く保険に加入できる見通しだ。無保険者の苦しみを議会やマスコミに訴え、強力な運動を展開してきたハーマン・ハミルトン牧師(四一)は「ともかく大きな前進だ」とうなずいた。

無保険者問題は高騰が止まらない医療費と並ぶ米医療制度の二大 ” 病巣 ” の一つ。クリントン政権一期目でヒラリー夫人を中心に皆保険を目指したが「大きな政府」を嫌う共和党と、民主党の対立激化の中で失敗した。

ブッシュ政権は医療費貯蓄の免税などに取り組むが、イラク戦争と巨額の財政赤字で抜本的な対策はとても打ち出せない。そんな中メリーランドやハワイなど、無保険者を減らす新制度を導入する州が増え始めていた。

州法成立過程を迫ってきたマサチューセッツ大のジェームズ・リー准教授は「さまざまな要因が作用して、通常なら対立する同士が同じテーブルに着いた」と話す。〇八年の大統領選出席をうかがう共和党のロムニー知事が、最大の好機とみて「飛び乗った」のも大きな要因との指摘もある。

「この法律を別の州がすぐに導入するのは難しいかもしれない。だが医療保険制度の議論を全米で再び巻き起こすのは間違いない」とハミルトン牧師。波紋が今後どう広がるか、政治関係者はかたずをのんで見守っている。

(ボストン共同)

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国民皆保険 12 / マサチューセッツ州の皆保険

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 18 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_12_a554.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、保険、公的医療保険、健康保険、国民皆保険、皆保険、社会保障、サービス、ビジネス、産業、コスト、アクセス、クオリティ、費用、質、費用対効果

米国マサチューセッツ州で導入された、皆保険制度の続報。

日本の国民皆保険 ( 現物給付の医療保険 ) と異なり、補助金と罰則で、州民を保険契約させるもののようだ。

神戸新聞 2006.6.18
ほころぶブッシュ政権
06 米中間選挙 5
医療皆保険 マサチューセッツ州
独自制度 州越えて波紋
今年四月マサチューセッツ州議会で成立した法律を、米主要紙はこぞって「歴史的」と報じた。補助金や罰則を駆使して全州民に医療保険加入を求め、事実上の「皆保険」を目指す全米初の制度導入だったからだ。
…..
新法で社員に保険を提供しない企業は罰金の対象になる

参考資料

国民皆保険 12 / マサチューセッツ州の皆保険資料
国民皆保険資料 1

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国民皆保険 11 / 明細付き領収書資料 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 11 / 明細付き領収書

月刊保団連 2006 年 6 月号より。
園原健児 : 領収証発行義務化の底流. 月刊保団連, no. 903, p:58-63, 2006 (6).

論考
領収証発行義務化の底流
一領収証発行による「医療構造改革」の推進−
岡山県保険医協会事務局長
園原 健児

2006年4月1日より、医療機関に「内容の分かる領収証の発行」が義務づけられ、医療機関は大きな戸惑いをみせている。この領収証発行において、義務化の是非、領収証の意味、医療内容の開示、患者本位の医療の在り方などが滞然一体として議論され、多分に情緒的な議論の真にある真の狙いが覆い隠されている。本稿では、議論の整理と「領収証発行の義務化」の底涜を論じてみたい。

1中医協で議論することか?

この医療機関への「領収証発行の義務付け」は中央社会保険医療協議会(中医協)で決められたものである。しかし、中医協は、政府によって決められた診療報酬改定枠のなかで、「配分を決める」ことが権限とされている。

であるならば、「領収証発行の義務」が、このような権限しかない中医協で決められてよいものであろうか。なんらかの「義務」は法律で定められるべきものである。「療養担当規則」という一片の告示によって、医療機関の義務が左右されてよいものであろうか。ここにこの問題の異常さが隠されているような気がする。

さらに、中医協の議論は、「出すか、出さないか」、「どの程度の内容か」という程度の議論に終始してきたが、「領収証発行の義務」は、その程度の問題なのであろうか。議論のなかで明らかになっていることは、「明細の分かる領収証」で、「患者に医療内容を伝える」ためといわれている。であるならば、これは一片の領収証の問題などではなく、「医療の情報開示」、「医師と患者の関係」の問題である。その内容の大きさに比べて、あまりにも粗末な議論だといえよう。

2 そもそも、領収証に発行義務があるのか?

1)領収証発行には義務はない

領収証については、民法第486条に「受取証書の交付請求権」が定められているだけであり、通常行われている領収証発行は商習慣に過ぎない。印紙税法においても、営利事業に該当しない保険診療費は「印紙税は不要」と定められている。つまり、領収証の「発行義務」など、どこにも存在しないのである。それがなぜ、医療機関にだけ「発行義務」が課せられるのか?

いまでも、医療機関が領収証を発行しているのは、この商習慣に倣っているだけであり、患者の「支払ったのだから、その印ぐらい欲しい」という気持ちに応えたものである。また、所得税やさまざまな医療費控除の申請、授受に領収証が必要なため配慮しているものである。このような趣旨の領収証発行であれば、医療機関もなんの異論もないし、内容も受領金額が明確であればよいのである。

それが、なぜ「明細の分かる」領収証になるのか。つまり、ここには「明細が分かる」ことと「領収証発行」というまったく次元の異なる問題が意識的にか、あるいは無意識的にか、混在されて議論されている。

2)一部負担金の領収は保険者の責任

また、もともとを考えれば、日本の医療保険制度は、保険者と被保険者の保険契約であって、医療機関は保険者に代わって、医療を「現物給付」しているものである。つまり、本来的に一部負担金は、保険者による保険給付の一部負担であるから、その徴収は保険料徴収と同様に保険者が行うべき業務である。しかし、健康保険法の「一部負担金を受くべし」という規定に従い、歴史的に医療機関が代行してきたのである。もちろんこれは、一部負担金を受診の都度負担させることで、国民のの受診を抑制しようとするものであり、現にその役割を果たしている。

もし、医療保険がその理念どおりに10割給付であれば、領収証などの議論は存在しないものである。言い換えれば、領収証は、政府と保険者が一体となって患者一部負担金を高騰させ、あるいは医療費控除や高額療養費申請の添付書類としたために必要になってきただけである。つまり、「領収証発行」の問題は、日本の医療保険制度の弱点による被害の象徴である。

ところで、国は所得税などの領収証を納税者に直接発行しているのか? 保険者は被保険者に保険料領収証を発行しているのか?彼らは金融機関や事業主に代行させているのではないか。それに伴い、保険料を滞納した事業主による被保険者の受給権喪失という事件さえも起きている。これこそ正されるべきではないのか。国や保険者は根拠もなく医療機関に領収証発行を義務づける前に、自らの保険料の領収と使途を被保険者に知らせるベきであろう。

3 奇妙な「患者の立場」論

1)何のための領収証発行か

さて、患者側やマスコミからも「領収証発行」が声高に叫ばれた。その理由に「患者本位の医療の実現」、「医療被害を防ぐ切り札」などと主張されている。なぜ、領収証が「患者本位の医療の実現」につながるといえるのだろうか。その理由として、「患者に治療の中身を開示するから」旨の説明が行われてはいるが。

しかし、では「患者本位の医療」とはなにか。なぜ治療の中身が分かる領収証が発行されれば「患者本位の医療」や「医療被害を防ぐ」ことができるといえるのか。

仮にそうだとすると「一部負担金のない患者は領収証が発行されない」が、それはどうなるのか。医療扶助、原爆、労災、公害、特定疾患、乳幼児医療等々これは扶助だから、患者本位でなくても、医療被害があってもよい、とでもいうのであろうか。

また、「患者も、領収証を見て診療報酬のおかしさに気づき、その改善を発言するようになる」「医療機関も説明できない内容かも知れないが、そのことを患者に分かってもらえばよいではないか」というお奨めもある。

では、散髪代を払って、「カットがいくらで、髭剃りがいくらで、洗髪がいくらで ….」などと考える客がいるだろうか。包括点数というものはそういうものである。また、看護労働などの低評価ないしは無評価すら気づくはずがない。なぜなら、スーパーのレシートにはパート職員の人件費などという項目はない。価格に含まれていると理解するのが通例である。医薬品の高価格も比較できるものがあって初めて、高いか、安いかの議論が始まるものであり、「この薬は高いなあ」という感想程度で済んでしまう話しである。 さらに、発行義務化を議論する人たちは、すでにかなり多くの医療機関で項目別の領収証が発行されていることを知っているのであろうか。レセコンの普及が進んでいる病院、医科診療所では項目別の領収証が当たり前のように発行されている。しかし、それで医療の内容が分かって患者の信頼が高まった、診療報酬のおかしさに患者が気づき始めたなどという事例は聞いたことがない。領収証は所詮、領収証に過ぎないのである。

つまり、診療報酬のおかしさは、そのこととして説明、訴える以外に理解は得られないものとしか考えられない。この「診療報酬のおかしさを患者に理解してもらう」という主張は、ただの方便であろう。われわれは「領収証を発行すること」に反対しているのではない、領収証は領収した金額の証明に過ぎないということ。なんの根拠もない「義務化」、レセプトまがいの詳細の発行の「医療機関への押しつけ」に反対しているのである。

このようにみてくると、領収証発行の議論は、根底的には「患者による不正請求の監視」という程度のものではないかと思えてくる。「医者は金儲けのためにろくでもないことをやる。だから不正が起き、医療事故が起きる。詳細な領収証でも出させれば、変なことはしなくなるだろう」ということではないだろうか。

2)領収証発行は両刃の剣

現行のような説明のつかない診療報酬点数と算定ルールの下での領収証発行は患者と医療機関相互の信頼と不信を熟成する両刃の剣である。不信感が高まれば次には、「詳細の分かる領収証」が要求される。しかし、それでも結局はなにも分からない。なぜなら、患者からみれば、どんな治療が行われたとしても、領収証はその理由や結果までを明らかにしてくれるものではない。もし、診療の詳細を領収証でもって説明させようとするのなら、それは見当違いである。診療の詳細は診療のなかにおいて説明し、納得を得るべきものであって、これを領収証ごときで代用することはできるはずがない。

3)患者の医療への参加は別の方途を

真に、患者が知りたいことは、なぜその治療、検査、医薬品などが必要なのかということである。領収証は、いくら詳細にしてもこれには応えられない。なぜなら、食品一つとってもその成分をいくら詳細に記載されても、その成分がなにであるか、なんの必要があるか、どういう効果があるか、害がないかどうか誰にも分からない。むしろ、メーカーのネームバリューや危険なら問題になるだろう、国が監督しているだろうという信頼感のうえに成り立っているのである。医療は、それ以上に医師や医療機関への信頼のうえに成り立っている。

もし、患者が、治療の内容を知り、納得して支払うということにしようとすれば、究極の方式は「償還払い制」、しかも、一部不払い担保付きということになろう。

患者にとっても、領収証の発行は、詳細になるほどプライバシー漏出の危険性が高まるだけである。所詮、領収証は領収証にすぎず、医療の内容については別の話として検討すべきであろう。領収証発行を契機に、患者に医療内容の説明が行われるなど・と考えることば、余りにも現実を無視している。その程度の説明は現在でも行われているが、それでも理解できないから「説明不足」を不満とする声が高いのである。患者に対して無言で診療を行う医師はどこにもいない。

4)詳細の分かる領収証発行は保険者の責任

もし、どのような内容にいくら支払ったかを患者に知らせるのであれば、それは給付について管理責任を持つ保険者が通知することが当然である。自動車保険を思い浮かべれば分かるように、被保険者は修理(治療)を受け、その代金を保険者に請求し、保険者が修理業者(医療機関)に支払う。これが保険者の在り方である。代金の請求受領に関してはあくまで修理業者は代行しているに過ぎない。

また、なぜ、「求め」があるなら、保険者へのレセプト開示を求めるようにしないのか、せっかく制度をつくったではないか。さらに、そんなに詳細を知らせることが重要なら、保険者がレセプトの写しを毎月、患者に送ってはどうか。それらの制度の活用を検討することもなく、医療機関に内容の分かる領収証発行を義務づけるのは本末転倒である。医療機関は受領した(預かった)一部負担金について領収証を発行することは患者サービスとして受認できても、保険者に代わって保険の給付内容の説明まで請け負う義務はない。医療費の内容はレセプトとして保険者に提出し、査定という仕打ちまで受けているではないか。あくまで、支払いに関する責任は保険者にある。

われわれは、国民に分かりやすく、かつ必要な医療が保障できる診療報酬にするための主張を繰り返し、『医療改革提言・2005』を提案してきた。

にもかかわらず、医療費抑制のためにのみ不合理で、保険診療にさまざまな制限と障害をもたらす診療報酬点数に固執し、矛盾を拡大してきたのは財界、政府厚労省、保険者であり、それを応援してきたのはマスコミ等ではなかったのか。また、それを承認し、決定したのは中医協ではなかったのか。自分たちで決めてきた不合理な診療報酬を医療機関に押しつけ、説明せよ、というのは盗人猛々しい。国民、患者に説明し、疑問に答えるべき責任は、これらの人びとにある。

5)議論の落とし穴

これらの議論に欠落しているものは、医師と患者の信頼関係を、どう強めるのかという視点である。この視点を欠いた議論は、たとえ善意ではあっても医療機関への不信感を拡大し、診療行為を明らかにすることで、患者の監視による診療行為への牽制をもたらすものでしかない。また、仮に、少々患者の理解が高まったとしても、今日の「医療構造改革」の流れのなかで、その流れに加担し、日本の保険医療制度の崩壊に利用される恐れの方が大きい。

そもそも、これらの患者、マスコミの議論を誘発させ、さらに便乗し、領収証発行を「医療構造改革」の一方策として推進しようとしているのは、宮内義彦・オリックス会長などが議員である規制改革・民間開放推進会議など規制改革推進勢力である。その狙いは、「情報の開示」による「患者の選択」、そこから「医療機関の競争」を組織し、医療に市場原理を持ち込もうとするところにある。

4 これらの議論の底流に流れるもの

1)市場原理思想の流布

これらの議論の根底には、「消費者の選択による医療」という思想、つまり、「医療はサービス」という市場優先の思想である。「医療はサービス」と語る時、そこには「悩める患者」は、自らの力で選択権を持つ消費者として立ち現れ、その時、献身的な医療人は、医療サービスという商品の提供者となる。

新自由主義思想における市場原理主義は、すべてを「市場に委ねよ」、そうすれば「市場により最適の状態が実現される」という仮説の上に成り立っている。市場における売り手と買い手の取引、売り手の競争によって、最適の価格と最適のサービスを実現することができるという。事実がまったく異なることは姉歯建築士・ヒューザーによる耐震偽装事件、ライブドア事件、東横インホテル事件、JR西日本尼崎事故などつぎつぎと証明されている。

この医療を商品化し、自由取引に委ねる市場原理(規制緩和)の思想は、「患者の選択」、「医療機関競争」の名の下に、「混合診療解禁」、「株式会社導入」を制度化し、「国と企業の責任」、「誰でも平等な医療」を柱とする公的保険思想を崩壊させようとするものである。

この議論の前提にある「選択権を持つ消費者」となるための「情報の非対称性」の克服なども、あり得ない前提である。例えば、日常生活に密接なご飯でも、この米がどのような土壌で、どのような水を使って育てられ、どのような農薬がどれくらい使われているのか、どのような成分が、どのような割合で存在するのがうまいかなど、誰が知ることができるのか。医師と患者が同一の情報(知識)を確保することは不可能である。それは医療だけでなくすべての職業においてそうである。だからどのような職業においても高い倫理性が求められるのであり、それが人間関係における信頼なのである。そして、その倫理性を「金」と「競争」で、つぎつぎと崩壊させているのが、今日の構造改革(新自由主義)である。その信頼を「情報の開示」で代用しようなどという発想は、人間社会を冒涜するものでしかない。信頼関係は優れて人間的な営みである。医療においても、健康を取り戻すという共通の目標に向けて、情報を医師と患者がそれぞれの立場から交換、理解するところから始まる。だからこそ、それぞれの立場での相互理解、努力が払われて、治療が進む。これは医療における協同である。

2)「消費者の選択」は「購買力の選択」

一部負担金や差額費用が必要な現在の医療では、消費者の選択は「消費者の購買力」によるものとならざるを得ない。それを是認することは、その結果としての「松竹梅」医療の容認(彼らはむしろ歓迎)と同義となる。逆に、購買力のない患者は、費用による治療辞退、萎縮診療の強要から、事前価格提示制への移行を促し、現物給付の制限・崩壊へつながる。負担の安全弁としての包括定額制容認への動機にもなる。それらは必要な人に必要な医療を提供する上で大きな障害になるものである。

3)保険者機能強化、IT産業の市場に

一方、領収証発行と連動したIT化の推進は、レセコンや電子カルテの普及、オンライン請求を促進させ、保険者点検の強化、診療の標準化など保険者の間違った機能強化を進める。そもそも保険者に求められる機能とは、被保険者が必要とする療養を最大限確保することであり、決して医療の質を低めたり、保険給付を削減したりすることではない。

さらに、この領収証発行を始まりとする医療IT化の推進は、IT産業の市場拡大のためでもある。ちなみに政府は、2011年を最終目標にレセプトのオンライン請求システムを完成させるとしている。

この保険請求IT化の強要ほ、歯科医の間では領収証、患者交付文書、請求のオンライン化を合わせて、「歯科医リストラの3点セット」と評されている。医療の知識や技術でなく、まったく事務的な機器の扱いで医師としての仕事を奪い、患者の受療権を奪うなど常軌を逸したものといわざるをえない。

5 社会保障としての医療は、「協同の思想」で成り立っている

医療は元来、患者の人権(健康)を守るものであり、前述したように医療者と患者の信頼のうえに成り立つ協同作業である。医師と患者の協同を強めるには、情報開示も、治療計画の説明も、治療結果の説明も重要なものである。それは、患者の治療への参加を高めることになる。患者本位の医療を進めるためには、このような医療活動を評価し、それに見合う人手と時間、設備の確保などを保障することが不可欠である。

日本の医療は長年の低診療報酬政策の結果、医師や看護師などスタッフの過重労働、低報酬など劣悪な条件によって支えられている。本当に患者本位の医療というならば、まずこの問題こそ議論し、解決すべきであろう。もはや日本の保険医療制度は危機的状況を呈している。離島へき地だけでなく市中の基幹病院ですら医師不足、看護師不足に喘ぎ、小児科、産科医療を扱える医療機関すら不足している。事務スタッフも非正規雇用者に置き換えられている現状である。診療所でも同様な困難にある。医療担当者の慢性的過重労働、安全対策への投資不足など医療機関の経営困難を解決することなしに、より良い医療への前進は不可能である。

この改善要求を掲げることなしに、「領収証発行」などと情緒的に「患者本位の医療」「患者の信頼」「医療の質」をいくら叫んでも、医療現場と医師と患者の信頼関係に混乱を招くだけである。また、それは医療構造改革の推進に貢献することはあっても、真の医療改革にとっては有害無益であることを知るべきである。

領収証の交付を義務づける療養担当規則の改定は4月診療報酬改定の一環として行われた。4月4日『日本歯科新聞』に「内容の分かる領収証の発行は指導医療官の仕事を減らす側面もある。患者自身が医療機関をチェックできるようになるからだ」との匿名技官の見解が掲載された。当会の「匿名技官の罷免」要求に対して、厚労省は「あれは個人の意見」と述べ、「注意した」と答えている。

しかし一方、4月27日の新潟県保険医会の交渉において、厚労省の担当官は「(金額だけの領収証の交付では)療養担当規則違反となる。各部単位の領収証を発行していないからといって直ちに保険医療機関取消にはならないが、改善されなければ行政処分もあり得る」と答えている。ちょっと待ってほしい。健康保険法において、医療機関が処分される事由は第70条「療養の給付」に反する場合である。一体、領収証の発行が療養の給付なのであろうか。なんでも療養担当規則に盛り込んで、それに違反すれば処分するなどという発想は「生類哀れみの令」を公布した「犬公方」にも等しいものであろう。

さらに5月11日、当会と中国ブロックで行った厚労省交渉において、同担当官は、領収証発行の法的根拠がないことを認め、「患者への情報提供のため」を繰り返したが、「一部負担金のない患者には情報提供がないが、それでいいのか」「包括点数では内容が分からないではないか」との追及には返事もなく「不要だという患者についてはその旨が分かるようにしておいて欲しい」というのみであった。

もともと理念も、道理もない義務づけであるから答えようもないのは当然であろう。

(『京都保険医新聞』2006年4月17日付に補筆)

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国民皆保険 11 / 明細付き領収書資料 1

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 11 / 明細付き領収書

メディファクス 4943 号 2006.6.15

患者に領収証取得呼び掛け      

保険者機能を推進する会

92の健保組合で構成する「保険者機能を推進する会」は14日の総会で、領収証の発行義務化に伴う患者向け啓発リーフレットの作成や、2011年度から原則義務化されるレセプト請求のオンライン化に向けて、直接審査支払いを研究することなどを盛り込んだ06年度事業計画を承認した。

領収証は今年10月までに完全実施されるため、同会は患者向けに、積極的な領収証の取得について解説したリーフレットを今月中にも作成する。来春までには、領収証と医療費通知書の見比べ方を取り上げたリーフレットも作り、過誤請求や不当請求の確認を促していくという。

政府のIT戦略本部の重点計画案としても議論されているレセプトのオンライン化に関しては、積極的に参画し対応していく姿勢を確認。オンライン請求が義務化された後の課題として、レセプトの直接審査支払いの研究を進めることを決めた。

疾病別のレセプト分析調査では、年間の死因の約3分の1を占めるがんについて、今年度事業として着手。人工透析も高額な医療費がかかることから、調査を実施する。調査後には得られたデータを基に報告書を作成し、各健保組合の健康事業などに反映していく。

このほか、同会が昨年9月にまとめた「家族(配偶者)健診の共同実施」に関するアンケートで、健診受診率が平均で30%、健診後のフォローは4分の1の健保でしか実施していない−との結果が明らかになったことを受け、健保間の共同事業・共同契約の可能性を探っていくことを決定。医療費を抑えるため、生活習慣の変化を喚起する指導などができないか検討に入る。

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国民皆保険 11 / 明細付き領収書

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 18 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/__75ce.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
健康保険、医療費、明細、領収書、領収証

2006 年 4 月の健保改定で、医療機関は健康保険診療の際、患者さんに医療費の内容が分かる領収書の発行することが義務づけられた。

しかし、どこかおかしいことに気付かないだろうか。

1. 内容の明細
医療の内容は、診察、その上でインフォームコンセント、検査、さらにインフォームドコンセント、治療、結果の説明、診療の各段階で患者さんに説明されている。どういう検査、治療がなぜ必要か、高度、高額な医療になるほど丁寧に説明されているし、風邪ひきの診療でも、腰痛の診療でも、使う薬の効能の説明をしたり、X 線写真の必要性と結果の説明をしているだろう。

医療の内容を、スーパーのレシートのような明細で表せるわけがない。

もしも告知していない癌、精神疾患の場合などではどうするつもりなのか。

2. 明細発行論者のバックグラウンド
これを主張している勢力は、それぞれの立場で次のように考えているのではないだろうか。

厚生労働省
診療報酬の様々な不合理の説明を医療機関に押し付ける。
診療を萎縮させ、医療費の削減に資する。
医療費の不正請求を減らせられる。
レセプト開示の負担を少しでも減らす。
弱小医療機関を潰す。
さらなる IT 化、すなわち、レセプトオンライン化、カルテ情報集約化、すなわち医療の国家管理につなげる端緒となる。

経済産業省、IT 業界
IT 化で、全国 15 万軒以上の個人診療所に新たな出費をさせることができる。医療データそのものが商品、あるいはサービス産業の原材料となり、業界が潤う ( NTT データがその代表で、レセコン、電子カルテメーカー、ソフトウェア業界、さらにそれぞれのサービス業者が多数連なっている )。

財界
診療を萎縮させ、医療費の削減に資する。結果として企業の社会保険負担が減る。
弱小医療機関を潰し、医療機関を統廃合してチェーン、フランチャイズのシステム下におき、サービス産業として再編、利潤を上げるためのスケールメリットを追求する。
国民皆保険を破壊し、医療を産業、商品、サービスとして、儲けの道具にする ( 奥田碩経団連前会長の言行を見れば分かる )。

健康保険組合 ( 主に健康保険組合連合会、通称健保連 )
診療を萎縮させ、医療費の削減に資する。
医療費の不正請求を減らせられる。

労働組合 ( 主に連合 )
明細書発行は医療費削減に役立ち、労働者に相対する階層である医師を叩く、すなわち労働者から資本家に渡った富を再配分させる一環である ( 古い考えかもしれないが、こういう精神は底辺に息づいているだろう ) と信じている。

民主党
バックの労働組合の言うことをそのままに、医療費の削減に資すると信じている。
医療を攻撃することで飯を食っている評論家らの言うがままに、医療費の不正請求を減らせられると信じている。
与党勢力、すなわち自民党と日医を攻撃する材料になる。

念のために言っておくが、数年前、厚生労働省の元指導医療官が医療費不正請求は年 9 兆円、などと妄言を吐き、それがいくつかの新聞雑誌に取り上げられ、さらに国会で野党から取り上げられたのだが、実際にはもっと少ない。

本当の不正はわずかである。2003 年では、63 億円が判明しただけである。例えば、一昨年、私の近所で眼科医院が不正請求で保険医停止 2 年の行政処分を受けたが、その不正額は 65 万円余りであった。報道では数億円単位の事例が報道されるが、それらは氷山の一角ではなく、特異な少数例である。数兆円の不正を働こうと思ったら、約 25 万人の医師が一人当たりどれだけ不正をすればよいだろうか。

多くの人が不正請求と信じているもののが過誤請求で、そのほとんどが患者の保険受給者資格喪失やレセプトの病名漏れだ。あとは、保険者と医療者とでの診療報酬点数表の解釈の違いに基づき、保険者が医師の裁量を認めなかった場合のものだ。これらが 3,000 億円程度のオーダーであると言われている。

ここで不思議なことは、国民、勤労者の生命、健康を守るべき労働組合が、財界すなわち雇用者側、保険者すなわち医療資源の配給側と共同歩調で明細発行を主張し、医療を叩いていることだ。その尖兵が勝村久司氏 ( 医療情報の公開・開示を求める市民の会、陣痛促進剤による被害を考える会、全国薬害被害者団体連絡協議会 ) である。財界は、経団連をはじめとした、日本のいわゆる勝ち組の勢力であり、国民皆保険下の日本の医療を破壊してそれを儲けの種にしようとしているのだ。中医協委員に推された氏は、なぜ中医協委員になれたのか、財界を結果として利すること、あるいは財界に利用されていることを分かっているのだろうか。

参考リンク

数字でウソをつくな! (その2)
医療費の内容が分かる明細書

参考資料

国民皆保険 11 / 明細付き領収書資料 1
国民皆保険 11 / 明細付き領収書資料 2

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国民皆保険 10 / 医療改革関連法案強行採決資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 10 / 医療改革関連法案強行採決

2006 年 6 月 13 日、医療改革関連法案が参議院厚生労働委員会で審議打ち切り採決で可決された。関連の報道を収集しておく。

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神戸新聞 2006.6.13 ( 共同通信配信 )

医療改革法案、今日成立へ

高齢者の負担増や入院日数の短縮などで医療給付費の抑制を図る医療制度改革関連法案は、参院厚生労働委員会で13日夕、与党の賛成多数で可決した。14日の参院本会議で可決、成立する。

理事会などで、13日の採決を求める与党側と慎重審議を求める野党側が平行線をたどった。午後5時40分すぎ、この日予定された質疑が終わった時点で、山下英利委員長が一方的に質疑を打ち切ったため、野党議員が委員長席に詰め寄るなど強く反発したが、最終的には採決に参加した。

法案は、10月から現役並みに比較的所得が高い70歳以上(夫婦2人世帯で年収520万円以上)の窓口負担を2割から3割に引き上げる。また療養病床に入院している70歳以上の食費や光熱水費も全額自己負担とする。

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asahi.com 2006.6.13

医療制度改革法案、参院厚労委で可決 14日成立へ

高齢者の負担増などを柱とする医療制度改革関連法案は13日、参院厚生労働委員会で自民、公明の与党の賛成多数で可決された。野党は委員会での採決に出席して反対したが、へき地や産科・小児科などでの医師不足対策への支援策などを求める21項目の付帯決議を自民、民主、公明の3党で提案し、共産党を除く与野党の賛成で採択された。これで同法案は14日の参院本会議で可決、成立する見通しとなった。

野党は「(負担増などに対する)国民の不安がぬぐい切れず、議論が尽くされていない」として採決に反対したが、山下英利委員長が職権で審議の打ち切りを提案し、与党の賛成多数で認められた。野党は「国民への裏切り行為だ」と批判しつつも、「採決に応じなくても法案は成立する。付帯決議をつけることの方が意味がある」として採決に応じた。

付帯決議の内容はほかに、高齢者の負担増に関して低所得者へ十分に配慮すること▽療養病床再編に対する支援策の充実▽安易な公的医療保険の範囲の縮小を行わないこと、など。

法案は、少子高齢化が進む中、患者の自己負担増や長期入院者向け病床の削減などによる医療費の抑制を目指す内容となっている。

具体的には、70〜74歳の医療費を原則1割から2割に引き上げ▽75歳以上の全高齢者を対象とする新しい「高齢者医療制度」の創設▽38万床ある療養病床の削減・再編▽都道府県ごとに数値目標を盛り込んだ医療費適正化計画をつくり平均入院日数の短縮などに取り組む▽医療保険の運営者に加入者らの健診を義務づけて生活習慣病予防に取り組む——などが盛り込まれている。

野党側は「過大な予測をもとに医療費の削減だけを推し進め、国民のニーズにあった医療を提供しようとしていない」などと批判していた。

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国民皆保険 10 / 医療改革関連法案強行採決

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 13 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_10_582c.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、改革、法案、可決、負担増、療養病床、医療費、削減、入院日数、短縮、小泉、首相

今日、医療改革関連法案が参議院厚生労働委員会で審議打ち切り採決で可決された。

民主党は抵抗しきれず。がん対策法案の衆議院通過で自民党と歩み寄ったが、その恩を仇で返されたのか、恩を売られたから何もできないのか。もっとも民主党が採った現実的な対応がせめてもの抵抗だったのだろう。

国民は、改革の一言だけ、郵政民営化の一点で信任した政権によって、自らの生命、健康を脅かされようとしているのだ。知らないままが幸福なのだろうか。

asahi.com 2006.6.13
医療制度改革法案、参院厚労委で可決 14日成立へ
高齢者の負担増などを柱とする医療制度改革関連法案は13日、参院厚生労働委員会で自民、公明の与党の賛成多数で可決された。野党は委員会での採決に出席して反対したが、へき地や産科・小児科などでの医師不足対策への支援策などを求める21項目の付帯決議を自民、民主、公明の3党で提案し、共産党を除く与野党の賛成で採択された。

参考資料

国民皆保険 10 / 医療改革関連法案強行採決資料

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国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 3

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 9 / 米国英国中国

日医ニュースからの、日本医学会ポストコングレスの記事。近藤克則日本福祉大学社会福祉学部教授の論説を保存する。

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日医ニュース
英国の医療改革から学ぶ 1 ( 2006.4.20 )
英国の医療改革から学ぶ 2 ( 2006.5.5 )

近藤 克則 日本福祉大学社会福祉学部教授
どうする日本の医療
第 26 回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム ( 第 2 回・東京 ) より

英国の医療改革から学ぶ – 第 1 回 -

実際にイギリスに一年間滞在して,現地の病院を訪れ,医療従事者と話した経験等を持つ近藤氏は,日本がイギリスから何を学べるかという視点から,イギリスの医療改革について語った.

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OECD(経済協力開発機構)には,現在,三十カ国が加盟している.各国の医療費の国内総生産(GDP)比のデータを見ると,平均が八%前後である.日本の医療費は高いイメージだが,実は,その平均値より低く,他の国と比べて決して高くはない.

また,国の経済力が豊かになり,GDPが大きくなるほど,より多くのお金を医療に使う傾向がある.先進七カ国に限れば平均九%で,日本は第六位,最下位の第七位はイギリスである.しかし,おそらく三年以内に,この立場は逆転する.

なぜなら,イギリスは,先進七カ国中最下位の医療費水準を長年続けた結果,医療が荒廃したため,二〇〇〇年に,五年かけて医療費を一・五倍に増やすという政策に転換したからである.その成果が徐々に現れているとの報告もあり,いずれ日本は追い抜かれて医療費で最下位になる.

もし日本が,引き続き医療費抑制政策を続けるならば,どのような事態が起きてくるのか—イギリスの医療は,現地のジャーナリストが,「イギリスの医療の状況は,今や第三世界並みだ」というほど荒廃した.その背景,経過を,紹介しようと思う.

救急医療で三時間半待ち!?

一九七九年,サッチャー首相が政権につき,医療を良くしようと,種々の改革を行ったが,その青写真を描いたのが,全英にチェーン展開しているセインズベリーというスーパーマーケットのグリフィス会長だった.彼は,日本でいえばイトーヨーカ堂グループの会長のような人で,「もっと民間マネジメント手法を学べ.外枠は税金でも,内部に市場を」というレポートで医療改革をリードした.今の日本に似ており,イギリスは株式会社参入の議論を経験済みである.競争を導入すれば,医療費を増やさずに質は上がると信じて取り組んだが,結果は,いろいろな問題を招いた.

その一端として,“waiting list”と呼ばれる待機者問題が挙げられる(表(1)).例えば,イギリスの二百を超える病院の救命救急センターを受診した約三千九百人を対象にした,入院待機時間の調査では,平均が三時間半を超えていた.

日本でも,“三時間待ちの三分診療”といわれるが,これは救急医療ではなく一般医療での話である.ところが,イギリスでは,救命救急が問われる重症患者でも平均三時間半待つのである.しかも,救命救急センターで「入院が必要なほど重症と診断された時点でストップウォッチを押し,無事病室にたどり着くまで」の時間である.最長記録は七十八時間(三日と六時間)で,待たされる間は,ストレッチャー(車輪付き担架)に乗せられている.他の人が来るといつでも移動させられるような劣悪な環境に置かれるのである.

また,冬になると,インフルエンザ等の流行でベッド不足になり,“winter crisis(冬の危機)”が毎年のように起きる.看護師が,この“winter crisis”の前に辞めたいということで,秋に退職希望者が増えるほどである.

私が滞在していた年には,保健省に対策本部が設置され,退職を考えている看護師に,冬の間働いたら退職金を割り増すなどして,乗り切ろうというほど,深刻な状況だった.

一方,一般医療受診患者の半数は,原則予約制で,二日以上待たないと診てもらえない.

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表(1) 待機者問題(waiting list)
・救急医療
200超の救命救急センターを受診した3,893人
→入院待機時間の平均が3時間32分
・一般医療
一般医療受診患者の半数が2日以上待機(2000年)
・専門医療
10万人分の入院待機者リスト削減の公約を超過達成
しかし,さらに100.7万人分も待機者が残っていた

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人手不足で入院待機者100万人

さらに,信じられない話があった.私が滞英中に,ブレア首相が二期目の政権をねらう総選挙があった.彼は,一期目の政権に就くとき,専門医療の“待機者リスト”を十万人分減らしてみせると公約し,二期目の選挙直前に,十五万人分も減らし,目標を超過達成したという.選挙公約は守られないものだと思っていた私は感心したが,イギリス国民の反応は非常に冷ややかだった.

実は,十五万人分削減しても,さらに百万人分も待機者が残っていたからである.手術を一年半以上待っている人が百十八人もいて,なかには,他の緊急手術を理由に手術を四回も延ばされ,その間にがんが進行し,手遅れになったという悲惨なケースもある.

この背景には,深刻な人手不足がある.人口当たりの医師数は,ヨーロッパ諸国に比べ約三分の二と少ない.さらに,年間新規登録医師が五年前には一万一千人いたが,最近は,医学部を卒業しても登録せず海外に出てしまい,八千七百人に減少している.その分,研修医たちが一生懸命働いている.ヨーロッパの労働基準法による労働時間は週四十八時間で,日曜日を休み,週六日働いて一日八時間労働である.一方,イギリスでは,医師不足のため,日曜日まで毎日八時間,つまり,八時間余分に働いてよいという労働基準である.しかし,調査をしたら,この五十六時間を超える研修医が六割を占めていて,社会問題化した.

その対策が,“大英帝国”らしいのだが,海外から医師・看護師を受け入れているのである.その規模は,看護師で五千人,多い年では一万人を超え,ある地域では,看護師の七割がフィリピン人だという.

加えて,医学部の定員増などの努力はしているが,なかなか改善しない状況である.

医療費抑制政策からの転換

それらが医療従事者の士気の低下につながっていて,医師の自殺率は,他の同程度の学歴を持つ専門職の二倍だという.イギリスの医師会雑誌『BMJ』の二〇〇一年三二二巻の巻頭言のタイトルは,「なぜ医師はこれほど不幸なのか」.皆そういう思いを抱きながら働いているという.

看護師の自殺率は,同学歴の他職種の女性の四倍で,死にたくなるほどつらい仕事だというわけだ.毎年二一%の看護師が辞めている.ナイチンゲールを生んだ国であり,看護学校は人気なのだが,現場の大変さを知り,進路変更したりして脱落する者が一七%に上る.

イギリスの医療保障制度NHS(National Health Service)が,なぜ,これほど荒廃したのか.多くの研究者が口を揃えていうのが,(1)これほど長期間,医療費抑制政策を続ければ,医療が荒廃して当たり前という理由である.加えて,(2)NHSの組織の肥大化(3)イギリス人にもよく分からないほどの頻繁な制度改革(4)これらの積み重なりによる医療従事者の士気の低下—という四つの理由にまとめられそうである.

これらを踏まえ,ブレア首相が,医療費抑制のままでは無理ということで,二〇〇〇年から五年かけて医療費を一・五倍にすると宣言した(表(2)).「大盤振る舞い」との批判には,「贅沢ではない.ドイツ,フランス並みのGDP比九%に近づけるには,医療費を一・五倍にしなければならない」というのである.

日本も,もし,ヨーロッパ諸国並みにしようとすれば,医療費を三〜四割,増やして当然だということである.

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表(2) ブレア首相の医療費投入宣言
・医療費抑制したままでは無理
・2005年までの5年間に1.5倍=ヨーロッパの平均レベルへ
・The NHS plan(2000)
・The NHS improvement plan(2004)

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英国の医療改革から学ぶ – 第 2 回 -

医療の質については,イギリスでも医療事故が多発し,社会問題化した.日本でも多発しているが,その背景として,医療現場の人手不足が挙げられる.

例えば,日本では,急性期病棟の看護師数は欧米の約半分の水準で,医師数も,医師不足が叫ばれているイギリスと,さほど変わらない.しかも,イギリスは医学部定員を増やしており,いずれ日本より高い水準になるであろう.

日本の医療法が定める基準からみても医師不足である.入院患者十六名ごとに一人,および外来患者四十人ごとに一人の医師を配置するという標準数(人員配置基準)を満たしていない,いわゆる“標欠病院”が,全国調査で二五%もあるのが,わが国の実情である.

さらに,昨年四月に,国立病院が独立行政法人化し,監督官庁になった厚生労働省が,病院職員のサービス残業を調査したところ,残業代の財源が足りないことが明らかになった.逆にいえば,今まで億円単位で残業代を払っていなかった違法状態であったのである.

前述のように,イギリスの研修医はよく働くが,日本でも同様であり,過去の判例では,週七十三時間以上働いていて亡くなった研修医が過労死と認定されている.しかも,日本全国の国立大学病院の研修医の平均労働時間は,週八十八時間であった.

医療事故は,航空機事故とよく比較されるが,日本の研修医は,月に八十五時間に制限されているパイロットの四倍働いている.航空機事故の専門家は,「このような労働実態が現実だとしたら,医療事故が起きないほうが不思議である」とコメントしている.これが,今の日本の医療現場である.

対岸の火事とはいえないイギリス事情

待機者問題についても,「日本はフリーアクセスでよかった」と思うかも知れないが,これは一次・二次医療の話である.病院での急性期治療後の長期療養施設入所希望者が増えて,三十三万人が待機,地域によっては,半年から二年待つといった状況が,現実に日本でも発生している.

ところが,日本では医療費をもっと上げるべきだという世論にはならない.同じような状況に置かれていたイギリスでは,医療費を一・五倍にするという政策にも国民的な支持がある.この違いの原因は,実情が国民に十分周知されていないせいではないかと思う.

次に,日本の医療従事者の士気はどうか.保険医団体が,会員に対し,将来に希望を持てるかと聞いたところ,八十歳以上の会員は八七%が希望を持っていたが,これから医療を担わなければいけない若い会員は,一五%しか希望を持っていなかった.

昔は,自宅の電話番号を患者さんに伝え,必要があれば夜間でも診るという開業医が多かった.ところが,今や,ビルにクリニックを開業するスタイルが増えた.夜電話すると留守番電話が流れていて,不安に感じた母親が,小児科の当直医がいる基幹病院に集中し,病院の小児科医が過労状態になるという悪循環に陥っている.

これらの状況を考え合わせると,イギリスは決して対岸の火事ではない.日本も同じ状況なのに,実は気づかれていないだけではないか.

医療費抑制がもたらすもの

医療費抑制論者たちは,効率を高めればいいというが,果たして費用をかけずに可能なのかを吟味してみたい.

医療政策研究者の間では,(1)必要な人がだれでもアクセスできる公平な医療(2)医療費の安さ(3)医療の質が高いという三つを同時に満たすことはできないと意見が一致している(図(1)).

日本は,フリーアクセスで,コストもそこそこ,質も悪くない.イギリスは,安上がりだが,待機者リスト問題が深刻で,質は日本並み.アメリカは,質は高いが,コストは世界一高く,アクセスは,無保険者が四千万人もいる深刻な状況である.日本の医療制度は,トータルで評価すると決して悪くない.高齢者増に伴い過去に比べ増えているという理由のみで,医療費抑制の論議を重ねていてよいのであろうか.

医療費を抑え続けた場合,二つの可能性がある.一つは,自己負担を増やさず,医療費の総枠を減らす方向で,この場合,医療の質が低下し,供給量が不足して待機者問題が深刻になる.もう一つは,財界人が主張する,自己負担を増やす方向である.これだと公的医療費が縮小し,民間保険に入る人が増え,保険会社は儲かり,お金持ちは大丈夫だが,保険に入れない人たちのアクセスが悪化する.このような行く末を国民は望んでいるのか.

社会的に見て,疾患や障害が低所得者層に多いことは,世界中で確認されている.医療を必要とする人たちが自己負担できないという理由で医療から排除されてしまうなら,果たして何のための社会保障制度であろうか.

図(1) 同時に3つは満たせない

国民が選択する医療の質と医療費水準

過少医療や誤用医療(医療・処方ミス)の対策には,医療費の拡大が必要であり,医療の質向上と費用節減は,過剰医療の抑制でのみ両立し得る.医療の質を犠牲にしない医療費抑制のためには,情報化への投資と無駄な部分の特定をする評価研究が不可欠である.

医療費を抑制し過ぎると,医療の質が低下する.イギリスやアメリカでは,個々の技術や医療機関を評価し,その結果を開示して,国民に選んでもらう時代に向かっている.

イギリスでは,国が,インターネット等を使って,スタンダードの医療水準を国民に公開し,現場では,そのレベルを保つように努力する.さらに,平均在院日数や治療成績も,チェックする仕組みが導入されている.

「評価と説明責任の時代」である.イギリスの研究では,病院の医師が少なければ,医療費は安くなるが,死亡率は高くなる.一方,医師数が多ければ,医療費は高いが,死亡率が低い.これを説明されたうえで,国民がどちらかを選ぶ,そういう時代に向かっているのではないか.

日本の医療の本当の課題

以上,イギリスから学ぶべきものは,医療費を長期間抑制し続ければ医療は荒廃し,その回復には,膨大なお金と時間がかかること,さらに,医療の質や安全性の向上のためには,国レベルの仕組みづくりが必要であること.大局的には,「医療費抑制の時代」を超え,「評価と説明責任の時代」に向かうことが,今,求められている.

日本の医療費水準は先進国のなかでは低い(表(1)).だとすれば,医療費の抑制が課題なのではなく,医療の質,安全性,公平性を崩さないことが課題である.そのためには,適正な医療費拡大は不可欠だという主張に,国民の支持が得られるかどうか.さらに,拡大する医療費を,自己負担とするか,公的負担とするか.これは国民が,どちらを選択するかによって決まる.

加えて,医療従事者,医療機関の自己改革も重要であり,診療報酬による誘導のみでなく,医療全体を底上げするような,国レベルの仕組みづくりが,今求められている.

〈参考文献〉
近藤克則:「医療費抑制の時代」を超えて—イギリスの医療・福祉改革(医学書院)

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表(1) どうする日本の医療
・医療費水準,先進国で最低レベル,医療費のマクロの効率は世界一(WHO,2000)
・むしろ課題は医療の質・安全,公平性確保
・適度な医療費拡大は不可欠
・医療費の総枠拡大に,国民の支持が得られるか?
・拡大する医療費は,公的 or 私的どちらで?
・必要な医療従事者・機関の自己改革
・全体を底上げする仕組みづくりの論議を

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国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 2

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日本医学会ポストコングレスについて、週刊医学界新聞の報道を収集する。

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週刊医学界新聞 2006.4.17
日本の医療が進むべき方向を探る

第26回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム開催

さる3月16日,杉岡洋一会頭(九大名誉教授・前総長)のもと,有楽町朝日ホールにて第26回日本医学会総会後のポストコングレス公開シンポジウム「どうする日本の医療」が開催された。日本の医療はWHOで世界一と評価される一方で,患者の満足度は低い現状がある。今後,日本の医療が進むべき方向について討議された。

米国型医療を後追いする医療改革について李啓充氏(医師・作家)は,日本の医療費の対GDP比は先進国の中で平均以下であることを示したうえで,「社会保障還元率,企業の公的負担率が諸外国に比べ著しく低いにもかかわらず,小さな政府の名の下に自己負担をさらに増加させようとしている」と言及した。

そして混合診療導入については(1)財力によるアクセスの不平等を容認,(2)似非医療が横行する危険,(3)医療保険本体が悪用される危険,(4)保険医療が空洞化する危険,を挙げ「有効性・安全性が確認されている医療を保険診療に含めるのが本筋であり,必要な治療が保険診療に含まれていないことが問題」と混合診療導入議論の根底が間違っていると指摘。日本の医療は“患者の権利”と“医療の質”から取り組むべきであるとまとめた。

近藤克則氏(日本福祉大)は,効率(efficiency)・効果(effectiveness)・公正(equity)のすべてが同時に満たされないことを示し,「医療費抑制のみを議論するのではなく,医療の質の向上や受診のアクセス面の確保,健康格差是正など多面的な議論を行い,社会保障制度の拡充を目指すべき」と述べた。

医師の絶対数不足による過剰労働の危険性を本田宏氏(済生会栗橋病院)が指摘。「36時間勤務は多量のアルコールを摂取した時と同程度に判断能力を低下させる。このような状態で診療をさせることは患者の身も危険な状態である」と述べ,常態化している長時間労働による危険を回避するためにも医師を増やす必要性を訴えた。

また本田氏は,現在の医療不信を払拭するためにも,患者と医師の間にある深い溝を埋めるためにも,“医療現場の真実”を医師・患者双方が直視し,理解し合うことを求めた。

飯野奈津子氏(NHK解説委員)は,今日の医療制度改革が財政再建を中心に行われていることを危惧し,本当に必要なことは「患者が納得する,患者本位の医療を実現すること」と強調。そのためにも(1)確かな技術と安全な医療,(2)納得して医療を選べる,(3)安心感とくつろげる環境,(4)生活の質を高める,これらをクリアすることを挙げた。さらに患者と医療提供者の信頼関係がもっとも重要であり,そのためにも権利ばかりを主張するのではなく,患者も自身の病気について勉強する必要があると述べた。

最後に杉岡氏が医療のあるべき姿を決めるのは医療提供者や官僚でもなく国民自身であることを強調し,「日本・外国の医療の現状を正しく理解し,質がよく,信頼され,平等な医療が受けられる制度を維持していくための行動を起こしてほしい」とシンポジウムを締めくくった。

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国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 1

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日本医学会ポストコングレスでの、李啓充先生の論説「市場原理と医療 米国の失敗を後追いする医療改革」を保存する。出所明記しての転載転送歓迎だそうである。

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市民社会フォーラム
市場原理と医療 米国の失敗を後追いする医療改革

第 26 回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム ( 2006.3.16 ) 抄録

市場原理と医療 米国の失敗を後追いする医療改革
李 啓充(医師・コラムニスト)

・「小さな政府」と医療制度改革

現在、日本では、「小さな政府」を実現することが、あたかも自明の公理のごとくに唱えられ、医療制度改革も、その範疇で議論されることが多い。医療についても「小さな政府」を実現することが大義であると信ずる人々は、「国民負担率」(国民所得のうち、租税と社会保険料の占める割合。なお、国民負担率に財政赤字分を加えた数字を潜在的国民負担率という)なる指標を基に、「潜在的国民負担率は50%以内に抑えなければいけないし、そのためには、医療費の公的給付も抑制されなければならない」と主張する(ちなみに、国民負担率が50%を超える先進国は多く、「50%以内」という数値目標に必然的根拠があるわけではない)。

・「国民負担率」は国民負担の実際を反映しない

実は、「国民負担率が高くなるといけないから、医療費の公的給付も減らさなければならない」とする議論は詭弁以外の何物でもない。なぜなら、そもそも、「国民負担率」は、語感が与えるイメージとは裏腹に、「国民負担の実際」を反映する数字ではないからである。たとえば、先進国中、日本の36%(2005年)よりも国民負担率が低い国は米国(33%)だけであるが、実際の米国民の医療保険料負担は、日本よりもはるかに重いものとなっている。「自営業者、年収700万円、世帯主の年齢50歳、4人家族」という例で年間医療保険料負担を比較した場合、日本での負担が61万円(国保保険料上限額。国民負担率に含まれる)であるのに対し、米国での負担は214万円(マサチューセッツ州最大手の保険会社ブルー・クロス・ブルー・シールド社からもっとも一般的な保険を購入したときの価格。国民負担率には含まれない)と、日本の3倍を超えるのである。

・公的給付削減の果てに待つ米国型医療保険制度

高齢化の進行(医療に対するニーズの量的増加)、日進月歩の医療技術の進歩(医療サービス単価の上昇)を考えた場合、今後、社会全体の医療費支出が増加せざるをえないことは論を待たない。医療費全体が上昇せざるを得ない状況の中で、公的給付を削減すれば、その果てに待つのは、民間医療保険を主体とする米国型の医療保険制度に他ならない。「『公』を減らして『民』を増やした」医療制度が具体的にどのようなものになるのか、以下、米国の実態を紹介しよう。

・「市場原理」に基づく米国型医療保険制度の失敗

「民」の医療制度は、換言すると「市場原理」に基づく医療制度に他ならないが、市場原理によって運営される米国の医療制度の「失敗」の数々の中でも、際立っているのは、以下の4点であろう。

1)財力に基づくアクセス差別:市場原理の下で弱者が排除されることは避け得ず、医療保険を購入する財力のない者は「無保険者」となり、医療へのアクセスを閉ざされてしまう。市場原理から落ちこぼれた弱者(高齢者・低所得者)を救済するために、米国政府は、巨額の税を投入して公的医療保険制度を運営しているが、巨額の税支出にもかかわらず、国民の7人に1人が無保険と弱者を救済しきれず、無保険社会となっている。「『公』を減らして『民』を増やす」という主張は、「(米国式に)財力に基づくアクセス差別を導入する=無保険社会になっても構わない」という主張と同義なのである。

2)医療費の止めどない上昇:「民」主体の医療保険制度は社会全体の医療費を押し上げる特性を持つ。たとえば、米国の保険会社の経営用語に「医療損失」という言葉があるが、これは、加入者から集めた保険料100のうち、どれだけの割合を実際の患者の医療費に使うかという数字である。現在、医療損失が85を超えるとウォール・ストリートで「経営が下手」と評価され株価が下がってしまうので、保険会社にとって、医療損失を下げる(=患者の医療に使う金をできるだけケチる)ことが経営の一大目標となる。その結果、現在、米国における営利の保険会社の医療損失は平均「81」と言われ、公的医療保険(高齢者医療保険「メディケア」)の医療損失「98」と比べると、サービスの受け手にとって、格段に効率の悪い医療保険制度となっている。さらに、営利の保険会社は株価を維持するためには常に高収益を維持しなければならないので、たとえば、保険料値上げ等で顧客の負担増を強いることをいとわない。実際、ここ数年、米国の保険会社は、毎年10%程度の保険料値上げを繰り返している。

3)負担の逆進性:市場原理の下では、大口顧客に対する割引など強者が優遇される反面、弱者ほど負担が重いという「負担の逆進性」の問題が発生する。たとえば、有保険者の場合は、保険会社があらかじめ病院・医師などと値引き交渉をすませているので「割引価格」で医療が受けられるのに対し、無保険者がひとたび病気になった場合は、全額自己負担となる上に、有保険者よりもはるかに高い「定価」で医療費が請求されることが普通となっている。その結果、無保険者が医療費負債を返済できないために破産するという事例が急増、現在、米国では、医療費負債は個人破産の直接原因の第二位となっている。「公的保険の給付削減」が行き着く果てには、「医療費負債による個人破産」が常態化する危険が待っているのである。

4)公的負担の増加:はなはだ逆説的な結果ではあるが、米国の実例を見る限り、「『公』を減らして『民』を増やす」努力は、逆に公的負担を増やす結果となっている。たとえば、民間保険が常用するコスト抑制法として「サクランボ摘み(『いいとこ取り』の意)」があるが、これは既往疾患を有するなどハイリスクの患者を排し、健常者ばかりを集めて医療保険を設定する手法である。健常者ばかりを集めることで民間保険が容易にコスト抑制を達成する一方で、民間保険への加入を断られたハイリスク患者が公的保険に集中するために、公的保険のコストが逆に増大するという結果を招いているのである。

・「市場」のメカニズムが医療では有効に機能し得ない理由

以上、医療費の公的給付を減らした後に生じ得る問題点を4点だけ列挙したが、こと医療に関しては、「市場」のメカニズムが有効に機能し得ないことは米国の実例からも明らかである。なぜ「市場」のメカニズムが有効に機能し得ないかというと、それは、医療以外のサービス・消費財については、「財力がなければ購入を諦める」という選択が比較的容易になし得るのに対し、医療のサービス・消費財については、「購入を諦めることは死ぬことを意味する」という状況が容易に生じ得る、という決定的な違いがあるからである。市場のメカニズムが有効に機能し得ない上、市場のメカニズムに委ねることが不平等だけでなくコスト増さえもたらすのであるから、医療については、公的給付を削減することを目指すほど愚かな政策目標はないと言ってよい。換言すると、社会全体の医療費を抑制したいと思えば、闇雲な市場原理主義を振り回す前に、いかにして公的給付を充実させるかを考える方が、はるかに賢明な戦略と言えるのである。

・規制改革/民間開放推進会議の危険な主張

日本の医療制度改革議論の中で、規制改革/民間開放推進会議が、特に「民を増やす」=「ビジネスチャンスの創出をめざす」観点から、日本の医療制度を変えようとしているので、同会議の主張についても検証する。

1)混合診療全面解禁の危険:混合診療(保険診療と保険外診療の混合を認めること)が解禁された場合、自由診療部分の拡大により、広大な民間医療保険マーケットが出現することが予想される。その場合、民間医療保険を追加購入することができない低所得者には、「実質的無保険者」とならざるを得ない宿命が待っている。

混合診療全面解禁後の医療がどれだけ悲惨なものとなるか、以下、中国の実情を紹介しよう。中国では、公的保険は「基礎的医療」しか給付を認めず、最新の検査・治療は、軒並み「保険外」となっているため、病院は「保険外」診療で売り上げを確保しなければ経営がなりたたず、医師の給与も保険外診療の「セールス」に基づく「歩合制」となっている。医師にとっては、患者に高い治療や検査を押しつけないと自分の収入が確保できなくなった上、患者にとっても、入院・手術に際し「キャッシュによる前払い」を要求され、前払いができない場合は診療を拒否されるという、悲惨な状況が日常化しているのである。

2)株式会社による病院経営解禁の危険:先進国の中で株式会社立の巨大病院チェーンが存在するのは米国だけであるが、株式会社病院の方が非営利病院よりも「患者にとって料金が高いうえに、安全性も含めた質が劣っている」ことがデータにより明らかとなっている。それだけでなく、大病院チェーンは、例外なく、診療報酬不正請求など、種々の医療「犯罪」を繰り返していることでも知られている。

・目指すべき方向は社会保障のさらなる充実

以上、「国民負担率を減らすために医療費の公的給付を削減する」という主張の危うさを検証してきたが、そもそも、租税や社会保険料負担について日本で問題にすべきは、その負担が「重い」ことにあるのではなく、納めた税や保険料が国民に対するサービスとして還元されていない、「取られっぱなし」の状態にあることにある。たとえば、納めた租税や社会保険料のうちどれだけの割合が社会保障給付として国民に還元されているかを比較した場合、日本の還元率42%は、「小さな政府」の「先輩」である米国の53%にさえ劣り、先進国中最低となっている(ドイツ59%、スウェーデン76%)。納めた税金や保険料が、今でも、「取られっぱなし」であるのにもかかわらず、政府・財界は、今後ますます「公的医療費の給付を抑制する=自己負担分を増やす」と主張しているのだから呆れる他はないが、高齢化がますます進行する下での日本の医療の将来を考えた場合、「公的給付のさらなる充実」をいかにして達成するか、そのための医療制度改革をこそ議論すべきであろう。

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国民皆保険 9 / 米国英国中国

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 13 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_9_0440.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、改革、改悪、米国、アメリカ、市場原理、小さな政府、国民負担率、規制改革、民間開放

第 26 回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム ( 2006.3.16 ) からの報道、李啓充先生と近藤克則日本福祉大学社会福祉学部教授の論説を見てみる。

李啓充先生は米国と中国の医療の悲惨さを、近藤克則教授は英国の医療の悲惨さを、それぞれ紹介して、日本の医療の今日これからについて警告を発してくれている。

日本は、米国と英国の悪いとこ取りをしているのだ。

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第 26 回日本医学会総会ポストコングレス公開シンポジウム ( 2006.3.16 ) の李啓充先生の抄録より、見出しと論説の一部を抜粋する。

李 啓充(医師・コラムニスト)

市場原理と医療 米国の失敗を後追いする医療改革

・「小さな政府」と医療制度改革

・「国民負担率」は国民負担の実際を反映しない
「国民負担率」は、語感が与えるイメージとは裏腹に、「国民負担の実際」を反映する数字ではないからである。たとえば、先進国中、日本の36%(2005年)よりも国民負担率が低い国は米国(33%)だけであるが、実際の米国民の医療保険料負担は、日本よりもはるかに重いものとなっている。

・公的給付削減の果てに待つ米国型医療保険制度

・「市場原理」に基づく米国型医療保険制度の失敗
「民」の医療制度は、換言すると「市場原理」に基づく医療制度に他ならないが、市場原理によって運営される米国の医療制度の「失敗」の数々の中でも、際立っているのは、以下の4点であろう。
1)財力に基づくアクセス差別
2)医療費の止めどない上昇
3)負担の逆進性
4)公的負担の増加

・「市場」のメカニズムが医療では有効に機能し得ない理由

・規制改革/民間開放推進会議の危険な主張
1)混合診療全面解禁の危険
2)株式会社による病院経営解禁の危険

・目指すべき方向は社会保障のさらなる充実

近藤克則日本福祉大学社会福祉学部教授

日医ニュース
英国の医療改革から学ぶ 1 ( 2006.4.20 )
英国の医療改革から学ぶ 2 ( 2006.5.5 )

日本でも,“三時間待ちの三分診療”といわれるが,これは救急医療ではなく一般医療での話である.ところが,イギリスでは,救命救急が問われる重症患者でも平均三時間半待つのである.しかも,救命救急センターで「入院が必要なほど重症と診断された時点でストップウォッチを押し,無事病室にたどり着くまで」の時間である.最長記録は七十八時間(三日と六時間)で,待たされる間は,ストレッチャー(車輪付き担架)に乗せられている.他の人が来るといつでも移動させられるような劣悪な環境に置かれるのである.
…..
ブレア首相が二期目の政権をねらう総選挙があった.彼は,一期目の政権に就くとき,専門医療の“待機者リスト”を十万人分減らしてみせると公約し,二期目の選挙直前に,十五万人分も減らし,目標を超過達成したという.選挙公約は守られないものだと思っていた私は感心したが,イギリス国民の反応は非常に冷ややかだった.
実は,十五万人分削減しても,さらに百万人分も待機者が残っていたからである.手術を一年半以上待っている人が百十八人もいて,なかには,他の緊急手術を理由に手術を四回も延ばされ,その間にがんが進行し,手遅れになったという悲惨なケースもある.

参考資料

国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 1
国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 2
国民皆保険 9 / 米国英国中国資料 3

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国民皆保険 8 / 軽費医療外し資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 8 / 軽費医療外し

軽費医療の健保外しの記事。

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NIKKEI NET いきいき健康 2006.6.12

病院処方のかぜ薬など、全額自己負担に——政府・自民検討

政府・自民党は、かぜ薬など市販薬と類似する医薬品を医療機関が処方した場合、公的医療保険を適用せず全額を患者の自己負担とする方向で検討に入った。歳出・歳入一体改革の一環で、医療機関の薬剤投与を抑える。医療費の2割を占める薬剤費の抑制につなげる狙いだが、来夏の参院選を控え与党内の反発も予想され、調整が必要になりそうだ。

自民党の歳出改革プロジェクトチームが検討、月内にもまとめる2011年度までの歳出削減案に反映させる方針だ。

[2006年6月12日/日本経済新聞 朝刊]

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国民皆保険 8 / 軽費医療外し

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 12 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_8_2163.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
国民皆保険、医療、保険、免責、保険外し、軽費

保険免責と軽費医療の保険外し、この二つの政策の真の目的は何か。

健康保険財源の 80% は、レセプト 1 件あたりの医療費が高額なもの、上位 25% の件数のレセプトで占められている。その高額なものとは、胃切除手術での 1 ヶ月以内の入院程度の医療費から上のものである。大多数の病院での入院医療が含まれる。

逆に言えば、大多数の小規模医療機関での外来診療、軽費医療に使われる医療費は、少ないのだ。それを何割か削った所でさほどの医療費削減にはならない。

その軽費医療を無理矢理削減する方策が次の二つである。

1. 保険免責
2. 軽費医療の保険外し ( 廉価医薬品や低額な処置・検査など )

アクセスとそこそこの質を安価に提供している日本の医療。国民皆保険である日本の医療は社会保障そのものである。セーフティネットだから、落っこちる直前に、あるいは落っこちかけた所ですぐに救い上げてもらえるものでなければならない。

保険免責と軽費医療の保険外しは、軽症な内の受診を抑制する。さらには、受診、すなわちアクセスそのものも抑制する。保険免責と軽費医療の保険外しは、落っこちる者を落っこちかけた所で救い上げることを困難にする。セーフティネットを破壊するものである。

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軽費医療の保険外しは、私が知る限りでは、1997 年頃には、日本医師会内部で整形外科、耳鼻科などの処置の逓減制といった形で議論されていたらしい。政府厚生省がいつ考えだしたかは分からないが、同じ頃には官僚も考えていただろう。2002 年改定の頃から診療報酬改定の具体的な話の前段階程度の所には顔を出すようになった。いわゆるアドバルーンといった形でである。

実際には、いわゆる医薬品のコンビニ販売開放と、眼科の検査のマルメ、リハビリテーションでの混合診療導入などで、それと分からないように道筋が付けられた。

これからは、風邪薬、胃腸薬、抗アレルギー剤、ビタミン剤、湿布などの保険外し、眼科耳鼻科の検査や、いわゆる物療などの消炎鎮痛処置の保険外しかマルメ。こういった方法で軽費医療を保険から外そうとしている。

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保険免責と軽費医療の保険外しは、医療費削減にはならない。却って増える恐れがある。

保険免責と軽費医療の保険外しは、医療へのアクセスの最初の段階、すなわち傷病が軽度なうちの受診が抑制される。そうすれば、重症化してからの受診が却って増え、医療費抑制にはつながらないのではないか。

医療機関は、個人零細診療所か、大規模急性期病院しか、経営が成り立たないような診療報酬になってきている。療養病床は削減・廃止となって慢性期医療は在宅医療しか生き残れなくなった。保険免責と軽費医療の保険外しは、その零細診療所を潰すことしかできない。医療費の大部分を使っている急性期病院の医療費は減らない。

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では、保険免責と軽費医療の保険外しは、いったい何のためだろうか。

1. 日本医師会の構成要員の大部分を医療から撤退させ、日医を弱体化させる。
2. 中小医療機関を潰して、大規模医療機関またはそれらの医療機関の関連の施設、すなわちそのチェーンに再編する。

自民党、規制改革会議や財界の勢力は、実は、これを狙っているのではないか。

参考リンク

患者を救う背景

参考資料

国民皆保険 8 / 軽費医療外し資料

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国民皆保険 7 / 亡国の医療制度改革

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 12 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_72_f449.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
国民皆保険、医療、保険、米国、アメリカ、金融、混合診療、株式会社、営利

吉原忠男埼玉県医師会会長が、自身の埼玉県医師会のウェブサイト上で公開している論説を紹介する。

埼玉県医師会
医療制度改革を考える
混合診療全面解禁について
「弱者切り捨て」の医療制度改革を阻止しよう
亡国の医療制度改革
日本医事新報 No. 4235 p. 59 – 60, 2005. ( こちらに保存 pdf 217KB )

今国会での医療改革関連法案の、真の目的が分かる。以下にも紹介したように、米国財界を結果として利するのだ。あるいはそれがそもそもの目的なのかもしれない。

亡国の医療制度改革
医療
日本における平均的な高齢者の医療費は、65才以下のそれに比べて5倍以上で、それが過去10年にわたり高齢者医療を年率8%押し上げている。医療機器、医薬品の薬事規制と償還価格制度を改革することが日本の医療制度改革の鍵となるであろう。日本が医療サービス分野を営利企業に開放し、株式会社の参入を要望する。

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国民皆保険 6 / 家を売ってでも資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 6 / 家を売ってでも

オリックス証券/Coffee Break>宮内義彦ジャーナルに掲載されていた週刊東洋経済/2002.1.26号の記事

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http://www.orix-sec.co.jp/brk_jour/mj_11.html

オリックス証券/Coffee Break>宮内義彦ジャーナル

規制改革と日本経済活性化
規制改革で日本を世界の負け組から勝ち組にしよう
週刊東洋経済/2002.1.26号

規制改革委員会は、2001年4月に内閣府に直結した「総合規制改革会議」に衣替えした。議長には委員会の委員長であった宮内氏が就任。01年12月11日には答申を小泉首相に提出した。規制改革は日本経済活性化の焦点である。宮内氏にその成否を聞いた。

——今回、総合規制改革会議は内閣府に直結して首相に諮問ができ、各省庁にも勧告する権限を法的に与えられました。新体制は、以前の規制改革委員会とは異なりますか。

規制改革に随分と長い間お付き合いしてきましたが、組織はいろいろと変わってきました。ただ、組織の変化よりも、その時々の政権の意欲のほうが、実態としての影響は大きいです。

——小泉首相は規制改革について意欲的に取り組むと公言していますが、実際にはどうなのでしょうか。

ちょうど山に登りかけて、もっと頑張らなければいかんという時期にあります。構造改革といえば、やはり規制改革をやらなければだめだという認識が深まってきました。今の「総合規制改革会議」を作ろうと言ったのは前内閣ですから、衣を作ったのが前内閣で、魂を入れようとしているのが現内閣です。

制度変更にも踏み込む

——改めて基本的なことをうかがうと、なぜ規制改革は日本の構造改革のために必要なのでしょうか。

経済活動の資源は有限ですから、効率を高めなければならない。一国というより、今や世界のなかで効率競争をするようになってきました。このなかで日本は負けてしまって、さらに負け続けるでしょう。日本の経済システムの効率が悪いからです。

それは何かと言えば、経済活動を官が担っている。ということは、これは旧ソ連と同様ですから、完全に負け組です。それから政府が非常に関与した経済活動——統制経済が日本にはあります。これもやはり市場経済には負けてしまいます。官による経済活動と統制色の強い経済は変えていかなければなりません。

特殊法人改革のように、民間にできるものは民間に任せるべきで、統制色の強いものを市場経済にするための手法が、規制改革です。経済の効率を高めて、GNPを上げ、再び成長路線に行こうということです。

特に今回(の答申で)は、重点六分野(医療、福祉保育等、人材(労働)、教育、環境、都市再生)を指摘し、官が関与する制度的なところに踏み込みました。そうした制度的なところにも、民間の知恵と活力を入れていかなければならない。過去の規制改革より、対象範囲が広がったことは事実です。

過去にも労働法規、情報通信ではNTTの組織問題といった極めて制度的なものに踏み込んだ経験もあります。そういう過去の蓄積があってもっと大きな壁に挑戦し始めたのですが、壁は厚ければ厚いほど、抵抗勢力が強いということになります。

——壁が薄くて早く実効をあげられるものはあるのでしょうか。

たとえば、金融ビッグバンはグローバル経済からの外圧もあり、やらざるをえないという面がある。これに対して、医療制度は「世界に冠たる国民皆保険」とだけ言えば、競争なしです(笑)。過去の委員会に対して、「やれることしかやっていないじゃないか」という批判がありますが、まさにやれることは必死でやってきたわけです。

保険医療一辺倒からの脱却を

——最も厚い壁は医療ですか。

医療、福祉には確固たる「鉄壁の城」ができています。それを崩しにかかるのですから、少々のことでは動きません。特に医療はGDPの七%という大マーケットです。

——医療ではどのような方法で改革への道筋を作れるのでしょうか。

医療は保険医療という日本独特のシステムが立ち行かなくなった。だから保険制度を、小さくしようということになります。医療イコール保険だけではなく「自由診療も認めよ」という考え方です。公は保険、民は自由診療で、公民ミックスで多様な要求に応じればよい。しかし医師会は反対です。制度変更と同時に既存制度でも、もっと合理的にやれるのではないか——既存制度の中身の透明度を高めようということです。

——具体的には。

既存の保険制度のなかにある無駄を排除しよう、たとえば、報酬の出し方が基本的に出来高払いですが、症状別の標準方式、定額払いという方向にもっていきたい。国民の医療費をGDPの七%に抑えるというのはとんでもない。一〇%でも何でもよいと思います。国民がもっとさまざまな医療を受けたければ、「健康保険はここまでですよ」、後は「自分でお払いください」というかたちです。

金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう。それを医師会が止めるというのはおかしいのです。医療サービス、病院経営には民間人の知恵を入れるべきでしょう。企業が病院を経営してもよい。利潤動機の株式会社に、人の命を預かる医療を担わせるとは何事かと言われるわけですが(笑)。

——学校給食についても、民間業者に任せるという話に対しては、利潤動機の企業は何をするかわからないという意見が根強くあります。

それは医師会御用達の思想で、それを言うなら、よく自動車に乗りますね、飛行機に乗りますね、ということになります。民間企業が利潤動機で作った車の四つの車輪の一つは絵が描いてあるだけだと思いますか。ばかばかしい議論です。そんなことを言っていれば、社会主義になってちょうだいということです。国のやるべきことは飛行機が何回着陸したならばタイヤを変えなさい、または点検しなさいというルールを決めることです。学校給食で言えば、栄養士の資格のある人を何人雇うかとか、衛生基準を守れということで、国営で給食を作ろうが、民間業者が作ろうが同じ話です。こういう単純なことがどうしてわからないのでしょうか。

経済活動のなかには、パブリックに多くの人にサービスする場合と、一個人にサービスするものがありますが、パブリックなサービスは、パブリック・イコール・パブリックにしなければいけないと思っているのです。とんでもない話で、パブリックの目的さえ達すれば、それは民間がやるほうがよっぽどうまくいくのです。霞が関がパブリックというとき、実は自分の省だったりするのです。

——重点六分野で、制度自身の変更は、他にどのようなことが考えられるでしょうか。

たとえば、教育をなぜ文部科学省にやってもらわなければならないのか。文部科学省が描いたとおりでないと、教育ではないというのはまことにおかしな話です。

——02年に規制改革はどのようなスケジュールで進めますか。

これはやはり政治のリーダーシップによります。規制改革もあるが、まずは景気が大事だとなれば、それで止まってしまう。

役所が嫌悪するバウチャー導入

——本番を迎える税制改革と規制改革との連動性は出てきませんか。

税金と補助金はイコールで市場メカニズムをつぶしています。たとえば補助金をもらっている特定の人は、他に対して競争力を強めてしまう。他が全部、自由でも、まともな競争にはなりません。

たとえば、保育園。認可保育園と無認可保育園があり、片方は補助金があり、片方は補助金がない。それなのに認可基準は同一ではおかしい。無認可に入らなければならない待機児童を救わなければならないのです。無認可に関しては最低基準を作ろうという考えです。既得権益と、そこからあぶれた側とで、大きな差があるからです。認可保育園の園長さんたちに囲まれたこともありますが、あの人たちにトータルにものを見ろと言っても殺生な話で、制度が悪いのです。

老人ホームでも同じです。施設ごとに補助したり、しなかったりというのがおかしいので、対象になる人に、一人ずつバウチャーを持たせる制度がよい。しかし厚生労働省も、バウチャーと聞いた途端に取り合わない。自分の聖域、自分の作った制度が全部、がたがたになるからです。学生に教育バウチャーを与えよという考え方もあり、私学助成などやめてしまえということです。それがいちばん合理的なのですが。

——都市再生と言ってもさまざまな規制があって、動きが取り難い。

邪魔をするわけで、すごい国だというのが私の結論です。

——規制改革の障害はどのような形であるのでしょうか。

具体論としては、法律を作ったり、変えてもらわなければならない。歴代総理は、みな改革を頑張ろうとは言われるが、(自民)党のほうが難しいので、ここまでにしておきましょうということになる。規制改革は自民党で熱心な反対議員が二〜三人いれば止められる。総務会で全会一致でないと法案をOKしないというのは逆民主主義です。閣議決定にならなければ、省庁は聞きません。日本では閣議決定になれば、それを役所は真面目に聞きますので、そこが肝心です。

総合規制改革会議の委員と役人が相対しますが、役人は間に立って、業界ともやらなければならない。業界とのやり取りに失敗すると、業界は族議員に働きかける。そして族議員がつぶしにかかるのです。

——日本をこういう姿にしたいというビジョンがあって、そこから逆算して規制改革に取り組まれているのでしょうか。

非常に簡単ですよ。世界のなかの負け組から勝ち組になることです。何が何でもなってほしいと思うわけです。経済的な勝ち組になれば、社会的な勝ち組にもなるんです。経済的な富がなければ、良い社会は作れません。豊かななかから世界をリードする文明、文化が生まれてくるのです。経済的に勝たない限りだめですよ。

インタビューを終えて
宮内さんは経営との二足のわらじで長年にわたって規制改革に取り組んできました。ムシロ旗が会社の前に立つような状況もあり「何で私がこんなことせにゃいかんのか」と言いながらも、激しい闘志を燃やしています。小泉首相を都会的な自主自立の人と評しますが、景気悪化で構造改革が崩れ政権崩壊なら、最悪の事態になると予言されていました。

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国民皆保険 6 / 家を売ってでも

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 6 月 9 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/_7_670c.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
国民皆保険、医療、保険、米国、アメリカ、金融、混合診療、株式会社、営利

もう間もなく、日本人の生命、健康を米国保険金融財閥に売り飛ばす法律が成立する。

私は日本共産党のシンパではないが、これだけの危機感を今の日本人は理解できないだろう。

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医療改悪法/社会的連帯ではね返そう
窓口負担増、保険料引き上げ、病院追いだし …
70歳以上の窓口負担を2割、3割に引き上げる。高齢者の保険料は年金から「天引き」にする。重症患者の治療費は、老いも若きも負担増。そのうえ長期入院用のベッドをなくし、病院から高齢者を追いだす計画まで…。“お金の切れ目が、命の切れ目だ”といわんばかりの医療改悪です。

「混合診療」導入
「保険証1枚あれば、必要な医療はすべて受けられる」が、日本の医療制度です。だから、人工透析、眼内レンズ、臓器移植など、最初は保険のきかない高額の医療であっても、やがて保険のなかにくみこまれてきました。
政府が導入をねらう「混合診療」は、このしくみをこわそうというものです。「よりよい医療技術や新薬は保険の対象外に。うけるためには高額の治療費が必要」「お金のない人は保険のきく範囲で」──こんな「混合診療」が導入されたら、保険証だけで病気を治すことができなくなってしまいます。

日米の保険会社のもうけのために
アメリカ系保険会社は、早くも、「のしかかる自己負担」「公的保険適用外の治療費への備えも必要」などをうたい文句に、保険加入を大宣伝しています。

医療費の抑制 – 企業の保険料負担だけが軽くなる
政府や財界は、このまま医療費が増大すれば、経済も財政も破たんすると国民を脅しています。しかし、日本の医療費はGDP比で7.9%と、アメリカの14.6%、ドイツ10.9%、フランス9.7%などと比べても低い水準です(経済開発協力機構の調査)。一方、公的医療保険における窓口負担割合は、イギリス2.0%、ドイツ6.0%、フランス11.2%などに対し日本は16.1%と、患者の窓口負担が突出しているのです。
それなのに、財界は自分たちの保険料負担だけは軽減したいという欲望で、患者負担増を要求(右欄に抜粋)し、小泉内閣はこれを進めようとしているのです。
医療費の患者負担割合を増やせば、医療保険から給付される額が減ります。窓口・保険料負担をあわせた国民負担は増え、企業や国の負担は軽くなるしかけです。

しんぶん赤旗
医療 「しんぶん赤旗」の関連記事一覧
厚労省がデータ“改ざん” 療養病床削る根拠なし 2006.6.2
廃案しかない 医療改悪法案 2006.6.4
医療改悪法案 住江保団連会長の陳述 参院委 2006.6.4
治療の格差 無制限に 2006.6.7
医療改悪法案 看護師不足に拍車 2006.6.7

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オリックス証券、宮内義彦ジャーナルに掲載されていた週刊東洋経済/2002.1.26号の記事

金持ち優遇だと批判されますが、金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう。

強欲極まれり。

参考資料

国民皆保険 6 / 家を売ってでも資料


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医療危機への解決策を結構あれこれこねくり回した挙句、悲観的な結論を5/18のエントリーにしています。簡単にまとめるとこのままではどうしようもない。流れは悪い方に加速する一方で、具体的な改善案は、私だけではなく多くの心ある医師がネットでも発表していますが、その… [続きを読む]

受信: 2006/06/14 12:15:46


コメント

オリックスの宮内オーナーの言葉は凄いですね。たぶんこれでも幾分の謙遜をしていて、本音は「家を担保にオリックスから金を借りろ」を我慢してのものに思われます。小泉政権下で増長慢を募らせている経済人の政治支配を減らすには選挙でしょうね。

民主党にどれだけ期待をもてるかは問題ですが、少なくとも政権が変われば自民党政権下で我がもの顔に歩いていた連中は少しは遠ざけられるでしょうから、流れが変わることぐらいは期待できます。そういう目で日医も動くぐらいの姿勢が無いものでしょうか。劣勢に立っている民主党を支援すれば恩を売れますし、政権を奪えば影響力が出ます。自民党なんかいくら支援しても、とうの昔に梯子は外されている事にエエ加減気がついても良さそうですが。

投稿 Yosyan | 2006/06/09 19:04:13

Yosyan 先生侍史
こんにちは、またはこんばんは

コメント有り難うございます。

日医は植松前会長のときに、自民党と距離を置き、是々非々路線で臨みましたが、小泉の医師会改革政策、すなわち会長選挙への介入により、また自民党追従路線に戻ってしまいました。医療改革関連法案強行採決はその証明書みたいなものです。

対決路線でも、追従路線でも、日医の政治力はほとんど無くなってしまいました。そこで日医の存在感を増すための方策として、民主党との政策での連携は検討すべきと思います。

ただ、民主党支持に鞍替えしましたら、何年もの雌伏の年月を経なければならないかもしれませんし、自治労をはじめとした労働組合、健保連との力学で、民主党支持層の中で冷遇される恐れがあります。

また、政権政党から離れると、政府内での様々な委員会への参加、中医協にしても、医療機能評価機構での医療事故の検証システムの制度化にしても、政策に関与していくチャンスが大幅に失われます。

それらのことを踏まえて、崩壊しつつある医療の現状は、今の自民党政府に引っ付いているだけでは防げないだろう、ならばいったん崩壊させて、対立する政権ができて再建に取り組む、とするしかないのかもしれないとも思います。スクラップアンドビルド、これは甘いささやきで、ついそっちに走ってしまいそうになりますが、現実にはそれはできないでしょう。

私は、政権内での政治力を回復するよい手段が日医に残っていない現在、政策、候補者ごとの是々非々路線と、世論を味方につける広報戦略が必要かと思います。

投稿 道標主人 | 2006/06/10 22:42:24

道標主人様。非常に現実的な意見だと私は思います。政治力は衰微したとは言え、政権内にいるメリットは捨てがたいのはご指摘の通りかと思います。民主党が政権を奪取してのスクラップアンドビルドにどれほどの期待が持てるかと問われれば決してバラ色とは思えないからです。

ただ政権内での影響力の保持の観点から見ると微妙なものがあります。前回総選挙の結果は自民圧勝で間違いありませんが、投票率で見るとかなりの僅少差です。オセロゲーム的な結果であり、次回は民主党に僅差が傾く可能性があります。何が言いたいかですが、これまでのように自民永久政権の前提がどれほど信頼できるかです。民主党の動向をどう評価するかで変わりますが、本当に二大政党時代がくる可能性があります。

二大政党が政権を奪取しあう時代が来れば、自民党支持一辺倒では民主党政権時代には冷飯となります。そのため取るべきスタンスとしては2つ考えられます。一つはどちらかの政党に肩入れして冷飯時代を甘受する。もう一つは時の政権与党に擦り寄っていく。どちらにしても難しい選択を迫られる時代だと思います。

投稿 Yosyan | 2006/06/11 17:16:59

Yosyan 先生侍史

重ねてご教示有り難うございます。

日医は、今の自民党政権の中では、どれほどのこともできなくなってしまっています。

ポスト小泉をにらんで、二階、古賀、津島各氏らが動いているようですが、これらの動きが、次の自民党内での力関係につながってくるのかもしれません。安倍氏が総裁になっても、小泉首相ほどの独裁は難しいでしょうかね。

そうしましても、自民党内の派閥力学、人脈で政策実現を目指す、旧来の日医のやり方も使えるでしょうか。それは多少は機能しても、かつてのような政治力で診療報酬増額改定などは無理。財務省、規制改革会議などをバックにした大臣、議員の力の方が勝っているだろうと思います。

また、小沢民主党が力を付けてきて、次期参議院選挙で自民党を凌駕するようになりましたら、先生がおっしゃるとおり、二大政党制につながっていくかもしれません。経済界でも、規制改革会議 – 米国財界利権につながろうとする勢力もあれば、小沢氏を支持する人たちも結構いるらしいです。

私は日本医師連盟には入っていません。自民党べったりではだめだと考えるからです。

これらをふまえて、私は、
1. 日医が国民に好意的にとらえられること
2. 日医は政策ごとに、是々非々で各政党と対峙すること
この二つが同時に成り立てば、政治力がアップするのではないかと思っています。

政策に是々非々で対応することは、国民の支持を得る基本でもありましょう。ぶれない軸で医療と社会保障を守る、という態度に出るのです。1,700 万署名を一瞬にして反古にするような、衆議院厚生労働委員会での参考人発言は、切腹ものです。

電通の人を引き抜いて座らせているようですが、なんか全然だめっぽいですね。日医の対外広報をもっと強力なものに改善しなければなりません。

—–

民主党は、党員、サポーターがまだ少ないらしいので、日医が民主党支持に鞍替えして、日医連の加入医師が全員民主党党員になってしまえば、民主党内での大勢力になるかもしれませんね。

投稿 道標主人 | 2006/06/12 22:25:49

道標主人様、有益な意見交換が出来たと感謝しています。

日医は現在非常に難しい時期にあると思います。自民に擦り寄っても扱いは冷たいですし、民主に擦り寄ってもどう扱われるか未知数です。そのうえ政権の行方自体が二大政党時代にでも移行されたら、政権内部での影響力行使は今よりさらに難しい舵取りが予想されます。

そんな先行きでの道標主人様のこれからの日医のあり方は卓見かと存じます。自民でもなく民主でもなく、少なくとも医療問題においては日医は第3極の立場を取るという考えに賛同します。また第3極の立脚する地として国民の支持を広く集めるという意見にも賛成です。

大変申し訳ありませんが、この意見交換をベースにして当方ブログで日医のあり方をエントリーさせて頂きます。よろしく御了承くだされば幸いに存じます。

投稿 Yosyan | 2006/06/14 12:14:53

Yosyan 先生侍史

こちらこそ、有り難うございました。

> よろしく御了承くだされば幸いに存じます。
はい。またお邪魔させてください。

日医の在り方について、少し勉強して考えたことなどもあります。また資料を整理してここに載せていこうと思います。

投稿 道標主人 | 2006/06/14 15:05:06

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国民皆保険 5 / 松谷医政局長資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 5 / 松谷医政局長

今年度 ( 平成 18 年度 ) の厚生労働省の医系技官採用情報に、松谷医政局長の文章を見ることができる。

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医系技官

はじめに
医系技官の活躍する部局
応募から採用まで
平成18年度医系技官採用募集パンフレット(作成中)
平成18年度医系技官募集要項
医系技官業務説明会のお知らせ
医系技官見学ツアーについて

厚生労働省医政局長  松谷 有希雄   

我が国は、今日では世界でも最も高い水準の医療提供体制が整えられており、全般的な生活水準や公衆衛生の向上が相まって、世界最高レベルの健康水準を実現するに至りました。

特に我が国の保健医療システムは、世界保健機関(WHO)のWorld Health Report 2000 においても、世界で最も総合的に優れているとの評価がなされています。

しかしながら、一方では、出生率の低下や平均寿命・健康寿命の延伸による人口構造の変化、新興・再興感染症等の新たな健康危機の発生など、健康をとりまく様々な社会情勢の変化が起こっており、国民生活に直結する分野を担当する厚生労働省の役割はますます重要性を増してきていると言えます。

このような中、医系技官は、厚生労働省を中心とした国内外の多くの機関で、その医学知識を活かしながら、生命や健康と直結した非常に重要な役割を担っています。具体的には、医療制度分野においては、根拠に基づく医療(EBM)の推進、医療安全の推進、医師の臨床研修の推進、急性期医療の効率化・重点化等、医療提供体制の改革の実行。公衆衛生分野においては、保健所等を通じた地域保健の向上、生活習慣病・難病対策、健康づくりやたばこ対策、エイズや結核等の感染症対策の推進。また、鳥インフルエンザや牛海綿状脳症(BSE)等の新たな健康危機への対応等が挙げられます。

他にも、食品安全の確保や職業性疾病対策、生殖補助医療のあり方の検討、精神障害者の自立支援の体制づくり、介護保険制度の充実などがあり、いずれも一刻の猶予も許されない課題であります。

このホームページをご覧になっている方は、医学を志した時、あるいは臨床研修に進む時、臨床研修を終えた時、専門分野の一里塚に到達した時、その時々に自分の将来を託す道を決断してきた経験をお持ちだと思います。

私たち医系技官も、医学を志し、修めたものとして、自分の将来を何に託すかという問いに直面したとき、日本国民のみならず世界の人々の健康と安全を守るための政策を具現化・推進することを選択しました。そして今、厚生労働行政を担う重責を感じつつ、日々の活動に全力を傾注しています。

私たち医系技官が医学を修めた方々に知って頂きたいこと、それは全ての国民が健康で幸せな生活を営むことを支えるには、臨床や研究以外にも行政という道があるということです。そして、その役割を通じて社会に貢献することの醍醐味を、我々医系技官に会い、知り、感じてもらいたいと思います。

21 世紀の厚生労働行政を担う医系技官には、豊かな人間性、自由な発想、健全な研究心、行動力をもった若い人材が求められています。そのような意欲ある方が集い、一緒に働く機会を得ることを期待しております。

このホームページをご覧になり、共感された方々の応募をお待ちいたしております。

医系技官は、その専門的能力を背景として、厚生労働省をはじめとして、他省庁、国際機関等国内外を問わず、幅広い機関において活躍しています。

1 厚生労働本省
保健・医療・福祉・労働に関する部局において、その専門知識を発揮する技術系行政官として、事務系行政官とともに厚生労働行政を担っています。

2 厚生労働省付属機関
検疫・防疫の第一線機関である検疫所、試験研究機関である国立保健医療科学院・国立感染症研究所・国立医薬品食品衛生研究所等、国立高度専門医療センターである国立がんセンター・国立循環器病センター・国立精神・神経センター・国立国際医療センター、国立成育医療センター、国立長寿医療センター、地方支分局である地方厚生局において、我が国の健康安全、科学技術政策の向上の一翼を担っています。

3 他省庁
次のような省庁等において、保健・医療に関連する業務を担っています。

人 事 院
国家公務員の健康安全対策推進に関する分野

内 閣 府
我が国の総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整に関する業務(総合科学技術会議)、原子力の安全確保・防災・緊急時対応・環境モニタリングに関する業務(原子力安全委員会)、食品の安全確保のためのリスク評価に関する業務(食品安全委員会)

防 衛 庁
自衛隊員の衛生管理に関する分野

総 務 省
救急搬送体制等救急救助に関する分野

法 務 省
矯正施設収容者の保健・衛生・医療に関する分野

文部科学省
学校保健やエイズ教育等の学校健康教育分野や、放射線安全の分野、ライフサイエンスに関する研究振興分野

環 境 省
有害化学物質等の環境に起因する健康影響の調査・研究や環境安全に関する分野、公害病患者の救済・予防等の環境保健分野、自然環境分野

4 関係機関
国際協力機構、宇宙航空研究開発機構、医薬品医療機器総合機構等、保健医療科学や厚生労働行政と関係する機関

5 海外
大使館・政府代表部(国際連合日本政府代表部、フィリピン大使館)、WHO(世界保健機関)、UNAIDS(国連合同エイズ計画)、UNSIC(国連インフルエンザ対策調整事務局)、

1 応募資格

(医師)

日本国籍を有する医師であって、原則として大学卒業後5年未満の者。ただし、平成16年4月以降医師免許を取得した者にあっては、臨床研修を修了した者(見込みを含む。)とする

※詳細は、医系技官採用担当へお問い合わせください。
※なお、本年度は歯科医師の募集はしておりません。

2 応募手続

 (1) 応募書類

①履歴書(I)・(II)
②医師免許証の写し(A4判に縮小すること)
③推薦状(様式不問)
④小論文(別添課題)
⑤緊急連絡先等登録証(別添様式)

 (2) 問い合わせ及び書類提出先(書類提出は書留で送付して下さい。)
〒100-8916 
東京都千代田区霞が関1丁目2番2号

厚生労働省大臣官房厚生科学課 医系技官採用担当
電話 03-5253-1111 内線3806 
03-3595-2171(夜間直通)

なお、厚生労働省のホームページ:http://www.mhlw.go.jpのMailBox経由でも問い合わせができます。 

3 応募期限
平成18年9月1日(金)

4 選考方法
一次試験:筆記試験及び面接
二次試験:面接

5 試験日程
一次試験:平成18年9月を予定、二次試験:平成18年10月を予定

6 採用時期
原則として平成19年4月1日

《研修医・医学生の皆様》
下記の通り、厚生労働省医系技官業務に関する説明会を開催いたします。「百聞は一見にしかず」、具体的な関心のある方から、霞ヶ関がどんなところか興味がある、といった好奇心旺盛な方まで、広く皆様に、医系技官の業務を知って頂きたいと願っています。
皆さんのご参加をお待ちしております。

【開催日程】
開催日:平成18年3月21日(火・祝日)    終了
会 場:厚生労働省9階省議室
東京都千代田区霞が関1−2−2 

開催日:平成18年6月24日(土)
会 場:独立行政法人国立病院機構九州医療センター2階 第二会議室
福岡県福岡市中央区地行浜1丁目8番1号

開催日:平成18年7月2日(日)
会 場:厚生労働省9階省議室
東京都千代田区霞が関1−2−2 

【開催プログラム】
 ■13:00〜15:00:個別の事前相談(希望者のみ)
 ■15:00〜18:00:説明会(説明と質疑応答)

(留意事項)
・本件に関するお問い合わせはすべて、下記、医系技官採用担当までお願いします。
・事前の予約は不要です。直接会場までお越し下さい。

【対象者】
・医学部卒業後原則として5年未満の医師
・医学部在学中の学生

【連絡先】
 ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記医系技官採用担当までご連絡下さい。

〒100-8916 東京都千代田区霞ヶ関1-2-2
厚生労働省大臣官房厚生科学課 医系技官採用担当
TEL:03-5253-1111(内線3806)
03-3595-2171(夜間直通)
FAX:03-3503-0183

医学生や研修医の皆さんにとって、霞ヶ関の省庁の仕組みや役所のデスクワークは、どうもイメージがわかず、医系技官が実際にどのような仕事をしているのかわからない、というご質問やご指摘を数多く頂いております。

そこで、厚生労働行政や医系技官に関心のある研修医・医学生の希望者を対象に、実際に各部局で働いている医系技官から、職場の様子や実際の業務、生活ぶりなどについての話を聞く、「医系技官見学ツアー」を随時受け付けています。ご興味のある方は、どうぞご遠慮なく上記、医系技官採用担当までお問い合わせください。

【対  象】
 ・医学部卒業後原則として5年未満の医師
 ・医学部在学中の学生

【人  数】
 ・原則5名〜10名のグループ単位でお願いしています。
(5名未満の場合には、「見学ツアー」としてではなく、採用担当者の個別訪問という形でお受けしています。)

【時 間 帯】
・午前10時〜午後5時を基本としています。
(適宜ご相談にも応じます。)

【内  容】
・省内3〜5部局程度の担当者による業務説明と質疑応答が中心です。
(見学部局は可能な限りご希望に沿うようアレンジします。なお、ご要望があれば、国立がんセンター、検疫所、他省庁などの関連部門を含める等のご相談にも応じます。)

・来訪時に審議会等が開催されていれば、適宜(可能な限り)、

その見学や傍聴も合わせて組み込むことにしています。

【そ の 他】
・霞ヶ関までの交通費は自己負担です。
・昼食も適宜ご自身でとっていただきます。

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国民皆保険 5 / 松谷医政局長

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 5 月 23 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/06/__4d0c.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
松谷有希雄、厚生労働省、医療課長、医政局長、医系技官、診療報酬、引き下げ

2002 年 4 月の診療報酬改定は、国民皆保険制度始まって以来、初めて医科本体、すなわち、医師の技術料が引き下げられた。その中心人物の一人が松谷有希雄厚生労働省医政局長 ( 当時、保険局医療課長 ) だった。

史上初めての大手柄を挙げた松谷課長は、すぐに防衛庁に出向した。批判をかわすために隠れたか、次の出世のために一時息をひそめたのか。その後、医政局長、医系技官の最高ポストに就いた。

官僚の名前はいちいち覚えていないが、この人の名前は覚えている。医療費削減の中心人物の一人が、自ら厚生労働省のウェブサイト上で、日本の医療は世界一と言ってはばからない。

厚生労働省 採用情報 医系技官
我が国は、今日では世界でも最も高い水準の医療提供体制が整えられており、全般的な生活水準や公衆衛生の向上が相まって、世界最高レベルの健康水準を実現するに至りました。
特に我が国の保健医療システムは、世界保健機関(WHO)のWorld Health Report 2000 においても、世界で最も総合的に優れているとの評価がなされています。

産婦人科医不当逮捕事件では、衆議院の厚生労働委員会で民主党などからの追求に対し、のらりくらりと答弁していた。優秀な官僚なのだろう。

医師の端くれなら、防衛庁などではなく、病院で 1 ヶ月、救急医療に従事してみればよいのに。

参考資料

国民皆保険 5 / 松谷医政局長資料

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国民皆保険 4 / 医療費推計資料 4

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 4 / 医療費推計

厚生労働省による 2025 年度までの社会保障の給付と負担の見通しのまとめ

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YOMIURI ONLINE 2006.5.23

社会保障負担、2025年度には73%増

厚生労働省は22日、今後の社会保障政策の基準データとなる、2025年度までの社会保障の給付と負担の見通しをまとめた。

25年度には、年金や医療、介護にかかる税や保険料の負担が143兆円に上り、06年度(82・8兆円)の73%増に達する。国民所得に対する負担の比率は、06年度の22・0%から25年度には26・5%まで増える見通しだ。

推計は、今国会で医療制度改革関連法案が成立し、医療費が抑制されることを前提とした数値であることから、今後、消費税率の引き上げを含めた税制の抜本改革など財源の議論や、社会保障費のさらなる抑制を求める声が高まりそうだ。

見通しは、安倍官房長官の私的懇談会「社会保障の在り方に関する懇談会」が26日に発表する最終報告に盛り込まれる。

負担は、政府・与党がプライマリーバランス(基礎的財政収支)の均衡を目指す2011年度は101兆円に上り、06年度の1・22倍となる。一方、国民所得は06年度の375兆6000億円に対し、11年度は1・15倍の432兆6000億円にとどまる見通しだ。このため、社会保障負担は、経済成長のペースを大きく上回って増える。

社会保障負担の国民所得比は06年度の22・0%から11年度は23・3%へと上昇する。経済成長も踏まえた実質的な負担の伸びは、06年度から25年度にかけて2割程度の増加とみられる。

負担の裏返しとなる、年金、医療、介護などに使われる給付費は、11年度は105兆円と06年度(89・8兆円)比で1・17倍に増加する。25年度には141兆円となり、同比1・57倍に増加するとしている。25年度の給付の内訳で、最も多いのは年金の65兆円で、医療48兆円などとなっている。

政府は04年に年金、05年に介護保険の改革を行い、現在は医療制度改革関連法案が国会で審議中だ。一連の改革による給付と負担の抑制効果は、25年度の段階で、給付21兆円、負担22兆円に上るとしている。

(2006年5月23日3時53分 読売新聞)

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国民皆保険 4 / 医療費推計資料 3

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 4 / 医療費推計

将来の国民医療費、社会保障費の試算の報道など。

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日医ニュース 2006.5.20

中川常任理事
歳出改革に関する日医の基本的問題認識について見解を示す

中川俊男常任理事は,四月二十五日の定例記者会見で,「歳出改革に関する基本的問題認識」について説明した(写真).

はじめに,中川常任理事は,「医療制度構造改革試案」「医療制度改革大綱」,今国会に提出されている「医療制度改革関連法案」等いずれも“医療費の適正化”という名目で,医療費の抑制が図られ,最近では,自民党内に,「社会保障に関しても徹底的な歳出削減を検討せよ」との指示で,政調会長の下“歳出改革に関するプロジェクトチーム”が設置されている現状であると述べた.

日医では,昨年末,厚生労働省の医療費推計の問題点を指摘しているが,今回,日医・日医総研の最新データに基づき,改めて医療費推計の問題点を質したいとした.

まず,厚労省の二〇二五年度の国民医療費推計六十五兆円は,一人当たり医療費の伸びが一般二・一%,高齢者三・二%を前提条件としているが,それは平成七〜十一年の伸び率だと指摘.

実際は,最近の医療費動向(平成十三〜十七年)によれば,診療報酬マイナス改定があった平成十四年を除いても,平均で,一般,高齢者とも一%台の伸び率に過ぎないとした.

また,厚労省が,後期高齢者医療制度案の対象者を七十五歳以上としながら,七十歳区分の医療費推計を用いている点も,制度設計に乖離が生まれるとして問題視した.

そのうえで,最近の一人当たり医療費の伸び率(一般一・四%・高齢者一・三%)を基に,日医・日医総研が再推計を行ったところ,二〇二五年度の国民医療費は四十九兆円となったことを明らかにし,厚労省に六十五兆円という国民医療費の推計値の早急な再計算を求めた.

さらに,問題点として,(1)二〇二五年度の医療給付費が,昨年十月の厚労省「医療制度構造改革試案」では四十九兆円とされ,同十二月の政府・与党医療改革協議会「医療制度改革大綱」では四十八兆円と,わずか二カ月で一兆円(短期的方策効果に相当)も下方修正されていること(2)昨年問題になり,大反発を生じた“保険免責制”が復活すれば,自己負担割合が五割に迫り,若者を中心に公的保険離れが懸念されること(3)歳出削減に当たっては,限界である医療給付費のほかにも削減すべき余地(人件費・経費等)があること(4)日医・日医総研が示した国民医療費の推計値では,厚労省の医療給付費の目標額四十九兆円という数字をすでに達成しており,制度改革,中長期的・短期的方策を行う必要がないこと─等を挙げた.

また,国会で廃止・削減が審議されている療養病床再編による医療費抑制は,老人医療費の低い長野県のように介護費の増大をもたらし,在院日数の短縮化は,高齢者を介護保険へ追い出しかねないと指摘,「数値目標を一人歩きさせてはならない」と述べた.

最後に,中川常任理事は,社会保障費,医療給付費のこれ以上の削減は,医療の質・安全性の担保が危うくなると強調.日医は,これらについて各方面に十分に理解を求め,地域医療の崩壊,医療保険制度の形骸化に結び付くような施策が行われないよう働き掛けていきたいと意欲を示した.

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日医ニュース 2006.5.5

人口減少時代の社会保障改革
小塩隆士(神戸大学大学院経済学研究科教授)

わが国の出生率の低下は著しく,近い将来,人口減少時代に突入するといわれている.そのような時代に社会保障改革はどのように行われるべきなのか,小塩隆士氏に指摘してもらった.
(なお,感想などは広報課までお寄せください)

医療や年金,介護など社会保障のあり方を議論する場合,人口減少をどこまで意識するかで主張は大きく異なってくる.現行の社会保障の財源は,かなりの程度,現役世代からの所得移転によって成り立っている.この構造は,少子化が進み,財源の担い手が少なくなると機能しにくくなる.これはよく考えると当たり前のことなのだが,ではどのようにすればよいかということになると,高齢者向けの社会保障給付を減らすしかないという話が出てくるので,なかなか良い改革案が出てこない.社会保障改革は,すべての世代を同時にハッピーにせず,どこかにしわ寄せがくる,一種の「ゼロサム・ゲーム」である.

少子化の真の要因とは?

この「ゼロサム・ゲーム」的状況から抜け出そうとして,最近では少子化対策の重要性がさまざまなところで喧伝されている.確かに,子どもの数が増えれば社会保障の財政的な問題はかなり解決する.財源を調達する層が再び厚みを増せば,高齢者向けの社会保障給付はこれまでの水準を維持できる.政府は,一昔前までは子育て支援を「産めよ殖やせよ」的発想で議論することに消極的だったが,最近では出生率の回復を目指すというスタンスを明確に打ち出している.そこまで人口減少に対する危機感が高まったということだろう.

しかし,少子化という流れは,政策で簡単に反転できるものではない.少子化の原因の多くは,結婚後ではなく,むしろ結婚前にあると考えられるからだ.実際,既婚カップルの出生力はそれほど落ちていない.結婚後十五から十九年経過した夫婦の平均的な子ども数を完結出生児数というが,その値は一九七〇年代以降約二・二でほとんど変化していない.日本の男女は,結婚すれば平均で二人の子どもをしっかり産み育てているのである.

もちろん,最近では,夫婦が産み育てる子ども数に減少の兆しが見られる.厚生労働省の「出生動向基本調査」を見ても,結婚後しばらく経過した夫婦の子ども数に,緩やかながら減少傾向が認められる.一人目の子どもは結婚後すぐに産んでも,二人目がなかなか産まれないという状況になりつつある.しかし,これは既婚カップルの出生力の低下というより,晩婚化の影響が大きい.厚労省が今年三月に公表した「出生に関する統計」によると,女性の平均初婚年齢は,二〇〇四年で二十七・八歳,第一子を産む平均年齢は二十八・九歳に達している.結婚しない若者が増え,結婚しても第一子を産む妻の年齢が三十歳近くということになると,第二子を産もうと思っても体力的な問題が出てくるだろう.とにかく若者に早く結婚してもらわないと,出生率は回復できないということになる.

社会保障改革で注意すべき点

そう考えると,児童手当の対象年齢を引き上げたり,両立支援策を充実したりしても,あまり効果はないことが容易に予想される.それらは基本的に,既婚カップル向けの政策だからだ.子育て支援の充実で,若者は果たして結婚を早めるだろうか.早めるかも知れないが,それほど大きな効果は初めから期待できない.少子化対策はむしろ,国民が安心して,子どもを産み,育てられる社会の実現のためにこそ必要なのである.また,「社会の宝」である子どもを産み育てている世帯への社会的な支援としてこそ重要なのである.出生力の回復は,もちろんそれが実現できればすばらしいが,実は少子化対策の真の目的ではない.

そう考えると,話は振り出しに戻る.人口減少という深刻な制約下で,セーフティー・ネット(安全網)としての社会保障の持続可能性を高めるにはどうすればよいか.この問題からわれわれはやはり逃れられない.筆者が望ましいと考える社会保障改革の方針は,いたって単純である.つまり,社会保障給付のうち現役層からの財源に依存している部分を,現役層が無理なく支えられる範囲に縮小するというものである.もちろん,疾病リスクや要介護状態になるリスク,所得を稼げなくなるリスクなど,社会的なリスクにさらされやすい高齢者は,できるだけ社会的に手厚い支援が必要である.しかし,そのためには財源が必要である.その財源調達のために,現役層が「こんなにたくさん負担できません」と音を上げれば元も子もない.これまでは,将来世代に負担を先送りすることもできたが,人口減少が進むと,それも難しくなる.

「現役層が無理なく支えられるように」という発想は,政府による社会保障改革でもすでにかなり顔を出している.二〇〇四年の公的年金改革では,人口動態やマクロ経済の動向に応じて年金給付の水準を調整する「マクロ経済スライド」が導入された.これは,年金制度を現役層の「身の丈」に合わせることを狙うものである.昨年十二月に発表された医療制度改革大綱でも,高齢層の医療費自己負担の引き上げなどが盛り込まれている.現行の高齢者医療は,現役層にその財源のかなりを求めているのだから,これらの改革の方向は人口減少という要因を考慮するかぎり正しい.

ただし,医療については次の二点に注意が必要である.

第一に,同じ世代内で給付と負担が完結していれば,次の世代に迷惑がかからないから,給付規模が拡大してもすぐに問題が出てくるわけではない.ただし,これは高齢層の保険料負担の引き上げや消費税率の引き上げといった,あまり人気のない改革につながる.

第二に,医療の場合は,医療サービスの効率化が全体を大きく左右する.今回の大綱でも,二〇二五年度時点で推計される八兆円の改革効果のうち,高齢層の負担引き上げによる効果は一兆円強にとどまり,残りは医療サービスの効率化に期待されている分である.人口減少の下では,供給サイドの効率化への取り組みが,医療制度の持続可能性を高める上で大きなカギを握っている.

小塩隆士(おしお たかし)
1960年京都府生まれ.東京大学教養学部卒業後,経済企画庁(現内閣府)勤務等を経て,2005年4月より現職.大阪大学博士(国際公共政策).主な著書に『人口減少時代の社会保障改革』(日本経済新聞社)『社会保障の経済学』(第三版,日本評論社)など.

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asahi.com 2006.5.19

社会保障給付費「25年度に141兆円」 厚労省見通し

厚生労働省は、今国会で審議中の医療制度改革関連法案が成立した場合の医療費抑制効果を織り込み、社会保障の給付と負担の将来見通しをまとめた。2025年度の社会保障給付費を141兆円と試算。一方、給付をまかなうための社会保険料と税負担の総額は143兆円で、国民所得に占める割合は現在の22%から25年度には26.5%になるとしている。

政府の「社会保障の在り方に関する懇談会」(座長=宮島洋・社会保障審議会年金部会長)が26日にまとめる報告書に盛り込む。今後、消費税増税など、政府の歳出・歳入改革の議論にも影響を与えそうだ。

25年度の給付費の内訳は、年金が約65兆円でもっとも多く、医療約48兆円、介護を含む福祉などが約29兆円でこれに続く。

また試算では、今回の医療制度改革のほか、少子化や経済情勢に応じて年金の給付水準を引き下げる仕組みを導入した04年の年金制度改革、05年の介護保険改革を行わなかった場合の社会保障給付費を162兆円と推計。一連の改革により21兆円の給付費抑制効果があったことを強調している。

社会保障給付費は、06年度予算ベースで90兆円(年金47兆円、医療28兆円、福祉など15兆円)で、高齢化の進展に伴い、年金、医療、介護のいずれの分野でも給付は伸びる見通しとなっているが、一連の制度改革により、25年度の給付費の伸びは制度改革を行わなかった場合の1.8倍から1.57倍に抑えられる計算だ。

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毎日新聞 2006.5.19

社会保障給付費:25年度141兆円に 06年度比6割増

厚生労働省は19日、2025年度の社会保障給付費が06年度より6割増え、141兆円に達するとの推計をまとめた。内訳は▽年金約65兆円(06年度約47兆円)▽医療約48兆円(同約27兆円)▽介護など福祉約29兆円(同約15兆円)−−で、社会保障給付費削減の論争に火をつけそうだ。

同省は04年の推計で、25年度の給付費総額を152兆円と予測していたが、国会で審議中の医療制度改革関連法案の医療給付費削減効果などを織り込んで再試算した結果、10兆円強減った。それでも、社会保障給付を受けるために国民が負担する税、保険料の総額(06年度82兆8000億円)は、25年度に143兆円に達するという。厚労省は試算を3月中に示す予定だったが、政府・与党内で将来の経済成長率の見積もりを巡る対立が続いていたため、推計できずにいた。

【吉田啓志】
毎日新聞 2006年5月19日 18時39分

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国民皆保険 4 / 医療費推計資料 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 4 / 医療費推計

民主党、山井和則衆議院議員の質問主意書

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平成十八年三月二日提出
質問第一二一号

医療費の推計に関する質問主意書
提出者  山井和則

 医療制度改革は、国民の生命と健康に関わる重大な問題であり、この改革にあたって、将来の国民医療費の推移がどのようなものになるかという推計は、改革の方向性に大きく影響するものである。
 そこで、以下のとおり質問する。
一 この推計について、政府は、平成十七年十月十九日付けの医療制度構造改革試案(以下「試案」という。)において、制度改正なしで医療費が推移した場合、平成三十七年度の医療給付費が五十六兆円になると見通しており、その試算の現行見通しは「平成十六(二〇〇四)年五月の『社会保障の給付と負担の見通し』に即しつつ、起算点を平成十八年度概算要求とすると、」と書かれている。このため、試算の前提とされている平成十六年五月の「社会保障の給付と負担の見通し」(以下「社会保障見通し」という。)を見ると、「平成十六年度予算を足下とし、一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二% 平成七〜十一年度実績平均)を前提に、人口変動(人口高齢化及び人口増減)の影響を考慮して医療費を伸ばして推計。」とある。以上のことから、試案の推計は、「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二% 平成七〜十一年度実績平均)」を用いて推計していると理解してよいか。
二 社会保障見通しの「平成七〜十一年度実績平均」とは、「平成六年度を起算点とした、五年間の医療費の伸びの平均」と「平成七年を起算点とした四年間の医療費の伸びの平均」のどちらを意味するのか。
三 同じく社会保障見通しの前提とされる「一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二%」における高齢者とは、何歳以上を指しているのか。
四 試案においては「平成十八年度概算要求を起算点」として医療制度改革試案の推計を行っているが、この起算点の一人当たり医療費は、一般、高齢者それぞれ何を根拠にいくらとしているのか。
五 四の起算点の数字を元に、どのようにして平成三十七年度の国民医療費六十五兆円、医療給付費五十六兆円という数字を導き出したのか、計算式を明示して説明されたい。
六 五で計算された、平成三十七年度の国民医療費六十五兆円、医療給付費五十六兆円という数字は、その間に経済成長等を見込んでいると思われるが、現在の貨幣価値に換算した場合、いくらと考えられるか。
七 社会保障見通しでは「平成十六年度予算を足下とし」とあるが、この起算点の一般・高齢者の一人当たり医療費は、一般、高齢者それぞれ何を根拠にいくらとしているのか。
八 「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二% 平成七〜十一年度実績平均)」の「実績」は、どのような基礎データを元に導き出されたものか、示されたい。
九、八の実績の計算は、医療費の伸びのみを計算したものか、若しくは、それに加えて次に示す事項について何らかの補正を加えたものか。補正されている場合には、それぞれどのような考え方に基づいて、どのような計算式で計算し、どれだけの補正を加えているか、示されたい。
 ア 診療報酬改定の影響
 イ 高齢化の影響
 ウ 制度改正の影響
十 九の項目以外に補正を行っている場合は、どのような補正を、なぜ、どのような計算式で、どれだけの補正を加えているか、併せて示されたい。

右質問する。

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平成十八年三月十日受領
答弁第一二一号

内閣衆質一六四第一二一号
平成十八年三月十日
内閣総理大臣 小泉純一郎

衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員山井和則君提出医療費の推計に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員山井和則君提出医療費の推計に関する質問に対する答弁書

一について
 平成十七年十月十九日に厚生労働省が公表した医療制度構造改革試案(以下「試案」という。)における平成三十七年度の医療給付費の見通しは、平成十六年五月十四日に厚生労働省が公表した「社会保障の給付と負担の見通し」(以下「社会保障の給付と負担の見通し」という。)の「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二% 平成七〜十一年度実績平均)」を用いて算定している。
二について
 社会保障の給付と負担の見通しにおける「平成七〜十一年度実績平均」は、平成六年度を起算点とした、平成七年度から平成十一年度までの五年間の各年度の医療費の伸び率の平均である。
三について
 社会保障の給付と負担の見通しにおいて用いた「高齢者医療費三・二%」を算定した際の対象者は、七十歳以上の者及び六十五歳以上七十歳未満の者で一定の障害状態にあるもの(以下「高齢者」という。)である。
四について
 試案においては平成十八年度概算要求を起算点としているが、その起算点の一人当たり医療費は、政府管掌健康保険制度等の各制度の平成十八年度概算要求時点における医療費の見込額について、高齢者とそれ以外の者(以下「一般の者」という。)に区分し、高齢者と一般の者ごとに各制度を通じて合計した額を、高齢者及び一般の者の全体の人数でそれぞれ除して算出したものであり、一人当たりの高齢者医療費は八十二万円、一人当たりの一般医療費は十七万円となっている。
五及び六について
 平成三十七年度の国民医療費の見通しは、起算点における一人当たりの一般医療費及び高齢者医療費に、一般医療費については毎年度二・一パーセントの伸び率を、高齢者医療費については毎年度三・二パーセントの伸び率を乗じて得た平成三十七年度の一人当たりの一般医療費及び高齢者医療費に、平成三十七年度時点で見込まれる一般の者と高齢者の人数をそれぞれ乗じて算出した平成三十七年度の一般医療費及び高齢者医療費の見通しの合計であり、経済成長率を用いて算出はしていない。お尋ねの「現在の貨幣価値に換算した場合、いくらと考えられるか」については、何を意味するのか必ずしも明らかではないのでお答えすることはできない。
 また、平成三十七年度の医療給付費の見通しは、同年度の国民医療費から患者が負担する額を控除して算出している。
七について
 社会保障の給付と負担の見通しにおいては平成十六年度予算を起算点としているが、その起算点の一般の者及び高齢者の一人当たり医療費は、政府管掌健康保険制度等の各制度の平成十六年度予算編成時点における医療費の見込額について、一般の者と高齢者に区分し、一般の者と高齢者ごとに各制度を通じて合計した額を、一般の者及び高齢者の全体の人数でそれぞれ除して算出したものであり、一人当たりの一般医療費は十七万円、一人当たりの高齢者医療費は八十万円となっている。
八について
 社会保障の給付と負担の見通しにおける一人当たり医療費の伸び(以下「一人当たり医療費の伸び」という。)の実績は、平成六年度から平成十一年度までの期間に係る、診療報酬の審査支払機関での支払が確定した医療費から老人保健施設療養費等を除いた医療費を用いて算出したものである。
九及び十について
 平成三十七年度の医療給付費の見通しについては、一人当たり医療費の伸びを前提に、人口変動の影響を考慮して算定しており、一人当たり医療費の伸びの「平成七〜十一年度実績平均」の算定に当たっては、高齢化の影響等の人口構成の変化の影響及び患者負担の見直し等の医療保険制度改正の影響を除くための補正のみを行っており、診療報酬改定の影響その他の事項については補正を行っていない。
 高齢化の影響等の人口構成の変化の影響の補正については、基準とする年度の年齢階級別一人当たり医療費に、比較を行う年度の年齢階級別加入者数を乗じて得た医療費の合計額を、比較を行う年度の加入者数で除して得た一人当たり医療費と、基準とする年度の一人当たり医療費の相違率を、人口構成の変化の影響率として補正前の一人当たり医療費の伸び率から除外している。平成七年度から平成十一年度までの当該影響率は一般医療費について年平均〇・五パーセントである。
 また、一人当たり医療費の伸びの実績には、平成七年度から平成十一年度までの間に行われた医療保険制度改正による影響が含まれているため、将来の医療保険制度改正を見込まない医療費の見通しの算定に当たっては、当該期間における医療保険制度改正による影響を除外する必要がある。
 医療保険制度改正の影響の補正については、医療保険制度改正が行われた直後の期間における対前年同月比の実績の伸び率から医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間における対前年同月比の実績の伸び率を控除することにより医療保険制度改正の影響率を算定している。当該影響率は、一般医療費については、平成九年度はマイナス三・九パーセント、平成十年度はマイナス〇・八パーセントであり、高齢者医療費については、平成九年度はマイナス三・五パーセント、平成十年度はマイナス一・八パーセント、平成十一年度は〇・七パーセントである。

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平成十八年三月二十三日提出
質問第一八〇号

医療費の推計に関する再質問主意書
提出者  山井和則

 平成十八年三月十日付内閣衆質一六四第一二一号の答弁書(以下、「前回答弁書」という。)の内容について、いくつかの疑問が生じたので、以下のとおり質問する。
一 前回答弁書によると、平成十六年五月十四日に厚生労働省が公表した「社会保障の給付と負担の見通し」(以下「社会保障の給付と負担の見通し」という。)に用いられた平成十六年度予算編成時点における医療費を「一人当たりの一般医療費は十七万円、一人当たりの高齢者医療費は八十万円と」見込んでいる。この数値を基礎として、国立社会保障・人口問題研究所の平成十六年度推計人口を一般と高齢者に分けてそれぞれ一人当たり医療費に乗じて国民医療費を算出し、医療給付費を国民医療費の八十五%として計算を行うと、平成十六年度予算における医療給付費は二十七・八兆円となった。一方、「社会保障の給付と負担の見通し」を見ると、平成十六年度予算における医療給付費は二十六兆円となっている。同じ平成十六年度予算を基礎とし、前回答弁書に従い一人当たり医療費から計算した医療給付費と、「社会保障の給付と負担の見通し」に書かれた医療給付費との間で二兆円近いずれが生じ、整合しない。私の計算に間違いがあれば、どこが間違いなのか具体的にご指摘いただきたい。もし計算間違いでないならば、なぜ整合しないか答弁されたい。
二 前回答弁書では「平成三十七年度の国民医療費の見通しは、起算点における一人当たりの一般医療費及び高齢者医療費に、一般医療費については毎年度二・一パーセントの伸び率を、高齢者医療費については毎年度三・二パーセントの伸び率を乗じて得た平成三十七年度の一人当たりの一般医療費及び高齢者医療費に、平成三十七年度時点で見込まれる一般の者と高齢者の人数をそれぞれ乗じて算出した平成三十七年度の一般医療費及び高齢者医療費の見通しの合計であり」とある。また平成十七年十月十九日に厚生労働省が公表した医療制度構造改革試案(以下「試案」という。)では、起算点の医療費は「一人当たりの高齢者医療費は八十二万円、一人当たりの一般医療費は十七万円」とされている。このことから、試案における平成三十七年度の国民医療費推計は、次の計算で行ったと理解して間違いないか。間違いがあれば、具体的にご指摘いただくとともに、正しい計算方法をお示し頂きたい。この際、文章で分かりにくい場合は、数式にてお示し頂きたい。
 ア 起算点の一人当たり医療費 一般医療費十七万円 高齢者医療費八十二万円
 イ 一般医療費の伸び率二・一パーセントを平成十八年度から平成三十七年度まで十九回乗ずる。つまり、一・〇二一を十九回乗じて、伸び率を決める。結果は、一・四八倍。この伸び率を起算点一般医療費十七万円に乗じ、平成三十七年度一人当たり一般医療費は二十五・二万円。
 ウ イと同様の計算により、平成三十七年度一人当たり高齢者医療費は、百四十九・二万円。
 エ 平成三十七年度人口を、国立社会保障・人口問題研究所の中位推計に従い、一般九千三百四十万人、高齢者二千七百八十万人とし、それぞれに一人当たり平成三十七年度医療費を乗じて、平成三十七年度一般・高齢者医療費を算出する。その結果は、一般二十三・五兆円、高齢者四十一・五兆円。
 オ 一般医療費と高齢者医療費を合計して、平成三十七年度国民医療費六十五兆円。
三 二と同様の計算により、平成十六年度を起算点、一人当たり一般医療費十七万円、一人当たり高齢者医療費八十万円として、「社会保障の給付と負担の見通し」の推計を私どもが再計算すると、平成三十七年度の国民医療費は六十七・八兆円となった。ここから医療給付費を国民医療費の八十五パーセントとして計算すると五十七・六兆円となった。一方、「社会保障の給付と負担の見通し」を見ると、平成三十七年度国民医療費六十九兆円、医療給付費五十九兆円となっている。この不一致はなぜ生じるのか。私の計算に間違いがあるならご指摘いただきたい。そうでないなら、理由を教えていただきたい。
四 前回答弁書を見ると、「社会保障の給付と負担の見通し」において、採用した平成十六年度予算編成時点での見込額から、起算点における高齢者一人当たり医療費は八十万円としたとある。一方、「平成十六年度医療費の動向」によると、高齢者一人当たり医療費は、七十三・九万円であるという。予算と実績の乖離はなぜかくも大きいのか、答弁いただきたい。
五 前回答弁書を見ると、試案における平成三十七年度医療費推計に当たっては、起算点として、一人当たり高齢者医療費八十二万円が用いられているとある。一方、「平成十六年度医療費の動向」による平成十六年度高齢者医療費一人当たり実績は七十三・九万円である。この平成十六年度高齢者一人当たり医療費七十三・九万円を起算点に平成十八年度概算要求で八十二万円となるには、年率五・三四%の伸び率を前提としていることとなる。この伸び率は、近年の高齢者一人当たり医療費の推移を見れば、妥当性を欠くのではないかと思われるが、政府の見解を述べられたい。
六 前回答弁書を見ると「社会保障の給付と負担の見通し」における「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二%、平成七〜十一年度実績平均)」の算出に当たっては、高齢化等の人口構成の影響と医療保険制度改正の影響を除く補正が行われているとある。一方「社会保障の給付と負担の見通し」には、「平成七〜十一年度実績平均」とのみあり、補正が行われたことが記されていない。なぜ補正の事実を明記されなかったのか答弁いただきたい。
七 前回答弁書を見ると、「社会保障の給付と負担の見通し」における「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二%、平成七〜十一年度実績平均)」の算出に当たっては、高齢化の影響等の人口構成の変化の影響を、医療費の伸び率から除外しているとある。採用した伸び率から、高齢化等の人口構成の影響が除外されているのならば、推計に当たって、起算点となる年度から推計する年度までの高齢化等の人口構成の影響を算出して、人口構成の影響を除外した伸び率による推計の結果に乗ずる必要がある。しかるに、二に示した前回答弁書の計算には、この高齢化等の人口構成の影響の計算が含まれていない。方法的に間違いであると思われるが、いかがか。
八 前回答弁書にある「一人当たり医療費の伸び(一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二%、平成七〜十一年度実績平均)」算出に当たって適用した補正方法を平成十二〜平成十六年度までの各年度において行うことは、技術的に可能なことである。そこで、平成七年度から平成十六年度までの各年度について、前回答弁書に述べられた方法に従った一般・高齢者それぞれの、実績伸び率、高齢化等の人口構成の影響の補正率、医療保険制度改正の影響の補正率、実績から二つの影響を除外した推計用の伸び率を示していただきたい。そして、この近年五年の伸び率平均を用いて、平成三十七年度の国民医療費と医療給付費を推計するといくらになるか答弁いただきたい。
九 前回答弁書を見ると、高齢化の影響等の人口構成の変化の影響を補正するために、基準とする年度の「年齢階級別一人当たり医療費」を用いたとある。これは、国民医療費の五歳階級別医療費を意味すると理解するが間違いないか。
十 国民医療費の五歳階級別医療費は、平成十年度から平成十五年度までは公表されているが、それ以前については公表資料がない。そこで、推計の前提となっている伸び率「一般医療費二・一%、高齢者医療費三・二%」の算出に当たって用いた平成六年度から平成九年度までの国民医療費の五歳階級別医療費を教えていただきたい。もし存在しないのであれば、その期間の補正をどのような根拠によりどのような方法によって行ったのか、明確に回答いただきたい。
十一 前回答弁書によると「医療保険制度改正の影響の補正については、医療保険制度改正が行われた直後の期間における対前年同月比の実績の伸び率から医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間における対前年同月比の実績の伸び率を控除することにより医療保険制度改正の影響率を算定している」とある。そして、一般医療費については平成九年度と十年度、高齢者医療費については、平成九年度と平成十年度と平成十一年度に医療保険制度改正の影響の補正が行われたとある。この五回の補正を行うに当たって利用した「医療保険制度改正が行われた直後の期間」とはそれぞれいつからいつまでの期間であるのかお答えいただきたい。また、それぞれの期間について、伸び率を控除する基礎とした「医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間」はいつからいつまでの期間を採用したのか、その期間と選定基準をお答えいただきたい。
十二 十一で示された期間について、それぞれの伸び率の実績を示されたい。
十三 十一で示された五つの「医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間」については、改正の前と後の両方にそのような期間があり得るが、実際に補正の基準とした期間が「医療保険制度改正が行われた直後の期間」より前の時期であるならば後の、後の時期であれば前の期間においても「医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間」が存在する可能性があるので、その期間及びその期間における医療費の伸び率実績を示していただきたい。
十四 十三において、推計に使われていない「医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間」があるならば、推計に採用した期間を選んだ理由について、それぞれ根拠を示して説明されたい。
十五 前回答弁書を見ると、平成三十七年度の国民医療費の見通しは「経済成長率を用いて算出はしていない」とある。また、一人当たり医療費の伸びの「平成七〜十一年度実績平均」の算定に当たっては「診療報酬改定の影響その他の事項については補正を行っていない」とある。では、平成七年度から平成十一年度までの診療報酬の伸び、名目経済成長率の伸び及び一人当たり国内総生産の伸びは、平均するとそれぞれ年率いくつであるのか教えていただきたい。
十六 平成三十七年度の医療費推計に当たり「診療報酬改定の影響その他の事項については補正を行っていない」とすると、推計期間において、この伸び率測定期間と同じ伸び率の診療報酬改定があると考えて推計を行ったことと同じであると思われるが、そのように理解して良いか。また、診療報酬改定は金額に大きな影響を与えるのに、その影響を排除しなかった根拠を教えていただきたい。
十七 将来における診療報酬改定が無かった場合及び一人当たり国内総生産の伸びと同じ率であった場合に平成三十七年度国民医療費はいくらになると政府は推計するか、答弁いただきたい。

右質問する。

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平成十八年三月三十一日受領
答弁第一八〇号

内閣衆質一六四第一八〇号
平成十八年三月三十一日
内閣総理大臣 小泉純一郎

衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員山井和則君提出医療費の推計に関する再質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員山井和則君提出医療費の推計に関する再質問に対する答弁書

一について
 厚生労働省においては、平成十六年五月十四日に厚生労働省が公表した「社会保障の給付と負担の見通し」(以下「社会保障の給付と負担の見通し」という。)における平成十六年度予算編成時点の医療給付費の見通しは、国立社会保障・人口問題研究所が取りまとめた「日本の将来推計人口(平成十四年一月推計)」の平成十六年度推計人口を用いて算出したものではなく、平成十六年度予算編成時において政府管掌健康保険制度等の各制度が適用されると見込まれる者の人数を用いて算出していること等から、御指摘の「ずれ」が生じていると考えている。
二について
 平成十七年十月十九日に厚生労働省が公表した医療制度構造改革試案(以下「試案」という。)における平成三十七年度の国民医療費の見通しの算出方法を詳細に述べると、政府管掌健康保険制度等の各制度について、平成十八年度概算要求時点の年齢階級別一人当たり医療費に、高齢者医療費については毎年度三・二パーセントの伸び率を、一般医療費については毎年度二・一パーセントの伸び率を乗じて得た平成三十七年度の年齢階級別の一人当たりの高齢者医療費及び一般医療費に、平成三十七年度に見込まれる高齢者(七十歳以上の者及び六十五歳以上七十歳未満の者で一定の障害状態にあるものをいう。以下同じ。)とそれ以外の者(以下「一般の者」という。)の年齢階級別人数をそれぞれ乗じて算出した平成三十七年度の高齢者医療費及び一般医療費の見通しを各制度を通じて合計し、平成三十七年度の国民医療費を算出している。
三について
 厚生労働省においては、社会保障の給付と負担の見通しにおける平成三十七年度の国民医療費及び医療給付費の見通しは、国立社会保障・人口問題研究所が取りまとめた「日本の将来推計人口(平成十四年一月推計)」の平成三十七年度推計人口を用いて算出したものではなく、政府管掌健康保険制度等の各制度が適用される者の平成三十七年度の人数の見込みを用いて算出していることや、平成三十七年度の年齢階級別の一人当たり医療費を用いて算出していること等から、御指摘の「不一致」が生じていると考えている。
四及び五について
 平成十七年八月十日に厚生労働省が公表した「平成十六年度医療費の動向」における一人当たり高齢者医療費については、高齢者に係る医療保険制度における医療費を対象としており、公費負担医療制度における医療費等が含まれていないが、社会保障の給付と負担の見通しにおける一人当たり高齢者医療費と試案における一人当たり高齢者医療費については、公費負担医療制度における医療費等が含まれているため、両者の高齢者医療費が異なっている。
 したがって、厚生労働省としては、「平成十六年度医療費の動向」における一人当たり高齢者医療費と試案における一人当たり高齢者医療費を比較して算出した伸び率を、一人当たり高齢者医療費の伸び率として議論することは適切ではないと考えている。
六について
 社会保障の給付と負担の見通しにおいては、簡潔に記述する観点から、補正を行ったことについては省略して記述したところである。
七について
 二についてでお答えしたとおり、社会保障の給付と負担の見通し及び試案における医療費の見通しは年齢階級別に算出した医療費を用いて算出しているため、将来の高齢化等の人口構成の変化は年齢階級別人口の変化を通じて医療費の見通しの中に反映されている。
八について
 一人当たり一般医療費の伸び率の実績については、平成七年度は二・九パーセント、平成八年度は四・一パーセント、平成九年度はマイナス〇・七パーセント、平成十年度は〇・九パーセント、平成十一年度は一・〇パーセント、平成十二年度は一・六パーセント、平成十三年度は二・一パーセント、平成十四年度はマイナス一・二パーセント及び平成十五年度は〇・四パーセントである。また、一人当たり高齢者医療費の伸び率の実績については、平成七年度は三・八パーセント、平成八年度は三・七パーセント、平成九年度はマイナス〇・二パーセント、平成十年度は〇・六パーセント、平成十一年度は三・四パーセント、平成十二年度はマイナス四・〇パーセント、平成十三年度は一・二パーセント、平成十四年度はマイナス三・五パーセント及び平成十五年度は〇・八パーセントである。なお、平成十六年度の伸び率の実績は確定していないのでお示しできない。
 医療保険制度改正の影響の補正率は、一般医療費については、平成九年度はマイナス三・九パーセント及び平成十年度はマイナス〇・八パーセントであり、高齢者医療費については、平成九年度はマイナス三・五パーセント、平成十年度はマイナス一・八パーセント及び平成十一年度は〇・七パーセントである。医療保険制度改正の影響の補正率については、医療保険制度改正が行われた直後の期間における対前年同月比の実績の伸び率から医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間における対前年同月比の実績の伸び率を控除することにより算定しており、平成十二年度以降の医療保険制度改正の影響の補正率については、平成十二年の介護保険制度創設を含め医療費に大きな影響を与える制度改正が毎年のようにあったことから、お示しすることはできない。
 また、高齢化等の人口構成の影響の補正率については、平成七年度から平成十一年度までの期間について一括して算出し、一般の者については年平均で〇・五パーセントとしたところであり、各年度の補正率は算出していない。
 なお、近年五年の伸び率平均を用いた平成三十七年度の国民医療費及び医療給付費の見通し並びに平成十二年度以降の高齢化等の人口構成の影響の補正率については、右に述べたように、制度改正が毎年のようにあったことから平成十二年度以降の医療保険制度改正の影響等を適切に推計することができないため、お答えすることができない。
九及び十について
 先の答弁書(平成十八年三月十日内閣衆質一六四第一二一号)九及び十についてでお答えした「年齢階級別一人当たり医療費」の年齢階級は、五歳階級別の年齢階級を意味するものではない。平成七年度から平成十一年度の一般医療費についての高齢化の影響等の人口構成の変化の影響の補正率は、基準とする年度を平成六年度とし、旧厚生省が公表した「国民医療費」における零歳から十四歳まで、十五歳から四十四歳まで、四十五歳から六十四歳まで、六十五歳から六十九歳までの年齢階級別一人当たりの一般診療医療費と歯科診療医療費の合計額を基準に算定しており、平成七年度から平成十一年度までの年平均で〇・五パーセントとなっている。
十一及び十二について
 「医療保険制度改正が行われた直後の期間」(以下「直後の期間」という。)及び直後の期間における伸び率の実績並びに「医療保険制度改正の影響がないと考えられる期間」(以下「影響のない期間」という。)及びその期間における伸び率の実績は、次のとおりである。
 一般医療費の平成九年度の医療保険制度改正の影響の補正については、直後の期間は平成九年四月から平成十年三月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率はマイナス一・一パーセントであり、影響のない期間は平成七年四月から平成九年三月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率は二・七パーセントである。
 高齢者医療費の平成九年度の医療保険制度改正の影響の補正については、直後の期間は平成九年四月から平成十年三月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率はマイナス〇・五パーセントであり、影響のない期間は平成七年四月から平成九年三月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率は三・〇パーセントである。高齢者医療費の平成十一年度の医療保険制度改正の影響の補正については、直後の期間は平成十一年七月から平成十二年三月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率は六・〇パーセントであり、影響のない期間は平成十年九月から平成十一年六月までの期間、その期間の対前年同月比の伸び率は四・一パーセントである。
 なお、平成十年度の医療保険制度改正の影響の補正については、平成九年度の医療保険制度改正が翌年度にも影響した結果の補正を行った上で算出したものであり、平成十年度における直後の期間及び影響のない期間は平成九年度と同一である。平成十一年度の医療保険制度改正の影響の補正率については、平成十一年度の高齢者の医療保険制度改正が入院外医療費のみに影響を及ぼすものであったため、入院外医療費についての制度改正の効果を計算し、それを入院外医療費以外の医療費を含めた医療費に換算する補正を行ったものである。医療保険制度改正の影響の補正に際しての伸び率の実績からは診療報酬改定の影響を除いている。
 また、厚生労働省においては、影響のない期間の選定に当たって、直後の期間とできるだけ近い期間を選定している。
十三及び十四について
 十一及び十二についてで述べた影響のない期間は、いずれも医療保険制度改正の前の期間を用いている。厚生労働省においては、高齢者医療費について、医療保険制度改正が相次いで行われたため、医療保険制度改正の影響がある平成九年度、平成十年度及び平成十一年度の後の期間のうち比較的近い時期に適切な影響のない期間が存在しないと考えている。また、一般医療費については、影響のない期間を高齢者医療費に係る期間とほぼ同じ期間とすることが適切であると考えており、医療保険制度改正の影響がある平成九年度及び平成十年度の後の期間のうち比較的近い時期に適切な影響のない期間が存在しないと考えているため、十一及び十二についてでお示しした期間としたところである。
十五について
 平成七年度から平成十一年度までの間における、診療報酬の伸び率は年平均〇・一パーセント、名目経済成長率は年平均〇・四パーセント、一人当たり国内総生産の伸び率は年平均〇・二パーセントである。
十六について
 平成三十七年度の医療給付費の見通しについては、将来にわたって、平成七年度から平成十一年度までの期間と同じ伸び率の診療報酬改定を行うことを想定したものではないが、将来の診療報酬改定の影響を特定することができないため、診療報酬改定の影響の補正を行わなかったものである。
十七について
 平成三十七年度の国民医療費の見通しについては、過去の一定期間の実績から得られた一人当たり医療費の伸び率を基に算出したものであり、将来における診療報酬改定がなかった場合や、一人当たり国内総生産の伸びと同じ率であった場合を仮定して平成三十七年度の国民医療費の見通しを算出することについては適切ではないと考えており、そのような見通しについては、算出していないのでお答えすることはできない。

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国民皆保険 4 / 医療費推計資料 1

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 4 / 医療費推計

国民医療費と医療給付費を間違えないように。

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毎日新聞 2005.1.18

医療給付費推計:2025年度は48兆円、GDP比7%に

厚生労働省は18日の経済財政諮問会議で、医療給付費の中長期推計を公表した。

06年度予算ベースで27.5兆円=国内総生産(GDP)比5.4%=なのに対し、2010年度は31.2兆円(GDP比5.4〜5.6%)で、2025年度は48兆円(同6.4〜7%)に達するとしている。

同省と同会議の民間メンバーは、これらの推計値を「目安指標」とすることで合意してはいるが、数値が政策目標なのか否かや、実績値と推計値がかい離した場合の対策などはあいまいなままで、今後対立の火種となりそうだ。

厚労省が医療制度改革試案を公表した昨年9月時点では、25年度の給付費を49兆円に抑え、改革をしない場合より7兆円削減できると試算していた。しかし、06年度の診療報酬改定で過去最大の3.16%カットが決まるなどしたため、さらに1兆円の削減が可能になったという。

試算では民間メンバーの求めに応じ、新たに10年度分の試算をしたほか、15年度は37兆円(GDP比5.8〜6.1%)と見込んでいる。GDP比に幅があるのは、経済成長率を基本ケースと低成長ケースの両方で見込んだため。

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メディファクス 4911 号 2006.4.26

■ 25年度の国民医療費は49兆円

日医が将来推計「給付費削減は限界」

日本医師会は25日、国民医療費は2025年度に49兆円となる見込みで、厚生労働省が「医療制度構造改革試案」で示した推計値の65兆円を大きく下回るとの将来推計をまとめた。最近の1人当たり医療費の伸びを基に日医総研が推計したもので、日医では将来推計の再計算を早急に行うよう厚労省に求める方針だ。

推計は、同日開かれた記者会見で中川俊男常任理事が明らかにした。中川常任理事は将来推計の結果から、医療費適正化の中長期的、短期的方策を講じなくても厚労省が25年度に見込む医療給付費見通しの49兆円を達成することが可能との見方を強調。「地域医療を崩壊させ、医療保険を形がい化させる施策を行わないよう各方面に働き掛けていく」と述べた。医療給付費の削減はすでに限界で、政府が進める歳出削減では保険者の人件費や経費の削減、厚生保険特別会計の見直しなどを徹底するよう求めた。

推計は、03年度の1人当たり国民医療費を基に試算医療費は15年度に41兆円(75歳未満26兆円、75歳以上15兆円)、25年度には49兆円(27兆円、22兆円)になるとはじいた。

厚労省推計を大きく下回る結果となったのは、推計に用いた1人当たり医療費の伸び率が違うため。日医によると、厚労省推計は1995〜99年度の実績から1人当たり医療費の伸び率を一般(79歳未満)2.1%、高齢者(70歳以上)3.2%と仮定している。これに対し日医総研の推計は、診療報酬のマイナス改定があった02年度を除いた01〜05年度の平均値を用いて、一般1.4%、高齢者1.3%として国民医療費を推計した。

中川常任理事は「最近の1人当たり医療費の伸びは、診療報酬改定があった02年度を除いても1%台か、それ以下だ」と指摘、最近の実績を踏まえた推計だと説明した。

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メディファクス 4914 号 2006.5.2

■ 日医の医療費推計を批判       

厚労相「あまりに楽観的」
 
医療制度改革の前提となる2025年度の国民医療費の将来推計をめぐり、川崎二郎厚生労働相は4月28日の衆院厚生労働委員会で、厚生労働省の65兆円に対して49兆円と打ち出した日本医師会の推計値に対して否定的な見方を示した。双方の推計値のひらきは計算のベースとなる期間のずれから生じているが、川崎厚労相はとりわけ日医が高齢者の医療費の伸び率を低く見積もっていることについて「楽観的」と批判した。

川崎厚労相は答弁で、厚労省の推計を大幅に下回る49兆円と示した日医の推計値を「あまりにも楽観的」と一蹴(いっしゅう)した。日医の推計が、高齢者の1人当たり医療費の伸び率を1%台にとどめていることを指しての発言。

厚労省と日医の推計値が異なるのは、ベースとなる実績期間が違うため。厚労省の推計はOO年度の介護保険制度の導入や03年度の健保法改正を除いた1995〜99年度の実績を切り出し、1人当たり医療費の伸び率を一般(70歳未満)2.1%、高齢者(70歳以上)3.2%と見積もった。

これに対し日医の推計は、03年度を挟んだ01〜05年度(診療報酬改定がマイナス2.7%となった02年度は除く)の平均値を用い、一般1.4%、高齢者1.3%として推計している。

厚労省の水田邦雄保険局長も同日の厚労委で、日医の推計が被用者保険本人の自己負担が3割に引き上げられた03年度を含めていることを問題視し、「3割負担のような制度改正が将来も行われることを含めて試算している。いかがなものか」などと述べ、日医の推計手法は適当ではないとの認識を示した。

●厚労省推計が「適当」

一方で、同日の厚労委では上田勇氏(公明)が厚労省の過去の将来推計が実績を大きく上回っていることを踏まえ、「わざと(推計値を)大きくしているのではないか」と指摘。これに対し、水田局長は「近年は物価や賃金が低くなり、医療費に反映された」と経済動向が要因だったと説明し、医療費や患者の受診行動などに大きな影響を与える制度改正の時期を除外した厚労省の25年度の推計は「適当」と正当性を主張した。

日医は27日に開かれた自民党1期生との勉強会で、49兆円にとどまるとの日医推計を基に「制度改正をしてこれ以上の患者負担を増やす必要はない」と理解を求めている。

一方、厚労省内には医療費の伸び率が低い日医の推計を用いることで、財務省が今後の予算編成の過程で社会保障給付費を低く見積もるなど「逆に都合よく使われる恐れがある」(保険局)との警戒も出ている。

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共同通信 2006.5.8

厚労省推計に疑問続出 与党は週内に採決方針

高齢者の負担増や入院日数短縮で医療費の伸びの抑制を目指す医療制度改革関連法案は、8日に福島、福岡両市で衆院厚生労働委員会の地方公聴会を行い、与党は週内にも委員会で採決する構えだ。

ただ、これまでの質疑で、現行制度のままでは国民医療費が2004年度の32兆円(予算ベース)から25年度には65兆円に膨らむとの厚生労働省の推計値が過大だとの疑問が続出。改革の根拠となる数字だけに、情報公開が不十分だとの批判も出ている。

厚労省は国民医療費増加に伴い、患者負担を除く医療給付費も04年度の26兆円(同)から25年度の56兆円に膨張し、公的医療保険制度が持続困難だと主張。関連法案に盛り込まれた改革を通じ、25年度の医療給付費を8兆円削減し48兆円に抑えることが必要だとしている。

ただ、厚労省試算が1995年度から5年間の1人当たり医療費を基にしているため、民主党は「この時期は(大きな医療制度改革がなく)医療費が大幅に伸びた。見積もりが過大な可能性がある」として、計算方式の全面的公開を要求。

また、共産党は99年度から5年間の医療費の動向から2025年度の国民医療費を、厚労省試算より22兆円少ない43兆円と試算した。

与党の公明党からも、日本医師会が2000年度以降の医療費の伸びを基に25年度の国民医療費を49兆円と推計したことを受け「専門家の集団の見方と行政でこんなに開きがあると、どっちが信頼性があるのか疑問」との声が上がった。

厚労省は、医師会などの試算に対し、03年度のサラリーマン自己負担増のような大きな制度改革が続くことを前提に見通しを立てるのは問題だと反論。一方、小泉純一郎首相は「(医療費推計は)当たる時もあるし、当たらない時もある」と、明確な答弁を避けている。

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共同通信 2006.5.16

改革の前提65兆円は過大? 厚労省より低い試算も

少子高齢化の進展で2025年度の国民医療費は65兆円と現在の約32兆円に比べ倍増、制度が維持できない-というのが、現在国会で審議している医療制度改革関連法案の前提だ。法案では高齢者を中心とした負担増などで59兆円に抑制する。だが、日本医師会は25年度で49兆円にしかならないと試算、改革の前提に疑問を投げかけている。

Q どうしてこんなに大きく違う。

A 医療費の伸びをどうみるかが違っているからだ。厚生労働省は1995-99年度の平均で1人当たり医療費の伸びを一般2・1%、高齢者3・2%とし、これに人口変動を加味した。日医は診療報酬が初めて引き下げられた2002年度を除く01-05年度の平均で、一般1・4%、高齢者1・3%とした。

Q 厚労省が基にした時期は古いね。

A 2000年4月からは医療費の抑制にもつながる介護保険が導入され、03年4月からはサラリーマンの窓口負担が2割から3割に引き上げられた。厚労省は「大きな制度変更がなかったそれ以前のほうが、高齢化による伸びがよく表れている」としている。通常は直近5年間を基にするが、今回は参考にならないというわけだ。

Q でも、日医は直近の時期を基にしている。

A 2000年度からの医療費の伸びは、相次ぐ制度変更で大きく鈍化しているのは事実。制度変更を元に戻すわけではないので、日医は「むしろ直近の方が実態をよく反映している」としている。神奈川県の保険医でつくる同県保険医協会も直近の伸びを基に47兆8000億円と試算した。

Q 厚労省の推計は過大なのだろうか。

A それは分からない。ただ、厚労省が過去に25年度の国民医療費をどう推計していたかをみると、1994年には141兆円と見積もっていた。それが97年には104兆円、2000年81兆円、02年70兆円、今回は65兆円と次々に下方修正してきた。この間には介護保険導入をはじめさまざまな制度変更もあったが、わずか10年あまりで半分以下というのはね…。

Q 国会でも疑問が出ている。

A 野党は「厚労省推計はわざわざ伸びの高かった時期を基にして、危機感をあおっている」と批判している。日医などの試算だと、少なくとも高齢者を中心とした負担増などは必要なくなる。推計の仕方で改革の方向が変わるだけにきちんとした検証が必要だね。

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毎日新聞 2006.5.21

社説:医療改革 必要な根拠を再検証せよ

医療制度改革法案が衆院本会議で可決され参院に送られた。改正の狙いは、財政を圧迫している医療費の伸びを抑えることにある。高齢者は現役世代に比べ5倍の医療費がかかるといわれ、今回はとりわけお年寄りに痛みを強いる「処方せん」が目立つ。

今年10月から、70歳以上で年収520万円以上の人は現行2割の窓口負担が現役世代と同じ3割に引き上げられる。70〜74歳の人の負担も08年4月から2割(現行1割)にアップする。

制度面では、老人保健制度を廃止し、08年4月に75歳以上の人すべてが加入する「後期高齢者医療制度」を創設する。財源は、本人の窓口負担、現役世代の支援、税金、後期高齢者の保険料などでまかなわれる。運営は「都道府県単位で全市町村が加入する広域連合」が担う。保険料は広域連合ごとに設定される。心配なのは、保険料を払えないお年寄りが出てくる可能性のあることだ。

国民皆保険を維持する以上、医療費を圧縮するには、給付を減らし、負担を増やすのが手っ取り早い。医療制度とは国民が我慢できる給付と負担の組み合わせを求めることでもあるようだ。

ところが、良かれと思ってやってみると、これがことごとくうまくいかない。国はほぼ3、4年ごとに大きな医療制度改正を行わざるを得ない状況だ。

問題の一つは制度改正の前提となる将来の医療費推計にあるのではないか。数字が信頼の置けるものとは言いがたいのである。

06年度の医療給付費(医療費から患者の自己負担を除いた各医療保険と税の合計)は27兆5000億円と見込まれている。厚生労働省は、今回の改正案が実施されなければ25年度に56兆円まで膨らむと推計する。改正したならばこれを48兆円にとどめることができると説明する。この計算方法に説得力はあるのだろうか。

厚労省は将来の医療費を推計するのに、95年から99年の医療費伸び率で算定している。この時期は伸び率が高かった。一方、野党は伸び率が低い最近の数字で計算し直すよう迫っている。

どちらの計算方法が正しいかではない。いろいろなケースを想定した推計値に基づいて議論を進め、国民に理解してもらうのが本来のあり方だ。厚労省は「膨らむ医療費」の根拠を求め意図的に高い伸び率だけを採用したと勘ぐられても致し方あるまい。

年金の場合は、将来人口、物価や賃金上昇などの経済要因を変えて、何通りかの試算を行う。医療費予測は技術の進歩など複雑な要素も加わるのだろうが、ケーススタディーが行われないのは不可解である。

厚労省は94年に25年度の国民医療費(国民が1年間に使った医療費の合計)を141兆円と予測した。ところが05年になると65兆円へと大幅下方修正した。こんな激しい揺れがまかり通ること自体おかしい。医療制度改革の論議はすべての情報を開示して初めてスタート台に立つことができる。

毎日新聞 2006年5月21日 0時19分

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国民皆保険 4 / 医療費推計

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 5 月 23 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/05/_5__1f3d.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療費、推計、健康保険、国庫負担、国民医療費、医療給付費

数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う。

厚生労働省が毎年出す国民医療費の将来推計は当てにならない。

以下のテーブルは、等幅フォントでご覧頂きたい。

推計を出した年           |               推計の該当する年
-------------------------------------------------------------------------
                         |  2000 年  |  2004 年  |  2010 年  |  2025 年
-------------------------------------------------------------------------
厚生労働省試算           |           |           |           |
    1987 年              |   44 兆   |           |           |
    1995 年              |   38 兆   |   50 兆   |   68 兆   |  141 兆
    1997 年              |           |           |           |  104 兆
    2000 年              |           |           |           |   81 兆
    2002 年              |           |           |           |   70 兆
    2005 年              |           |           |   41 兆   |   69 兆
-------------------------------------------------------------------------
政府医療制度構造改革試案 |           |           |           |
    2005 年              |           |           |           |   65 兆
-------------------------------------------------------------------------
日医推計                 |           |           |           |
    2006 年              |           |           |           |   49 兆
-------------------------------------------------------------------------
実際の値                 |  30.4 兆  |  32.1 兆  |           |
-------------------------------------------------------------------------

厚生労働省の推計での 2005 年の推計の基になるデータは、2004 年の予算を足下に、一人当たり医療費の伸び ( 一般医療費 2.1%、高齢者医療費 3.2%、1995 – 1999 年の実績 ) の平均を前提に、 人口変動の影響を考慮して推計されているという。

日医の推計では、一人当たり医療費の伸びは、診療報酬のマイナス改定があった 2002 年度を除いた 2001 – 2005 年度の平均値を用いている。

1995 – 1999 年の実績という、推計値にもっとも影響すると思われる国民医療費の増加率を出してみる。

1994 年度 :  5.9%
1995 年度 :  4.5%
1996 年度 :  5.6%
1997 年度 :  1.6%
1998 年度 :  2.3%
1999 年度 :  3.8%
2000 年度 : -1.8% ( 介護保険導入 )
2001 年度 :  3.2%
2002 年度 : -0.5% ( 診療報酬・薬価 -2.7% 引き下げ、高齢者 1 割負担導入 )
2003 年度 :  1.9%
2004 年度 :  2.0%

どの 5 年間の平均を使うかだけでも、将来の推計は大きく変わってしまう。

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どうも厚生労働省は、推計値を過大に出すことで、医療側には締め付けを、財務省側には予算獲得を目論んでいるように見える。

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リンク ( 2006.5.23 の時点で、日医のサイトからはまだ消えていないようだが )

国民皆保険制度を守りましょう http://www.med.or.jp/kaihoken/2005/index.html
世界トップレベルの医療を提供するために http://www.med.or.jp/kaihoken/2005/sekai.pdf

参考資料

国民皆保険 4 / 医療費推計資料 1
国民皆保険 4 / 医療費推計資料 2
国民皆保険 4 / 医療費推計資料 3
国民皆保険 4 / 医療費推計資料 4

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国民皆保険 3 / 医療費と国民負担資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 3 / 医療費と国民負担

メディファクス 4927 号 2006.5.24

■ 国民負担率は諸外国より低水準
日医が分析、50%目標は論議の足かせ

日本医師会は23日、社会保障負担を議論する際の指標として使われる「国民負担率」を国際比較すると、日本はEU諸国などより低い水準にあるとの分析結果をまとめた。

23日に記者会見した中川俊男常任理事は、「国民負担率の上昇が経済の停滞を招くとの見解には、明確な因果関係がないというのが一般的な理解だ」と指摘。根拠のない国民負担率を社会保障の議論に用いることを疑問視し、「将来的にも国民負担率が50%以内という枠をつくり、足かせをして本来の社会保障の在り方の議論を制限している」と批判した。

2003年の国民負担率と財政赤字を含めた潜在的国民負担率を、各国の対国民所得と対GDPから比較した。

対国民所得から潜在的国民負担率を比べると、日本の46.1%に対して、最も高いスウェーデンが67.6%、フランス62.9%、ドイツ58.4%、英国51.2%と先進EU諸国を下回り、米国の37・4%よりやや高い状況。対GDPでも、日本は33.8%と米国の30.5%を若干上回るものの、48.5%〜40.2%の先進EU諸国を下回っている。

米国の国民負担率には私的医療保険料が社会保障負担額に含まれていないため、私的医療保険料を加味した対GDP潜在的国民負担率で比較すれば、2000年以降は日本の方が低水準にあるという。

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国民皆保険 3 / 医療費と国民負担

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 5 月 23 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/05/_4__a5a0_1.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、社会保障、保険、健康保険、皆保険、財政、国保、社保、政管健保、健保組合、国庫

小泉首相も、とうとう国会で日本の医療費は高くないことを認めるようになった。

対 GDP 比で日本の医療比が決して高くないこと、GDP 自体が昨年からプラス成長になってきたことを見るや、対 GDP 比での医療費削減の論調は政財官から消えてしまった。

これまでは医療費が高いから削減だ、と叫んで日本の社会保障としての医療を破壊し、医療を社会保障から商品に変えようとしてきた。

混合診療の議論は誰のためか。財界は、医療費は高くてよい、公的負担を減らせと主張している。医療を商品にしたいための方便なのだ。

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日本では、医療機関受診時の窓口自己負担は、ヨーロッパ・北欧高福祉国家などと較べたら高いと感じられている。確かに、そういう国々で公的医療保険に入っていれば、医療機関受診時の、その窓口での費用負担は少ない。米国では、高額な医療保険に入っていれば受診時の窓口自己負担は低く、保険に入っていない人は、そういう人の収入では払えないような高額な自己負担、すなわち、全額自費の医療になっている。

ところが、保険料、国家予算のレベルも含めて、国民一人が医療を受けたときにどれだけの費用を負担しているかを調べたら、日本人は、決して高い金を払っているのではないことが分かる。

介護、福祉を含めて、日本人は、諸外国と比較して、どれだけ高い金を払わされているのだろうか。

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メディファクス 4927 号 2006.5.24
国民負担率は諸外国より低水準
社会保障負担を議論する際の指標として使われる「国民負担率」を国際比較すると、日本はEU諸国などより低い水準にある …..

参考資料

国民皆保険 3 / 医療費と国民負担資料

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参考として、保団連のサイトから、お役立ちリンク。データは少し古いが、数字に惑わされないことが大切であると教えてくれる。政管健保、組合健保の収支は 2002 年以降、改善している。

医療・健康のページ

老人医療費5倍論は本当?
老人患者の 1 日あたり診療費は、一般患者の診療費とほとんど差がない。

日本の総医療費は高い?
対 GDP 比で日本は OECD 加盟 29 カ国中、18 位という低い医療費でありながら健康達成度や健康寿命は WHO から世界一と評価されている。

日本の社会保障費は高い?
GDP に占める社会保障給付費の割合は、スウェーデン 32.0%、ドイツ 28.2%、アメリカが 14.5%、日本は 13.1%。

日本の国民負担率は高い?
イギリス、ドイツ、フランスの国民負担率は 50% を超えているが、日本は 36%。

健保組合が赤字の原因は?
国が老人医療への国庫負担割合を 45% から 35% へ引き下げたことで、健保組合からの老人医療への拠出金割合が 33% から 40% へと過度に増加した。企業のリストラによって健保組合の被保険者が減少、保険料収入が大幅に減少した。

政管健保が赤字の原因は?
1992 年、政管健保への国の補助金の割合が、それまでの 16.4% から 13% に引き下げられた。1993 年以降は赤字になった。

国保財政が赤字の原因は?
国保の赤字の原因も、国庫負担率の切り下げ。国は 1984 年に老人保健制度が新設されたことを理由に、それまで医療費総額の約 45% を支出していた国庫負担率を約 38.5% に引き下げた。

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国民皆保険 2 資料

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険 2

2006.4.5 メディファクス 4896 号

政管健保保険料で温泉旅行 
不適切支出1775万円

社会保険庁は3日、政府管掌健康保険(政管健保)の保険料などから支出される健康保険関連補助金事業費を、同庁の関連団体職員が温泉旅行や忘年会費に使うなど、不適切な支出が5年間で計1775万円あったと発表した。

社保庁が事業委託した全国社会保険協会連合会は、高額医療費への貸し付け事業や健康づくり事業費として支給された補助金のうち、計200万円を職員親睦の温泉旅行や忘年会のほか、政管健保の野球大会開催費に使った。

宮城県社会保険協会は、実際には臨時職員を雇っていないのに職員給与費として計774万円の補助金の支給を受け、パンフレット作成代や切手購入費などの事務費に流用していた。

生活習慣病予防健診事業を委託された社会保険健康事業財団では、財団本部や全国18の支部で406万円を職員の親睦会の飲食代などに充てた。同財団支部の調査は終了しておらず、さらに不適切な支出が見つかる可能性があるという。

このほか決算時に返還すべき剰余金を翌会計年度に繰り越して支出した事例などが判明した。

補助金は政管健保のほか船員保険の保険料からの支出で、同庁は返還作業を進めている。

昨年10月に総務省の行政評価で669万円の不適切支出を指摘されたのを受け、書類が残っている2000〜04年度の5年分を同庁があらためて調査し、判明した。

【共同】 4月5日 メディファクス 4896号

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介護費用が6兆円超す
04年度事業報告

厚生労働省は4日、2004年度介護保険事業状況報告(年報)を発表した。介護保険の費用額は、前年度比9.0%増の6兆2025億円で、このうち利用者負担を除く給付費は9.0%増の5兆5221億円になった。

介護保険3施設の費用額は、介護老人福祉施設1兆3865億円、介護老人保健施設1兆1139億円、介護療養型医療施設7217億円だった。

給付費の内訳は、居宅サービス2兆7064億円(給付費の49.0%)、施設サービス2兆8157億円(51.0%)。都道府県別に居宅サービスと施設サービスの割合を見ると、北海道、富山、山口、高知は施設サービスが6割を超えている。

各介護サービスのうち最も伸び率が大きかったのは、認知症対応型共同生活介護(グループホーム)で、給付費は前年度に比べ64.0%増の1952億円。有料老人ホームなどの特定施設入所者生活介護も、給付費が747億円となり、41.1%増加している。

65歳以上の第1号被保険者1人当たり給付費は、6.3%増えて21万9900円。介護保険制度を創設した2000年度の14万4000円と比べて、53%増加した。

都道府県別で最も高いのは徳島の28万8400円で、沖縄の27万9300円が続く。逆に、1人当たり給付費が低いのは埼玉の17万1100円、茨城の17万4700円、千葉の17万7800円。都道府県間で最大約1.7倍の格差があった。

第1号被保険者数は、05年3月末現在で2511万人になり、前年度より2.5%増えた。要介護(要支援)認定者数は6.4%増の409万人で、要支援〜要介護2の軽度者が全体の63.8%を占めている。

1カ月平均のサービス受給者数は、10%増の317万人で、内訳は居宅サービス240人、施設サービス76万人。2000年度と比べ施設サービスで26%、居宅サービスは94%増加している。

4月5日 メディファクス 4896号

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国民皆保険 2

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 4 月 28 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/04/_2_5382.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、保険、公的医療保険、健康保険、国民皆保険、皆保険、社会保障、サービス、ビジネス、産業、コスト、アクセス、クオリティ、小泉、改革、医療改革

官僚は天下って無駄遣い、天下った先でさらに無駄遣い。
介護保険は、営利企業を潤し、医療機関を干上がらせ、社会保障費総額を押し上げた。

2006.4.5 メディファクス 4896 号

政管健保保険料で温泉旅行 
不適切支出1775万円
社会保険庁は3日、政府管掌健康保険(政管健保)の保険料などから支出される健康保険関連補助金事業費を、同庁の関連団体職員が温泉旅行や忘年会費に使うなど、不適切な支出が5年間で計1775万円あったと発表した。

介護費用が6兆円超す
04年度事業報告
厚生労働省は4日、2004年度介護保険事業状況報告(年報)を発表した。介護保険の費用額は、前年度比9.0%増の6兆2025億円で、このうち利用者負担を除く給付費は9.0%増の5兆5221億円になった。

この上、良心の医師を叩くとは ….. まじめに保険診療なんかやってられない、てことになる。リスキーな部門、重労働の部門、僻地から人がいなくなって当たり前だ。

参考資料

国民皆保険 2 資料

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国民皆保険資料 4

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険

YOMIURI ONLINE 2006.4.7

世界で医療スタッフ不足、日本の医師数は63位

【ジュネーブ=渡辺覚】

世界保健機関(WHO)は7日に公表した2006年版の世界保健報告で、世界で約430万人の医療スタッフが不足しているとの推計を発表した。

医療スタッフの員数・配置問題に焦点を当てた今年の報告は、エイズの感染拡大が続くマラウイやタンザニアで、人口1000人当たりの医師数が0・02人と、アフリカ諸国でスタッフ不足が極めて深刻だと指摘。

アフリカで教育を受けた医師の4人に1人が経済協力開発機構(OECD)加盟の先進30か国で働く「頭脳流出」の現状にも懸念を表明、各国に人材育成と医療環境の整備を提言している。

一方、日本は平均寿命で82歳の世界最長寿国の座を堅持しながら、1000人当たりの医師数は1・98人と、192か国中、63位の中位水準にとどまった。

1位サンマリノの47・35人には遠く及ばず、OECD加盟国の中では最低クラス。同様に看護師は27位、歯科医師は同28位と、世界のトップ水準には達していない。

(2006年4月7日10時50分 読売新聞)

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国民皆保険資料 3

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険

日経 2006.4.7

日本、長寿世界一を維持——WHO世界保健報告

世界保健機関(WHO)が7日発表した2006年版の世界保健報告によると、04年時点の日本の平均寿命は昨年と同じ82歳で世界一を維持した。前の年は81歳だったモナコ、サンマリノも同じ82歳に並んだ。性別にみると日本女性の86歳は単独で最長寿。男性の79歳にはサンマリノ、アイスランドなど欧州の小国が迫っている。

平均寿命が80歳以上の国はWHO加盟192カ国のうち16カ国で前年比2カ国増。先進国で高齢化が進んでいることを示した。60歳以上の高齢者が人口に占める割合(高齢者比率)も日本は25.6%で首位だった。平均寿命が最も短い国はジンバブエの36歳。「人生50年」に満たない27カ国はアフガニスタン以外すべてアフリカだった。

1人の女性が生涯に生む子供の数を示す合計特殊出生率は、日本が1.33人で23番目に低い。最低はウクライナの1.12人。チェコ1.17人、スロバキア1.18人が続き、旧社会主義国や中東欧の少子化傾向も目立った。韓国(1.20人)、ドイツ(1.32人)、シンガポール(1.32人)なども日本を下回り、人口維持に必要な水準とされる2.1人を下回る国は全体の3分の1に当たる66カ国にのぼった。

(ジュネーブ=市村孝二巳)

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国民皆保険資料 2

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» 国民皆保険

毎日新聞 2006.4.11

縦並び社会・格差の源流に迫る:命の値段

「ミリオンダラー・ベビー」。米バージニア州リッチモンドの主婦、ジェシーさん(28)は01年に出産した長女のエレナちゃん(5)をそう呼んでいる。

早産だったため、生後ひと月ほど大学病院に入院した。請求された治療費や入院費の総額は約100万ドル(約1億1700万円)。信じられなかった。入っていた民間医療保険が出産もカバーしていることが分かり、250ドルで済んだ。

スーパーで働く夫のサムさん(29)の給料と自分のパート代を合わせると年収は約4万8000ドル。米国の一般的な中間層の家庭だ。

03年、不幸が襲う。サムさんが転んで右腕を骨折し、手術を受けた。2万6000ドル以上の請求がきた。夫が転職したばかりで今度は保険に入っていない。自己破産するしかなかった。

「腕一本で破産ですよ。こんなことがごろごろある」。一家は負債の減免措置を受けたものの、計1万ドルを分割で返済しなければならない。

米国には民間医療保険のほかに低所得者や高齢者向けの公的保険があるが、対象者の範囲が非常に狭い。人口2億9000万人のうち保険未加入者は4600万人にも上る。一方で、保険会社と民間病院が巨額の利益を上げる。同州の貧困層向けの病院に勤めるコナリー医師は「日本は米国の医療制度を模範にしようなどと決して考えないことだ」と警告する。

日本が世界に誇る皆保険制度が危うい。

04年、規制改革・民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)が設置した官製市場民間開放委員会は「混合診療」の解禁を目指した。日本の健康保険制度では原則として、保険診療と自由診療を組み合わせた場合、医療費は全額自己負担になる。医療費の膨張を背景に、公的保険でカバーする範囲を狭め、自由診療の部分を増やそうという考え方だ。

しかし国民健康保険料すら払えない人が急増する中、自由診療が増えると治療を受けられない人が出るおそれが強い。日本医師会は「国民皆保険の崩壊を招く」と反対したが、東京大病院など3病院と日本外科学会は04年秋、宮内議長に混合診療解禁を要望。医療界は一枚岩ではなかった。

毎日新聞が入手した非公開議事要旨には、医師会の反対意見を弱めるための「作戦会議」の模様が記されている。「医師会にもっと大反対と言わせ(逆に医師会への)反対を盛り上げる」

保険業界にとって混合診療の解禁はチャンスだ。「医療費はあと10兆円伸びる余地がある」。同会議の前身の総合規制改革会議では、委員からこんな発言があった。公的医療費が抑えられても自由診療を増やせば市場は大きくなる。同会議の事務局(28人)には医療保険に関連する企業から7人が派遣されている。04年末、混合診療の実質解禁が決まり、法案は国会で審議中だ。

現場では自由診療の拡大へ向けた動きはすでに起きている。セコムグループの「セコム損保」は01年に自由診療保険を発売した。がん治療の保険適用外部分を高額でも全額保障し、患者の自己負担はない。この保険の「協定病院」は166病院に達し、国立病院機構の病院まで加わった。

その神奈川病院(神奈川県秦野市)の市来嵜(いちきざき)潔院長は「手術費用が高くてもセコムが確実に治療費を払うから病院は安心」と語る。一方、重度心身障害者用の80床は看護師が一般病床より多く必要で、採算が合うとは言えない。院長は「経済効率だけを考えれば切り捨てられる医療が必ず出てくる」と顔を曇らせる。

株式会社の病院経営も始まる。医療分野の構造改革特区第1号としてこの夏、横浜市に株式会社病院が開院する。

この病院に認められたのは本人の細胞を培養して使う美容整形など特殊な分野の自由診療に限られる。しかし、規制改革・民間開放推進会議のメンバーが委員長を務める特区の評価委員会はいっそうの緩和を要求している。「自由診療だけでは経営が成り立たない。保険診療も認めるべきだ」

毎日新聞 2006年4月11日 17時00分 (最終更新時間 4月11日 19時41分)

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国民皆保険資料 1

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

» 国民皆保険

YOMIURI ONLINE 医療と介護 2006.4.15

医療保険加入 全米初の義務化
【ニューヨーク=大塚隆一】

米マサチューセッツ州で全州民に医療保険の加入を義務づける州法が成立した。国民皆保険の制度がない米国では初の試み。

ミット・ロムニー知事(共和党)が12日に署名した州法は、低所得者には保険加入のための補助金を出す一方、十分な所得があっても加入しない人には一種の罰金を科す。同州は新制度により、未加入者を州民の1%未満にまで減らせると見込んでいる。

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U.S. FrontLine 2006.4.6
更新2006年04月06日 20:18米国東部時間

MA州、皆保険制度へ〜全米初、加入を義務化

マサチューセッツ州議会はこのほど、全米ではじめて全州民に医療保険への加入を義務付ける法案をほぼ満場一致で可決した。同州のミット・ロムニー知事も同法案に署名する考えを明らかにしている。

法案は、2007年7月1日までにすべての州民に医療保険加入を義務付ける内容。施行されれば、向こう3年間で現時点の保険未加入者の約95%に当たる51万5000人に医療保険を提供し、保険未加入者数を州人口の1%以下に抑えることができるとみられる。

民間の医療保険に加入できる個人が期限を守らなかった場合、罰金を課せられる。また従業員を10人以上抱える企業が従業員に保険を提供していない場合、年間で1人当たり最高295ドルを課税する。

また、収入が貧困レベルの3倍以下の者には民間保険に加入するための補助金を出し、そのような家庭の子ども向けにメディケイド(低所得者向け医療保険)の対象を拡大する。

一方、個人や従業員50人以下の企業には税引き前の金で保険を購入することを、保険会社には19〜26歳を対象として低コストの簡略プランの販売を許可する。これにより、約21万5000人が加入できる見通し。

これまでも、マサチューセッツを含む多くの州政府が、保険未加入者を減らそうと努力してきた。例えば、ハワイ州では1974年、企業が週20時間以上働いている従業員に保険を提供するよう義務付ける法案を可決した。しかし、今でも同州人口の約10%は未加入のままだ。ミネソタ、バーモントの両州では92年、マサチューセッツでは88年に皆保険制度法案を可決したが、いずれも90年代半ばに廃止。カリフォルニア州でも法律を撤回した。

マサチューセッツの法案では、費用は向こう3年間で12億ドルとなる見込みだが、大半は連邦補助金と既存の州予算で充当でき、新規予算は1億2500万ドルのみとなる見通しだ。

(ニューヨーク・タイムズ特約)

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FujiSankei Business i. 2006.4.15

全米初の医療皆保険始動

米マサチューセッツ州のロムニー知事は十三日までに州内の全住民に医療保険への加入を義務付ける法案に署名。米国初の義務的な医療保険制度が始まることになった。

米国の医療保険は、メディケア(高齢者向け医療保険)、メディケイド(低所得者向け医療保険)以外は民間の保険しかなく、国民それぞれが受ける医療サービスの内容に応じて保険料を支払う制度になっている。クリントン大統領が一期目に全米レベルの国民皆保険制度実現をめざしたものの、医療機関や製薬会社などの反対で実現しなかった経緯がある。

同知事(共和党)は二〇〇八年の次期大統領選に出馬を検討していると報じられており、医療制度改革の成否が、全米の注目を集めている。

(ワシントン=気仙英郎)

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YOMIURI ONLINE 医療と介護 2006.4.7

皆保険、なぜ米では出来ない?
本田麻由美記者

「日本ではなぜ、国民皆保険・健康長寿・低費用という三拍子そろった医療を実現できているのか」

2月にボストンを訪れた際、米ハーバード公衆衛生大学院でこんな議論が行われていると聞いて、興味を持った。情報公開や患者参加など、米国の進んだ点を取材に来たというのに、米国の学生・研究者らは日本の医療を高く評価している。それを、新鮮でおもしろく感じた。

日本国内では医療不信が高まっているが、外から見ると日本の良い点が分かる。1か月ほど米国の現場を垣間見て、最先端のがん治療や研究開発は世界の先頭を走っていることを実感できた。しかし、医療保険に入っていない無保険者が4500万人という実態を聞くと、皆保険で所得や職業に関係なく誰もが医療を受けられる日本の制度は有り難い。日本の年間平均外来受診回数は米国の3倍なのに、1人当たり医療費は半分以下。それでいて、平均寿命など健康指標は米国より上だ。

米国の医療について、特に疑問に思ったのは、「裕福かどうかによって受けられる医療が違うという格差を、なぜ容認したままなのか」ということだ。クリントン政権時に皆保険導入に失敗してから、発言力の強い患者団体からも皆保険を求める声は聞こえない。その理由をいろんな人に尋ねたところ、「多くの人が保険に入れる方がいいことは確かだが、政府がすべて面倒を見るべきだとは思わない」との答えが少なくなかった。

そんな中、サンフランシスコで低所得者のための無料診療所を運営するダリル・イナバ医師が、「私自身は、医療は政府が国民全員にきちんと提供するべきだと思う。だが、米国社会では、幸福を追求する権利は保障するが、その結果は保証するものではない——との考え方が支配的だ」と説明してくれた。

要するに、〈欲しいものがあれば、それぞれが主張や努力をして勝ち取ればよい。だが、何であれ、欲しいものを誰もが一律に手に入れられる仕組みを、国が用意する必要はない〉ということらしい。米国では、機会の平等は保障されても結果の平等は保証されない、と聞いてはいたが、こうした考えが医療にまで及んでいることを知って、国民皆保険が実現しない背景がわかったような気がした。

こうした「日米医療制度比較論」を考えるきっかけとなったハーバードの大学院生ら48人は、先月19日に来日、医療機関や行政機関、企業などを視察した。私も同行しながら、冒頭の「なぜ」という疑問への答えと国内での医療への不満の理由を、一緒に考えてみた。

(次回予定 4月21日)

(2006年4月7日 読売新聞)

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YOMIURI ONLINE 医療と介護 2006.4.21

医療の選択肢勝ち取る努力も
本田麻由美記者

日本では、なぜ米国より低い医療費で国民皆保険、健康長寿が実現できているのか。なぜ医療に対する国民の不満が強いのか——。

米ハーバード公衆衛生大学院の学生や研究者ら48人が、こんな疑問を抱いて3月末に来日した。9日間かけて病院や企業、行政機関を視察した彼らに、答えは見つかったかどうかを聞いてみた。

マサチューセッツ総合病院の医師でもあるG・ランクさん(36)は、学校給食の視察などから、「健康指標が高いのは、だれもが子供のころから、バランスの良い健康的な食生活を送っているということも大きい」とみる。医療費が少なくてすんでいることについて、タイ人留学生で医師のB・リーラパンさん(29)は、「政府が診療報酬制度で医療の単価をコントロールして総額を抑えているから」と分析。医師や看護師らが比較的少ないことが低コストの要因、とする声も多かった。だが一方で、このことが“3分診療”につながり、「医師とのコミュニケーション不足、治療の決定に参加できないという思いが、患者の不満を招いているのではないか」という意見も目立った。

今回の日本視察の企画者の一人で、同大学院生の小野崎耕平さん(36)は、「政府統制のもとで格差は小さいが、個人の選択の余地も少ないのが日本。米国は個人の選択を重視するが、患者の経済力などによる医療格差も容認しており、コスト増に歯止めがかからない。これは国民の価値観と国家の選択の違いだが、先進諸国の医療制度は、日本のような考え方に基づいている方が多い」と指摘する。

ほかの参加者からも、「米国でも医療には政府の一貫した政策が必要」との意見が多かった。同大の地元マサチューセッツ州議会は今月初め、全米で初めて州民に医療保険加入を義務づける法案を可決。米国型システムへの歴史的な挑戦、と期待されているという。

彼らの話から、日本のように政府が責任を持って医療をコントロールすることのプラス面がよく分かった。だが一方で、政府の関与が強すぎるため、医療に患者・市民の声が反映されにくいということが、不信・不満の原因になっているとも思う。

日本でも、一定レベルの医療をすべての国民に保障する一方で、どんな治療を受けるかを考える時、人生観、価値観の違いによる個人の選択も尊重できるような仕組みが欲しい。それを実現するには、政府のコントロールに頼るだけではなく、市民・患者たちが必要なものを訴えていく努力を、粘り強く続けていく必要があると改めて思った。

〈次回予定 5月5日〉

(2006年4月21日 読売新聞)

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日経 2006.4.16

「医療先進国」日本、課題多く・OECD調査
【パリ=奥村茂三郎】

経済協力開発機構(OECD)がまとめた加盟各国の医療の現状に関する調査結果が明らかになった。日本は女性のがん検診受診率などの指標で米仏など主要国に及ばなかった。日本はこれまで国民皆保険や平均寿命の長さで医療先進国とみなされてきたが、各国比較で改善すべき課題も多いことが浮き彫りとなった。

調査では医学的に重要で入手しやすい13の指標を対象とした。検診の受診率など予防医療に的を絞った調査は今回が初。OECD加盟国のうち23カ国の状況を比較した。

(07:00)

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日経 2005.7.23

日本人の平均寿命、過去最高更新・女性は20年連続世界一

日本人の2004年の平均寿命は女性が85.59歳、男性が78.64歳と男女とも5年連続で延び、過去最高を更新したことが22日、厚生労働省の「04年簡易生命表」でわかった。04年に生まれた赤ちゃんのうち、女性の76%、男性の55%が80歳まで生きられる見通しで、世界一の水準で長寿化が進行している。

平均寿命はその年の死亡状況が変化しないと仮定。年齢ごとの平均余命を算出し、零歳の平均余命が平均寿命になる。

04年は女性が0.26歳、男性が0.28歳、前年より延びた。厚労省は「がん以外の脳血管疾患や心疾患などの死亡確率がやや下がったことが平均寿命を押し上げた要因」とみている。

[2005年7月23日/日本経済新聞 朝刊]

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国民皆保険

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 4 月 23 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/04/post_0ba0.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療、保険、公的医療保険、健康保険、国民皆保険、皆保険、社会保障、サービス、ビジネス、産業、コスト、アクセス、クオリティ、費用、質、費用対効果

医療は、社会保障、産業、両方の顔を持つ。

米国で、早産の妊婦が大学病院に 1 ヶ月入院した。退院後に届けられた請求書には 100 万ドル ( 1 億 1700 万円 ) と書かれていた。

…..

コスト、アクセス、クォリティ

米国オレゴン州の公的医療保険機関である Oregon Health Plan の事務所には次のような文句が書かれたポスターが貼ってあるそうだ。

「コスト、アクセス、クォリティ。これらの内、二つまでを求めることができる。」

Ann Emerg Med. 1997 Dec; 30(6):779-81.
Access, quality, and cost control in emergency medicine: can we have all three? A resident’s perspective on the future of emergency medicine.
Asplin BR.
University of Pittsburgh, PA, USA.
The triad of access, quality, and cost provides a useful framework for the discussion of health care reform. A quote from a recent review of the Oregon Health Plan illustrates the conflict between these three factors very well. “The administrators of the plan are realistic people; they once placed a sign on the wall: ‘Cost, access, quality – pick any two.”

上記の三つ全てを求めようとする希望は、果たしてかなうだろうか。

米国は、かけるコストによってアクセスとクォリティが大きく変わる国だ。金持ちは、世界最高の医療を快適に受けることができる。反対に約 4,200 万人の米国人は、医療保険に加入できないでいる。医療に支出する米国連邦政府予算は日本政府の場合の数倍、ゼネラルモーターズ社が社員の医療保険に支出する保険料はトヨタ自動車の場合の、これまた数倍。これだけ公的なお金をかけていても、米国の医療は、米国民の社会保障とはなっていない。一部の金持ちのための、サービス産業、医療が商品なのだ。

北欧型高福祉国家では、アクセス、クォリティは最高ではないまでもまあまあで、コストは患者の負担は少なく見えるが、国家全体で大きなコストをかけている。かつての英国は、「揺りかごから墓場まで」の高福祉、世界一の社会保障制度を税金でまかなっていた。それが英国政府と経済を圧迫したため、サッチャー政権では、医療、福祉をとことん切り捨てた。その結果、ブレア政権発足後の 2003 年まで、アクセスが犠牲になって、英国民にとって、コストのみしか取り柄がなかった。

英国は極端に両側にぶれた例だが、ドイツでも、北欧でも、欧州先進諸国での医療は社会保障であり、コストをかけ、アクセスは少々犠牲にし、クオリティがまあまあの医療となっている。どこかで線をひいて何かを犠牲にして、国民はなにがしかを我慢することによって成り立つ、基本的には社会主義的な医療、すなわち国家による社会保障制度となっている。

日本はどうだろうか。

日本は、国民皆保険制度を基盤に社会保障としての医療制度をとっている。国が医療の供給を保証する代わりに、なにがしかの制限がある、統制経済としての医療である。日本では医療は商品ではない。医療はサービス業、などといって、ホテルのような待遇を病院に求める人がいるが、勘違いである。産業の分類で、農漁業、鉱工業、サービス流通業などと分けたときに、医療はサービス産業に分類されるだけである。

「3 時間待ちの 3 分診療」は、マスコミが作り出した妄言である。日本の公的病院での調査では、待ち時間は平均して約 40 – 50 分、診察時間は 7 – 8 分という所だそうだ。しかも日本では、病院に行きたいときに行ってそれだけ待てば、各診療科の専門医の診察を 10 分足らず受けることができるのだ。日本以外の先進諸国で、専門医の診察を受けようと思ったら、何日か何週間か待たなければならない。

もし、道で転んで手をついて、前腕遠位端部骨折を負ったとしよう。日本の都市部では、市街地に何件も整形外科の診療所や整形外科医がいる病院がある。農村部僻地でも、離島や冬の豪雪地帯以外では、自動車を 1 時間でも走らせれば、整形外科専門医がいる所へたどり着けるだろう。そこで 30 分でも 1 時間でも待てば整形外科専門医が診療してくれ、その場で X 線写真を撮って、整復固定などの処置をしてくれるだろう。

これが欧米の町中ではどうなるか。
整形外科専門医のオフィスに行っても診療してくれない。予約が要る。数日から数週間待ちだ。よしんば診てもらえても、そのオフィスでは X 線写真を撮ってもらえることはまずないし、整復、ギプスなどの手当てはしてもらえない。
では救急医療センターへ駆け込んだらどうしてもらえるだろうか。受付のあと、重症度に応じた選別を受け、早くて数時間、長ければ半日以上、夜なら一晩待たされる。英国では、一昨年からのブレア政権の医療充実政策の目標の一つとして、救急医療センターの待ち時間を最大 16 時間未満にする、というのがある。

日本以外では、コスト、アクセス、クオリティ、どれか二つまでしか選べない、というわけだ。

日本の医療、国民皆保険 ( 公的医療保険 ) 制度の、世界での評価は高い。WHO の健康達成度の評価は世界一、平均寿命も健康寿命も世界一だ。乳児死亡率もスウェーデンに次いで世界第二位である。医療と健康保険制度において、日本は世界の中ではトップに評価されているのだ。
では、日本の、広くあまねく、いつでも、まあまあの質の医療が受けられるコストはいかばかりなのか。対 GDP 比で G7 諸国中、多分今年あたりには英国に抜かれて最低の医療費。OECD 参加 23 カ国中 17 位の医療費。
日本は、コスト、アクセス、クォリティの三つを ( まあまあのレベルで ) 実現している、世界で唯一の国と言ってよい。だがそれは、医療にかける人件費でコストを削ってきた結果である。小泉政権になってから、日本は 2 年毎に医療費削減政策をとっている。
医師の技術は、世間でいわれるほど、世界各国の医師と較べて劣っているわけではない。手術の器用さ、正確さ、内視鏡医療の技術、関節鏡手術は日本で開発されたし、日本の医師を他国に自慢できる要素はいくらでもある。しかしコスト削減が行き過ぎ、患者側の権利意識、医療に対する関心が高まってくると、医療スタッフの献身だけではアクセスもクォリティも維持できなくなってきたのだ。

クリントン政権時代の米国では、ヒラリー大統領夫人を先頭に、日本の国民皆保険制度を米国に導入しようとして、調査に着手はしてみたが、早々に断念した。
商品である医療を社会主義的統制経済に組み込むのは、自由主義経済の雄、米国では、社会制度の根本から無理があった上に、日本のあまりの低コスト医療は、米国に導入できなかったのだ。

しかし、ついに米国で皆保険制度を導入する動きが現実化した。マサチューセッツ州で全州民に医療保険の加入を義務づける州法が成立した ( 米国は州ごとに法律が異なるから、全米でというわけにはいかないが )。
日本の公的医療保険とは異なり、現在医療保険商品を購入している人以外、無保険者に補助金を出して保険に加入 ( 保険商品を購入 ) させる、というもののようだ。ただし、それでも無保険者が出ることは想定しているようだ。

参考資料

OECD Health data 2004, 2005
WHO Health report 2000, 2004
OECD National accounts 2004

国民皆保険資料 1
国民皆保険資料 2
国民皆保険資料 3
国民皆保険資料 4

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JBM / 割箸事件資料 8

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西日本新聞 2006.4.7

東京地検が控訴 医師無罪の割りばし事故

東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三ちゃん=当時(4つ)=が杏林大病院(東京都三鷹市)で受診後に死亡した事故で、東京地検は7日、業務上過失致死罪で在宅起訴した当時の担当医根本英樹被告(37)に無罪を言い渡した東京地裁判決を不服として、東京高裁に控訴した。

3月28日の地裁判決は、頭の中まで割りばしが刺さっていることを想定せず、十分な診察をしなかった根本被告の過失を認めたが「気付いて直ちに脳神経外科医に引き継いでも救えた可能性は極めて低かった」として、死亡との因果関係を認めなかった。

地検は控訴理由について「不適切な診療と死亡の因果関係を否定したのは証拠の判断を誤っている」と説明している。

2006年04月07日17時18分

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JBM / 割箸事件資料 7

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読売新聞 2006.3.29

「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故

1999年に東京都杉並区の保育園児杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大学付属病院医師・根本英樹被告(37)の判決が28日、東京地裁であった。

川口政明裁判長は診断ミスがあったことは認めたが、「治療したとしても延命の可能性が低かった」と述べ、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

隼三ちゃんは99年7月10日、割りばしをくわえたまま転倒、同病院で診察を受けたが、根本被告は傷口に消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させた。隼三ちゃんは翌朝、頭蓋(ずがい)内損傷で死亡。その後の解剖で、約7・6センチの割りばし片が小脳に刺さっているのが見つかった。

判決はまず、耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医として、隼三ちゃんを診察した根本被告が割りばしによる頭蓋内損傷を予見できたかについて、意識レベルが低下した容体などから、「頭蓋内に異変があったことを疑うことが可能だった」と述べた。

さらに母親への問診などを行い頭蓋内損傷の疑いが強まれば、コンピューター断層撮影をするなどして、最終的には割りばしが残っていることに気付くことができたと指摘。根本被告には、これらの診察や検査を行わなかった過失があると認定した。

しかし、その後の治療で、死亡を回避できたかについては、「脳神経外科医に引き継いだとしても、技術的に治療が困難で、救命はもとより延命可能性も極めて低かった」と判断。過失と死亡の因果関係を否定した。

一方、判決は、根本被告が隼三ちゃんの死後、診断ミスに気付き、カルテに適切な診断をしていたかのように取り繕う記述を加えたと認定。「患者の病態を慎重に観察する初歩的な作業を怠った」と指摘した。

「どう報告すれば」声震わせ両親会見

「隼三にどう報告すればいいのか」——。隼三ちゃんの両親は判決後、東京・霞が関で記者会見し、声を震わせた。傍聴席の最前列で無罪判決を聞いた母親の文栄さん(49)は、「体が凍り付く思いだった。無罪ではないと信じていたからこれまで頑張ってこられたのに……」と、無念の表情。父親の正雄さん(54)も、「過失を認定しながら、無罪となったのは理解できない。検察側には控訴してもらいたい」と怒りをにじませた。

一方、根本被告は弁護人を通じ、「幼い命が失われたことには深く哀悼の意を表します。しかし、結果に対する責任は別で、無罪には納得している」とコメント。石井良章・杏林大学付属病院長は、「判決は私たちの主張を正しく評価した。引き続き全力で医療の安全に取り組む」とのコメントを出した。

[解説]専門家の証言検察側覆せず

医師の過失を認めながらも、医師の罪は問えないとした東京地裁判決は、高度な専門知識が必要となる医療過誤事件の公判立証の困難さを示している。

判決は、根本被告が頭蓋内損傷の可能性に気付かなかった過失を認定した。しかし、診断ミスがあっても、救命の可能性がなければ、「致死」の責任は問えない。

弁護側証人として証言した複数の医師は、「割りばしが刺さったことで血管が閉塞(へいそく)しており、割りばしを除去しても、死亡は避けられなかった」と、救命可能性を否定。検察側は、こうした専門家の証言を覆すことができなかった。

一方で判決は、耳鼻咽喉科の根本被告が、早期に脳神経外科医の判断を仰いでいれば、割りばし片は見つけられた可能性が高いとして、総合病院での医師同士の連携の在り方にも課題を投げかけた。医療関係者には、事故の教訓を真摯(しんし)に受け止めることが求められる。(木下吏)

(2006年3月29日 読売新聞)

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読売新聞 2006.3.30

[解説]「割りばし死」医師無罪

不作為の追及困難、第三者機関設置を

保育園児が綿あめの割りばしをのどに突き刺し死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた医師に対し、東京地裁は無罪を言い渡した。(医療情報部 田中秀一)

「医師に過失があり、カルテの改ざんも認められたのに『無罪』では納得できない」。亡くなった東京都杉並区の保育園児杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)の両親は判決の後、こう言って無念さをにじませた。

隼三ちゃんは1999年7月、綿あめを食べながら転倒、杏林大病院で診察を受けたが、翌朝、脳の損傷で死亡した。解剖で、脳に割りばし片が刺さっているのが見つかったが、診察した医師はこれに気づかず、傷口に消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させていた。

判決は、医師は割りばしが脳に刺さったことを想定すべきだったとして、必要な検査などを怠った過失を認めたうえ、適切な診断をしたかのように取り繕う記述をカルテに加えていた事実も認定した。しかし、たとえ治療していても救命の可能性は低かったとして、結論は無罪となった。

「過失があるのに……」という両親の嘆きは、患者・家族の心情としてもっともであり、「医師に甘い判決ではないか」と感じた人も多いかもしれない。

だが、手術や投薬のミスなど誤った処置で患者を傷つけた場合は罪になっても、今回のように必要な診療をしなかった「不作為」は、それが原因で患者が死傷したことが立証されない限り、罪には問えない。ここに、医療事故の責任を刑事訴訟で追及することの困難さと限界がある。

必要な検査が行われ、最善の治療が施されたのであれば、仮に救命できなかったとしても、患者は納得もできよう。だが、母文栄さん(49)によると、隼三ちゃんがぐったりしているため、「こんな状態で家に連れ帰っていいんでしょうか」と尋ねたのに対し、医師は「疲れて眠っているんでしょう」と答えたという。判決も「患者の状態を把握する基本的な作業を怠ったことについて、批判に謙虚に耳を傾けるべきだ」と指摘した。

一方、杏林大病院は現在も「診察した医師に過失はなかった」との見解を表明しており、両親は「病院から謝罪はない」という。これでは「医療事故の原因究明は病院には任せられない」という医療不信を助長するばかりだ。

患者側に重い立証責任が課せられる訴訟では、医療側の責任を明らかにするためのハードルが高い。米国では、捜査機関とは別に、医療事故を監視する公的機関があり、専門医らが調査したうえ、事故を起こした医師に対し、医師免許取り消しなど厳しい処分を行う。日本でも、弁護士らの「患者の権利法をつくる会」などが、こうした医療事故の調査を行う第三者機関の創設を提唱しており、設置の検討が必要ではないか。

(2006年3月30日 読売新聞)

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東京新聞 2006.3.29

担当医に無罪判決 東京地裁

割りばし死亡事故

東京都杉並区で一九九九年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三ちゃん=当時(4つ)=が、杏林大学付属病院(東京都三鷹市)で診察後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の担当医根本英樹被告(37)に対する判決が二十八日、東京地裁であった。川口政明裁判長は、割りばしがのどを突き抜けていたことに気づかなかった根本被告の過失を認めた上で、「仮に適切な措置を取っても命を救える可能性は極めて低かった」と述べ、根本被告に無罪(求刑禁固一年)を言い渡した。

裁判では、当直医として園児の治療にあたった根本医師が(1)割りばしが刺さったことによる頭蓋(ずがい)内損傷を予見できたか(予見可能性)(2)適切な治療をすれば園児の命を救うことができたか(回避可能性)−が大きな争点となった。

川口裁判長は「被告は割りばしが刺さって脳に損傷が生じた可能性を想定すべきだったが、軽傷と思い込み、小型カメラやCT検査を行い、脳神経外科医に引き継ぐ義務を怠った」と述べ、根本医師の過失を認めた。

その上で園児の死因を「致死的な静脈還流障害」と認定。

「被告が直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても治療は困難で、救命はもとより延命可能性も極めて低かった」として、過失と死亡との因果関係を否定、罪には問えないとした。また判決では、園児のカルテにあった「髄膜炎の可能性もある」などの記載について「園児の急死に動転した根本被告が、落ち度を自覚し、取り繕おうとして書き加えた」と指摘した。

■医師の反省強く促す

【解説】

割りばし死亡事故に対する判決は、治療内容にかかわらず園児に救命・延命の余地はほぼなかったと判断。診察医の過失を認めながらも死亡の原因ではないとして、刑事責任を科すことはできないと結論づけた。

判決は医師の過失についても踏み込んだ。「患者が発するサインを見逃さず、患者に適切な治療を受ける機会を提供することこそが、園児の残した教訓だ」と異例の付言をした。

判決はまた、医師が後でカルテに症状を書き加えたことについて「自分の落ち度を取り繕おうとした」と指摘。「医師として基本的な作業を怠ったという批判に謙虚に耳を傾けるべきだ」と反省を強く促した。

医療現場では、今回のケースについて救急だったことを考慮すべきだという意見がある。だが、患者の側からすれば「救急だから仕方がない」ということにはならない。

手術など積極的な医療行為に対し、問診などによる診察は「受け身の行為」とされる。その診察行為で医師の過失を認めた今回の判決は、医療側に警鐘を鳴らすものといえる。 (北島忠輔)

<メモ>園児割りばし死亡事故

1999年7月10日、高校教諭杉野正雄さんの三男の保育園児隼三ちゃんが、東京都杉並区内での盆踊り会場で転倒し綿菓子の割りばしがのどに突き刺さった。杏林大病院で根本英樹医師から消毒薬の塗布などの治療を受けたが、帰宅後に容体が変わり、翌日死亡。司法解剖で頭蓋(ずがい)内に残った7・6センチの割りばしが見つかった。警視庁は2000年7月、不十分な診察だったとして業務上過失致死容疑で根本医師を書類送検、東京地検は02年8月に在宅起訴した。公判で根本医師は、無罪を主張。両親は根本医師ら病院側に民事訴訟も起こしたが、病院側は責任を否定し争っている。

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JBM / 割箸事件資料 6

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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産経の意見記事、産経抄 2006.3.30 より

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医師と患者の関係は、神と僕(しもべ)のようなものだといった友人がいる。わが身を医師の手に委ね、神の啓示を待つよりほかにない。救急車で運ばれた患者なら、医師を選ぶことすらできない。その担当医の治療が適切でなかったらどうなるか。

▼薬の過剰投与、延命治療の停止など、信じがたい医療事件が次々に巷(ちまた)を襲う。そして救急医療の未熟である。割りばしがノドに刺さって四歳男児が死亡した事故では、東京地裁が当直医を無罪とした。判決は医師の過失を糾弾しながら、死亡との因果関係は認めなかった。

▼一家の不運は六年八カ月前の夏に起こる。東京都杉並区で杉野隼三ちゃんが転倒し、くわえていた綿菓子の割りばしがノドに刺さった。二重の不運は、駆け込んだ杏林大学付属病院の当直医が耳鼻咽喉(いんこう)科医だったことだ。彼は薬を塗るだけで帰宅させ、隼三ちゃんは翌日死亡した。

▼確かに救急医療の現場では、医師の過重労働の現実がある。長時間の手術を終えて帰宅し、ビールを飲もうとした瞬間の呼び出しなど茶飯事だろう。イスラエルで起きた医師のストでは、やむなく重症患者の治療だけに限ったら、死亡率が低下したという例がある。

▼今回の無罪判決では、「診察を怠った過失はあった」と当直医を糾弾した。その上で、脳神経外科に引き継がれても「救命の可能性は低かった」と述べた。山崎豊子の『白い巨塔』で、がん患者の執刀医、財前五郎に下された判決に似ている。財前の処置は不誠実としながら、一審は因果関係から無罪になる。

▼東京地裁の法廷でも、医師の有罪を願った遺族の思いは届かなかった。だが、判決文にある当直医に対する断罪は、法的には無罪でも中身は“有罪”のそれに等しい。

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JBM / 割箸事件資料 5

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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本事件と直接は関係ない資料もあるが、収載しておく。

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医療改善ネットワーク
webzine 医療改善のために
第2号(2001年9月15日発行)

<医療被害から考えること>

悲しみと怒りにひそむまことの心   

杉野 文栄   
2001.9.10   

皆さん、こんにちは。 東京都の杉野(cedar)です。

池田小学校の事件についての皆さんのご意見を読ませていただいていて、最愛の子どもを亡くした者として、感じたことを書かせていただきたいと思い、勇気を出して投稿することにいたしました。いつもながら長くなってしまって申し訳ありません。

昨日、「埼玉医大と戦う家族の会」が開かれ、埼玉医大とは関係ありませんが、永井さんや私も参加しました。たくさんの新聞社の方やテレビ局の方もお見えでした。

それぞれが「私は家族を病院で殺されました」と訴えていました。実際に、抗精神病薬の過剰投与でお嬢様を亡くされた方は殺人罪で検察に告訴しています。その理由は、「医師は『医薬品添付書も読み、治療は適切だった』と言っている。過失だったというならともかく、過失でないなら故意であり、未必の故意による殺人だ」ということです。

広尾病院の点滴事故の遺族の永井さんも、最初は同じ未必の故意による殺人で警察にご相談なさいました。繰り返しになりますが、永井さんのご子息は医師でいらっしゃいます。

抗がん剤過剰投与の古館さんも殺人罪での告訴をずっと望んでいらっしゃいました。永井さんも古館さんも、すぐに救命しようとしないで、隠蔽をくわだてた点に殺人としての要素を感じられています。(結局、どちらも告訴は業務上過失致死でした。)

私たちの場合は、被害届を出しただけです。適切な治療をしてくださらなかった医師に私の息子を殺そうという意志があったとはもちろん思っていません。ただ、故意でも、過失でも、息子の命が絶たれたこと、あれから私たちに以前のような幸せが決して訪れないこと、ある意味で私たちも死んだというのは同じことなのです。池田小学校以外にも人が人の命を奪うことがありうるという(栗岡さんの)ご意見は、私にはそのように読み取れました。

故意でもそうでなくても、家族を失うという圧倒的な事実の前には悲しみは全く同じです。少なくとも「殺されたわけではないのだから・・・」という気持ちの整理はできません。ただ、もし故意でないことで、遺族が少しでも救われるとしたら、過失をおかした人の心からの謝罪や反省が聞かれ、また、その組織が二度と同じことが起こらないように最大限努力していることが認められたことによるような気がします。埼玉医大に限らず、どの被害者にも共通しているのが、そうした「救い」がないということなのです。

きのう集まったすべての被害者が、心に計り知れない深い傷を受けていました。疑問なのは、天災などの後には積極的に被害者の心のケアをする病院が、なぜご自身の責任で患者の命を奪ってしまっても被害者の救済にあたらないのかということです。私たちの場合は全く過失はなかったという病院のお考えなので、謝罪や救済がないのは筋が通っていますが、過失を認めている場合でも、病院や医師が被害者の心の傷に手を差し伸べたという話は聞きませんでした。「花が欲しいわけではない。でも花一輪供えようとしない気持ちがくやしい」という声もありました。「一周忌になってもお線香さえあげにこないというのは・・・」と、永井さんは看護婦の指導をしていた奥様の死を嘆いていたとおっしゃっていました。

息子の治療にあたった医師を殺したいと思ったことはありません。永井さんは民事では担当の看護婦を被告としませんでした。息子の治療にあたった医師に望みたいのはただ1つ、「どうぞ本当のことをおっしゃってください」ということだけです。そして、立派な医師として、隼三の分もこれから子どもの命を救ってくださいとお願いしたいと思います。

7月の三回忌に勤めている高校の生徒が隼三の大好きだった「もののけ姫」の主題歌を歌ってくれました。隼三の無邪気ではしゃぐ姿が出席者の心によみがえりました。

「悲しみと怒りにひそむまことの心」という歌詞がありましたが、私は「まことの心」を大切に残りの人生を生きていきたいと強く思いました。

皆さんにはこれからもご支援をいただくことと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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都政新報

教育の現場
■3月24日付(4633号) 
●97年から3年連続のリサイクルモデル校
環境教育推進で教育委員会・教育長表彰
都立四谷商業高等学校

中野区にあって四谷? と不思議だったが、上鷺宮に移転する1963年までは四谷にあり、「四谷商業高等学校」の名称をそのまま踏襲。75年の歴史と伝統を持つ都立高校だ。

この学校が今年、環境教育の推進で功績があったと教育委員会表彰と教育長表彰をダブル受賞した。

表彰はあくまで結果だったというその取り組みは、90年の全面改築に遡る。せっかく校舎が美しくなったのだから大事にしようと美化活動に力を入れるようになり、美化コンクールも実施してきたという。

「96年に事業系ごみが有料化され、焼却炉もダイオキシンを発生させるなど問題になって、燃やさずにごみを減量するため、美化活動を上手に使って減らしていこうと考えたんです」と言うのは、校務で保健を担当する英語教諭の杉野文栄先生。他に先駆け焼却炉の使用を止め、リサイクルに取り組むことにした。

特色は、美化委員が中心となって生徒自ら作業に当たることだ。教室にはごみ箱が三つ。そこで分別し、ごみ置き場に集め、さらに10種類に分別する(写真)。

「他人の飲んだ牛乳パックのストローを抜き、洗って、開いてというのを嫌がらずにやります。缶もスチールとアルミに分類し、つぶす。ペットボトルは学校からリサイクルに出すのが難しく、持ち帰ってスーパーの店頭でリサイクルに出すようにしています」

紙も当然、両面使用。現在、100%をリサイクルに回し、1日に学校から出るごみ量は90リットル袋が2袋だけ。有料シールは一袋380円なので、経費節減の効果も大きい。普通は20袋は出るという。週に一度はごみ箱も丸洗いするので、もう5年も新しいごみ箱を購入していないという。

こうした活動で、自然にごみに興味がわいてくるといい、化学や流通経済、マーケティングなどの授業でごみ問題を扱ったり、びん処理工場や中央防波堤埋め立て処分場などの見学も行っている。「びんを手作業で色別に分類する様子に、びんをリサイクルするよりリターナブルびんを使おうとか、真剣にごみを減らそうと感じたようです」

環境面だけでなく糖分の多い飲料は健康にも悪い、経済的にも高いと、水筒やお弁当も持参するようになった。「いずれ父親、母親になるわけで、環境教育の面で生活全体を見直せるようになった効果は大きいですね」

町会と協力してリサイクル活動を行っているので、地域との連携を深める上でも大きな効果があった。

さらに、杉野先生は「一人ひとりの生徒が自信と誇りを持てるようになった。勉強やスポーツで必ずしもリーダーシップを発揮できるような子たちではなかったが、ボランティア活動に参加したり、教育委員や全国から見学者が来られる中で、自分たちが主役だと思えるようになったことが一番大きかった」と話す。

澁谷和徳校長も、「石原知事が心の教育を唱えているが、授業の中でそれを教えるのは難しい。実践、行動を起こすことだと思うんです。こうした活動を通じて、自然と身に着いていってくれると思う」と。

97年度から3年連続で「東京都リサイクルモデル校」に指定され、四谷商業と言えば、きれいな学校で有名だ。生徒も就職面接などで、リサイクルへの取り組みを胸を張って話すという。この超氷河期に生徒は皆、就職が決まった。

「大変でしたねとよく言われるが、何もないんです。強いて言えば、授業が終わると、必ずごみ置き場にいたことぐらい。ここは用務主事や事務の方との連携が非常にうまくいっていて、積極的に協力してくださるんです」と杉野先生。

神田具孝事務長も「これだけきれいな学校はまずないと思う。文化祭の片付けも2、3日かかるのが普通だが、その日に片付いてしまう。近隣関係が非常に良いのも有り難いですね」

表彰を受けた翌日の1月28日には、美化委員と用務や事務も交え、校長室と共に祝賀会を開いた。「卒業する生徒が、表彰状を持ってごみ置き場の前で記念写真を撮ろうと言い出したんです。私たちが感じる以上に表彰を喜んでいたんだと驚きました。先生、賞もらって良かったですねと言う生徒もいたんです」

入学式に来た来賓が、その生徒が卒業する時には、皆いい顔付きになったと言ってくれるという。「この取り組みを止めたら、今までの生徒に、誇りを持ってやっていたのにどうして止めたのと怒られてしまいそう」と杉野先生は笑った。

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2002 年 8 月 4 日頃、ある新聞の記事に掲載されていたとされるコメント。

早川徹 元大阪大学脳神経外科教授
私だけで二例体験してます。二例とも準三ちゃんと同じくらいの男の子で私の場合X線撮影で刺さった割り箸片を発見し、抜き取りました。脳下垂体にまで達してました。こういう例は昔からよくあって、救急外来にいたら知っておくべきでしょう。知らないでは済まされません。

玉木紀彦 神戸大学脳神経外科教授
見逃した医師はよほど知識がなかったか、知っていたのにうっかり見逃し病院くるみで隠したか。

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JBM / 割箸事件資料 4

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

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過去の記事を収集する。一部出典が分からなくなったものもある。

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1999.7.14

割り箸つき刺した幼児、死因は頭がい内損傷群

東京都杉並区、都立高教諭、杉野正男さんの3男、隼三ちゃん(4)が、綿アメの割りばしをのどに刺し死亡した事故で、警視庁荻窪署が行った司法解剖の結果、死因は割りばしの先が脳まで達した「頭がい内損傷群」だったことが判明。同署は、隼三ちゃんが治療を受けた三鷹市の杏林大学付属病院の処置が適切だったかどうか、業務上過失致死の容疑もあると見て、関係者から事情聴取している。

一方、同病院の斎藤院長らは13日、記者会見し、「意識レベルも確認していたし、脳に損傷が及んでいるとは考えも及ばなかった。過失ではない」などと述べたそうだ。

約1時間20分にわたって行われた会見の冒頭、斎藤院長は「この度はお子様を再救命できず不幸な結果に終わり、遺憾です。ご家族に心からおわびを申し上げる次第です」と陳謝。

病院側によると、隼三ちゃんが「口に割りばしが刺さった」と救急車で運び込まれたのは10日午後6時50分ごろ。当直の男性医師が治療し、口腔内の奥の部分に縦5ミリ、横7ミリ程度の傷が確認できたが、出血は止まり、異物も確認できなかったという。医師は化膿止めと消炎鎮痛剤を処方し、帰宅させた。

隼三ちゃんの容体が急変し、病院に運び込まれたのは翌日午前8時15分ごろ。すでに呼吸停止状態で、救命救急センターで蘇生を試みたが、回復せずだった。

院長は「最初に来院した時のぐったりしていた状態を、喉を突いたショックと飲み込んだ血を吐いたことと重なったためと判断し、割りばしが頭がい骨を貫通していたとは考えなかった」と説明。

報道陣からは「なぜCTスキャンをしなかったか」「治療に判断ミスはなかったか」などの質問が相次いだが、病院側は「それは結果が出てからの話。意識レベルもはっきりしていた」などと述べ、医療ミスはなかったことを強調したという。

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毎日新聞

慶応大病院で行われた司法解剖で、脳内に長さ約7・6センチの折れた割りばしの先が残っており、死因は「頭がい内損傷群」だったことが分かった。杏林大付属病院側は事故後の会見で、CTスキャンなどの検査をしなかったことについて、「よくある症例で傷も小さく、脳に損傷が及んでいるとは考えも及ばなかった。仕方がなく、過失ではない」などと説明していた。

今回の事故について、昭和大学藤が丘病院の高橋愛樹教授(救急医学)は「刺傷の場合、傷がどこまで深いか分からないので最悪のことを考えて検査をするとともに慎重に経過観察をする必要がある。刺さって残った割りばしを持参するなどして治療現場で見ていれば、はしが(脳内に)残っていることも推定できたかもしれない」と話している。

一方、日本医大理事長の大塚敏文・前日本救急医学会理事長は「救急医療は慎重を尽くすべきだが、今回のケースは傷口が小さく、出血も少なかったことを考え合わせると、意識が薄れているのも泣き疲れているのか、損傷のためなのかを判断するのが難しかっただろう」と指摘している。

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読売新聞

東京都杉並区の保育園児杉野隼三ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた杏林大学付属病院(東京都三鷹市)の医師、根本英樹被告(34)の初公判が29日、東京地裁であった。罪状認否で根本被告は「死亡は私の過失によるものではない」と起訴事実を否認し、無罪を主張した。一方、検察側は冒頭陳述で、隼三ちゃんが数回おう吐したのを根本被告が把握しながら、詳しい問診をしなかったことなどを明らかにした。

医師が適切な診察をしなかったという不作為が犯罪に当たるかどうかが問われた事件は、検察側と被告との全面対立で始まった。

隼三ちゃんは1999年7月、割りばしをくわえたまま転倒し、救急車で同病院に運ばれた。根本被告は同病院の耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医だったが、隼三ちゃんを診察した際、コンピューター断層撮影法(CT)スキャンで撮影するなどの方法で割りばしが頭がい内に残っているかどうか確認することを怠り、脳神経外科へ引き継がなかった、として起訴された。隼三ちゃんは頭がい内損傷が悪化し、翌朝、死亡した。

検察側は冒頭陳述で、救急隊長は隼三ちゃんの様子が不自然なため、検査設備の整った同病院に搬送することを決めたのに、根本被告は母親の文栄さん(45)に「どうしました」と尋ねただけで、転倒時や救急車内での様子を知ろうとしなかったことを指摘した。

文栄さんは公判後、「過失を認めると期待したが、大変残念。長い裁判になるかと思うと、不安な気持ちです」と話した。

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日本経済新聞 2000.6.1

再発防止 願い切実
連載「続発医療事故 安全を求めて」 〜6〜

「患者と一緒」出発点に

「あなたの死は無駄にしたくない」。東京都杉並区の高校教師、杉野正雄さん(48)と文栄さん(43)夫妻は、三男、隼三ちゃん(当時4)のあどけない遺影を見る度に、思いを新たにする。

隼三ちゃんは昨年7月、盆踊り会場で転んだ拍子に、のどに綿アメの割りばしが刺さり、杏林大病院(同三鷹市)へ運ばれた。診察した若い医師は、傷口に薬を付けたが、隼三ちゃんはぐったりしたまま。「大丈大でしょうか」との問いかけに、医師は「疲れているだけでしょう」と取り合わず、わずか数分で“治療”を終えた。

翌朝、隼三ちゃんは死亡。死因は頭がい内損傷で、長さ7.6センチの割りばし片が小脳にかけて残っていた。ところが、病院側は「救命できなかったのは残念だが、ミスではない」と主張。その後も説明はなく、夫妻の「真実が明かされない苦しみ」は今も続く。

一周忌を控えて正雄さんは「弁護士や中立な医療関係者らが参加する常設の第三者機関を作り、診断や治療の妥当性まで踏み込んで調べてほしい」と語る。

医療事故の遺族は、悲しみを癒(いや)す間もなく幾重もの壁に直面する。保身に走る医療機関、進まぬ真相究明、見えない対策……。いらだちと失望の中から、再発防止を願う切実な声が上がり始めている。

「国は本気で医療事故防止に取り組む気があるのだろうか」。昨年2月に都立広尾病院で点滴事故のため妻の悦子さん(当時58)を亡くした千葉県浦安市の会社員、永井裕之さん(59)は、首をひねる。

米国の推計では、医療事故による死者は年4万4千−9万8千人。人口が約半分の日本に単純に当てはめると2万人を超え、交通事故の1万人を上回る。

永井さんは「国は交通事故対策に使う人や予算の10分の1でいいから投入してほしい。医療機関に事故報告を義務づけ、『本日の医療事故○件、うち死者○人』と街頭に掲示すれば、事態の深刻さが実感できるはず」と提言。

さらに、「重大なミスを犯した医師や看護婦らの免許を取り消すぐらいのごとをしないと、医療現場に本当の危機感が生まれない」と指摘する。

神奈川県平塚市の接骨院経営、管俣弘道さん(32)は4月、東海大病院(神奈川県伊勢原市)で長女の笑美ちゃん(当時1)を点滴事故で失った。あれから約50日たち、落ち着いてきた、と話す菅俣さんだが、体重は五キロ減ったという。

菅俣さんが今最も強く願うのは、やはり事故の再発防止。同病院だけでなく、全国の医療機関に「患者を含めた院内の風通しを良くすることを求めたい」。1年余りの入院中には、栄養チューブが外れていたり、点滴の輸液が漏れて腕がはれ上がるなど、ひやっとしたことが何度もあった。看護婦には注意したが、「それが婦長や医師、その上の幹部まで伝わっていたかは疑問だ」と振り返る。

東海大病院では再発防止策を検討中だが、菅俣さんは「内輪だけでなく、患者と一緒に考えてほしい。そうすれば、『患者を診てやっている』という姿勢では気付かなかった何かが見えてくるのではないか」と語っている。

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毎日新聞 2002.8.2

割りばし事故:
医師を業務上過失致死罪で在宅起訴 東京地検

東京都杉並区の4歳の男児が99年、綿アメの割りばしをのどに刺して死亡した事故で、東京地検は2日、杏林大医学部付属病院(三鷹市)の耳鼻咽喉科医師だった根本英樹医師(34)を業務上過失致死罪で在宅起訴した。同地検は、根本医師が適切な治療処置をしなかったことが死亡原因と判断した。

死亡したのは、高校教諭、杉野正雄さん(51)の三男隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)。99年7月10日夕、盆踊り大会で転倒し、食べていた綿アメの割ばしをのどに刺し、同病院に運ばれて治療を受けた。

起訴状によると、割りばしが脳に達している疑いがあり、根本医師にはファイバースコープやCTスキャンを使うなど必要な治療処置をする注意義務があったのに、軽い傷と思い込み、薬を塗るなどしただけで帰宅させた結果、頭がい内の損傷を悪化させ、11日朝、隼三ちゃんを脳損傷などで死亡させた。

東京地検は99年7月、警視庁の書類送検を受け、複数の耳鼻咽喉科などの医師から、根本医師の医療判断について意見を求めた。その結果、あまりにも安易な初診だったとの回答を得るなどしたため、刑事責任を問えると判断した。

この事件で、両親は00年10月、病院を経営する学校法人「杏林学園」と根本医師に約8900万円の賠償を求めて東京地裁に提訴した。病院側は「割りばしが脳に達していたことを予見するのは不可能だった」などと、全面的に争う姿勢を示している。

「事故から3年、これほどうれしいことはありません」。医師の在宅起訴を聞いた隼三ちゃんの両親は、遺影が飾られた自宅の居間で涙を流して喜んだ。

父正雄さん(51)は「医師の起訴には大きな壁があったと思う。この間もさまざまな医療過誤が続いており、これをきっかけに医療システムを変える道筋をつくってほしい」と語った。母文栄さん(45)も「不起訴になるのでは、とおびえる毎日だった。病院側は重く受け止めてほしい」と訴えた。

隼三ちゃんは、ウルトラマンが大好きで、99年の事故直前の七夕に「正義の味方になって悪と戦いたい」と短冊に書いたという。両親は、病院を「悪」に例えて「ようやくその夢がかなった」と語った。

一方、病院側は「過失はなかった」と改めて強調した。石井良章病院長は「起訴を厳粛に受け止めているが、救急医療として最善の努力をしたと思っている」とのコメントを出した。

[毎日新聞8月2日] ( 2002-08-02-21:02 )

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朝日新聞 2002.8.2

刺さった割りばし見落とした医師を業務上過失致死で在宅起訴

東京都杉並区で99年、綿あめの割りばしがのどに刺さった保育園児(当時4)が死亡した事故で、東京地検は2日午後、診察した杏林大学医学部付属病院(東京都三鷹市)耳鼻咽喉(いんこう)科の根本英樹医師(34)を業務上過失致死の罪で在宅のまま起訴した。捜査の結果、医師が必要な治療をしなかったことが死亡原因と判断した。

調べによると、同区の高校教諭杉野正雄さんの三男隼三(しゅんぞう)ちゃんが99年7月10日午後6時すぎ、近所の盆踊り大会に遊びに行き、綿あめの割りばしをくわえたまま転んだ。その際、割りばしがのどに刺さって傷を負い、救急車で同病院に運ばれて診察を受けた。

しかし、根本医師は傷口に軟こうを塗り、薬を飲むなどの指示をしただけで帰宅させた。

男児は15時間後、頭蓋(ずがい)内損傷で死亡。解剖の結果、頭蓋内からは7.6センチの割りばしが見つかった。

警視庁の鑑定結果では、診察時に割りばしを発見したとしても助かる可能性は50%以下とされ、立件の難しさが指摘された。しかし、地検は診察時に男児の意識がなかった点を重視。根本医師は職務上、CTスキャンなどで頭蓋内に異物がないか精査すべきだったのにこれを怠ったため、男児が死亡したと結論づけた。

病院は事故後に記者会見し、「まれなケースで、CTスキャンをしなかったのは仕方がな かった。医師に過失はない」と説明した。

これに対し、男児の両親は00年10月、病院を経営する学校法人「杏林学園」と根本医師を相手に総額約8900万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。裁判の中で、 根本医師は「予見困難な事例で事故当日の処置に過失はなかった」と主張している。

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読売新聞 2005.11.14

わりばし死亡事故、元杏林大病院医師に禁固1年を求刑

1999年に東京都杉並区の保育園児杉野隼三ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大学付属病院医師・根本英樹被告(37)の公判が14日、東京地裁であった。

検察側は論告で「被告のずさんな診察によって、十分に救うことが可能だった命が失われた」と述べ、禁固1年を求刑した。

論告によると、隼三ちゃんは99年7月10日、割りばしをくわえたまま転倒。同病院に運ばれたが、耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医だった根本被告は、コンピューター断層撮影など、必要な検査を怠ったまま、隼三ちゃんを帰宅させ、頭蓋(ずがい)内損傷の悪化で、翌朝、死亡させた。論告は「十分な情報を収集しようとせず、医療行為を放棄していたと言っても過言ではない」と指摘した。

根本被告は「割りばしが脳に刺さっていたとは予測できなかった」と、無罪を主張している。

(読売新聞) – 11月14日14時38分更新

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読売新聞 2006.1.13

「脳損傷予見不能」割りばし死亡事件結審

1999年に東京都杉並区の保育園児杉野隼三ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大学付属病院医師・根本英樹被告(37)の公判が12日、東京地裁であった。

弁護側は最終弁論で、「割りばしによる脳の損傷は予見できず、救命の可能性もゼロに近かった」と無罪を主張し、結審した。検察側は禁固1年を求刑している。判決は3月28日。

(2006年1月13日 読売新聞)

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毎日新聞 2006.3.27

割りばし事故:4歳児死亡、両親「真実」求め6年余

東京都杉並区で99年7月、高校教諭、杉野正雄さん(54)の三男隼三ちゃん(当時4歳)の、のどに割りばしが刺さり死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大付属病院の医師(37)に対する判決が28日、東京地裁で言い渡される。事故から6年8カ月。02年11月の初公判から計43回の公判の大半を傍聴した正雄さんと母文栄さん(49)は「隼三の死が無駄にならなかったと思える判決を聞きたい」と語る。

隼三ちゃんは99年7月10日、盆踊り会場で転び、持っていた綿あめの割りばしをのどに刺した。救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に運ばれ、担当医は塗り薬をつけただけでCTスキャンなどはせず自宅に帰した。翌日、隼三ちゃんは死亡した。

02年8月に担当医は起訴されたが無罪を主張。両親にとって裁判は苦痛の連続だった。毎回の公判で事故を追体験させられ、悲しみが深くなる。傍聴席の最前列に座ると検事調書の解剖写真が見え、正雄さんは目をそむけようと眼鏡を外した。

それでも両親は法廷に通い続けた。「隼三にはもう運動会も入学式も卒業式もなく、この法廷だけが主役の舞台。裁判の場で隼三のことが語られている限り、親として見守り続けたい」(文栄さん)からだ。

証人出廷した文栄さんは、母親の自分が悪かったように「100%担当医の責任だと考えているのか」と問われたこともあった。「こんなにつらいなら、事実なんか分からなくてもいいから裁判をやめたい」という思いもよぎった。

隼三ちゃんが生前、正雄さんと一緒に近くの公園で拾ったドングリは、庭のプランターで正雄さんの背たけほどの高さに成長した。「医師は潔く過ちを認め、患者や遺族を傷つけることが今後は起こらないでほしい」。2人はそう願う。

【佐藤敬一】
毎日新聞 2006年3月27日 3時00分

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JBM / 割箸事件資料 3

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» JBM / 割箸事件

共同通信の一連の報道を収載しておく。

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共同通信 2006.3.29

割りばし事故で医師に無罪 「気付いても救えず」 「診察不十分」過失は認定 園児死亡、東京地裁 -1-

東京都杉並区で1999年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三(すぎの・しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=が杏林大病院(東京都三鷹市)で受診した後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の担当医根本英樹(ねもと・ひでき)被告(37)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑禁固1年)の判決を言い渡した。

判決理由で川口政明(かわぐち・まさあき)裁判長は、頭の中まで割りばしが刺さっていることを想定せず、十分な診察や検査をしなかった過失を認定したが「気付いて直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、救えた可能性は極めて低かった」と述べ、過失と死亡との因果関係を否定した。

さらにカルテの中の「髄膜炎の可能性もある」などの記載について「急逝を知った被告が落ち度を自覚し、取り繕おうとして、後から書き加えた」と、検察側も被告側も主張していない認定をし、診察当時は深刻な事態に気付いていなかったとした。

一方で川口裁判長は、被告に向けて「基本的かつ初歩的な作業を怠ったとの批判に謙虚に耳を傾けるべきだ」と述べた上で「本件で隼三ちゃんが残したものは、医師には専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療の機会を提供することが求められている、という基本的なことだ」と異例の付言をした。

判決によると、隼三ちゃんは99年7月10日、杉並区内の盆踊り大会会場で転倒、綿菓子の割りばしがのどを貫き、脳に刺さった。杏林大病院で耳鼻咽喉(いんこう)科の当直だった根本被告の診察を受けたが、根本被告は傷口に消毒薬を塗ったり抗生剤を処方しただけで帰宅させた。翌日、隼三ちゃんは容体が変わり死亡した。

被告側は公判で「前例のない事故で、頭蓋(ずがい)内に割りばしが刺さっているとは想定できなかった」などと過失も否定し無罪を主張していた。

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因果関係を厳密に判断 -2-

【解説】
仮に十分な診察をし治療を尽くしても、割りばしがのどに刺さった杉野隼三(すぎの・しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=の命は救えなかったとして、元担当医根本英樹(ねもと・ひでき)被告(37)を無罪とした28日の東京地裁判決は、一方で必要な問診や検査を怠った過失はあったと認定した。

患者の死亡との因果関係という、過失致死罪の中核部分を厳密に判断しつつ「ほかの科との垣根は解消しなければならない」と、再発防止への配慮をにじませた判決と言うことができる。

今回の裁判では、投薬ミスや輸血ミスなどと異なり、綿菓子の割りばしが頭の中に7センチ以上も刺さっていることを、大学病院の救命救急センター当直医が気付かなかったという事実をどう受け止めるかが問題となった。

判決は、被告が日ごろ生死に直面することが少ない耳鼻咽喉(いんこう)科の専門医であり、臨床経験3年程度の”駆け出し”の医師であったことに着目。「他科の領域に属する病態を想像できなかった」と同情的にとらえた。

東京女子医大病院の心臓手術ミス事件で業務上過失致死罪に問われ、昨年11月に東京地裁で無罪(検察側控訴)を言い渡された医師に続き、医療現場での刑事責任追及の困難さを示したとも言える。

しかし、判決は被告の診察に問題がなかったとしたわけではない。慎重な観察や、母親からの聞き取りなどというごく初歩的な行為が不十分だったことを厳しく指摘、医療従事者に自覚を促している。

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割りばし死亡事故の経過 -3-

1999年7月10日 杉野正雄(すぎの・まさお)さんの三男隼三(しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=が、東京都杉並区内の盆踊り会場で転倒。綿菓子の割りばしがのどに突き刺さり、救急搬送先の杏林大病院で根本英樹(ねもと・ひでき)被告の診察を受けて帰宅
11 隼三ちゃんの容体が変わり、救急搬送先の杏林大病院で死亡確認

2000・7・7 警視庁が業務上過失致死容疑で根本被告を書類送検
10・12 両親が病院側に約9000万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴
11・15 第1回口頭弁論で病院側が責任を否定

2002・8・2 東京地検が業務上過失致死罪で根本被告を在宅起訴
11・29 初公判で根本被告が無罪主張

2005・11・14 検察側が根本被告に禁固1年求刑

2006・1・12 弁護側が無罪主張し結審
3・28 根本被告に無罪判決

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園児割りばし死亡事故 -4-

園児割りばし死亡事故 1999年7月10日、高校教諭杉野正雄(すぎの・まさお)さんの三男の保育園児隼三(しゅんぞう)ちゃん=当時(4)=が、東京都杉並区内での盆踊り会場で転倒し綿菓子の割りばしがのどに突き刺さった。杏林大病院で根本英樹(ねもと・ひでき)被告から消毒薬の塗布などの治療を受けたが、帰宅後に容体が変わり、翌日死亡。司法解剖で頭蓋(ずがい)内に残った7・6センチの割りばしが見つかった。警視庁は2000年7月、不十分な診察だったとして業務上過失致死容疑で根本被告を書類送検、東京地検は02年8月に在宅起訴した。公判で根本被告は、過失はなかったとして無罪を主張。両親は根本被告ら病院側に民事訴訟も起こしたが、病院側は責任を否定し争っている。

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裁判所の深い洞察評価 -5-

根本英樹(ねもと・ひでき)被告の弁護団コメント

過失があったとの認定には不満な点もあるが、結果として無罪だったことに大変満足している。(死亡という)結果を回避できる可能性に合理的疑いが残るとした裁判所の判断には、深い洞察があったと評価する。幼い命が失われた結果については、本人やご両親、遺族の痛みを思うと心から哀悼の意を表したい。

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判決要旨 -6-

28日、東京地裁が言い渡した園児割りばし死亡事故の判決要旨は次の通り。

【前提事実】

検察側が主張する(1)4歳児の杉野隼三ちゃんが割りばしをくわえたまま転倒し、のどにけがをした(2)その後、頻繁に嘔吐(おうと)を繰り返した(3)意識レベルが低下してぐったりした状態だった?の事実をほぼ認定できる。

【被告の過失】

担当医の根本英樹被告は転倒で割りばしがのどに刺さったことを聞けば、体勢などによっては割りばしの先が頭蓋(ずがい)内に届いたことも想定できた。頭蓋内損傷は患者の死に直結する極めて危険なものだが、のどの単なる裂傷にすぎないと軽信し、傷口に消毒薬を塗り、抗生剤を処方しただけで帰宅させた。

なおカルテには「髄膜炎の可能性」などの記載があるが、裁判所はこれらの記載は、翌朝の急逝に動転し、診察で意識状態を正しく把握せずに軽症と診断して帰宅させた点の落ち度を自覚して取り繕おうとした被告が書き加えたと認める。

頭蓋内損傷の可能性を否定するため、付き添いの母親に間診し、転倒の瞬間を見ていなかったときには、本人にも問診を試みるべきだ。割りばし全部が発見されていないことなどを聞き出すことができた可能性は高い。

次の段階には、2つの選択肢がある。1つは専門分野の範囲内で情報を集める。具体的には、ファイバースコープで観察し傷の深さや方向を調べる。もう1つは直ちに頭部のCT撮影を行う。脳神経外科の当直医に相談し、実施してもらうのが相当だ。

それから脳神経外科医に引き継ぎ、割りばし除去などの治療を講ずる。直ちに開頭手術を行うことも考えられる。

いずれを選択しても最終的には、のどを貫通した割りばしが頭蓋内にまで達し、小脳にも刺さっている事故の全貌(ぜんぼう)が分かるものと思われる。

最後に、結果回避可能性と因果関係について判断する。

割りばし片で挫滅した左頚静脈を再建することが死を回避する唯一の措置だったが、直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、静脈再建は技術的、時間的に極めて困難だったと認められる。救命可能性はもちろん延命可能性も極めて低かったとの合理的疑いが残る。

【結論】

被告には、予見義務や結果回避義務を怠った過失があるが、過失と死亡との因果関係には合理的な疑いが残るので、業務上過失致死事件について無罪である。

【付言】

被告は「患者の病態を慎重に観察し把握する」という医師として基本的、初歩的な作業を怠ったことへの批判に謙虚に耳を傾けるべきだ。小さな体で生命が危険な状態にあることを訴え続けたのに、被告は事前情報などを重視してサインを見落とし、救命に向けた真摯(しんし)な治療を受けさせる機会を奪う結果となった。

被告が他科の専門医に相談しようと思わなかったことに、他科との垣根の高さが背景にあるならば、これが解消されなければならないことは論をまたない。

診療科目の豊富さだけでなく、他科との連携で相乗的な専門的医療行為を享受できるところに総合病院の存在意義があり、杏林大病院はわが国屈指の人的、物的設備を誇る総合病院としてその要請は高い。本件は、医療従事者にさまざまな課題や教訓を与えている。

本件で隼三ちゃんが遺(のこ)したものは「医師には眼前の患者が発するサインを見逃さないことをはじめとして、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」というごく基本的なことだ。

本件が語るところを直視し、誰もが2度と悲惨な体験をすることがない糧とすることが隼三ちゃんの供養となり、鎮魂となるものと考える。

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JBM / 割箸事件資料 2

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判決要旨を収載する。

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中国新聞 2006.3.28

園児割りばし死亡事故の判決要旨 
28日、東京地裁が言い渡した園児割りばし死亡事故の判決要旨は次の通り。

【前提事実】
検察側が主張する(1)4歳児の杉野隼三ちゃんが割りばしをくわえたまま転倒し、のどにけがをした(2)その後、頻繁に嘔吐(おうと)を繰り返した(3)意識レベルが低下してぐったりした状態だった−の事実をほぼ認定できる。

【被告の過失】
担当医の根本英樹被告は転倒で割りばしがのどに刺さったことを聞けば、体勢などによっては割りばしの先が頭蓋(ずがい)内に届いたことも想定できた。頭蓋内損傷は患者の死に直結する極めて危険なものだが、のどの単なる裂傷にすぎないと軽信し、傷口に消毒薬を塗り、抗生剤を処方しただけで帰宅させた。

なおカルテには「髄膜炎の可能性」などの記載があるが、裁判所はこれらの記載は、翌朝の急逝に動転し、診察で意識状態を正しく把握せずに軽症と診断して帰宅させた点の落ち度を自覚して取り繕おうとした被告が書き加えたと認める。

頭蓋内損傷の可能性を否定するため、付き添いの母親に間診し、転倒の瞬間を見ていなかったときには、本人にも問診を試みるべきだ。割りばし全部が発見されていないことなどを聞き出すことができた可能性は高い。

次の段階には、2つの選択肢がある。1つは専門分野の範囲内で情報を集める。具体的には、ファイバースコープで観察し傷の深さや方向を調べる。もう1つは直ちに頭部のCT撮影を行う。脳神経外科の当直医に相談し、実施してもらうのが相当だ。

それから脳神経外科医に引き継ぎ、割りばし除去などの治療を講ずる。直ちに開頭手術を行うことも考えられる。

いずれを選択しても最終的には、のどを貫通した割りばしが頭蓋内にまで達し、小脳にも刺さっている事故の全貌(ぜんぼう)が分かるものと思われる。

最後に、結果回避可能性と因果関係について判断する。

割りばし片で挫滅した左頚静脈を再建することが死を回避する唯一の措置だったが、直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、静脈再建は技術的、時間的に極めて困難だったと認められる。救命可能性はもちろん延命可能性も極めて低かったとの合理的疑いが残る。

【結論】
被告には、予見義務や結果回避義務を怠った過失があるが、過失と死亡との因果関係には合理的な疑いが残るので、業務上過失致死事件について無罪である。

【付言】
被告は「患者の病態を慎重に観察し把握する」という医師として基本的、初歩的な作業を怠ったことへの批判に謙虚に耳を傾けるべきだ。小さな体で生命が危険な状態にあることを訴え続けたのに、被告は事前情報などを重視してサインを見落とし、救命に向けた真摯(しんし)な治療を受けさせる機会を奪う結果となった。

被告が他科の専門医に相談しようと思わなかったことに、他科との垣根の高さが背景にあるならば、これが解消されなければならないことは論をまたない。

診療科目の豊富さだけでなく、他科との連携で相乗的な専門的医療行為を享受できるところに総合病院の存在意義があり、杏林大病院はわが国屈指の人的、物的設備を誇る総合病院としてその要請は高い。本件は、医療従事者にさまざまな課題や教訓を与えている。

本件で隼三ちゃんが遺(のこ)したものは「医師には眼前の患者が発するサインを見逃さないことをはじめとして、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」というごく基本的なことだ。

本件が語るところを直視し、誰もが二度と悲惨な体験をすることがない糧とすることが隼三ちゃんの供養となり、鎮魂となるものと考える。

(初版:3月28日21時12分)

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JBM / 割箸事件資料 1

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2006.3.28 の判決関連の報道を収集する。

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中國新聞 2006.3.28

元担当医に無罪 園児割りばし死亡事故

東京都杉並区で一九九九年、割りばしがのどに刺さった保育園児杉野隼三ちゃん=当時(4)=が杏林大病院(東京都三鷹市)で受診した後に死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の担当医根本英樹被告(37)に東京地裁は二十八日、無罪(求刑禁固一年)の判決を言い渡した。

判決理由で川口政明裁判長は、十分な診察や検査をしなかった過失を認定したが「割りばしがのどを突いて頭に刺さっていることに気付いても、救えた可能性は極めて低かった」と、死亡との因果関係を否定した。

また判決は、園児のカルテに頭蓋(ずがい)内損傷に気付いていたことをうかがわせる記載があることに触れ「その後、急逝を知った被告が落ち度を自覚し、取り繕おうとして書き加えた」と認めた。

隼三ちゃんは九九年七月十日、杉並区内の盆踊り大会会場で転倒、綿菓子の割りばしがのどを貫き、脳に刺さった。杏林大病院で耳鼻咽喉(いんこう)科の当直だった根本被告の診察を受けて帰宅した翌日、容体が変わり死亡した。

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読売新聞 2006.3.28

「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故

1999年に東京都杉並区の保育園児杉野隼三ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大学付属病院医師・根本英樹被告(37)の判決が28日、東京地裁であった。

川口政明裁判長は診断上のミスがあったことを認めたが、「治療したとしても延命の可能性が極めて低かった」と述べ、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

隼三ちゃんは99年7月10日、割りばしをくわえたまま転倒し、翌朝死亡。その後の解剖で、頭蓋(ずがい)内から約7・6センチの割りばし片が見つかった。

検察側は、耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医だった根本被告が、コンピューター断層撮影など、必要な検査を怠ったまま、帰宅させ、死亡させたとして起訴していた。

(読売新聞) – 3月28日15時14分更新

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産經新聞 2006.3.28

「願いかなえられなくてごめん」と母親 割りばし死亡事故

担当医の無罪判決を受け、杉野隼三ちゃんの遺影を前に記者会見する母の文栄さん(左)と父の正雄さん=28日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ

「母さんの力が足りず、隼三の願いをかなえてあげられなくて、ごめんね」。割りばしがのどに刺さった男児が死亡した事故の裁判で、医師への無罪判決が言い渡された28日、最愛の息子を4歳で亡くした両親は遺影を前に力なくうなだれた。東京地裁は医師の過失を認めながら、死亡との因果関係を認めなかった。

「頭が真っ白になった」「体の血が止まったような思い」。判決後の記者会見で、死亡した杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん=当時4つ=の両親、正雄さん(54)と文栄さん(49)は、遺影を抱いて判決を聞いたときの衝撃を語った。

「今まで審理されたことがどう判断されたのか。有罪を信じていたからやってこれたのに…」

事故から6年8カ月、刑事裁判の初公判から数えても3年半が経過した。公判はこの日で44回目を数えた。文栄さんは「必ず隼三にいい報告をしたい」と、裁判をほぼ欠かさずに傍聴してきた。「息子の思いを代弁したい」と証人尋問にも応じ、法廷で息子の解剖写真を見せられることにも耐えた。

昨年10月、公判で文栄さんは「隼三の死を明らかにすることで、一人ひとりの命を大切にし、進んで真実を明らかにする医療への道筋ができる」と陳述した。医師の有罪判決を得ることは母親として課せられた“至上命題”という思いだった。

医師の過失について、判決は検察側の主張をほぼ認めた。それについて、正雄さんは「自分の治療が完璧(かんぺき)ではなかったということを、根本医師は隼三からのメッセージと思って受け止めてほしい」と話し、「判決で医師の未熟さが指摘された。そんな医師に1人で任せた病院にも責任はある」と病院側にも苦言を呈した。

事故直前の七夕に、隼三ちゃんは「正義の味方になりたい」と書かれた短冊をつるした。両親は医師に有罪が言い渡されることが、「隼三の夢」と位置付ける。「それが、かなえられるようにもう一度頑張りたい」と文栄さん。判決後、2人は検察官に「控訴してください」と依頼したという。

(03/28 19:39)

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産經新聞 2006.3.28

割りばし死亡事故、医師に無罪判決

東京都杉並区で平成11年、都立高校教諭、杉野正雄さん(54)の三男、隼三(しゅんぞう)ちゃん=当時(4つ)=が転倒し、割りばしがのどに刺さって死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた当時の杏林大学付属病院(東京都三鷹市)医師、根本英樹被告(37)の判決公判が28日、東京地裁であり、川口政明裁判長は、無罪(求刑禁固1年)を言い渡した。

判決理由で根本被告が適切な処置を怠った過失を認定したが、「専門医に引き継いでも延命可能性は低く、過失と死亡の因果関係に疑いがある」と述べた。

根本被告は無罪を主張しており、(1)のどに刺さった割りばしが小脳にまで達していたことを予測できたか(2)脳神経外科医に引き継ぐなどの処置をとったら、隼三ちゃんは死亡せずにすんだか−が争点だった。

(03/28 16:04)

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読売新聞 2006.3.28

「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故

割りばし死亡事故裁判の無罪判決後、会見する両親の杉野正雄さんと文栄さん
 
1999年に東京都杉並区の保育園児杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた元杏林大学付属病院医師・根本英樹被告(37)の判決が28日、東京地裁であった。

川口政明裁判長は診断ミスがあったことは認めたが、「治療したとしても延命の可能性が低かった」と述べ、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

隼三ちゃんは99年7月10日、割りばしをくわえたまま転倒し、同病院で診察を受けたが、根本被告は傷口に消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させた。隼三ちゃんは翌朝、頭蓋(ずがい)内損傷で死亡。その後の解剖で、約7・6センチの割りばし片が小脳に刺さっているのが見つかった。

判決はまず、耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医として、隼三ちゃんを診察した根本被告が割りばしによる頭蓋内損傷を予見できたかについて、意識レベルが低下した容体などから、「頭蓋内に異変があったことを疑うことが可能だった」と述べた。

さらに母親への問診などを行い頭蓋内損傷の疑いが強まれば、コンピューター断層撮影をするなどして、最終的には割りばしが残っていることに気付くことができたと指摘。根本被告には、これらの診察や検査を行わなかった過失があると認定した。

しかし、その後の治療で、死亡を回避できたかについては、「脳神経外科医に引き継いだとしても、技術的に治療が困難で、救命可能性は極めて低かった」と判断。過失と死亡の因果関係を否定した。

一方、判決は、根本被告が隼三ちゃんの死後、診断ミスに気づき、カルテに適切な診断をしていたかのように取り繕う記述を加えたと認定。「患者の病態を慎重に観察する初歩的な作業を怠った」と指摘した。

(読売新聞) – 3月28日20時49分更新

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毎日新聞 2006.3.28

割りばし死亡事故:「なぜ無罪に」と両親

割り箸事故の裁判で医師は無罪との判決が出たのを受けて会見し、無念の表情を浮かべる父親の杉野正雄さんと母親の文栄さん(左)=東京・霞が関の司法クラブで28日午後3時3分、松田嘉徳写す

「適切な治療をしなかった医師がなぜ無罪なのか」。99年に東京都杉並区で杉野隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、東京地裁が28日の判決で、当時の担当医の過失を認定しながら、救命の可能性がなく過失と死亡が結びつかないと判断したことに、遺族は悔しさをあらわにした。一方、判決で「医師として基本的な作業を怠った」と指摘された元担当医は、法廷で硬い表情のままだった。

無罪が言い渡された瞬間、隼三ちゃんの父正雄さん(54)は「頭が真っ白」になり、母文栄さん(49)は「凍りつき、体中の血が止まったように感じた」という。隣に座った長男(18)は「頑張れ」と母の手に自分の手を重ねた。

会見した正雄さんは「裁判長が救命は難しかったと判断した理由は、私たちが理解出来る内容とは到底思えない。直ちに控訴してほしい」と目を真っ赤にして話した。文栄さんも「過失があってカルテ改ざんも認められたのにおとがめなしでは、重い病気の人はどんな治療をされても刑事責任を問えなくなる。隼三の死が無駄にならなかったとは言えない」と声を絞り出した。

会見場の机には、隼三ちゃんがほほ笑む小さな遺影が置かれた。文栄さんは「隼三には『力が足りなくてごめんね。お父さんもお母さんもあきらめないでもう一回頑張るから見守って』と伝えたい」と話した。

事故が起きたのは、ウルトラマンが大好きだった隼三ちゃんが七夕の短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった後だった。救急車で病院に運ばれたが、塗り薬を塗られただけで帰宅。翌朝、容体が急変した。

自宅の玄関には今も隼三ちゃんの小さな靴が、2人の兄たちの靴と一緒に並ぶ。「今でも5人家族」との思いからだ。

一方、被告の根本英樹医師(37)は判決後、弁護人に「無罪となったのは満足だが、過失が認定された点は残念」と話し、判決で指摘されたカルテの改ざんは否定したという。

【佐藤敬一】
毎日新聞 2006年3月28日 20時29分 (最終更新時間 3月28日 20時45分)

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毎日新聞 2006.3.28

割りばし死亡事故:医師に無罪判決 過失との因果関係否定

東京都杉並区で99年7月、高校教諭、杉野正雄さん(54)の三男隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、適切な治療を怠ったとして業務上過失致死罪に問われた元杏林大学医学部付属病院の医師、根本英樹被告(37)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。

川口政明裁判長は「被告には予見義務や結果回避義務を怠った過失があるが、救命や延命の可能性は極めて低く、過失と男児の死亡との因果関係については合理的な疑いが残る」と判断した。

隼三ちゃんは99年7月10日、盆踊り会場で転び、持っていた綿あめの割りばしがのどに刺さり、同病院に救急車で運ばれた。当時、耳鼻咽喉科の当直医だった根本被告は、母親から十分に事情を聴いたり、CT(コンピューター断層撮影)スキャンで撮影するなどの注意義務を怠り、割りばしが脳に達していたことを見逃して帰宅させ、翌朝に頭がい内損傷で死亡させたとして起訴された。

毎日新聞 2006年3月28日 15時50分

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毎日新聞 2006.3.28

割りばし死亡事故:医師無罪も、予見や結果回避には過失

東京都杉並区で99年、高校教諭、杉野正雄さん(54)の三男隼三(しゅんぞう)ちゃん(当時4歳)が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、適切な治療を怠ったとして業務上過失致死罪に問われた元杏林大学医学部付属病院の医師、根本英樹被告(37)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・禁固1年)を言い渡した。川口政明裁判長は、割りばしが脳に達したと想定する予見義務や、適切な治療を行う結果回避義務を怠った過失を認めながらも「救命や延命の可能性は極めて低く、過失と死亡との因果関係に合理的な疑いが残る」と判断した。

また判決は、隼三ちゃんの死後、カルテに加筆があったと独自に認定。「被告が男児の死に動転し、軽症と診断して帰宅させた落ち度があったことを自覚し、取り繕おうとした」と指摘した。

隼三ちゃんは99年7月10日、盆踊り会場で転び、持っていた綿あめの割りばしがのどに刺さり、同病院に救急車で運ばれた。当時耳鼻咽喉科の当直医だった根本医師は、母親から十分に事情を聴いたり、CT(コンピューター断層撮影装置)で撮影するなどの必要な措置を取らず、割りばしが脳に達していたことを見逃して帰宅させ、翌朝に死亡させたとして起訴された。

判決は「被告は考えられる病態として『割りばしの刺入による頭蓋(ずがい)内損傷』を想定すべきで、母親に詳しく問診し、脳神経外科の当直医に相談してCT撮影を行うべきだったのに、軟口蓋の単なる裂傷に過ぎないと軽信した」と、過失についてはほぼ検察側主張通りに認定。一方で「仮に被告が直ちに脳神経外科医に引き継いだとしても、救命や延命の可能性は極めて低かった」と過失と死亡との因果関係を否定し、無罪と結論付けた。

川口裁判長は最後に、根本医師が基本的な作業を怠ったことを改めて指摘。「医師は病態発見のために必要な情報取得に努め、適切な治療を受ける機会を提供することが求められる。それが男児への供養となる」と付言した。隼三ちゃんの両親は、根本医師と病院を経営する学校法人「杏林学園」に損害賠償を求める民事訴訟を起こしている。

【佐藤敬一】

▽隼三ちゃんの両親の話 過失があったことを認めたのに医師を無罪としたことは納得できない。検察は直ちに控訴してほしい。 ▽根本医師の主任弁護人、奥田保弁護士の話 無罪となったことは大変満足しているが、過失が認定された点は不満が残る。隼三君の命が失われたという結果には心から哀悼の意を表します。

▽石井良章・杏林大学病院長の話 私どもが主張してきたことを正しく評価していただいたと考えている。引き続いて全力で、医療の安全に取り組む。

▽伊藤鉄男・東京地検次席検事の話 誠に遺憾である。判決内容を検討し、控訴するかどうかを判断する。

■判決骨子■
・割りばしの刺入による頭がい内損傷を想定すべき予見義務を怠った。
・CT撮影など、適切な治療を行う結果回避義務を怠る過失があった。
・救命・延命の可能性は極めて低く、過失と死亡の間に因果関係はない。

毎日新聞 2006年3月28日 20時06分

———-

朝日新聞 2006.3.28

割りばし事故で医師に無罪判決 東京地裁

杏林大学病院(東京都三鷹市)の耳鼻咽喉科医師だった99年7月、救急搬送されてきた男児(当時4)ののどに割りばしが刺さっているのを見逃し死亡させたとして、業務上過失致死の罪に問われた医師・根本英樹被告(37)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・禁固1年)の判決を言い渡した。

———-

MSN-Mainichi Daily News 2006.3.28

Doctor found not guilty over death of boy with chopstick in brain

A doctor accused of professional negligence resulting in death after failing to notice a chopstick lodged in a boy’s brain was declared not guilty in a ruling at the Tokyo District Court on Tuesday.

Hideki Nemoto, 37, a former doctor at Kyorin University Hospital, had faced charges over the death of 4-year-old boy Shunzo Sugino. In handing down the ruling, Presiding Judge Masaaki Kawaguchi said there were doubts over the connection between Nemoto’s handling of the incident and the boy’s death.

“The doctor was negligent in his responsibility to predict what could have happened and to avoid the result of that, but the possibility that the boy’s life could have been saved or extended was extremely low and rational doubts remain over the causal relationship between the defendant’s negligence and the boy’s death,” Kawaguchi said.

An ambulance rushed Shunzo to the hospital on July 10, 1999, after he fell over at a festival while carrying cotton candy on a chopstick and the chopstick went through his throat and into his brain.

Nemoto, the ear, nose and throat specialist who was in charge of the boy at the time, was accused of causing Shunzo to die by failing to find out from his mother what happened and neglecting his responsibility take a tomography scan. He sent the boy home without realizing that the chopstick was lodged in his brain.

Shunzo died the following morning from brain injuries.

(Mainichi)
March 28, 2006

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JBM / 割箸事件

Posted by guideboard on 2007/10/08/Mon

本記事の原典は、2006 年 3 月 30 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/03/post_e054.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
わりばし、割箸、割り箸、割ばし、割りばし、杏林、咽頭、頭蓋、穿通、業務、過失、致死、過誤、事故、東京地裁

2006.3.28、先週の日航機ニアミス事故管制官無罪判決に続き、東京地裁で重要な判決があった。

被告医師の無罪判決であるが、後顧に憂いを残すような残念な判決であった。

本判決では、
1. 大変稀な外傷に対する過失を認定した。
2. 付言として、被告医師への非難批判がコメントされた。
3. 後頭蓋窩穿通外傷の受傷の瞬間に患児の生命予後は決まっていたと、裁判所も ( 数多くの医師も ) 考えている。

—–

1.
本事件発生以来、医師は誰もが頭蓋穿通外傷に思い至らなくても無理はない、自分でも気付かないだろう、とのコメントが数多く上がった。実際、咽頭の外傷で後頭蓋窩まで穿通する事例は大変稀である。
後頭蓋窩に残った割箸の可能性を考えることができるかどうかは、大変困難である、ということなのだ。

なぜ、過失があると言われなければならないのだろうか。

本件のような外傷よりも、もっとありふれた、それでいて危険性の高い外傷は日常茶飯事だ。日本中の医師が、どこかで地雷を踏む可能性があるのだ。どんなベテランが、どんなに注意を払っていても、本件よりももっとありふれた事例で見逃しが起こり得る。そのリスクを下げる努力は必要だが、ゼロにはならない。
判決の付言にあるような、「患者の病態を慎重に観察し把握するという医師として基本的、初歩的な作業」を怠らなくても、事故は起こる。

2.
判決の主文以外のところで被告医師を非難して、何になるのだろう。
裁判官は、法律と、原告被告の双方が提示する証拠とから、純粋に法理に基づいて判決を出す。だけど言いたいこともあるんだよ、という事なのか。
福岡地裁・大阪高裁靖国神社参拝訴訟でもそうだが、あとからひっくり返せないコメントを判決文に残すのは、構わないのだろうか。この判決の付言に書かれている事は、被告医師の過失については当たらない。遺族に哀悼の意を表したいなら、それだけを言えばよい。

また、刑事無罪の判決なのに、民事訴訟に何らかの影響があるだろう。

3.
遺族の心情は推し量ってあまりあるものだ。いまだに大変深い悲しみの中にあるのだ。誰かが悪いのか、何が悪かったのか、真実はどこにと、求めているのだ。刑事、民事とも裁判に真実究明を期待する事に無理はない。期待通りにはいかないかもしれないが。
しかし本件のように、けがした瞬間に生命予後が決まるようなケースで、はたしてどういう事実が示されたなら、遺族は真実を知り得た、と納得できるのだろうか。

医学的には、けがした瞬間に助からない、だ。だがそれでは納得ができないのなら、人間の知恵でできる事は、純粋な医学的究明と再発防止策の開発、それと無過失でも救済、しかないのではなかろうか。

—–

本判決を見て考える事は、
1. 司法が医療事故の真実の究明と再発予防策に資することは、乏しい可能性である。
2. 裁判官が判決と関係ない意見を付け加えるのは、いかがなものか。

———-

医療事故の報道の際、必ずどこかの権威あるらしい医師が出てきて、自分は経験したことがある、自分ならこんな結果にはならない、などとコメントする。
本件ではこのようなコメントが出されていた。
大変稀な事例を 1 – 2 回経験した、それがたまたまうまく行った、という事に普遍性はない。

早川徹 元大阪大学脳神経外科教授
「私だけで二例体験してます。二例とも準三ちゃんと同じくらいの男の子で私の場合X線撮影で刺さった割り箸片を発見し、抜き取りました。脳下垂体にまで達してました。こういう例は昔からよくあって、救急外来にいたら知っておくべきでしょう。知らないでは済まされません。」

玉木紀彦 神戸大学脳神経外科教授
「見逃した医師はよほど知識がなかったか、知っていたのにうっかり見逃し病院くるみで隠したか。」

日本中の医師が、脳神経外科専門医でなくても、この両人と同じレベルの知識を持ち合わせるほど、割箸による後頭蓋窩穿通外傷はありふれた外傷、な訳ではない。
また、簡単に抜き取ったというが、それほど危険な行為はない。静脈洞を貫いていたら、抜いた途端即死だろう。整形外科医である私にでも分かる。

この両人のような不用意なコメントが、患者家族も、被告医師もさらに不幸にし、検察、裁判所をも迷わせるのだ。

参考リンク

不当起訴された耳鼻科医を支援する会

参考資料

JBM / 割箸事件資料 1
JBM / 割箸事件資料 2
JBM / 割箸事件資料 3
JBM / 割箸事件資料 4
JBM / 割箸事件資料 5
JBM / 割箸事件資料 6
JBM / 割箸事件資料 7
JBM / 割箸事件資料 8

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JBM / ガリレオ裁判 3 資料

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

» JBM / ガリレオ裁判 3

第 13 回日本アレルギー学会春季臨床大会
会期 : 2001 年 5 月 10 日 ( 木 )、11日 ( 金 )、12 日 ( 土 )
会場 : パシフィコ横浜

http://square.umin.ac.jp/allergy-2001s/

一般演題
O-250 テオフィリン中毒で死亡した1喘息剖検例
井上 明 桝沢政広 金子教宏 本島新司
( 亀田総合病院総合内科 / 呼吸器内科 )

Abstract
250 テオフィリン中毒で死亡した1喘息剖検例

通常とは異なった経過をたどったテオフィリン中毒による喘息症例を呈示する。
症例 17歳男性。2歳発症のアトピー型喘息。2000年に入ってから不安定になり発作にて何回か入院を繰り返していたが、2000/12/28に退院。2001/1/1早朝嘔 気にて来院。血清テオフィリン濃度が103μg/mlあったため活性炭を内服させるとともに、活性炭による血液吸着を行うことにした。腎臓内科の協力にて吸着を開始したが 、途中で活性炭カラム内が2回凝血したので通常の血液透析をの準備を行っているうちに痙攣が発症した。経鼻的に気管内挿管し呼吸器を装着したが、この時点から採血直後に凝 血する現象が始まり、次いで著明な肉眼的血尿とともに採血部位からの持続出血が始まった。この時点でAPTT 73.2秒と延長、FDP 39.6 μg/mlと上昇が認められたが血小板数は35万/μlあった。その後貧血が進行、大量の輸血を行うも死亡した。剖検では後腹膜腔への出血と肺鬱血が目立つ所見であり大血 管内の血栓は存在しなかった。2000/12/28の血液中のテオフィリンは検出限界以下であった。臨床的にはDICが急激に誘発され肺鬱血が生じたとの解釈は可能である が、その誘因として低酸素血症、活性炭カラムの可能性も考えられた。血栓形成傾向を示す先天性疾患は否定的であった。このような例は稀であると思われるので報告した。

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JBM / ガリレオ裁判 3

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

本記事の原典は、2006 年 8 月 3 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/_3_bdfe.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療訴訟、医事紛争、医療事故、医療過誤、医療ミス、科学、裁判、テオフィリン中毒、出血性ショック、亀田総合病院事件、敗訴

本件では、病理解剖がなされていた。それが学会発表されていて、死因がそれからも判断できる。

亡くなった患者さんとそのご家族の残念な気持ちは察するにあまりある。心からの哀悼の意を捧げたい。

多分、ほとんど全ての医師は、自分の努力で患者さんを救えなかったことを、心底悔やむ。自分の無力さを見せつけられて、打ちのめされる。だが、科学の視点を見失ってはいけない。落ち込んだままではいけない。次の患者さんがいるのだ。

真実の科学的究明は、過去から現在まで、医学の発展の基礎だった。そのおかげで現在の医学の恩恵を受けることができるのだ。そして現在も、真実の科学的な究明が、将来の人類に福音をもたらすのだ。

—–

本件は自殺企図だったという。学会発表抄録からもそれと分かるし、某所にはマスコミ方面からもそのようにも伝わっている。警察は、死亡した患者の自宅の家宅捜索を行ったという。

急激なテオフィリン血中濃度の上昇に引き続く、多臓器不全・DICだったのだろう。

血尿とされているのは、ミオグロビン尿も併存したか、腎実質からの DIC による出血であったかもしれない。テオフィリン中毒で痙攣は続発するだろうし、痙攣とともにミオグロビン血症・尿症も起こるだろうし、高カリウム血症もあっただろう。後腹膜血腫は DIC とともに起こり、出血性ショックというよりも DIC と多臓器不全による死亡ではなかったのか。

ブラッドアクセスのカテーテルは、活性炭吸着の時点で血管損傷を起こすことなく挿入されていた。DIC の際には、明らかな血管損傷がなくとも、様々な部位からの滲み出るような出血が起こり、それが止まらない。DIC に続発する後腹膜血腫は知られている。判決でも血管損傷の部位、原因には言及していないようだ。当然、静脈穿刺部分は、カテーテルを挿入したその血管壁とカテーテルの間のミクロン単位の隙間から出血し、それが止まらなくなる。出血源は、単独の一部分の血管損傷ではないのだ。

元日、亀田総合病院に本件患者が搬送されてきたとき、各科専門医に招集がかけられたと伝え聞いている。活性炭吸着の後血液透析まで準備し、人工呼吸を行い、大量の輸血を行った。おそらく当時、この病院の複数の医師が、救急、集中治療、透析、血液など各科の専門医が主治医とともに治療に当たったであろう。医師以外でも、薬剤部門、臨床検査部門もフル稼働で薬の払い出しを行い、検査を繰り返し、輸血の準備に追われただろう。これは一つの病院の総力を挙げた戦いであったことだろう。

亀田総合病院は、一地方の私立病院だが、その規模とスタッフは地方大学医学部附属病院を凌駕するほどのものだ。大学病院では、各科の専門医が素早く集まるような体制はなかなかない。残念ながら亡くなった患者さんは、おそらくは、日本で最高の医療を受けたはずだ。どこに瑕疵があったのだろうか。どこが過失だったのだろうか。

院内で剖検を行っている。詳細な検証を加えたはずだ。そして、それを総括し、反省して将来に活かすために、他の多くの医師に知らしめるために、学会で発表した。

ここまで真摯に取り組んだのだということが、この短い学会発表の抄録から読み取れる。一人の救急外来担当医が静脈穿刺を仕損なって患者を死なせたというような、単純な図式ではない。

第 13 回日本アレルギー学会春季臨床大会
会期 : 2001 年 5 月 10 日 ( 木 )、11日 ( 金 )、12 日 ( 土 )

http://square.umin.ac.jp/allergy-2001s/

テオフィリン中毒で死亡した 1 喘息剖検例

2000/12/28の血液中のテオフィリンは検出限界以下
2001/1/1早朝嘔気にて来院。血清テオフィリン濃度が103μg/ml

腎臓内科の協力にて吸着を開始したが 、途中で活性炭カラム内が2回凝血したので通常の血液透析の準備を行っているうちに痙攣が発症した。経鼻的に気管内挿管し呼吸器を装着したが、この時点から採血直後に凝血する現象が始まり、次いで著明な肉眼的血尿とともに採血部位からの持続出血が始まった。この時点でAPTT 73.2秒と延長、FDP 39.6 μg/mlと上昇が認められたが血小板数は35万/μlあった。

剖検では後腹膜腔への出血と肺鬱血が目立つ所見

私には、専門外でしかも乏しい情報だけではあるが、法が科学を曲げたようにしか見えない。

参考資料

JBM / ガリレオ裁判 3 資料

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JBM / ガリレオ裁判 2 資料

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

» JBM / ガリレオ裁判 2

Sankei Web 2006.9.13

ぜんそく治療で二男死亡、8200万円支払い命令 亀田病院の過失認定

鴨川市の亀田総合病院(亀田信介院長)でぜんそくの治療を受けていた高校2年の二男(17)が死亡したのは、病院側の処置ミスが原因だとして、両親が亀田病院を相手取り8800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、千葉地裁で言い渡された。小磯武男裁判長は「病院側の過失と二男の死亡とは因果関係がある」と原告側の訴えを認め、病院側に慰謝料など約8200万円の支払いを命じた。

小磯裁判長は、判決理由の中で「処置のためのカテーテルを挿入した際に血管を傷つけ、大量出血したことが死亡の原因」とし、二男は病院の過失により死亡したと認定した。

病院側は「二男の死因はぜんそく予防薬の成分である『テオフィリン』の中毒症状による心不全。そもそも、カテーテル挿入時に血管を傷つけてはいない」などと主張していたが、小磯裁判長は「二男に中毒症状はあったが、死因をテオフィリンによる心不全とする具体的な根拠はない」と退けた。

判決によると、二男はぜんそくのため、15年ほど前から同病院で治療を受けていたが、平成13年1月1日未明、突然吐き気などをもよおして同病院で受診。二男の「テオフィリン」の血中濃度が異常に高かったため、担当医がカテーテルを挿入するなどの処置を施したが、その際に静脈などを傷つけて出血。二男は同日夜に出血性ショックで死亡した。

判決を受けて、亀田院長は「テオフィリン中毒のため救命できなかった。救命が不可能だったとの専門家の鑑定もあり、判決に強い憤りを感じている」とコメント、直ちに控訴する方針を示した。

—–

共同通信 2006.9.12

千葉県鴨川市の亀田総合病院(亀田信介(かめだ・しんすけ)院長)でぜんそく治療を受けていた高校2年の二男=当時(17)=が出血性ショックで死亡したのは処置のミスが 原因として、両親が約8800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千葉地裁は11日、病院側に約8200万円の支払いを命じた。

判決理由で小磯武男(こいそ・たけお)裁判長は「カテーテル挿入時に血管を傷つけた過失が大量の出血をもたらした」と死亡と処置ミスとの因果関係を認めた。

病院側は「血管損傷の事実はない。死因はぜんそく薬の成分『テオフィリン』によるショック症状などだ」と反論していた。

判決によると、二男は2001年1月1日未明、吐き気などを訴え受診。ぜんそく治療で病院から処方されていたテオフィリンの血中濃度が高いことが判明。処置の過程で医師が 脚の付け根にカテーテルを挿入した際、動脈や静脈を傷つけたため、後腹膜腔から大量に出血。二男は同日夜、死亡した。

亀田院長は「強い憤りを感じており、ただちに控訴する」とコメントしている。

亀田総合病院は電子カルテシステムの本格運用をいち早く導入するなど先進的な医療施設として知られ、浅田次郎(あさだ・じろう)氏の小説「天国までの百マイル」のモデルと される

—–

時事通信 2006.9.12

千葉県鴨川市の亀田総合病院で2001年1月に死亡した高校2年の少年=当時(17)=の父で同県南房総市の団体職員長谷川俊一さん(52)らが「治療のカテーテル挿入で 血管を傷つけられたことなどが原因」として、同病院を運営する医療法人鉄蕉会に損害賠償を求めた訴訟で、千葉地裁の小磯武男裁判長は 11日、病院側の責任を認め、約8150万円の支払いを命じた。

判決によると、少年は1月1日未明、ぜんそく治療のため気管支拡張剤(成分名テオフィリン)を服用した後に吐き気などを訴え、同病院でテオフィリン中毒と診断された。血中 のテオフィリン濃度を下げる治療を受けたが、けいれんなどが起きた。中心静脈ラインを確保する目的でカテーテルを挿入された後、血尿が止まらなくなり、同日夜死亡した。

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JBM / ガリレオ裁判 2

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

本記事の原典は、2006 年 9 月 13 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/_2_fa7a.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療訴訟、医事紛争、医療事故、医療過誤、医療ミス、科学、裁判、テオフィリン中毒、出血性ショック

亀田総合病院事件の続報

喘息に対するテオフィリンによる治療を行っていた患者の、当該医療機関でのフォローアップ中には、テオフィリンの血中濃度は治療域内だったはずだ ( そうであると伝え聞く )。それゆえ、そのまま投薬加療が続けられていたのだろう。それなのに何らかの理由でテオフィリンを既定量以上に大量に内服したと考えられる ( これもそうだと伝え聞く )。

それだけから類推できるストーリーは、

1. テオフィリン中毒による痙攣、心不全、そして出血傾向かあるいは重責する痙攣に続発するミオグロビン尿があった。出血傾向により血尿があったというより、ミオグロビン尿の色をして血尿としているのかもしれない。テオフィリン中毒は、必ず疑うはずだから、血液や尿の検体が採られているだろう。ミオグロビン血症、尿症が分かっているはずだ。判決でもテオフィリン中毒の存在を認めている。

2. ソケイ部から血液浄化用の脱血走血のダブルのカテーテルを大腿静脈に挿入しようとしていたのだろう。テオフィリンを透析によって体外に排除するためだ。テオフィリン中毒なら唯一の解決法だ。横紋筋融解症が起こっていてミオグロビン尿となっていたら、それも透析でないと救命できないだろう。

3. ソケイ部穿刺は、ソケイ靭帯より近位で動脈穿刺をしたら後腹膜血腫を来す可能性があるが、出血傾向がない限り、致死的なものとなることは少ない。ダブルのカテーテルはガイドワイヤーで挿入するだろうから、試験穿刺針で動脈穿刺となってもそんなに出血しないだろう。若い人だから血管壁が脆いこともなかっただろう。動脈を傷つけたことが、剖検などで分かっていれば、判決はそれを理由にするだろう。ダブルのカテーテルを動脈に誤挿入する可能性は著しく低い。大体、そんなに太いものは動脈に入れようとした途端に著しく挿入しにくいことで気付くか、まず挿入できない。

3-2. ソケイ靭帯より近位での静脈穿刺では、動脈と較べてなおさら出血多量となる可能性は低く、カテーテル穿孔などが起こるしか、多量の後腹膜出血は起こりにくいだろう。ダブルカテーテルそのものが血管壁を破ることがあれば、それはカテーテルの方に問題がないか。

3-3. 静脈、この判決では大腿静脈を指しているのだろうが、判決では静脈などを傷つけたためとしたと報道されている。「静脈など」と言うだけで、出血部位、出血原因が明らかでないようだ。解剖で出血原因や部位が分かっているなら、そう書くはずだ。

3-4. 静脈損傷としても、それでどうやって血尿に結びついて、その血尿で出血性ショックになるのだろうか。静脈内カテーテル挿入と血尿に因果関係が成立する可能性は著しく低い。

医師の一人としてこう考える。どっちにも取れる推測というのは混じっているが、医学という科学に照らして、明らかな誤謬、不合理があるだろうか。

———-

剖検によっても真の死因が分からないこともある。本裁判でそれが争われている。ならば救命救急の最中に、剖検でも分からなかった事態が進行している、その真実を即座に見抜かなければならない義務はない。

剖検も、科学的検証も含め、医学には三つの意味で限界がある。

一つは、現代医学でも分からない、病める人を助けられない事態は、日常どこででも起こりうるのだ。

もう一つは、科学は万能ではない。科学ですべてが判明するということは有り得ないが、神ではない人間が真実に近づく手段は、科学しかない。

最後の一つは、科学である医学を社会に適用する時、法がある。その法 ( ここではその執行者である法曹 ) が医学を束縛し、変形させるのだ。

上記の最初の項で言うところの、医学の限界があるということを、人は知識として知っていても、我が身に起これば理解できなくなる。そして真実の究明を、科学ではなく法に頼ろうとする。その法は、ガリレオ裁判でも述べたように、科学を曲げてしまうことがあるのだ。

Sankei Web 2006.9.13
ぜんそく治療で二男死亡、8200万円支払い命令 亀田病院の過失認定
病院側は「二男の死因はぜんそく予防薬の成分である『テオフィリン』の中毒症状による心不全。そもそも、カテーテル挿入時に血管を傷つけてはいない」などと主張していたが、小磯裁判長は「二男に中毒症状はあったが、死因をテオフィリンによる心不全とする具体的な根拠はない」と退けた。

参考資料

JBM / ガリレオ裁判 2 資料


コメント

第13回日本アレルギー学会春季臨床大会
会 期:2001年5月10日(木)、11日(金)、12日(土)
会 場:パシフィコ横浜

http://square.umin.ac.jp/allergy-2001s/

一般演題
O-250 テオフィリン中毒で死亡した1喘息剖検例
井上 明 桝沢政広 金子教宏 本島新司
(亀田総合病院総合内科/呼吸器内科)

250 テオフィリン中毒で死亡した1喘息剖検例

通常とは異なった経過をたどったテオフィリン中毒による喘息症例を呈示する。
症例 17歳男性。2歳発症のアトピー型喘息。2000年に入ってから不安定になり発作にて何回か入院を繰り返していたが、2000/12/28に退院。2001/1/1早朝嘔 気にて来院。血清テオフィリン濃度が103μg/mlあったため活性炭を内服させるとともに、活性炭による血液吸着を行うことにした。腎臓内科の協力にて吸着を開始したが 、途中で活性炭カラム内が2回凝血したので通常の血液透析をの準備を行っているうちに痙攣が発症した。経鼻的に気管内挿管し呼吸器を装着したが、この時点から採血直後に凝 血する現象が始まり、次いで著明な肉眼的血尿とともに採血部位からの持続出血が始まった。この時点でAPTT 73.2秒と延長、FDP 39.6 μg/mlと上昇が認められたが血小板数は35万/μlあった。その後貧血が進行、大量の輸血を行うも死亡した。剖検では後腹膜腔への出血と肺鬱血が目立つ所見であり大血 管内の血栓は存在しなかった。2000/12/28の血液中のテオフィリンは検出限界以下であった。臨床的にはDICが急激に誘発され肺鬱血が生じたとの解釈は可能である が、その誘因として低酸素血症、活性炭カラムの可能性も考えられた。血栓形成傾向を示す先天性疾患は否定的であった。このような例は稀であると思われるので報告した。

投稿 いのげ | 2006/09/16 17:24:10

いのげ先生

情報を有り難うございます。

亀田総合病院は、ここまで真摯に取り組み、医学の限界を示し、教訓を与えてくれました。

———-

この判決のニュースを目にするまでは、私が抱く亀田総合病院の印象は、あまりよいものではなかったのですが、ある程度見直すことにしました。

混合診療を導入し、アメリカ型医療産業の勝ち組になろうとしていただけの様にしか思っていませんでした。

投稿 道標主人 | 2006/09/16 22:03:24

わたし個人は亀田総合と何の関係も無いし,まったく離れた地に住むものです.
この事件については亀田総合は間違ってなさそうな気が強くします.
そしてアメリカ型医療産業を目指しているのかもしれませんが,現時点では日本の保険適応(+ベッド代)の範囲内で診療しているのではないかと想像します.ベッド代がなんぼか知りませんが.

投稿 いのげ | 2006/09/17 1:18:04

ところで以下の文献は医療制度論において必読と思われますのでこのブログ左のアフェリエイト欄に追加していただければさいわいです

「改革」のための医療経済学 (単行本)
兪 炳匡 著
メディカ出版 (2006/07) 価格: ¥ 1,995 (税込み)

http://www.amazon.co.jp/00ce39%976900d06e05f08106eS3bv424cn0866-Q6a-pb3S21/dp/48

40417598

第1章は「忙しい読者の為の総括」になってますがその見出しだけ引用

2章のまとめ 比較による医療の相対的な位置付け
1 医療問題の3つの分類
2 国内的にも国際的にも低い日本の医療費(コスト)
3 日本の医療におけるアクセスは決して悪くない
4 日本の医療の質は指標により順位変動が大きい
5 特定の指標がつまみ喰いされる危険性

3章のまとめ 医療経済学に何ができるのか
1 医療経済学の定義
2 医療と経済学の望ましい関係
3 専門大学院に求められる教育

4章のまとめ 医療費高騰の犯人探し
1 疑われた5つの要因はいずれも「小物」-最大の黒幕は医療技術の進歩?
2 高齢化の総医療費上昇への影響はほぼゼロ
3 医療保険制度の功罪
4 所得上昇と医療費の関係ー国内分析によると医療費は必需品
5 医師数増加を問題視する「古くて古い」議論
6 「モグラ叩き」では問題は解決しない
7 長期介護医療費に大きなインパクトを持つ社会的要因はさらに検証が必要
8 小さな政府がもたらす介護問題の悪循環のシナリオの例

5章のまとめ 改革へのロードマップ
1 改革を語る前に明らかにすべき価値基準
2 5つの効率基準とその改善案
3 米国の平均入院日数が短く見えるカラクリ
4 効率の良い予防医療がコストを高騰させる理由
5 整備すべき制度改革のインフラ(社会基盤)
6 改革案のまとめ

投稿 いのげ | 2006/09/17 1:21:14

いのげ先生
重ねてご教示有り難うございます。

> この事件については亀田総合は間違ってなさそうな気が強くします.
私もそのように思います。

要らぬことを申しまして、申し訳ありません。アフィリエイトにも加えさせて頂きました。

投稿 道標主人 | 2006/09/17 2:28:33

御高配ありがとうございました

投稿 いのげ | 2006/09/17 5:22:42

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JBM / ガリレオ裁判 / 草加事件資料

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

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Wikipedia
草加事件

草加事件(そうかじけん)とは、1985年7月19日に埼玉県草加市の残土置き場で同県八潮市在住の中学3年女子生徒の絞殺体が発見され、その容疑者として草加市在住の13~15歳の少年5人が逮捕、1人が補導された事件の通称である。

逮捕された5人は少年審判で犯行を否認したが、浦和家庭裁判所は同年9月、5人を初等・中等少年院へ送致し、1人を児童相談所に送るという保護処分を出した。少年らは抗告したが東京高等裁判所は抗告を棄却、最高裁判所も1989年7月に再抗告を退け、同処分が確定した。少年らは一般の刑事裁判での再審請求に当たる「保護処分の取消し」を3度申し立てたが、保護処分が既に終了した(訴えの利益がない)ことなどを理由にいずれも退けられた。

被害者が死亡時に着用していたスカート後ろ側の裏部分6か所に付着していた(犯人のものと推定される)体液の血液型がAB型である一方、少年らの血液型はいずれもO型またはB型であり一致しない。しかしながら「被害者の血液型(A型)と加害少年の血液型(B型)が合わさってAB型の血液型になった」との科学的根拠が全く無いオカルト的主張を検察側が展開したこと、さらには後年被害者少女の親が少年らを相手取って起こした損害賠償請求訴訟が「少年らの犯罪を裏付けるに足りる証拠が無い」として棄却(浦和地方裁判所の判決を最高裁判所が支持)されたことから、事実上無罪(冤罪)であると評価して、当時の検察の主張・姿勢を批判する意見もある。

なお、後に検察官を退官し行列のできる法律相談所など多数のテレビ番組に出演して有名となった弁護士住田裕子が、当時本件を担当した検事の1人として名を連ねている。

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法律家ゴマの研究室

http://gomafu.hp.infoseek.co.jp/index.htm

刑事事実認定

http://gomafu.hp.infoseek.co.jp/nin/nintei.htm

草加事件

http://gomafu.hp.infoseek.co.jp/nin/nin01.htm

Ⅰ.はじめに
このコーナーでは、昭和60年に起きた草加事件の概要を紹介したいと思います。草加事件とは、昭和60年7月19日ころ、当時15歳だった女子中学生Vが殺害された事件です。犯人として、Aら6人の少年(当時13ないし15歳)が逮捕されました。Aらは、八潮市内の八潮中央病院前を歩行中のVを発見し、強姦または強制猥褻の目的で車に連れ込み、車中で胸を触るなどした上、北公園で輪姦し、事件の発覚を恐れて東高校裏の道路でVを殺害して、近くの残土置場に死体を投棄した、というのです。少年らは、少年審判の場で否認しましたが、結局少年院に送致されました(当時13歳だったDは教護院に送致されました。)。
ところが、Vの親からAらの親に対する損害賠償請求事件(民事)で、一審ではAらの犯行とは認められないとの理由で、Vの親の請求が棄却されてしまいました(控訴審では逆に、Aらの犯行と認められるとして4500万円前後の損害賠償が命じられました。)。刑事(少年審判)と民事とでは異なる裁判官が判断するわけですから、判断が分かれること自体は仕方のないことです。しかし、少年審判で「殺人を犯した」となったものが、民事で「殺人を犯していない」となるというのは、何とも落ち着きの悪いものです。仮に民事の一審判決が正しいなら、冤罪だったということになります。少年法では再審というものが認められていないので、民事事件が実質的な再審的役割を果たしたことになるのです。
草加事件は果たして冤罪事件であったのか、否か。少年事件では、決定が公刊されることも余り多くないのですが、幸い、草加事件では民事の一審判決と控訴審判決があるので、事件のおおよそのことは知ることができます。もとより、少年審判→民事の審理→民事の判決、と、民事の判決は相当実体的資料から離れたところにあり、本当の証拠関係がどうであったのかという点については隔靴掻痒のうらみはありますが、そうした資料的制約があることを前提として、検討してみたいと思います。

Ⅱ.事件の概要
1.死体の発見
昭和60年7月19日午後1時ころ、埼玉県草加市内の残土置場で、女性の死体が発見された。
現場は、東高校グランドの北東約250メートルのところにある。田圃の一角を残土で高さ0・75メートル程度に埋め立てたもので、残土置場の大きさは約24メートル四方である。3方を1・5メートル前後の雑草の生い茂る田圃に囲まれ、西側だけ砂利道の農道に接している。付近は昼間でも人通りがまばらで、街灯等の設備は全くない。

死体は、残土置場の南東側斜面を下ったところで見つかった。死体周辺の雑草はほとんど踏み荒らされた状態が見られず、その場で被害者が争った形跡は認められず、強姦や殺害が行われたとは考えられない状況だった。残土置場出入口の路上からはタイヤ痕・足跡が22個、残土置場から足跡8個が採取された。
死体は仰向けで、顔をやや右側に曲げた状態だった。スカートは腰まで捲り上げられ、両脚は肩幅程度に開き、パンティは両膝まで引き下ろされていた。上半身は裸だった。首には、被害者が着用していたブラスリップが巻き付けて縛られていた。顔から左肩にかけて、約30センチ四方、厚さ約6センチのコンクリート敷石が乗っており、その上に、被害者が着用していたシャツが丸めて乗せてあった。両脚にはソックスをはいていたが、靴は履いておらず、右の靴は死体の左の残土上に、左の靴は残土置場中央付近に落ちていた。
スカートに血液型Aの精液が付着していたが、他に着衣からは精液は検出されていない。シャツの襟からは、血液型Aの毛髪1本が発見された。パンティとスカートからは人尿の付着が認められた。
膣・直腸・食道・胃・体表のどこからも精子・精液は検出されなかった(もっとも、司法解剖の際、酸性フォスファターゼ反応により精液が存在する可能性があるとされていた。これが捜査を無用に混乱させた可能性はある。)。処女膜は健在し、裂傷等の外傷もなく、被害者が生前性交をしたとは認められない。肛門にも裂傷等の外傷等はなく、陰茎を無理矢理挿入した形跡はない(もっとも、実況見分時に警察官が、閉じていた肛門を不用意に開大してしまい、そのことを検察官に報告していなかった。これも捜査を無用に混乱させた可能性があるものである。)。両乳房から、Aの唾液が検出されている。
死因は、頚部圧迫による窒息死。頚部を圧迫されている状態がやや長く続いたものと考えられる。顔面中央に赤褐色表皮剥奪・坐裂創、鼻骨及び鶏冠部の骨折が認められるが、頭蓋内や脳などに損傷はなく、これが死因とは考えられない。これらはコンクリート敷石による受傷と考えられるが、この受傷の際は被害者はまだ生きていたものと認められる。
死亡時間は、7月19日午後9時20分において、死後1日内外と推定される。

被害者Vは、当時15歳で、八潮中学校に在学中だった。
小学校6年生ころから放浪癖があってたびたび家出し、一時教護院に入園したこともあった。7月18日朝も母親と喧嘩して家出した。同日午後1時ころ、しょぼくれた姿で街を歩いている姿を母親が見掛け、午後9時10分ころ、自宅近くの知人のアパートに行って、泊めて欲しいと頼んだことが判明しているが、その後の足取りは不明である。

2.取調べ・審判
7月23日早朝、草加署に、「Pが、『7月19日午前0時ころ、Vが八潮中央病院付近を歩いているのを見た』とCが言ってるのを聞いた。」との情報が入った。草加署では、C及びCと行動をともにしていたA・B・D・Eが本件事件に関係しているのではないかと見て、Aらを任意で取り調べることにした。
同日、A・B・C・D・Eが任意同行の上取調べを受けた。すると、A・B・Cはその日のうちにVの殺害等を自白した。Dは否認していたようである。Eは、「八潮中央病院の裏でVを見つけて2台の車が止まり、AとBが、自分の運転するクラウンに無理矢理Vを乗せ、田圃道まで連れていった。そこで、A・B・CがVをどこかに連れていったが、その間、自分は車の中にいたので、殺人の事実は分からない」と供述した。同日、A・B・Cは緊急逮捕され、Dは観護措置決定を受けた。Eは、8月4日に逮捕された。
7月25日及び26日、Fが任意に取調べを受けたが、Fは、19日にはVに会っていないと否認した。Fは、8月3日に逮捕された。

その後、A・Bは一貫して自白しており、観護措置決定の際にも自白を維持していたが、8月19日にともに否認に転じた。
Cは第1回審判期日まで自白を維持し、A・Bの審判に証人として出頭してV殺害の事実等を証言したが、9月6日の審判期日において否認に転じた。
Dは、当初否認していたが、8月5日には自白に転じ、8月13日、教護院送致の決定を受けた後も教護院の職員に対して自分が強姦に加わったことや他の者が殺人を犯したと話していた。しかし、9月3日ころ、父と姉と面会した直後から否認に転じた。
Eは、当初否認していたものの、8月15日になって、実はAらが殺害の相談をしていたのを聞いていた旨の上申書を提出した。
Fも、当初否認していたものの、8月12日に自白に転じ、Bの審判に証人として出頭して本件への関与を認める供述をしていたが、9月12日の審判期日において再度否認に転じた。

Aら(教護院送致になったDを除く)は、いずれも審判で非行事実(強姦既遂、殺人等)が認定され、少年院送致処分を受けた。抗告審でも強姦既遂の事実を未遂に変えて認定し、抗告を棄却、最高裁も再抗告を棄却した。

その後、今度はVの親からAらの親に対する損害賠償請求事件(民事)で、一審(浦和地裁判決平成5年3月31日判時1461号17頁)は、少年事件での決定にもかかわらず、強姦・殺人の事実は認められないとして、Vの親の請求を棄却した。しかし、控訴審(東京高裁判決平成6年11月30日判時1516号40頁)は、逆に、強姦等の事実が認められるとして、請求を認容した(総額4500万円余)。

3.少年たち
Aらはいずれも当時13ないし15歳であった。
Aは、小学校5年生ころから窃盗を反復して行い、中学にはいると、シンナー吸入、外泊、無免許運転、窃盗等を繰り返し、昭和59年1月には少年院送致の決定を受けた。少年院を仮退院後、昭和60年7月5日に家出し、自動販売機荒らしをして警察に保護され、7月16日保護者に引き取られたが、7月19日に家出していた。
Bは、小学校3年生ころから窃盗を反復して行い、バイクや自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸入等を繰り返し、10回以上にわたって草加署に補導されている。家出も繰り返していたが、7月12日ころ家出をして、Cらとともに車上狙いや自動車窃盗を繰り返していた。
Cは、小学校4年生ころから窃盗を繰り返すようになり、弟のDとともに非行仲間と交遊し、中学に入ってからは、家出、自動車の窃盗、シンナー吸入、電話機荒らし、自動販売機荒らし、不純異性交遊等を繰り返し、昭和59年7月以降、児童相談所の指導を受けていた。7月10日ころ家出をして、B・Dらと窃盗を繰り返すなどして暮らしていた。
Dも、年少のころから、A・Bらとともに、家出、バイク・自動車の窃盗、車上狙い、シンナー吸入等を行い、6月19日に自動車窃盗で補導されて児童相談所で一時保護され、7月4日に父に引き取られたが、間もなく家出して窃盗などを繰り返していた。
E・Fについては不明である。

Ⅲ.自白の要旨

Aらの自白には変遷があるが、最終的に確定した自白内容は概ね次の通りである。要するに、八潮中央病院付近でVを車に乗せ、北公園でA・B・C・Dが輪姦し、東高校近くでA・B・CがVを絞殺して、死体を残土置場に投棄した、というものである。

Dの運転するブルーバードにA、Bが、Eの運転するクラウンにC、Fが分乗して、走行中、7月19日午前2時ころ、八潮中央病院付近を1人で歩いていたVを発見し、BとCが抵抗するVをブルーバード後部座席に無理矢理押し込み、スーパーマルコーの駐車場まで連れて行った。その間、Bは、車の中でVのシャツ脱がして、無理やり胸を触ったり、掴んだりした。
マルコー駐車場に着くと、Vは、『おしっこをしたい。』などと言って、車を降りて逃げようとしたので、A、B、Cが追いかけて捕まえ、今度は、クラウンの後部座席に押し込んだ。同車内にいたFとCは、抵抗して嫌がるVのスカートを強引に脱がせ取り、胸や陰部を触ったり、揉んだりした。暫くして、AとBは、Fらと交替してクラウンに乗り込み、同じようにVの胸などを触ったり、揉んだりしていた。その後、少年らは、強姦するためにVをクラウンに乗せたまま、北公園へ連れて行き、そこで輪姦することになったが、AとBは、北公園に向かう車中でもVの胸などを触っていた。
少年らは、北公園に着くとブラスリップとパンティ姿のVを車から降ろし、公園内に連れ込み、入口左手にある藤棚の下のベンチ付近へ連れて行った。Fは『やらない。』などと言ってはずれたので、Fを除く5人でVを輪姦する相談を始めた。その時、Aが『おまんこやるのにゴムがねえ。誰かゴム持っているか。』などと行ったところ、CD兄弟が2個ずつコンドームを出したので、4人だけで輪姦することに決まった。DとCは、コンドームを持っていたので優先権が与えられ、残りのA、B、Eの3人でじゃんけんした結果、Eが負けて姦淫できなくなり、EはFとクラウンに戻った。その後、Aらは、コンドームを分け、AとBがVのブラスリップとパンティを脱がせた。その後、AとBは、Vを公園の奥の池の奥の山の斜面のような所に連れて行った。そこでBとAがVを姦淫した。Aが『(B)、一番初めにやれよ。』など声をかけたので、Bが最初に姦淫することになった。Bは、仰向けに倒れているVの上にコンドームをつけずにのしかかったが、陰茎をVの膣に挿入できなかったので、Vを四つんばいの形にさせて後ろ向きにさせ、陰茎を肛門に挿入して射精した。次いで、AがVに『仰向けになれ。』などと命令してコンドームをつけた陰茎をVの膣に挿入し、射精し、使用済のコンドームを池の中に捨てた。その次にCD兄弟が、Vを藤棚の方向へ連れて行き、ベンチの少し手前の草むらの中で押し倒した。そして、Cは、Aと同じ姿勢でコンドームをつけて姦淫しようとしたが、陰茎は1cm位挿入されただけで、射精をしないまま終わり、コンドームをグランドの金網の所へ投げ捨てた。Dは、Vをうつぶせに寝かせ、後ろから陰茎を膣に挿入しようとして、挿入したような気がしたが、射精はしていない(なお、Dがコンドームをつけたのか否かについての供述はない。)。CD兄弟が終わると、Bが再び、Vにのしかかり、Vの陰部を舐めながら、Vの口の中にコンドームをつけていない陰茎を挿入して口の中に射精した。その次に、Aが仰向けに寝ているVの両方の胸を揉んだりした。
Vは、Aらの強姦が終わると、パンティとブラスリップを身に着けた後、『警察に言っちゃうから』となどと言い出した。そのため、少年らは、Vをクラウンに乗せた後、Vの処置について相談した。Aは、『殺しちゃおうか。』などと言い出したが、FとEが『強姦していないから関係ない。』などと言って相談からはずれてクラウンに乗り込んでしまった。残った4人で相談を続けた結果、結局、Dを逃走用の運転手役としてはずし、A、B、Cの3名でVの首を締めて殺害することになった。殺害場所は、暗くて人通りのない八潮三中付近に行って探すことになった。
少年らは、Dの運転するブルーバードにA、Bが乗り、Eが運転するクラウンにシャツとスカートを身に着けていたV、C、Fが乗って北公園を出発したが、途中、殺す3人が一緒の車に乗っていた方がいいという理由から、八潮三中付近の砂利道で一旦、車を停め、AとBがクラウンに、Fがブルーバードにそれぞれ乗り換え、再度、人気のない田圃の方に向かってクラウンを先頭に走り出した。東高校付近まで来ると、周りが田圃ばかりで暗くて人気も全くなかったため、そこを殺害場所と決め、東高校南側付近の路上に車を停めた。Aら3名は、クラウンから降りて、Vの手を引っ張って連れ出した。殺害場所を探しながら行ったり来たりするうち、東高校グランド前で、後方から車のライトが当たったため、Aらは、一瞬びっくりして逃げ出し、CはAらを置き去りにして十字路交差点付近まで逃げた。しかし、それは、DとEの運転するブルーバードとクラウンであることがわかり、BかCが合図をしてライトを消させた。Aらは、さらに、高校のプレハブ小屋付近前まで行き、小屋の陰になり暗くて人にも見られず、殺すのに適当な場所と考え、ここで、Vを殺害することになった。Aらは、Vのシャツとブラスリップを脱がせた後、Aが、そのブラスリップを長く伸ばした状態で両手に持ち、Vの後ろから、頭越しにブラスリップを首にかけ、首の後ろで交差させてからブラスリップを持ち替え、左右反対方向に力一杯引っ張りながら後ろ向きに引っ張った。Vは暴れて両手でかきむしるようにしてブラスリップをはずそうとしたが、Aと共に仰向けに倒れた。その時、Aは、Bに対し『B』と呼んでブラスリップの左端をBに渡し、AとBの2人が両手でブラスリップの両端を左右に引っ張ってVの首を締め続けた。Cは、Vが足をバタバタさせて首を締めつけているブラスリップを掴んではずそうともがいたため、その両膝あたりを両手で押さえつけた。そのような状態で暫くすると、Vの首のところに持っていかれていた両手がいきなりバタンと下に垂れ、それっきり人形のように動かなくなり、体がぐたっとしたので、Aらは、Vが死んだと思い、Aは、ブラスリップの両端をVの首の前に回して1回だけ結んだ。
その後、Aら3名は、殺害場所から2〜300メートル離れた田圃の中に少し土が積まれ小高くなっている所が見えたので、3人で死体を運んで行った。なお、Vのシャツは同女の腹の上に乗せて運んだ。Aらは、残土置場に少し入った所で、一旦、死体を降ろし、Aが、『ここで乱暴されたように見せかけよう。』などと言ったので、パンティを膝あたりまで引き落とし、スカートを腹付近まで捲り上げ、靴を脱がせてVの腹の上に乗せ、それから再び3人でVの死体を残土置場中央付近の小山の方へ運び上げようとした。途中、シャツと片方の靴を落としたのに気づき、AがCに拾いに行かせた。その後、AとBの2人は、残土置場南東隅から少し降りた所で、1、2の3で残土と草むらの境のあたりに死体を投げ捨てた。その時、Cがシャツを拾ってきて、そのシャツを死体の方に投げつけた。また、Bは、その付近にあった四角いコンクリートをVの死体めがけて投げつけた。

Ⅳ.検討に当たって

1.総論
本件が、何者かがVをどこかで絞殺して、死体を残土置場に投棄したという殺人・死体遺棄事件であることは明らかである(強姦を含む性犯罪が絡んでいるかどうかは、スカートに精液が発見されているだけであるから、客観的状況だけでは不明というべきであろう。)。
とすると、本件にAらが関与しているかどうか(犯人性)が問題であるが、本件の場合、Aらと本件を結びつけるべき決定的証拠はないし、第三者的な目撃者というのもない。共犯者たるAら6人の捜査段階での自白(1人の少年に対する関係では、自白+共犯者5人の証言ということになる。)があるのみである。もとより、物証の少ない事件というのはあるものであり、Aらと確実に結びつく物証がないからといって、それだけでAらの犯人性を否定することはできない。要は、Aらの自白が信用できるものであるのかを、慎重に吟味する必要があるということである。

2.一審判決の論理
詳細は追々見ていくことにするが、Aらの自白内容は、客観的事実に反して信用できないし、供述内容にも捜査官の誘導に基づくと思われる不自然な変遷があり、秘密の暴露もない、として、Aらの自白は信用できない、つまりAらの犯人性を認めるに足りる証拠はない、と判断した。
結論的にいうと、私は、一審判決の論理に賛するものである。

3.控訴審判決の要旨
Aらは、任意に強姦・殺人という重大事案を認めているのであって、虚偽供述をする根拠として少年らが挙げる点はいずれも薄弱なものである。しかも、CがA・Bの審判期日に強姦・殺人を認める証言をしたり、Dが教護院でも強姦を認めるような話をしていたり、また、Aらは、否認後も自白内容に沿うような供述を漏らしたりしている。秘密の暴露も認められる。よって、Aらの自白は、大筋のところで信用性が高いというべきである。
他方、客観的事実との矛盾など、一審判決の指摘するような点は、いずれも、必ずしも矛盾とまではいえず、Aらの自白の信用性を疑わしめるものとはいえない。

Ⅴ.客観的事実との整合性

1.姦淫供述との整合性

A.処女膜の健在等
【自白内容】
Aは、「コンドームをつけた後、被害者のおまんこに私のチンポを五・六回入れたり出したりした。」「おまんこの中に私のチンポを入れたり出したりして五、六分するうちに段々気持ちが良くなってチンポが固く太くなり、おまんこに入れた状態で射精しました。」と膣に陰茎を挿入した旨明確に供述している。Cは、「コンドームをつけ膣に陰茎を挿入しようとしたが一センチメートル位入っただけで射精していない」と、Dは、「Vを四つんばいにさせ、後ろからVの尻を抱くようにして姦淫した」と供述している。
【客観的事実】
被害者の死体の処女膜は健存し、陰部には裂傷等の外傷も全くなく、男性の陰茎が挿入された痕跡がなく、性交経験が認められない。
【一審判決】
少なくともAの姦淫状況に関する供述には、自白と客観的事実との明白かつ積極的な矛盾である。
【控訴審判決】
処女膜が健存しているからといってVが生前に性交をした経験がないと断定することはできないから、必ずしも矛盾するとはいえない。
仮に同女が生前に性交をした経験がなかったとしても、Aらは、いずれも13歳ないし15歳であって、Cに3回、Dに1、2回の性経験があるのみでA・Bは今まで性交をした経験がない上、本件事件は深夜暗闇の中で、極度の興奮状態の下で行われたものであるのみならず、A・Cはコンドームを装着して姦淫行為に及んだものであるから、自己の陰茎が膣に挿入されたか否かを正確に判断できたとはいい難い面がある。だから、Aらが強姦既遂の供述をしたからといって、この供述が直ちに信用性を欠くものであるとは言えない。
【コメント】
控訴審判決の言い分も、自分の初体験時の経験に照らしても、分からないではない。しかし、Aらの供述が真実なら、何らかの性交の痕跡というものが発見されてしかるべきであり、やはり矛盾があるという方が自然であろう。

B.肛門性交・口淫
【自白内容】
Bは、「僕は大きくなったキンタマをコンドームをつけないまま被害者のおまんこに押しつけたが、僕のキンタマはおまんこの穴に入らなかったので、僕はキンタマを被害者の肛門に入れてやれと思い、肛門のところにもって行き、右手で被害者の腰を掴んでキンタマを肛門に入れるために思い切り押し込みました。でもなかなか入らないので被害者はお尻を動かして『いたい』などと言っていましたが、それでもかまわず、僕は大きくなったキンタマをVさんの肛門に押し当て力を入れて中へ入れようとしました。結局、キンタマの頭のところだけが、肛門に入ったが、いい気持ちでした。それで力を入れてもっと中へ押し込もうとしたらキンタマから精液が出ましたが、この時はコンドームをつけていませんでした。」「その後、大きくなったキンタマを先程のようにチャックをおろしてズボンから出し、コンドームをかぶせました。そして、そのキンタマを被害者のオマンコに押しつけ穴へ入れてやろうとしたのですが、結局、その穴が見つからず入れる事が出来ませんでした。それでキンタマからコンドームをはずし、前から一度やってみたいと思っていたシックスナインをする事にしました。僕は仰向けになっている被害者の上に逆さまになっておおいかぶさりました。キンタマを被害者の顔の方へもっていき、左手でキンタマを掴んで被害者の口に押し当てたら被害者が口を開けて僕のキンタマをくわえました。同時に僕は被害者のオマンコにキスをしました。被害者は僕のキンタマをくわえて舌を動かしたので、くすぐったいようないい気持ちがしました。被害者の口の中に入れたのはキンタマの頭の方だけでしたがじきに精液が出ました。」と供述している。
【客観的事実】
肛門に裂傷等の肛門性交をうかがわせる事実は存在しない。また、Vの膣、直腸、胃及び気道の各内容、Vが強姦終了後すぐに身に着けたとされるパンティないしブラスリップのいずれにも、精子・精液は付着していない。
【一審判決】
Bの肛門性交及び口淫に関する供述は、客観的事実に明白かつ積極的に矛盾するものというべきである。
【控訴審判決】
Bの肛門性交・口淫供述は、Vの死体解剖時に肛門が開大していたという誤った情報を得ていた捜査官が誤導したことにより作出された可能性が高く、信用できない。右のように供述する以前の、「コンドームをつけ、膣に陰茎を挿入しようとしたが、なかなか入らないのでやめた」とのBの供述の方が信用できるというべきである。しかし、だからといって、他の自白全部が信用できないというものでもないことはいうまでもない。
【コメント】
Bの供述の一部(姦淫という重要部分)が客観的事実に反して信用できないという以上、供述全体が信用できないと考えるのが自然であろう。ことに、その信用できない理由として捜査官の誤導が認められるというのであるから、なおのことである。

C.乳房に付着した唾液
【自白内容】
B及びCは、Vを強姦した際、その乳房を舐めたり吸ったりしたと供述している。
【客観的事実】
Vの乳房から唾液を脱脂綿で拭き取って採取したところ、その血液型はAと判明した。
Vの血液型はA型である。
B及びCの血液型は、(分泌型)である。少年らの中に、Aの血液の者はいない。
【一審判決】
A型物質と物質との差がAの通常の不揃いの範囲内のものであること、左右の乳房ともにAの唾液が検出されていること、シャツに付いていた毛髪及びスカートに付着していた精液がいずれもAであることに照らし、Aの人間の唾液であるとみるのが自然であり、客観的事実に矛盾しているという疑念は払拭できないし、少なくとも、B・Cの供述を裏付けるものとは評価できない。
【控訴審判決】
脱脂綿で拭き取る際、の唾液とともに、A型の垢(細胞片)も付着していたため、唾液がAと判定された可能性が高い。よって、自白と矛盾するものとは認められない。
なお、Vは平素男性に異常に興味を示しており、家出中に男性のアパートに連れ込まれるなどしたことがあり、スカートの精液は本件とは別の機会に付着した可能性もある。また、シャツに付いていた毛髪は、本件とは無関係に付着することも十分考えられる。とすると、これらは、本件がAの第三者によって引き起こされた証拠であるとか、少年らの自白の信用性を疑わしめるものとはいえない。
【コメント】
控訴審の判断も、判決で指摘されている証拠を見る限りは、あながち不合理とはいえないであろう。
しかし、本件にAの血液型の人間が関与している疑いがあるのは事実であり、少なくとも、唾液がB・Cの供述を裏付けるものとはいえないとした一審判決の判断は穏当というべきである。

D.コンドームの未発見
【自白内容】
Aは、射精後、コンドームを北公園の池に捨てたと供述している。
Bら3人は、コンドームをいずれも公園内に捨てたと供述している。
【客観的事実】
草加署は、少年らの自白に基づいて、8月7日、公園内の検索を実施したが、少年らの自白を裏付けるようなコンドームの発見はできなかった。
なお、北公園は、本件事件後である7月16日から19日にかけて、芝刈り、草刈りが行われており、その際、白いちり紙に包まれたコンドーム1個(少年らの自白に沿うものとはいえない。)が発見されている。
【一審判決】
7月19日に北公園の清掃中コンドームが発見された際、清掃人全員で大騒ぎをしたほどであることを考えると、Aが池に投棄したという1個を除く3個のコンドームのすべてが、清掃人が全く気づかないまま、清掃処理されてしまったという可能性は少ないというべきである。池に投棄された分を除くコンドーム等が1つも発見されていないという事実は、少年らの供述の信用性に無視できない影響を与えるものである。
【控訴審判決】
清掃等のためにコンドームが失われてしまった可能性があるから、少年らの自白の信用性に疑いがあるとはいえない。
【コメント】
控訴審判決のいう「可能性」もあり得るが、素直に考えるなら、自白と矛盾していると考えるのが普通であろう。

2.殺害供述との整合性

A.防衛創の不存在
【自白内容】
Aは、「被害者は両手で首に締められているブラスリップをはずそうとしてかきむしりました。」「二、三分引っ張っていると、やがてグッタリしました。」と、Bは、「被害者が暴れて両手でかきむしるような感じでその下着を丸めたものを首からはずそうとしました。」と、Cは、「被害者は苦しいのか両手を首のブラスリップのところにかけ、何とか引っ張ってはずそうとしていた。」と、Dは、「AとBが被害者の頭の方にしやがんで何かをしていた。すると、被害者が『ぎやー』『うー』とか苦しそうに叫びながら、手を首のあたりにやったり、押さえている足をバタバタしてもがくように暴れた。」と供述している。
【客観的事実】
Vの頚部付近には、防御創が見られなかった。
【一審判決】
少年らの供述は、客観的事実の裏付けを欠くものとして、その信用性に疑問が残る。
【控訴審判決】
必ず防衛創が出来るという経験則が存在するともいえないから、自白が虚偽であり信用できないとは認められない。
【コメント】
これ自体は控訴審判決もいうように、必ずしも防衛創がないからといって自白と矛盾しているとまではいえないであろう。

B.ブラスリップの結び方
【自白内容】
Aは、「私が(ブラスリップの)両端を被害者の首の前に回して一回だけ結んだ。」旨供述し、実況見分時の再現においても同様に1回結んだのみである。
【客観的事実】
死体実況見分時に死体前頚部右側にあった頚部索条物であるブラスリップの結節は「ひとえ結びを二回結ぶ、こま結び」であった。
【一審判決】
Aの供述及び再現は、客観的事実に反するものであり、その信用性にも疑問の残る。
【控訴審判決】
無我夢中に結んだであろうAが、後日正確に供述・再現できなかったとしても、その自白全体が信用できないとすることはできない。逆に、捜査官はブラスリップの結び方を知悉していたのであるから、これと反する自白調書が作成されたということは、捜査官による誘導がなかったことの一つの証左ともいい得る。
【コメント】
この点がAの自白の信用性に影響を与えないという点は、控訴審判決のいうとおりであろう。

C.犯行場所
【少年らの主張】
被害者の首に巻かれていたブラスリップの中には、灰白色の泥土様のもの(本件残土置場の土砂)が巻き込まれていた。これは、残土置場で仰向けになったVの首にブラスリップを巻いたことを示している。
被害者の左足裏(特に踵部と親指付近)が土様のものの付着によって右足裏よりも著しく汚れている。また、被害者の左靴が右靴よりも残土置場入口に近い同所中央部から発見されている。これらは、Vが生前に残土置場を歩いていたことを示している。
シャツとスカート後面が土砂により著しく汚れている。Aらの供述ではシャツなどに土砂が付く可能性はなく、Vが残土置場に仰向けになった状態で押しつけられたことを示している。
これらによれば、北公園内でVを強姦して東高校裏の道路で殺したというAらの供述に反して、Vに対する暴行ないし猥褻行為及び殺害行為は残土置場ないしはその付近で実行された可能性が高い。
【一審判決】
1 ブラスリップの土砂の巻き込みについて
ブラスリップの土砂は、コンクリート敷石投棄の際に落下した土砂と見るのが合理的であり、これと異なって残土置場の土砂であるとまでは認められない。
2 左右の足底部等の汚れと靴の発見場所の違いについて
Vが家出後、殺害されるまでの間に左足用の靴を履かないまま歩行したことがあった可能性を否定することはできず、Vが左足用靴の発見場所付近から靴が脱げた状態で残土置場内を歩行したとすることはできない。
3 シャツとスカートの土砂による汚れについて
スカート後面の土砂類の付着の可能性は東高校裏路上しかなく、また、スカート後面にはVの靴跡の印象が見られる。これが何時、どのような機会になされたものかについては、これを解明するに足りる証拠は、Aらの供述調書類を含めてもないのであって、このことは少年らの供述の信用性を判断する際に無視できない事柄の一つといわざるをえない。
なお、シャツの泥土の付着については、死体を残土置場の投棄場所まで運ぶ途中に落とした際に、付着した可能性を否定することができず、客観的証拠ないし事実と必ずしも矛盾するものとはいうことができない。
【控訴審判決】
1 一審判決と同じ。
2 Vが18日朝に家出した後の行動の詳細は断片的にしか判明しておらず、Vの左足踵に靴擦れが出来ていることなどを考慮すると、本件事件に遭遇する前、八潮市を徘徊するうち靴擦れの痛みを感じるなどして靴を脱ぎハイソックスのまま歩行した可能性もある。Vが左靴を脱いだ状態で残土置場内を歩いたと認めることはできない。  また、靴については、A及びCは、Vが死亡したと思い東高校裏の路上から残土置場までVを運んだ際、靴をVの腹の上に載せていたところ、その片方が落ちて見つからなくなった旨供述しており、右自白は、左靴の発見時の状況に良く符合していてこれと矛盾するものではない。
3 2と同様に、Vのシャツとスカート後面の汚れが本件事件以前についていた可能性もある。
なお、Vは、姦淫の実行の際にスカートを脱がされており、その際又はその後に自分でスカートを踏んだ可能性も考えられるのみならず、本件事件前のVの行動からして、これが本件事件以前に印象された可能性も否定できない。少年らが靴跡について十分説明できないからといって、その自白の信用性が否定されるものではない。
【コメント】
少年らの主張を見ても、強姦・殺害が残土置場で行われたとまでいうことはできないであろう。が、これらの点について、捜査段階で十分な注意が払われた形跡が認められないのは不思議である。

D.成傷器
【自白内容】
被害者を締めた索条物はブラスリップである。
【客観的事実】
被害者頚部には幅4〜7センチの陥没が認められない帯状のやや著しく蒼白の部分と、幅0・2〜0・5センチの索溝及び皮膚の変色部が存する。
【一審判決】
幅の狭い変色部は本件ブラスリップによる索条によっても形成される可能性を充分に認めることができ、必ずしも、平紐状の索条体によるものということはできないのであるから、頚部成傷器に関する少年らの供述が客観的証拠ないし事実に反するものとはいうことができない。
【控訴審判決】
一審判決と同じ。
【コメント】
一審判決の判断に特に問題はないと思われる。

3.死体遺棄供述との整合性
【自白内容】
Bは、「死体を捨てた後、俺は、この近くにあった長さ三〇センチメートル位、平べったい石を拾って、被害者の顔の約一メートル五〇センチメートル位の所から、顔めがけて投げつけると、石は被害者の顔にあたったような気がする。」「被害者を投げ捨てた後、たまたまその付近にあった四角いコンクリートを被害者の方に放り投げた。両手で四角いコンクリートを平らに持って上から落とす感じではなく、下からコンクリートを平らにしたまま放り投げるような感じでやった。」旨供述している。
Cは、「死体を捨てた後、私がシャツと靴を取り上げて、死体の方に目掛けて投げ落とした。そして、急いで逃げたが、私がこの現場を離れる時、山の斜面をゴロゴロと転がり落ちる音がした。AかBが拾った何かを落とした音だと思った。」旨供述している。
Aも「死体を投げ捨てた後、Cがシャツを拾ってきて、被害者の死体の方に投げ捨てていた。また、Bが土の塊のような物を死体めがけて投げ捨てていた。」旨供述している。
【客観的事実】
コンクリートは、死体発見時に被害者の顔面付近から左肩を経て左上肢付近にかけて載せられたような状態にあった。一辺の長さが約30センチのほぼ正方形で、厚さ約6センチ、重量が約12・5キロのコンクリート敷石で、その一角付近に被害者の血液型と同じA型の血液が付着している。
被害者の顔面部中央付近には、眉間部下半部から鼻稜部上端部やや右側にかけて、上わずかに左方から下わずかに右方に向かう、上下径2・2センチ、幅1・3センチの赤褐色表皮剥奪があり、その下端部に右内眼角の左方1・5センチを中心として創傷があり、その創底部を中心として鼻骨及び鷄冠部が骨折している。しかし、頭蓋内や脳などには特に損傷を引き起こしていない。右損傷は、コンクリート敷石によって形成されたものである。
コンクリート敷石の上に、シャツが丸めてのっていた。
【一審判決】
重さ12・5キロの敷石が1・5メートルの高さから自然落下ないし投棄された場合には、顔面部損傷が前記の如き程度の損傷で済むことは到底考えられない。Bの供述はエネルギー的な側面で被害者の顔面部の損傷と明らかに矛盾する。被害者の顔面部損傷の内容は、コンクリート敷石が直接衝突した場合のみならず、一旦地面に落下してから顔面に衝突した場合においても、余りに軽微に過ぎるといわねばならず、Bの右供述は到底信用することができないものというべきである。また同様にして、CやAの前記供述にもその信用性に強い疑問が生じることになる。
さらに、コンクリート敷石の上にシャツが載せられていた事実に照らして、これと矛盾するCの供述部分についての信用性には強い疑問があるというべきである。
【控訴審判決】
Bは、残土置場に投棄したVに向かってコンクリート敷石を投げた旨供述しているが、これが直接Vに命中したのか否かについては供述していない。むしろ、「山の斜面をゴロゴロと転がり落ちるような音がした。」旨のCの供述に照らし、コンクリート敷石は一旦地上に落下してからVの鼻付近に衝突したものと認められる。そうとすれば、落下エネルギーは地面により相当程度吸収されたと考えることができ、また、投棄されたコンクリート敷石がVの鼻付近に衝突する態様には種々のものがあり、Vの顔面の損傷が鼻骨及び鶏冠部骨折という程度に止まる態様でVの顔面に衝突するということも考え得るから、Bのこの点に関する自白が虚偽であるとは認められない。
また、シャツの投棄とコンクリート敷石の投棄とは接着して行われたものである上、Cは、Vを殺害しその死体を投棄するという異常な事態の中で右のような音を聞いたものであるから、Vのシャツを投げ捨てる前の出来事をその後の出来事と思い違いしている可能性も存し、右自白が虚偽であるとか、Cの自白全体が信用できないとかいうことはできないというべきである。
【コメント】
控訴審のいうのも一応の理屈である。
しかし、コンクリートを投げた結果Vの顔に当たったのだとすると、やはりもっと大きな損傷が生じるであろうことは常識に属するだろう。積極的に矛盾するとまでいわないにせよ、マイナス方向の大きな要因であることに変わりはない。
シャツについては些事であり、控訴審判決の指摘はもっともである。

4.車両内の痕跡
【客観的事実】
北公園や残土置場付近からは、少年らの足跡痕、使用車両のタイヤ痕が何一つ発見されていない。少年らの着衣、履物などにも本件現場の土壌が付着している証明もない。
少年らの使用した車両からは、Vの指掌紋、足跡痕、毛髪などが何一つ発見されていない。
【一審判決】
少年らが、嫌がる被害者を強いて窃取した乗用車に乗せ、しかも、その車中で足をばたばたさせるなどして抵抗する被害者の着衣を脱がせ、入れ替わり、その乳房を弄ぶなどしていたのであれば、被害者は盗難車両内で抵抗し、また、そのシャツ、スカートを脱がされたり、身につけたりしているのであるから、当然、車内に同女の存在を示す何らかの痕跡が遺留されていて然るべきものと思われる(なお、少年らの指掌紋等が残存していることからすれば、少年らが被害者の遺留物を殊更消去したとも考え難い。)。
にもかかわらず、車内に何の痕跡もないことは、少年らが被害者を犯行使用車両に乗せていないことを示唆しているともいえるのであって、少年らの自白が重要な部分で客観的証拠による裏付けを欠いているものといわざるをえない。
【控訴審判決】
当夜、各自動車に乗車したことを認めているC・F・Gについても同人らが自動車に乗車したことを認めるに足りる痕跡は何ら発見されていない。逆に、本件事件後にクラウンに乗車したPの指紋が同車から発見されている。
これらによれば、本件事件後の自動車の使用によりVが自動車に乗車した痕跡が消失した可能性がある。Vが右各自動車に乗車したことを認めるに足りる痕跡が発見されなかったからといって、Vが右各自動車に乗車しなかった根拠となるものではなく、これが少年らの自白の信用性を疑わせるものであるとは認められない。
【コメント】
V乗車の痕跡がないからといって、直ちにV乗車の事実がなかったとはいえない。この点では控訴審判決の指摘はもっともである。しかし、やはりVは本件自動車に乗らなかったのではないかという疑問も拭い切れない。

Ⅵ.自白の変遷

1.姦淫未遂から既遂へ
【一審判決】
A・B・Cは、逮捕当日の7月23日と24日は、揃って、抵抗されたために姦淫できなかった(姦淫は未遂)旨供述していた。
しかし、8月2日にはCが、8月3日にはAとBが、それぞれ北公園内で姦淫(既遂)したと供述を変更した。
その後、Cが8月2日に、Aが8月4日に、Bが8月7日に、それぞれコンドームを使用した旨の供述をした。
さらに、Aは8月7日に「Dは被害者の後ろからオマンコしていた。Bが被害者のオマンコあたりに顔をつけ、被害者の顔あたりにBのチンボをつけるような格好をしていた。」旨を、Cは(8月2日にはBの姦淫状況については「よく見ていない。」旨供述していたのに)、8月8日に「Bは被害者をうつ伏せに寝せて尻の方から乗っかってやっているのを見た。」旨を、Bは8月10日に「肛門のところへ持っていき、右手で被害者の腰を掴んでキンタマを肛門に入れるため思い切り押し込みました。」「左手でキンタマを掴んで被害者の口に押し当てたら被害者が口を開けて僕のキンタマをくわえました。」旨を供述し、Bの肛門性交ないしそれを窺わせるような供述をするようになり、殊に肛門性交、口淫の供述は検察官に対するBの8月10日の取調べで初めて明確に供述されたものである。
なお、Dは7月23日に否認のまま、少年鑑別所に送致されたため、8月5日の員面が最初の供述調書とされているが、そこで北公園内での強姦を認める旨の供述をしている。
他方、検察官は、死体解剖時の肛門開大が本件事件によるものではなく、解剖前に行われた草加署による死体実況見分時に引き起こされたものであることについては全く知らされず、あるいは知らず、また、スカートにAの精液斑が付着していたことについては9月27日以前には、知らされていなかったことが窺える。
このように、A、B、C3名の供述が、姦淫未遂から既遂に変更した時期、コンドームの使用を供述し始めた時期、肛門性交等の供述をし始めた時期は3名ともほぼ同一時期といえ、しかも、それらがいずれも、肛門開大の真の理由を知らされていなかった検察官が鑑定人から精液の存在の可能性を示唆された7月末ころの後であることに照らせば、これらのAらの供述が捜査官が取得した情報に基づく捜査方針の変更(姦淫未遂から姦淫既遂への変更)に基づく誘導よるものではないかとの疑問が生じる。この点に関する、捜査官による誘導に乗って適当に供述した旨の否認後の少年らの供述にこそ信憑性があるのではないかとも思える。
【控訴審判決】
Vの膣内、気道内、胃内、直腸内の4か所に精液が存在するとする情報に基づいて少年らを誘導し、供述させるとすれば、膣、口腔及び肛門に射精がされたことを供述させるのが自然である。ところが、Aら全員がコンドーム着用による姦淫の供述をしているのであって(なお、Dのコンドーム着用の有無は不明であるが、射精はしていないという。また、Bは、その後肛門性交や口淫の事実を供述しているが、これは誤導に基くものであったと考えられる。)、右情報に従って誘導がされたとは到底認め難い。
また、Aらがコンドームを使用したことは、捜査官には知り得なかった事実であり、Cの自白をきっかけとしてその裏付けを取ったものであるから、これを捜査官が誘導したと見ることは困難である。
【コメント】
控訴審判決の指摘は一応もっともである。
しかし、それなら、Aらの自白が、揃いも揃って、当初姦淫未遂だったものが姦淫既遂に変わり、Bの肛門性交や口淫等を示唆ないし認める供述に変遷していったのか(しかも、いずれも客観的事実に反するものへの変遷である。)、説明が付かない。これと、控訴審判決も認めるBの肛門性交等に関する誤導とを結びあわせれば、供述の変遷が全くのAらの自発的意思に基いて行われたことへの疑いにつながらないだろうか。

2.犯行場所
【一審判決】
A・B・Cは、逮捕当日の7月23日から24日までは、強姦、殺人いずれも残土置場付近で実行したと供述していた。
ところが、Aは、8月3日になって、強姦と殺害場所を「北公園」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更し、8月4日には再度、殺害場所を「三中方面の方に行き場所はどこかわからないけど一度どこかで止まり、そこで被害者の首を締めた。」と変更したものの、その場所を特定することができず、8月7日になって初めて「東高校グランド内にあるプレハブ小屋の裏の路上」と特定するに至っている。
Bも、8月3日になって、強姦場所を「北公園内」、殺害場所を「北公園に停車中の車中」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更した後、再度、8月6日になって、殺害場所を「東高校付近」と変更したものの、その場所を特定することができず、8月7日になって初めて「東高校グランドのバックネット裏あたりの小さな建物の裏の道路上」特定するに至っている。
Cも、8月2日になると、強姦場所を「北公園内」、殺害場所を「北公園に停車中の車中」、死体投棄場所を「残土置場」とそれぞれ変更した後、再度、8月7日になって、「被害者を殺した場所は死体を捨てた残土置場の近くの学校のグランド脇の道路上」である旨供述を変更するに至っている。
なお、このような殺害場所に関する供述の変遷に対応して、死体の運搬方法についても、A、B、Cの供述は、概ねA及びBの2名ないしA、B及びCの3名が運んで捨てた、クラウンないし車のトランクの中に入れて運び残土置場に捨てた、東高校北側路上から残土置場までの約200メートル程の距離を3人で運んで捨てたと供述を変更するに至っている。
ところで、草加署は、遅くとも7月末には残土置場付近と少年ら使用車両とを結びつける痕跡がないことや、残土置場付近が強姦、殺人現場ではないことを把握していたこと、また、同様にして遅くとも8月初めころには少年ら使用車両内に失禁による尿反応などのないことの情報を得ていたものと推認できる。これらの捜査官側が客観的な情報を入手した時期とAらの犯行場所に関する供述の変遷時期は、ほぼ一致する。
以上によれば、真実犯人であればおよそ思い違いをするはずのない犯行場所というような極めて印象的かつ重要な事実についてのAらの供述の変遷は、思い違いや記憶違いにもとづくなどということは到底ありえない。しかも、その変更の理由については「恐ろしい事とこんな大きな罪を起こしてしまい、話すのがいやだったからです。」(B)などと供述しているのみで理由らしい理由は述べていない。そのうえ、A、B、Cがいずれもほぼ同時期に同一内容の変更をしている。これらは、捜査官による誘導によってAらの供述が変遷したのではないかという強い疑念を生じさせるのであって、A、B、Cがその経験に基づく記憶により供述したものであるとは到底考えられない。
【控訴審判決】
Aが、当初、Vを残土置場において強姦した上殺害した旨供述したのは、Aらが、残土置場において他の何者かによって強姦された上殺害されたように見せようと相談したことに基づいたものであって、捜査官の誘導等によったものとは認められない。
また、その後の供述の変遷は、残土置場においては強姦や殺人が行われたことを窺わせる争った跡等の痕跡がなかったことから、捜査官から犯行現場は別の場所ではないかと追及されたため、供述を変更せざるを得なくなったAらが、真実の殺害現場を自白することは、殺害の状況を生々しく思い出させるものであって年少の少年にとっては恐ろしいものと感じられたことや、強姦・殺人という大罪を犯してしまい、どうせ少年院に行くならでたらめの供述をしておいた方が良いと考えたことなどの少年ら各自の感情・思惑から虚偽の供述をしていたためである。捜査官の誘導があったとまでは認められない。
Aらは、詳細な自供をして北公園における強姦及び東高校裏の路上における殺人を自白してからは、一貫してその供述を維持していたものであるから、右自白が信用性に欠けるものとは認められない。
【コメント】
共犯事件に口裏合わせというのは付き物である。しかも、少年というものは、概して浅薄な口裏合わせをすることが多いように見受けられる。その意味で、控訴審判決の説示も一般的には理解できなくはない。
しかし、「残土置場で強姦して殺害した」という供述が崩れた後の供述の変遷を見るとき、「なぜその後も真実の強姦・殺害現場を隠したのか」に関する控訴審判決の説示は理由になっているようでいて理由になっていないし、Aらの供述が一斉に変遷している理由の説明は全くない。
その意味で、一審判決の説示に説得力があるように思われる。

3.姦淫時の状況等
【一審判決】
Aの供述は、姦淫場所と姦淫順についてはほぼ一貫している。しかし、被害者が抵抗したため、その手足を押さえていた旨の供述は、当初から他の3人の供述と抵触していたのに維持されていたにもかかわらず、Bが8月10日に肛門性交、口淫供述をした後の8月12日に突然、理由も述べずに、Bの肛門性交に関する供述を新たに加えたうえで、被害者の抵抗はなく、その手足も押さえていなかった旨供述を変更している。これは、Bの肛門性交、口淫供述に対応させるべく捜査官の誘導によって供述が変更されたのではないかとの疑念を払拭することができない。
Bは、姦淫順についてはほぼ一貫しているが、姦淫場所については、自己の最初の姦淫場所を、藤棚手前の芝生の上から山の上り斜面に何ら理由も述べずに変更している。最初に姦淫した場所についての記憶について思い違いや記憶違いをするということは考えられず、当初から一貫した供述をしていたAの供述に合わせるべく誘導がなされた結果、供述を変更したのではないかとの疑問も生じる。
Cも、Aらの最初の姦淫場所をAの供述に一致する形で供述を変更している。また、自己の姦淫順について、当初、Dの次である旨供述したいたのが、順番をはっきり覚えていない旨変更し、さらに、Bの次である旨供述を変更している。記憶違いや思い違いといったことがありえるとしても、目前で行われている輪姦という異常な事態において自分が誰の次に姦淫したのかを忘れたり、記憶違いをするということは考えられず、その供述の変遷には不自然さを感じる。
Dの自己の姦淫場所を「藤棚の下のベンチ」とする供述は、Aらの供述とは全く異なる。しかも、クラウンの中から藤棚の様子が見えた旨の供述をしているE・Fも、Dが藤棚の下のベンチ付近で姦淫していたとの供述は全くしていない。1人Dだけが右のような供述をしていることは極めて不可解である。

4.車のライト
【一審判決】
1 Aの供述
「後ろから車にライトが当たったので、びっくりして一瞬逃げ出した。」旨、一貫してAらの背後からDらの車のライトがあたった旨供述している。
2 Bの供述
8月7日には「ライトをつけた車が走ってきたので、三人はびっくりした。」旨供述し、その方向については明確に述べていなかったのが、8月8日には「俺達が歩いている道路を対向でライトをつけた車が走ってきたので、これはヤバイと思って、Cは、被害者から離れて逃げた。」と正面から車のライトが当たった旨供述したのに、8月10日には「後ろから車にライトがあたった。」旨供述を変更している。
3 Cの供述
「反対方向から二台の車がライトを付けて走ってきたので、俺はA達を残して一人で十字路まで逃げ振り返った。」旨、一貫してCらの前方からDらの車のライトがあたった旨供述している。
4 D、E、Fの供述
Dは、「車の前方でA達三人で被害者を抱えるようにして歩いていた。」旨供述し、Eは、「Aらは僕たちと同じ進行方向に向けて歩いていた。」旨供述し、Fは「進行方向前方にB達が被害者の回りを囲むようにしているのに出会った。」旨供述している。

5 夜明け前に周囲に明かりもなく、被害者を引き連れて、人に見つからないように被害者の殺害場所を探しているといった緊迫した状況の中で、車のライトに急に照らされたという事は極めて印象的な出来事のはずである。しかも、田圃の中の直線道路を歩行中の出来事である。ライトが前からあたったのか、後ろからあたったのかについて、記憶違いや思い違いをするとは考えにくいのであり、そのことは、A、B、Cの3人ともが驚き、Cはかなりの距離を走って逃げたとされていることからも明らかである。しかし、前記のとおりBは、その供述を変遷し、A及びBの供述とCの供述は全く正反対の内容となっているのであり、そのこと自体が自ら経験しない事柄を述べているのではないかとの疑問を生じさせる。また、D、E、Fの各供述にCが走って逃げたという極めて印象的な出来事について述べられていないこともまた不可解である。
【コメント】
些事であり、少年らの自白の信用性に影響を与えるものとはいえないであろう。

5.殺害状況
【一審判決】
1 Aの供述
8月9日までは、「俺が被害者に足をかけ両膝を路上につくように四つんばいにさせ、Bが被害者に正対し、路上に両膝をついたまま膝立ちをしたような姿勢の被害者のシャツを脱がせ、俺が同様に姿勢の被害者に正対し、おおいかぶさるようにして両手を背中に回してブラスリップを脱がせ、同様の姿勢の被害者の後ろからブラスリップを首に巻いた。」旨供述していたが、8月12日になって、「私が被害者の右足に自分の左足を引っかけて、前に押し倒そうとし、Bと二人で被害者の背中を押して前に倒したら、被害者は両膝をついて倒れた。Bは両膝をついている被害者の前にまわり両手でシャツとブラスリップを一緒につかんで引っ張りあげようとした。Cは被害者の服を脱がす際に、両腕の肘の下あたりを後ろから両手で押さえ、シャツとブラスリップを脱がしやすいようにしていたが、私は側でそれを見ていた。Bがブラスリップを私に渡したので、私が被害者の後ろからブラスリップを首に巻いた。」旨供述を変更している。
2 Bの供述
8月9日までは、「Cは無言のまま止まると、被害者が着ているシャツとブラジャー付の下着を脱がせた。」「Cはブラジャー付の下着をAに渡し、Aは立っている被害者の前に行って、いきなり被害者の下着を巻きつけた。」旨供述していたが、8月10日になって、「僕は、被害者の前に立って上着と下着を一緒に掴んで一気に上へ引き上げて脱がせてしまった。被害者は、その時はまだ倒れていなかった。Aは下着を受け取るとそれを後ろから被害者の頭の上からその首にかけた。」「服を脱がせたのがCであると供述していたのは、Cが軽い役ばかりしているので不公平だと思い嘘を言っていた。」旨供述している。
3 Cの供述
8月9日までは、「Aが突然、被害者の服を上に引上げ脱がせようとした。そこで俺とBは被害者の腕を上げて服を脱がせやすいようにして脱がせ、さらに下着も同じ様にして脱がした。Aは脱がした下着を被害者の背中から首をひっかけた。」旨供述していたが、8月12日になって、突然「服を脱がせたのは、Bで、シャツとブラスリップを一辺に脱がせようとし、私がそれを手伝ったが、Aが、ポケーっとしていた」「Aが最初にブラスリップで首を締めたので、Aが脱がせたと話したが、思い違いであった。」旨述べている。
4 このように、Aらの供述は、殺害行為に着手した時の状況について多くの変遷が見られ、しかも、その最終的な供述によっても、3人の供述には被害者の姿勢等多くの食い違いが存在する。被害者の首を締めるという極めて異常事態を体験しているのであるから、その時に被害者に足をかけて倒したことや被害者の姿勢、誰が服を脱がしたのかは極めて強く印象に残っているはずであり、そのような事項に変遷や供述の間矛盾が生じることは極めて不可解である。
【控訴審判決】
本件事件は、多少の明かりはあるとはいえ、深夜暗闇の中で敢行された事件であり、少年らはいずれも13歳ないし15歳の年少者であるのみならず、これが強姦及び殺人という重大事件であることを考慮すると、少年らは、当時、緊張と興奮の極みにあったと推認される。そうすると、少年らが犯行の一部始終を冷静に記憶していたとは考え難く、少年らの見誤り、記憶違いなどから、供述に矛盾が生じたり変遷したりすることは十分にあり得るところであって、一部に曖昧な供述部分があったり、供述が変遷していたからといって、直ちにその供述が捜査官の誘導による信用性のないものであるとすることはできない。
かえって、A、B及びCは、取調べを受けた当初はV殺害の実行の共犯者として当夜行動を共にしていたE・F・Gを挙げるなどの供述をしていたが、A、B及びCが共犯者に含まれることは一貫して認め、また、八潮市内を自動車2台に分乗して走行するうち、Vを見つけて自動車に乗せ、他の場所に連行して強姦した上、ブラスリップを用いて絞殺したという大筋の事実は取調べの当初から終始一貫して認めていたことを考慮すると、その自白は信用性が高いと認められる。
【コメント】
一審判決が「供述の変遷」として取り上げているものは、いずれも些事であり、この点では、供述の信用性に影響を与えないという控訴審判決の指摘は正当であろう。

Ⅶ.秘密の暴露
【一審判決】
1 Cは、強姦時に使用したとされるコンドームを、本件事件発生前の7月14日ころ、同人が車上荒らしをした際に窃取したものである旨を、8月8日ころ供述し、その後の捜査の結果、それが客観的事実であると確認されている。これは、一見、秘密の暴露に該たるとも言えなくもない。しかし、窃取されたコンドームと本件事件で使用されたとされるコンドームの同一性の証明はないし、被害者が真実姦淫されたのか否かについても疑問があるうえ、強姦時にコンドームを使用したとする少年らの自白の真実性についても極めて強い疑問がある。
これらによれば、Cの供述をいわゆる秘密の暴露ということはできない。
2 コンドームの窃取以外に少年らの供述には、秘密の暴露に相当するものは存在しない。
【控訴審判決】
1 コンドームに関する少年らの自白はいわゆる秘密の暴露に当たるものである。
2 Fは、8月12日に自白をした後、19日、捜査官に対し、事件を報道した番組を録画したビデオテープを所持している旨告げ、これにより、右ビデオテープが領置されている。Fは、自分の自白を信用してもらうために右ビデオテープの存在を供述したものであり、右供述はいわゆる秘密の暴露に匹敵する供述といえる。
【コメント】
1については、控訴審判決のいうとおりであろう。一審判決が秘密の暴露ではないとしたのは、結局のところ、一審判決がAらの姦淫供述を信用できないとしたことの裏返しに過ぎない。
2についての控訴審判決の言い分は、よく分からない。「匹敵する」という以上、通常の秘密の暴露とは異なるものと見ているようではあるが。

Ⅷ.供述内容の自然さ
【一審判決】
強姦に際してコンドームを使用することや、コンドームの数が不足した結果Eが強姦を断念すること自体、不自然である。
それを措いたとしても、少年らは、コンドームを使用するようになつた理由として、「被害者が汚いという気持ちと、万一子供ができると困る。」などと供述していいるが、前記のとおり、Bは、Vの陰部を舐めたり、コンドームを使用せずに膣に陰茎を挿入しようとしたばかりか、肛門内にもコンドームなしで陰茎を挿入したというのであり、また、Cも、「若し、その時、俺とDがコンドームを持っていなかったら、おまんこをやらないということはなかったと思う。また、俺やAがジャンケンで負けておまんこがやれないとなったらコンドームなしでも加わっていたと思う。」旨供述しているのであって、コンドーム使用の理由及び行動について、首尾一貫しない供述というべきである。このことは、ひいては強姦に際してコンドームを使用したとする供述自体の不自然さを増幅させるものといえる。右各供述は、Vの体内に弱いながらも精液が存在する可能性があるとの情報を得た捜査官による誘導による供述ではないとかの疑念を払拭することができない。
また、Eは、本件事件以前の7月中旬ころ、Cからコンドームを1つもらい、本件事件当時も財布の中に入れて車のダッシュボードに入れていた。そのEが、コンドームがないために姦淫を断念したというのは不自然である。また、Eは、「僕は、どんな女の子でもいいからセックスがしたかったので、絶対に勝とうと思った。」などと供述したうえ、じやんけんに負けた悔しさについても供述しているが、コンドームを持っていることを失念したまま、思い出さないということ自体の不自然さも払拭することができない。
【控訴審判決】
Aの、Bに最初に強姦させた理由に関する、「私はVとおまんこできるわくわくした気持ちと失敗したらどうしようという気持ちもあり初めにBに一発やらせてから自分がやる方がいいと思った。」旨の供述、V殺害後、東高校裏の路上から残土置場までVを運んだことに関する、「運ぶのは大変だと思ったが、Vを(車)に乗せたり降ろしたりするよりそのまま三人で運んだ方が早いと思った。」旨の供述、Bの、「下着の上からVのオッパイを両手で触ったところ、オッパイはコンニャクのようなプルンプルンと言うような感触でこの時俺は少し興奮した。」旨の供述、Cの、「V殺害現場付近において自動車のライトに驚いて逃げ出した」「V殺害時にその大腿部を押さえていると、全身痙攣が起こり、そのまま押さえつけていると痙攣がおさまり、今度はピクッピクッと二、三回動いた」旨の各供述並びにEの、「強姦をする者を決めるのにじやんけんをすると言われた際、俺がじやんけんに弱いのを知っていて他の者がじやんけんをしようと言ってきたと思った」旨の供述などは、いずれも犯行中に実感したとしか思えない事実についての供述と見ることができる。
【コメント】
コンドームの使用に関する一審判決の指摘は、もっともである(なお、控訴審判決は、この点を捉えて、コンドームを使用せずに肛門性交や口淫させたというBの供述には、その限りで信用性がないとしている。)。
控訴審判決の指摘は、公平に見て、決め手としては弱いのではないか。実感がこもった供述とも見れるし、頭で考えても思いつく程度の供述とも見ることができるように思う。

Ⅸ.自白の動機・任意性
【控訴審判決】
1 Aらは、否認したところ、捜査官から怒鳴られ、更に、他の仲間はみんなは正直に言っている、お前達はやったんだなどと言われた、などと供述しているが、E・Fを除き捜査官による暴行を受けたとの供述はなく、供述の任意性を失わせるほど厳しい追及がなされたとは到底認められない。
Eは、7月23日の任意取調べの際、捜査官に怒鳴られ、髪の毛を掴まれておでこを
机に2、3回叩きつけられ、平手で頬を殴られるなどの暴行を加えられて自白させられた、同月24日、25日にも取調べを受けたがこの時は素直に自白をしたので殴られなかった、その後も否認すると殴られると思い否認できなかった、と供述する。しかし、Eは、7月23日から25日までの間には、Aらの犯行を匂わせる供述はしたものの、自身は強姦にも殺人にも関係していない旨の否認の供述をしており、7月24日、25日には素直に自白をしたので暴行を加えられなかった旨供述は信用できない。Fは、捜査官から後頭部を手拳で叩かれたり、正座をさせられるなどするため取調べが嫌で、自分がやったと供述したと述べている。しかし、Fの逮捕事実は強制猥褻にすぎず、Aらの強姦、殺人については参考人的立場にあったということができるから、このような者に暴行が加えられる蓋然性は乏しい。これらに加えて、E・Fともに、暴行を裏付ける客観的証拠は存在しないし、取調べに当たった捜査官も暴行の事実を否定していることからすると、取調べに当たって暴行が加えられたものと認めることはできず、E・Fの自白についても、その任意性を失わせる事情があるとは認められない。
以上のとおり、少年らの自白には任意性が認められる。
2 A・B・Cは、7月23日に草加署において任意の取調べを受けたその日のうちにV殺害という重大な犯罪事実を任意に自白している。
Eも、既に7月23日の取調べの時からAらの犯行を匂わせる供述をしている。
Cは、8月13日に観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、たまたまA・Bと同室となり、互いに3人だけで本件事件について話し合う機会を持ち、その際、Aから今後否認する旨伝えられたが、その後、少年鑑別所に入所して警察等での取調べを受ける可能性がなくなった後の8月26日、A・Bの少年審判においてVの殺害等を認める証言をしている。ことにBの少年審判においては、Bの父親のみならずCの父親及び姉が同席している場で右のような証言をしている。
E・Fも、Bの少年審判の際、BがVを強姦し殺害した旨の証言をしている。
Dは、教護院送致の決定を受けて武蔵野学院に入院したが、入院直後の調査の段階でVを強姦した事実を認め、殺害については他の者がやった旨供述した外、その後の8月28日、草刈り中の雑談という虚偽の事実をいう必要性の全くない状況の中で、同学院の寮長に対し、自分は強姦はしたが殺人はしていない、殺人は他の者がした旨述べた。
このように、少年らが、V殺害という重大な犯罪事実について、6人も揃って任意に虚偽の自白をするとは考え難いから、特段の事情がない限り、Aらの自白は真実を述べたものと認めるのが相当である。
3 Aらが自白をした理由としてあげているのは、「自分がやっていないと否認したところ、捜査官から怒鳴られ、更に他の仲間はみんな正直に言っている、お前たちはやったんだなどと言われた」などということであって、Vの強姦及び殺害という重大な犯罪事実につき虚偽の自白をする理由としては薄弱である。
のみならず、Aは、前記のとおり、8月13日に観護措置決定のため浦和家庭裁判所に連行された際、B・Cに今後否認する旨伝えている。右事実からすると、その際、3人の間で本件事件を否認することについて何らかの話合いがされたものと推認することができる。
また、Dは、8月27日か28日頃、武蔵野学院において、寮長に対し「先生いま人を殺したら弁償はいくらぐらい支払うんだろう。」と尋ねたところ、寮長から「交通事故で3000万円位だよ。相手がいくら要求するかわからんぞ。」と言われ、「父ちゃん大変だな。」と真剣な顔で話し、9月3日ころに父及び姉と面会した直後から否認に転じている。Cだけでなく、Aらも、親との面接等を通じて、単に自分らが少年院に送致されるだけでなく、親がVの遺族から多額の損害賠償請求を受け、又は社会的に非難される可能性があることに思い至ったものと推認することができる。
これらの諸点を考慮すると、自白が虚偽であるとのAらの供述は直ちに信用することはできない。
【コメント】
1の、暴力を振るった事実が認められないから任意性は否定できないという説示は、文字どおりに読めば到底妥当な判断とはいえないであろう。しかしながら、捜査官の威圧等に弱いという少年の特質を考えたとしても、任意同行の当日に(Aは取調べ開始から30分後に)、A・B・Cが自白をはじめ、EもAらの犯行であることをうかがわせるような供述をはじめているという本件においては、自白の任意性は否定できないであろう(なお、一審判決は、民事事件であるから任意性については判断しない、と明言している。)。
そして、そのように早期に任意の自白をはじめている以上、それが信用できるであろうという判断は、自然なものというべきであって、2の説示も納得できないではない(もっとも、6人が揃って自白しているからといって、それだけで信用性が高いといえるかどうかは疑問である。)。
3については、疑問である。薄弱な根拠に基づいて重大犯罪を自白する例を、われわれは多数の冤罪事件で経験してきたからである。また、Aら3人の口裏合わせ(このような疑いを生じせしめたのは、観護措置決定の際の不手際と指摘されても仕方あるまい。)、否認の理由については、推測の域を出るものではない。

Ⅹ.否認後の言動
【控訴審判決】
1 Aは、浦和家庭裁判所における9月6日の少年審判期日において、付添人の「ブラスリップというのは分かりますか。」という質問に対し、「初めなんか紐を探したけどなくて、Bがシャツとブラスリップを自分に渡したからです。」、「車のトランクの中に紐を見たことがあって、それでトランクの中に紐があると思っていた。」と、思わず自己が実際に体験したとしか思えない供述をした。
2 C及びBは、本件事件のあった7月19日は、午前3時頃から大曽根の空地に自動車2台を止めて休んでいたとアリバイを主張する。ところが、C及びBは、東京高等裁判所における抗告審の審理において、大曽根の空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨供述しており、これは、当日の日の出が午前4時39分であり、通常空が明るくなり始めるのは日の出の30分ないし50分位前であるから、右供述に従えば、少年らが空地に到着した時刻は午前4時頃ということになる。右供述は少年らの自白に沿うものであり、思わずC及びBが自己の実際に体験した事実を述べたものと認めることができる。
【コメント】
いずれも控訴審判決の指摘するとおり、「語るに落ちた」と評価できる供述である。

ⅩⅠ.アリバイ
【少年らのアリバイ主張】
少年ら及びGは、7月18日夜、八潮市内をブルーバードで乗り回しているうち、Aの姉と遭遇し、同女に追跡されたが、19日午前1時頃、同女の追跡を振り切って八潮市大瀬に至り、同所でクラウンを窃取した。
少年らは、午前1時40分頃、自動車2台に分乗して足立区花畑に赴き、同所で車上狙いやポリタンクの窃取をした。
A・Dは、午前2時頃、Gを足立区の同人方に送って行き、その後花畑に戻って他の少年らと合流した。少年らは、同所でガソリン窃盗、電話機荒し等をした。
少年らは、午前2時40分頃、自動車2台に分乗して、G方へ行き、同人の母と話をした。
少年らは、G方を出て大曽根の空地に向かい、午前3時ころ同所に到着し、同所で朝まで過ごした。
【控訴審判決の判断】
以下に述べるとおり、少年らのアリバイ供述は信用できない。
1 本件事件当時、新聞配達をしていたQは、19日午前3時30分頃、オートバイで大曽根の空地を通過したが、その際自動車2台が右空地に駐車しているのを見ていない。Qは、午前3時頃、窃盗事件があってパトカーで捜索していることを警察官から聞いて、付近を注意しながら走行していたものであり、少年らが自動車2台を駐車していたという場所はQにとって極めて目に付きやすい場所であって、右空地に自動車2台が駐車していれば、当然気付いたはずである。そうすると、午前3時頃には空地に到着し、同所に自動車2台を駐車していた旨のアリバイ供述は信用できない。
2 少年らが2回目にG方を出た時刻について、Gの母は、午前2時10分ころであったと供述している。少年らの、午前2時40分ころG方に行ったという供述は信用できない。
また、B・Cは、空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨供述している。7月19日の日の出は午前4時39分であり、通常空が明るくなり始めるのは日の出の30分ないし50分位前であるから、B・Cの供述に従う限り、少年らが午前2時30分前に右空地に到着したということはあり得ない。
他方、Aは、G方から大曽根の空地に行く前に公衆電話から金を盗むなどしていたために、空地には午前3時頃到着した旨供述している。しかし、G方から大曽根の空地へ行くまでの経路という単純な事実について何故Aのみ他の少年らと異なる供述をするのか疑問が残るところであり、この点を暫く措くとしても、Aの供述は、右空地に到着した頃はもうすぐ夜が明ける感じであった旨のB・Cの前記供述と矛盾していてたやすく信用できない。
3 Pは、7月22日、Cから、「あの日お前の家から帰った後、八潮中央病院の近くで俺は、Vを見たよ」という話を聞いている。「あの日お前の家から帰った後」とは、CがP方を出たのが同月19日午前0時25分頃であるから、本件事件までの少なくとも2時間位の間であると特定できる。Cはこれを否定するが、Pが虚偽の事実を言う必要はないから、Cの否認供述は虚偽であるといわざるを得ない。
【コメント】
控訴審判決の論述には説得力があるように思われる。
なお、一審判決ではこの点についての言及はない。

ⅩⅡ.一応のまとめ
客観的事実との関連性を一旦離れて自白の信用性を検討したとき、私は、控訴審判決の説示には説得力があるように思う。なるほど供述に変遷は認められるが、任意同行の当日に自白をはじめている点や、否認後にも自分の罪を認めるような言動が見られること、秘密の暴露など、捜査官が強引に少年らに自白させて供述をねじ曲げていったとのみ見ることはできない。
しかし、控訴審判決も認めるように、少なくともBの肛門性交・口淫供述には捜査官(検察官)の誤導の跡がありありと認められ、その部分については信用性を認めることができないのである。ここをとっかかりにして、客観的事実との整合性を見ていったとき、控訴審判決の論理は砂上の楼閣に等しいような感じがする。
なるほど、客観的事実との不整合を一つ一つ取り出して検討した場合、必ずしも自白と矛盾しないという説明は可能であるし、その一つ一つの論証については控訴審判決の論理は説得力がないではない。しかし、膣にも肛門にも性交の跡が見られないこと、口腔内等のどこにも精子・精液が検出されていないこと、コンドームが発見されていないこと、車内からVの痕跡が全く見当たらないことなど、客観的証拠の全体が少年らの無罪方向に傾いている。
しかも、スカートの精液、乳房の唾液、シャツの毛髪は、いずれも、A(分泌型)の第三者の介在を示しているのである。
結論的にいうと、私は、一審判決の論理は基本的に妥当であり、少年らが本件強姦・殺人を行ったというには合理的な疑いが拭いきれず、冤罪であると考えるものである。なお、2点補足しておく。
第一に、少年法には、保護処分(少年院送致)の執行が終わった後の再審ないしこれに準ずるような手続は一切ないということである。一審判決が「被告らが、いわば少年保護事件において認められなかった再審請求をするような形で」原告の主張を争っていると書いている所以である。この点は、早急に少年法改正の必要があるように思われる。
第二に、本件控訴審においては、少年らの親の注意義務(少年らの日常の行動に十分な注意を払い、夜遊び、家出等を行う都度生活指導をしてその行動がエスカレートしないように規制することにより、本件事件を未然に防止すべき義務)を根拠にして、総額4500万円以上の損害賠償義務を認めたことである。これは、あるいは親に酷な判断かもしれない。ことに、現に非行少年を抱えている親はそう思うことだろう。しかし、やはり親には子育てに関して相応の社会的責任があるのであり、この点では控訴審判決の判断は当然のことである。

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平成12年2月12日発表
続・草加事件

http://gomafu.hp.infoseek.co.jp/nin/nin01-2.htm

一 はじめに

草加事件とは、昭和60年7月19日、Aら4人(いずれも当時13ないし15歳)が、被害者(当時15歳)を強姦または強制猥褻の目的で車に連れ込み、車中で胸を触るなどした上、北公園で輪姦し、事件の発覚を恐れて東高校裏の道路で殺害して、近くの残土置場に死体を投棄した、とされる事件である。

この事件に関しては、前に、草加事件で、相当詳細に検討して、「結論的にいうと、私は、一審判決の論理は基本的に妥当であり、少年らが本件強姦・殺人 を行ったというには合理的な疑いが拭いきれず、冤罪であると考えるものである。」との結論に至った。

この度、最高裁は、「少年らの自白・・・(について)漫然とその信用性を肯定した原審の判断過程には経験則に反する違法があるといわざるを得」ないと判示して、少年らが少女を強姦した上殺したと認定し、遺族の損害賠償を認めた高裁判決を破棄して、原審に差し戻す判決を下した。
最高裁判決平成12年2月7日がそれである。

最高裁判決も踏まえて、若干の感想などを書いてみたい。

二 事案の概要

Aら4人は、いずれも、シンナー吸引や深夜徘徊、窃盗などの常習犯であった。そうしたところ、「Cが被害者を見た」と友人に話しているとの情報を得た警察が、Aら及び当日行動をともにしていた2人(ただし、強姦・殺人には直接関わっていない)から任意同行の上事情を聞いたところ、3人がその日のうちに犯行を自白した。残りの3人は当初否認していたが、後に自白に転じた。
その後、最終的には6人全員が否認するに至ったが、家庭裁判所は4人全員について犯行を認めて、13歳の少年を教護院送致、その余の3人を少年院送致とした。少年らは抗告(成人事件の控訴に当たるもの)したが、抗告は棄却されている。

被害者の親は、Aら4人の親に対して、監督義務違反を理由とする損害賠償請求訴訟を提起した。親には、非行を繰り返している子供らを十分に監督して、犯罪を犯さないように注意すべき法律上の義務があるので、にもかかわらず子供が犯罪を犯した場合には、その損害を賠償する義務があるのである。
少年らは、冤罪であると強く主張して争った。少年事件には成人事件での再審に相当する制度がないため、民事事件であるにも関わらず、実質は先の少年審判の当否が再度審理が行われることになった。

一審は、Aらの自白には虚偽・変遷のあとが見られること、自白と客観的な事実と矛盾があることなどを理由に、4人が本件犯行を犯したと認めることはできないとして、損害賠償請求を棄却した。
二審は、逆に、Aらの自白は信用性が高いこと(特に、任意同行後30分程度で犯行を認めたり、少年院送致後も犯行を認めるかのような言動をしている少年がいることを重視)、客観的事実との矛盾もそれなりの説明が付くことなどを理由に、4人が本件犯行を犯したことを人天使、損害賠償請求を認容した(約4500万円)。

これに対し、最高裁判決平成12年2月7日は、二審判決を破棄して、事件を東京高裁に差し戻した。
自白の信用性については、「少年らの最終的自白は、極めて詳細かつ具体的であるばかりでなく、その自白内容は各少年とも大筋において一致し、互いに補強し、補完し合うものである。」と評価する。しかし、反面、「少年らの自白は客観的証拠の裏付けに乏しく、自白内容には変遷が見られ、一部とはいえ虚偽供述が含まれていることは原審の認定判断するところでもあって、その信用性には疑いを入れる余地があ」る。
したがって、「自白を裏付ける客観的証拠があるかどうか、自白と客観的証拠との間に整合性があるかどうかを精査し、さらには、自白がどのような経過でされたか、その過程に捜査官による誤導の介在やその他虚偽供述が混入する事情がないかどうか、自白の内容自体に不自然、不合理とすべき点はないかどうかなどを吟味し、これらを総合考慮」する必要がある。よって、再度、上記の点を審理するために、東京高裁に事件を差し戻す、というわけである。

三 事実認定について

最高裁の判示自体は、前に私が草加事件で検討した内容からして、概ね正当というべきである。

事実認定に関しては、2点だけ補足する。

まず、「Cが犯行に使用したコンドームは、本件犯行前にCが車上狙いで盗んだものであるとの自白があり、調べてみると、確かにCの自白に合致するような窃盗事件があったことが判明した」という点について。
私は、これを秘密の暴露と評価する二審判決を正当と考えていた。しかし、最高裁は、そもそもCが犯行にコンドームを使用したということ自体が証明されていない以上は、秘密の暴露とはなり得ない、と判断している。
これは、最高裁のいうとおりであろう。Cがコンドームを盗んだことは間違いないことであろうが、そうすると、(A)真実そのコンドームを用いて本件犯行に及んだという可能性も、(B)たまたま事件前にコンドームを盗んだことがあったCが、性犯罪の嫌疑を受けて、それを使って性犯罪を犯したと虚偽の自白をしてしまう可能性も、両方あり得るところである。私は、(B)の可能性を見落としていたようであり、ここは自説を撤回したいと思う。

次いで、被害者の乳房から発見されたAB型の唾液について。
被害者はA型で、少年らはB型などであり、関係者にAB型の人間はいない。
二審判決は、A型の被害者の体垢とB型の少年らの唾液(B型の少年B・Cは、被害者の乳房を舐めた旨自白している)とが混じり合ってAB型を呈したのではないかとしていた。
これに対して、最高裁は、理論的にはそのような可能性はありうるが、その可能性は極めて低く、唾液はAB型の人間のものと見るべきである、という常識的な判断を示している。その上で、被害者のスカートに付着した精液、シャツに付着した毛髪がいずれもAB型であることから、AB型の男(=少年ら以外の第三者)が犯行に関与していたとの疑念もある、というところまで踏み込んでいる。
私は、一審・二審判決だけを読んで、A型の体垢とB型の唾液が混じってAB型を呈することもあると思っていたため、「控訴審の判断も、判決で指摘されている証拠を見る限りは、あながち不合理とはいえないであろう。しかし、本件にAB型の血液型の人間が関与している疑いがあるのは事実であり、少なくとも、唾液がB・Cの供述を裏付けるものとはいえないとした一審判決の判断は穏当というべきである。」というレベルに止めておいた。やはり、この点も、二審判決は判断を誤っていると見るべきであろう。

四 裁判官井嶋一友の意見について

私は、井嶋裁判官の少数意見を読んで、結構考えさせられた。

井嶋裁判官は、少年審判事件を通じて提出された証拠関係を元に、一から事実認定をやり直すという一審・二審・最高裁の手法自体が問題であるとする。つまり、民事事件において犯人性を再度審理するにしても、それは、刑事事件の再審事件に準じるような審理に限られ(つまり、少年審判では現われてこなかった新規性・明白性のある証拠があるかどうか)、そうした新規性・明白性のある証拠がない限りは、民事事件においても、少年審判事件での事実認定を前提として判断すべきである、とする。
少年事件については少年事件の手続内において争われるべきで(現に、本件でも抗告審で審理されている)、そこで一定の決着を見た以上は、別手続において軽々にその結果の当否を争わせるべきではない、というわけである。

また、これも井嶋裁判官が論究しているところであるが、刑事事件(少年事件を含む)と民事事件の証明度の違いからして、「刑事事件では有罪なのに、民事事件では無罪」というのは、やはりおかしなことである。
もともと、民事事件では「高度の蓋然性」(=80%の心証)で足り、刑事事件では「合理的な疑いを入れない程度の蓋然性」(=90%の心証)が要求されている。
したがって、刑事事件で無罪となった被告人に対する損害賠償請求事件で、被告人が犯行を行ったと認定することは、別に矛盾ではない。85%の心証しか得られなかったから刑事事件では無罪となったが、85%の心証が得られれば民事事件では真実と認めていいからである。「無罪」とは、別に「真実その被告人が犯罪を犯していない」という意味ではなく、単に「その被告人について合理的な疑いを入れない程度の証明がされなかった」というに過ぎない。
これに対して、刑事事件で90%の心証が得られたのであれば、民事事件でも当然真実と認めていい「高度の蓋然性」が認められなければならない。もちろん、刑事事件と民事事件とでは裁判官が異なるから、異なる判断がされること自体は問題がない。しかし、同一の証拠関係を前提とすると、民事事件で真実と認められないというのは、要は80%未満の心証しかとれなかったというわけであるから、80%未満の心証しかとれない証拠関係で刑事事件では有罪認定をしてしまったことになる。つまり、刑事事件での判決が誤りだったといわざるを得ないのである。そうすると、刑事事件での裁判の誤りを、これとは別手続の民事事件で扱っていいものか、という疑問も生じる。

再審に準じた新規性・明白性のある証拠がない限りは、民事事件においては刑事事件での有罪認定を前提として判断すべきであるという井嶋裁判官の意見は、非常に説得力があるように思われる。
この点、多数意見(刑事事件と同一の証拠関係で再度審理をやり直すことを前提としている)の側から反論がなかったのは、どうしてだろうか?

五 結論

私も、少年事件での事実認定としては、草加事件で論じたとおり、少年たちは無罪(非行なし不処分)であると考えている。
しかし、今回、井嶋裁判官の意見に接して考え直してみると、民事事件としての事実認定においても同様に考えていいかどうかという問題がある。一つには少年事件での事実認定を(新証拠がない限りは)前提とすべきではないかという問題と、もう一つは、一般論としては低い証明度で事実認定をすることが許されている民事事件では少年事件での(あるべき)事実認定とは異なる認定がされていいのではないかという問題である。

さて、今回の最高裁判決の「破棄・差戻」については、ある程度批判的な論調が強かったように思われる。少年たちの犯行を認める主要な証拠に疑問がある以上は、最高裁において請求棄却をして、冤罪に苦しむ少年たちを裁判から解放すべきである、というのである。
これは、全くナンセンスであろう。
本件で争われているのは、直接には少年たちが有罪か無罪かではない。被害者の親に損害賠償請求権があるか否かである。最高裁において破棄自判(=請求棄却)すべきだというのは、一方では少年たちの「人権」を保護する見解ではあるが、他方では被害者の親の「人権」(財産権)を不当に害することになる。

いわゆる冤罪事件の少なからぬものについて常々思うのであるが、少年たちは確かに本件犯行は犯していないかもしれないが、もともとシンナー吸入や窃盗の常習犯だったのであり、本件犯行では無罪でも少年院送致が相当だっただろうと思われるのである。「無垢な少年たちが、警察の不当捜査によって苦しめられた」というイメージとは、全く異なる。確かに少年審判で有罪認定されたというのは、私も冤罪であるとは思うが、それもこれも、元はといえば自分たちの平素の行いが悪かったためにあらぬ疑いをかけられたという意味で、ある種自業自得であろう。
最高裁も指摘するとおり、「少年らの自白は極めて詳細かつ具体的である上、大筋において一致している。そして、本件事件のころC男らがコンドームを所持していたとの点については客観的証拠によって裏付けられていること(これが秘密の暴露に当たらないことは前記四2(一)のとおりである。)、前記三4のとおり、自白中に、いかにも犯行中に実感したと思わせるような供述(もっとも、必ずしも実際に体験した者でなければ供述できないほどの特異な行動や気持ちを示したものとまではいえない。)が見られ、否認に転じた後の供述にも、思わず真実を述べたと思わせるような供述等が存在すること、少年らの主張するアリバイの成立について疑問があることなどは、原審の指摘するとおりであり、そのほかにも、少年らの自白の信用性の肯定につながる事情も存在する。」のである。

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立教大学大学院法務研究科
荒木伸怡教授
荒木のホームページ
草加事件について

AB型三物証の意義 弁護士神山啓史

http://www.rikkyo.ac.jp/univ/araki/naraki/shirase/houdai/kbkamiyama.htm

少年たちは、被害者に暴行し、殺害した犯人ではありません。
そのことは、遺体等に残された客観的証拠が何よりも明らかにしています。

一、本件には、少年たちの自白調書が存在しますが、過去の最高裁判例は、事実認定をする際、まず自白を除く客観的証拠で犯行と被告人とを結びつけることができる かどうかを検討せよ、と説いています。
本件では、遺体にも遺体発見現場にも、多くの客観的証拠が残されていました。
本件は、客観的証拠の豊富な事件だったのです。にもかかわらず、少年たちとの結 びつきを示すものは何一つありませんでした。自白の信用性については別に述べますが、まずこのことを前提として、自白の信用性を慎重に評価することが不可欠になります。
無実を主張し、自白の信用性が争われている事件は多くありますが、それらは、客観的証拠では犯行と被告人とを結びつけるものがない、あるいは被告人が犯人であることと矛盾しない、そして自白が存在するという証拠構造になっています。
ところが本件は、そのような事件とは全く異なる証拠構造を持っているのです。
本件では、遺体に残された客観的証拠が、そもそも少年たちのものとは矛盾しているのです。
被害者は非分泌型A型です。
被害者のスカートにはAB型の精液が付着し、両乳房にはAB型の唾液が付着し、シャツにはAB型の毛髪が付着していました。
常識的に考えて、AB型の人物が犯行に関与している、と考えない人はいないと思います。少年たちは逮捕直後に血液型を調べられています。このことは捜査機関もまた血液型を重要視していたことを示しています。
しかるに、少年たちはB型とO型だけです。これだけでも、少年たちが犯人でないことは明白だと思います。

二、ところが、原判決は、
精液と毛髪は、犯行時に付着したものとは限らない
唾液のAB型は、被害者の体垢(A型)と少年の唾液(B型)が混合した可能性がある
と判断をし、少年たちを犯人であると認定しました。
まず、スカートに付着している精液が犯行時に付着したものとは限らない、という認定は全く不合理です。
第一に、犯行に出会うまで被害者がスカートに精液を付着させたまま生活していたとは常識的に考えられません。
第二に、犯行時以前にスカートに精液が付着したことをうかがわせる具体的事実を、原判決は全く摘示していません。原判決は抽象的可能性を言っているにすぎません。
原判決の認定のおかしさは、逆を考えればよくわかります。
仮に、精液がB型で少年たちと一致していたとした場合、弁護人が、「犯行時とは別の機会に付着した可能性もある」と主張して、裁判官がとりあげてくれるでしょうか。少なくとも、原判決のような杜撰な主張では、一顧だにされないと思います。

三、唾液のAB型について、A型とB型の混合だという認定も、明らかに法医学に反したものです。
田嶋技官の血液型鑑定は、
吸収試験 AB型
解離試験 AB型
というものです。
採取された唾液斑の中に、被害者の体垢と唾液が混合することがあったとしても、体垢に含まれている血液型物質の量は、唾液に含まれている血液型物質の量に比べて圧倒的に少なく、吸収試験で、体垢に含まれている血液型が反応することはあり得ません。
そのことは、一審における、田嶋技官及び内藤教授の証言によって十分に明らかになったところです。それにもかかわらず、原判決は、科学を無視し誤った認定をしました。
私たちは、裁判官の目を覚まさせるには実証するしかないと考えました。
実際に、非分泌型A型の人物の皮膚を、分泌型B型の人物が舐め、付着した唾液を採取して血液型を調べる実験を行いました。
その結果は、前田鑑定として提出したとおりです。
合計六一検体、一つとして、吸収試験の結果AB型を示したものはありませ
んでした。
この結果は、できるだけ垢を混在させるように、唾液斑を綿棒でごしごしこするように採取しても変わりませんでした。
吸収試験でAB型を示していることは、唾液そのものの血液型がAB型であることを示しているのです。原判決の認定は法医学上客観的に誤りです。

四、唾液がAB型であるということは、精液・唾液・毛髪の三つが同じAB型を示しているという事実をあらためて呈示します。もはや裁判官もこの事実から目をそらすことはできないはずです。遺体に残された三つのAB型の客観的証拠は、真犯人がAB型の人物であることをはっきりと示しています。そしてそれは少年たちではあり得ないのです。
被害者は、無惨な遺体をさらし、真犯人を告発していたのだと思います。
「真犯人はAB型の人です。少年たちではありません」と。
原判決は、被害者の文字どおり命とひきかえの訴えを踏みにじったのです。
最高裁判所は、この被害者の訴えを素直に聞いていただきたいと思います。

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自白内容と客観的証拠のいずれを重視すべきか
こみち183号1995年2月

http://www.rikkyo.ac.jp/univ/araki/naraki/gyouseki/mini/souka.htm

「『原判決を取り消す』という裁判長の言葉に一瞬頭の中が真っ白になり、あとは裁判官達をにらみつけていた」。昨年の11月30日午後、草加事件の民事控訴審判決が言い渡された東京高裁の809号法廷から退出してきた主任弁護人は私に、怒りを押し殺しつつこのように語っていた。
草加事件とは、85年7月に中学3年女子の死体が残土置場で発見された事件である。後に逮捕された少年5名は、捜査過程では自白させられたものの、審判廷では犯行を否認していた。しかし、浦和家裁は少年達を強姦致死などで初等・中等少年院送致の保護処分とし、この処分が東京高裁の抗告審・最高裁の再抗告審でも是認されてしまっている。
少年達は再審を3回請求したものの、事実上の再審を認めた柏の少女殺し事件の最高裁判例に従い、少年審判にこの再審が許されるのは保護処分の継続中のみであるとして、3回とも棄却されてしまった。
その間に被害者の親が、少年達の親を相手に、損害賠償請求訴訟を起こした。しかし、浦和地裁は93年3月に、犯人は少年達ではないと認定して、その請求を棄却した。後述のように事実認定をきちんと行っているこの判例に接して、当時私はこのように考えていた。すなわち、「いわゆる刑事裁判と民事裁判とで異なる事実認定が併存する事態を解消するには、少年審判にも再審制度を創設するしかない。高裁または最高裁が判決の傍論中で再審制度創設の必要性を述べ、いわゆる少年保障法の場合と同様に立法の機運が盛り上がるに違いない。草加事件は、再審が認められなかった最後の著名事件となるであろう」と。ところが、最高裁を窮地に立たせないという意図があったのであろうか、私の予測に反して浦和地裁の判決を覆し、少年達が犯人であると認定して、少年達の親に損害賠償を命じたのが、今回の判決なのである。
冤罪であると争っている少年達の親に対して、東京高裁が支払いを命じた金額は、損害賠償と遅延利息を合わせて約7000万円。しかも、仮執行宣言付きなので、少なくとも数千万円を即時に用意しないとその執行を止められない。また、この逆転判決を出したのは高裁なので、少年達の親に残された道は、もう最高裁への上告のみしかない。冤罪であったと今では確認されている八海事件を描いた「真昼の暗黒」という映画の中で、広島高裁でも死刑判決を是認された阿藤周平被告人が「まだ最高裁がある」と叫ぶシーンを、私は思い出してしまうのである。
草加事件は、客観的証拠の豊富な事件である。例えば、被害者のスカートから6カ所、AB型の精液が検出されている。被害者の乳房から脱脂綿で拭き取って採取した唾液も、AB型である。更に、被害者のシャツ後面に付着していた毛髪も、AB型である(いわゆるAB型3点セット)。他方、被害者はA型であり、少年達はB型とO型のみ。常識的に考えれば、加害者すなわち真犯人はAB型の第三者であり、自白をさせられた少年達は無関係である。
少年達を犯人とする証拠は、捜査過程における自白以外にはない。すなわち、被害者を乗せていたとされる自動車内からも、被害者の痕跡は全く発見されていない。しかも、例えば犯行現場や殺害態様等々につき自白の変遷が著しい。更に、例えばコンクリートの敷石の投棄と被害者の傷の程度やシャツの置かれていた位置等々についても、自白の内容は客観的事実と矛盾・抵触している。
共通なこれらの証拠に基づいて行われたにもかかわらず、裁判所により認定された事実は正反対であった。すなわち、損害賠償請求を棄却した浦和地裁は、客観的証拠を捜査過程における自白よりも尊重し、それらの証拠により認定できる事実をまず確定した上で、自白の証明力の評価を行った。その結果、自白のほとんどには信用性がなく(司法研修所編『自白の信用性ー被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心としてー』(91年)法曹会参照)、少年達は犯人ではないと認定した。
これに対して、少年審判、抗告審、再抗告審、および、今回の判決は、このような自白を原則として信用し、自白に基づいて少年達を犯人と認定した。例えば今回の判決は、客観的証拠について次のように扱っている。すなわち、自白内容と客観的証拠との矛盾が100%明白であり、自白内容の虚偽性を否定し難い事項についてのみは、取調べ官による「誤導」があったとして信用性を否定した。ところが、精液については「別の機会に付着したものと推認することも可能である」として、毛髪については「関係ない機会に付着することも考え得る」として、唾液については「体垢と混合してAB型を示した可能性が否定できない」として、自白内容と矛盾しないとしているのである。
このように、自白内容との矛盾が100%ではないという論理により客観的証拠の証明力を否定し、自白内容に信用性ありとするのでは、捜査過程において客観的証拠から犯人像を絞り込む必要は全くなくなる。前科・前歴があるなどあやしげな者を取り調べて自白させさえすれば、その者が犯人であることになってしまう。
多くの冤罪事件から明らかなように、十分な判断力を備えている筈の大人であっても、厳しい取り調べを受けると身に覚えのない犯罪の自白をしてしまう。まして防禦力の弱い少年であれば、容易に自白をさせることができる。それ故に憲法38条3項は、誤判の発生を予防すべく自白の証明力に制限を加えているのである。
今回の判決が採っているのは、誤判を最も生み出しやすい事実認定方法であり、憲法のこの条文や同31条の保障する適正手続に違反している。また、草加事件のこのような判決を見逃してしまうと、もしも私達自身が警察に目を付けられ、取り調べに耐えられず身に覚えのない犯罪を自白させられたが最後、たとえ後に自白を覆しても、刑罰や保護処分を受けさせられ、かつ、損害賠償をも支払わされることとなるのである。なお、はしくれにすぎないとはいえ刑事法学の専門家である私にも、取り調べに耐え抜く自信はない。
今回の判決を契機に、山形の明倫中事件で冤罪であると争い続けているD・E・F・G少年の親に対しても、被害者Kの親から民事裁判が起こされそうに思われ(冷静な記述に徹しようとしている、朝日新聞山形支局著『マット死事件ー見えない”いじめ”の構図』(94年)太郎次郎社参照)、草加事件の二の舞となってしまいそうな予感もある。
草加事件も山形の明倫中事件も、被害者とその親には誠にお気の毒である。
しかし、恨みに思うべき相手は少年達やその親なのではなく、憲法・刑事訴訟法・犯罪捜査規範・少年警察活動要綱などを遵守せずに、真犯人を逃してしまった警察および検察官であり、また、そのような捜査の結果を是認してしまうこともある裁判所なのである。

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証明力評価に関する一考察

http://www.rikkyo.ne.jp/~araki/chikanenzai/shiryou/takakubo.htm

一 はじめに
二 従前の議論
三 論理法則と経験則
四 証拠の証明力評価
五 おわりに

一.はじめに
冤罪・誤判を防止するために、刑事手続に関わる多種多様な項目について、解釈論・制度論・運用論などにわたり、実務家および研究者から、さまざまな提言がなされてきている。研究者の一人として私も、さまざまな提言を行ってきた(1) 。他の提言と比較して私の提言に特色があるとすれば、それは私が経験法学の方法論を、刑事法学の分野においても採り入れようと努め続けていることに由来するであろう。
冤罪・誤判の防止と並んで、刑事手続を迅速かつ適正に進行させることも大切であり、私は当然にこれらをも視野に入れつつ、調査研究を進めてきている。しかし、この点が視野から外れているのではないかと思われる提言も少なくないようであり、裁判官・検察官による提言内容と正面から衝突している場合もあるように見受けられる。このような場合に裁判官・検察官は、冤罪・誤判の防止に関わるその提言内容を全面的に否定してしまいがちである。だが、冤罪・誤判の発生を望ましいものと考えているのでない限り、わが国の刑事司法制度の改革・改善のために、採り入れうる点は採り入れつつ、否定すべき点のみを否定することが必要であろう。
冤罪・誤判を生み出さないためには、例えば強制拷問による虚偽自白の内容に引きずられなくて済むとの意味で、自白の任意性など証拠能力の制限も有効な筈である。しかし、判例は原則として虚偽排除説を採っていて、証拠能力の制限を緩やかに運用して証明力の判断に進んでおり、当該自白内容を信用できないと判断したときに初めて、ひるがえって証拠能力が無いと判断していることが少なくない。
このような法運用を生んでいる要因や運用の是非などは、それ自体が要検討・解明課題の一つである(2) 。だが、事実認定の問題である冤罪・誤判の防止との関わりは、いわば規範の問題である証拠能力の有無とよりも、事実の問題である証明力の有無・大小との方が、より直接的である。それ故本稿では、証拠能力についてはさておき、証明力についてのみ検討することとする。

二.従前の議論
刑事訴訟法三一八条は「証拠の証明力は、裁判官の自由な判断に委ねる」と規定して、自由心証主義を採ることを明言している。自由心証主義と法定証拠主義とを対比すれば、証拠の証明力の判断を裁判官に委ねる自由心証主義の方が、人格権の尊重・契約の自由・所有権の絶対性・過失責任の原則など、理性的な判断者を想定している近代法の基本原理に合致する。しかし、証拠の証明力の判断を全面的に判断者に委ねてしまうのでは、恣意的な判断がなされて冤罪・誤判を生じてしまう恐れがある。それ故、自由心証主義の例外および心証形成への制約について、論じられてきているのである。
自由心証主義に対する明文上の例外は、憲法三八条三項の「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」という規定、および、刑事訴訟法三一九条二項の「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」という規定である。
これらの規定が設けられている理由は、自白を偏重することによる冤罪・誤判の発生を防止することであり、この理由に関する限り、その表面上は、判例上も学説上も異論はない。しかし、これらの規定の解釈や運用においては、冤罪・誤判の発生防止に役立たないばかりでなく、かえってその発生を促してしまいかねないのが、判例や学説の現状であると私は考えている。幾つか例を挙げよう。
憲法の公布・施行より後に制定・施行された刑事訴訟法に「公判廷における自白であると否とを問わず」という文言が入っている理由は、憲法規定の解釈として最高裁判所が、公判廷における自白には補強証拠を要しないという判断を示したため(3) 、この点を否定すべく付け加えられたことのようである(4)。公判廷における自白には補強証拠を要しないとする最高裁の判断は、裁判官の面前における供述についてであれば、裁判官はその供述内容の真偽を見抜きうることを前提としている。しかし、この前提は、神である天皇陛下の代理人である裁判官の判断には誤りはありえないという「神話」でしかない。公判廷における自白は、捜査過程で自白を強いられ、それに抗しきれずに自白して犯人の役柄を担い始め、その役柄を果たし続けて来た被告人が、公判廷においてもその役柄を果たし続けているにすぎないのかも知れないのである。
自白に補強証拠を要する範囲について、罪体の重要部分であり、かつ、罪体には被告人と犯人との同一性を含まないとするのが、判例・多数説である。すなわち、被告人を有罪と認定するためには最低限、捜査過程において作成された被疑者の供述録取書(自白調書)の他に、窃盗罪であれば何者かに盗まれたという被害届けがあれば良く、殺人罪であれば、故意の証明を自白調書に譲りうる場合には、被害者の死亡およびその死因が他殺である証拠があれば良いのであって、後は事実認定者がそれらによって確信の心証を形成したか否かによることとなる。しかし、録取されている供述内容がたとえ迫真性に富んでいるとしても、所詮は取調官が書き取った供述録取書でしかない自白調書の存在のみから被告人が真犯人であると断定するのでは、冤罪・誤判を発生させる恐れが大きい。
そこで、供述の時点では捜査機関にとり未知であり、かつ、真犯人でなければ知りえない事項が録取された供述内容中に含まれている「秘密の暴露」があれば、被告人が犯人であることに間違いなく、また、その供述内容に信用性ありと扱われている。しかし、例えば「幸浦事件」のように、たとえ自白調書に記された場所から死体が発見されたとしても、捜査機関にとり未知であったとは限らず、真犯人でなければ知りえない事項ではないこともある。供述録取書には、取調べの日付と場所が記されているものの、時刻の記載はないので、その供述がなされた時刻は不明である。また、検察官が弁護人に開示して法廷に提出する証拠は、効率良く有罪を立証するために取捨選択した後の証拠でしかないので、たとえそれらを日付順に並べ替えてみても、捜査の進行状況の詳細までは判明しない。しかも、たとえ真犯人でなくとも、捜査の進行状況の大筋などをマスコミや口コミを通じて知りうることが少なくない。したがって、よほど典型的な例を除いて、被疑者の取調べ状況の可視性が極めて低い現状を改善しない限り、「秘密の暴露」に該当すると判断可能な供述はほぼありえないと考えるべきであり、「秘密の暴露」という用語が一人歩きして安直に使われてしまっている現状(5) を改めるべきであろう。
自白偏重による冤罪・誤判の発生を防止すべく刑事訴訟法三〇一条は、「第三百二十二条[被告人の供述書または供述録取書]及び第三百二十四条第一項[被告人の供述を内容とする他人の公判準備または公判廷における供述]の規定により証拠とすることができる被告人の供述が自白である場合には、犯罪事実に関する他の証拠が取り調べられた後でなければ、その取調を請求することはできない」と規定している。ところがこの規定について、証拠調べの順序を規定しているにすぎないとしか解していない学説が少なくない。しかし、自白調書でない証拠を先ず取り調べよという規定は、先ずそれらにより心証を形成してから自白調書を取り調べよという規定である。したがって、自白調書でない証拠から先ず形成すべき心証の程度が問題とならざるをえないのであり、冤罪・誤判の防止のために、何人かの犯罪により結果が発生したことについては証拠の優越程度、被告人と犯人との同一性については一応の証明程度の心証が、補強証拠のみによりまず形成されなければならないと、私は考えている(6)。
共犯者の供述を「共犯者の自白」と呼び、補強証拠を要する自白には共犯者の自白を含むと解する学説がある(7) 。しかし、共犯者の供述の有する冤罪・誤判の危険性は、犯人でない者を犯人とし、かつ、中心人物に仕立てる「ひっぱり込みの危険」であるから、被告人と犯人との同一性につき補強証拠を不要としたままにこのように解しても、冤罪・誤判防止の効果がありうるかは疑わしい。これに対して判例は、共犯者の供述を証拠能力の有無のみが問題となり、証明力の判断には制約の無い独立の証拠と扱っており、論理的には筋が通っている。とは言え、ひっぱり込みの危険にも対処せざるをえない。そこで、八海事件の第三次上告審判決は全員一致で、共犯者の供述にはひっぱり込みの危険があることを明示し、吉岡供述を除いては、阿藤らが犯人であることについての証拠が存在しないことを指摘した(8) 。すなわち、小法廷判決であるものの最高裁判所は、「ひっぱり込みの危険」に対処するための事実認定の法則を正面から判示したのであり、冤罪・誤判の防止のために画期的な判示内容であった。
ところが、その後の判例は、共犯者の供述の有する「ひっぱり込みの危険」に、正面から対処することを止めてしまっているように思われる。また、学説においても、八海事件の第三次上告審判決の意義を正面から認めて補強証拠に関する理論を発展させようとしている者は、未だ少数のままでしかない。ただし、司法研修所は「共犯者の供述の信用性」に関する司法研究員報告を編集・出版しており(9) 、この点に関する裁判官教育の必要性・重要性を認識していると思われる。
自白の証明力の評価については、「任意性のある自白の信用性がたやすく否定されるものではない」としている「直観的主観的手法」と、「自白の内容を客観的証拠を重視して吟味する」「分析的客観的手法」とが対比されており、「自白の信用性の評価という点では、冤罪を防ぐという実践的な法技術の意味で、分析的客観的手法が、直観的主観的手法よりも優れた方法であることは明らかである」と主張されている(10)。また、司法研修所は「自白の信用性」に関する事実認定教材をも編集・出版している(11)。私は、自白を信用してしまいがちな裁判官を対象として、その心証形成を制約しようとするこのような学説内容や裁判所による努力の必要性・重要性を、否定するものではない。しかし、裁判官が自白を安易に信用してしまいがちであること自体を制約する必要もあると、私は考えている。
自由心証主義の下で裁判官が形成すべき心証の程度について、刑事裁判においては「疑わしきは被告人の利益に」の原則ないし「無罪の推定」の原則があり、合理的な疑いを容れない程度の高度な心証ないし確信の心証が形成されない限り、被告人を有罪と認定してはならないとされている。しかし、このような制約の付し方には、事実認定者である裁判官の心構え論として以上の効果を期待し難い。何故なら、被疑者段階において作成された自白調書である供述録取書と現場遺留物証が指し示す犯人像とが矛盾する事案において裁判官が、現場遺留物証よりも自白調書を信用し、それにより確信の心証を形成しえたとして有罪判決を下した場合にすら、そのような事実認定を制約不可能だからである。
しかも、現場遺留三物証の血液型がAB型であるにもかかわらず、B型およびO型のみである元少年達が犯人ではありえないと認定して破棄差戻しとした草加事件最高裁判決について、それが民事事件の判決であることを捉えて、「非行(犯罪)事実を認定する少年審判においては『合理的な疑いを超える証明』(確信、九〇%以上の確かさ)が充足された筈であるのに、『証拠の優越』(五一%の証明)で足りる民事裁判において少年審判の結論が覆される事態が生じた」(12)、「草加事件の少年審判は適法に確定し、終了した。民事裁判で別の結論が出されても、現行法制度上は、民事訴訟で原告が敗訴したことを意味するだけであろう」(13)と述べることにより、自白を偏重した恣意的な心証形成を制約しようとするのではなく、かえってそれを推奨しようとする刑事訴訟法研究者まで存在しているのが、わが国の現状である。
しかし、「合理的な疑いを超える証明」ないし「確信の心証」という用語は、実務および学説において、被告人を有罪と認定するには限りなく一〇〇%に近い心証が必要だという意味で用いられている。また、たとえ民事訴訟であっても、請求原因の有無自体が正面から争われている事案において裁判所は、「証拠の優越」ではなく「確信の心証」ないしそれに極めて近い心証により、判断している。そして、これらも同時に、わが国の現状なのである。
自由心証主義が恣意的な事実認定を許すことになってしまわぬよう、「論理法則」や「経験則」に反する事実認定は許されず、合理的心証形成でなければならないと述べる教科書が少なくない(14)。事実認定に際して従うべき規範の一つとして「論理法則」や「経験則」を想定しうるとすれば、それに反する事実認定が行われた場合には刑事訴訟法三七九条に規定されている「訴訟手続の法令違反」となるので、相対的控訴理由の一つとなることとなる。それ故、恣意的な事実認定を制約するためには、自由心証主義に対する制約は補強法則のみであると主張するよりも、「論理法則」や「経験則」という制約も存在すると主張することの方が望ましい。しかし、これらの内容に具体性を持たせているのでなければ、単なる建前論や心構え論にすぎない効果しか有しえないであろう。

三.論理法則と経験則
まず、「論理法則」を裁判規範と扱うことについて。私自身は大学における一般教育科目の一つとして「論理学」を履修し、記号論理学の入門程度までは学んだ経験がある。しかし、司法研修所を含む教室でまたは自習により、論理学を学んだ法曹、とりわけ裁判官が、多くいるとは思われない。その結果、たとえ論理法則を制約の一つと解しても、大前提である要件・効果、小前提である本件事実、結論である当該判決という、いわゆる法律三段論法に従うという論理法則のみを、裁判官に要求することにしかならない。しかし、証明力評価との関連で関わりがあるのは、要件・効果をそのように解するに至る論理や、本件事実をそのように捉える論理である。すなわち、法律三段論法に従っていることは、冤罪・誤判を生み出しにくい判決の必要条件の一つではあるものの、その十分条件ではないのである。
次に、「経験則」を裁判規範と扱うことについて。「経験則」に反する事実認定は許されず「訴訟手続の法令違反」となるという、主張の意図は理解できるし共感もできる。しかし、それと同時に、「経験則」という用語の意味内容やそれが実際に果たしている機能をも、問い直して見る必要があると思われる。
まず例をあげよう。1)死刑になるかも知れない事件であるのに短時間の取り調べで自白してしまっているのだから、被告人は真犯人であるに違いないという判断は、短時間の自白という事実に対して、冤罪者は自白せず否認を貫くものであるという「経験則」を適用して導き出されている。また、2)たとえ捜査段階における自白を重視していても、それは自白内容の真実性を確認済だからなのであって、検察官の主張・立証の内容は正しいという「経験則」があり、それと矛盾する物証などには偽造の疑いなどがあるし、それと矛盾する公判廷での被告人の否認供述は虚偽である可能性が高い。更に、既に前述したが、3)自白調書の証明力評価は、その「経験則」上、主観的・直観的に行うべきでなく、客観的・分析的に行うべきである。
これら三例に示した内容は、「経験則」であるのか否か。もしも「経験則」という用語を、経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味で使うのであれば、3)の使い方をも含めて、いずれの例も経験則を適用しての判断であるとは言い難いと、私は考えている。1)の使い方では、客観的な調査結果による裏付けを欠いており、判断者の単なる思い込みにすぎない法則を、「経験則」と呼んでいる。自白することにより生じる利害得失を判断して行動を選択する筈である「市民」を想定するのであれば、このような法則が成り立ちうるのかも知れない。そして、例えばベッカリーアが「犯罪と刑罰」において展開した立論内容は、それを前提としている。しかし、無実の者でも自白させられ、いわゆる自白調書を作成されることがあり、死刑判決が予測される事案においても同様であることが、冤罪・誤判事例の検討から明らかになってきている。しかも、無実の者が取調べにより自白に至り、かつ、それを維持しその内容を詳細にして行くメカニズムも解明されているのが現状である(15)。すなわち、1)のような判断を「経験則」による判断と考えることは、判断者の無知をさらけ出す以外のなにものでもなく、しかもその効果は、冤罪による死刑執行にも至りうるのである。
2)の使い方について、自白事件をも公判廷の審理により扱っているわが国の裁判官は、九九・九%以上の事件において、法廷において検察官が行う自白を重視した主張・立証内容は正しいという経験を積んでいる。しかし、否認事件、それも裁定合議の否認事件に限定すれば、検察官がそれを信用している捜査段階における自白が虚偽である比率はかなり高くなる。すなわち、捜査段階における自白を重視した検察官の主張・立証は信用できるという「経験則」があると考えるのは間違いであり、自白事件と否認事件とを区別せず、かつ、当該裁判官個人の経験のみを前提としているが故に、裁判官に生じている錯覚にすぎないのである。捜査段階で録取された自白内容と矛盾する物証の方が偽造である事案も、ありえない訳ではない。だが、わが国における被疑者の取調べ過程はその可視性が極端に低いのであるから、物証と矛盾する自白内容の方が虚偽であることが多いであろう。
3)の使い方は、自白偏重による冤罪・誤判事例の経験を踏まえて、その発生を防止すべく裁判官の間で伝承されてきたという自白内容の証明力評価方法を、「経験則」と呼んでいる。しかし、自白内容の証明力評価方法を重視するのは、直接証拠と呼ばれる自白を、間接証拠と呼ばれる物証などより重視しているからではなかろうか。すなわち、科学的な思考方法を採るのであれば、分析的客観的手法と呼ばれている内容のうち、たとえ間接証拠と呼ばれていようと客観的な証拠である現場遺留物証などと矛盾する内容の自白調書に証明力のありよう筈はなく、自白調書の分析を更に行う必要はないのである。なお、この意味で証明力のありよう筈のない自白調書について、直観的主観的に証明力ありと判断することは、科学的な思考方法と明白に矛盾するのである。
犯行状況などについて、客観的な証拠により再現可能な範囲は自ずと限定されざるをえない。捜査段階で録取された自白調書や公判廷における否認供述の証明力評価が問題になりうるのは、その範囲内で、すなわち、自白調書の他に証拠がない部分についてである。この点に関連して、被告人と犯人との同一性について、たとえこのような事案であっても、何の補強証拠もないままの積極的な認定が許されるべきでないと前述した。しかし、冤罪・誤判の防止をと述べる研究者が多いにもかかわらず、残念なことに私見は少数説でしかない。それ故、私見によれば起こりえない事態である、捜査段階で録取された多数の自白調書のみから、被告人と犯人との同一性を認定する方法についても、本稿で論及しておかざるをえないと思われる。
このように考えてくると、自由心証主義の下ではあっても恣意的な事実認定を許さぬことを目的として用いられている「論理法則」や「経験則」という用語が、その目的に叶う機能を十分に果たしているとは思われない。とりわけ、「経験則」という用語は、それを裁判官が用いることにより、恣意的な事実認定を隠蔽したり正当化したりすることすらありうる用語である。そして、もしもこのような事態を生じた際に、たとえそれを「訴訟手続の法令違反」として控訴しえるとしても控訴審において、法令としての効力を有するのは裁判官が適用した「経験則」と控訴人が主張する「経験則」とのいずれであるのか、いや第三の「経験則」があるのかという論争が起きてしまうであろう。
経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味で「経験則」という用語を用いるという共通理解が法律家の間に存在せず、各人がそれぞれの思いを込めてこの用語を用いているのが現状であるから、法解釈の場合と同様にその決着は、控訴審の裁判官の有する価値観により付けられることになる。すなわち、もしも弁護人が経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味での「経験則」を示したとしても、控訴審の裁判官がそれに全く理解を示さず、自分の価値観に基づいて選択した「経験則」により結論を出すこともありうるのである。その結果、恣意的な事実認定を制約すべく研究者が教科書等に「経験則に反してはならない」旨を記述しても、ほとんど実効性が無いのである。
私は、このような状態に至ってしまっている理由の一つは、「経験則」という用語が経験諸科学の発生・発達前から、法律家の間で用いられてきた用語であり、いわゆる手垢にまみれた用語となってしまっていることだと考えている。それ故、現状に対して、新たな造語により対応することも考えられない訳ではない。しかし、経験諸科学の発達やその調査研究成果の蓄積を横目でにらむとき、証拠の証明力評価なり心証形成なりについて、従前の発想を転換すべき時期に、そろそろ差しかかっているのではないかと思われる。

四.証拠の証明力評価
証拠の証明力評価についてはこれまで、挙証責任の問題と絡めつつ、確信の心証・蓋然的心証・証拠の優越・一応の証明などの用語を用いて説明されてきた。すなわち、事実認定の役割を担う者が両当事者の攻撃・防御を観察して抱いた心証の程度が、例えば、確信の心証に至れば有罪・そうでなければ無罪という論理と共に、論じられて来た。また、陪審制度の下で、有罪評決には全員一致が必要か、多数決で良いのかの論議も、その論じられ方としては、抱くべき心証の程度に関する論議とほぼ同一である。
証拠の証明力の有無・程度を、事実認定の役割を担う者が抱いた心証の程度により決めることは、合理的でありかつ説得力を有するであろうか。「少年達の自白調書があり、その内容により確信の心証を抱いたので、犯人は少年達である。少年達の血液型がB型およびO型であり、他方、現場遺留三物証が血液型AB型で分泌型を示していることは、少年達が犯人であることと矛盾しない。精液と毛髪は別の機会に着いた可能性がある。唾液は被害者の体垢と混合してAB型を呈している。」草加事件の抗告審および民事控訴審が採るこのような論理に、合理性および説得力があると思えないのは決して私のみではあるまい。では何故、合理性および説得力が無いのであろうか。
思うに、供述証拠であれ非供述証拠であれ、直接証拠であれ間接証拠であれ、それぞれの証拠は証明力の有無・大小を具有しているのである。それ故、事実認定の役割を担っている裁判官がそれを無視して証明力の有無・大小を恣意的に決めることを許しては、過去に起きた一回的犯罪事実の解明を妨げ、冤罪・誤判を生み出すであろう。また、経験諸科学により既に解明されている法則を無視しつつ恣意的な法則を創出して判断することについても、同様である。
草加事件における現場遺留AB型三物証は、血液型AB型で分泌型の犯人像を示している。精液と毛髪が別の機会に着いた可能性があるとは、これらは証拠として自然的関連性を有しない、すなわち、精液と毛髪にはそもそも証拠能力が無いという判断である。しかし、処女膜が現存している中学三年生の被害者が、スカートの内側に血液型AB型で分泌型の精液を付着させるような関係を持ち、その後そのスカートを身に付け続けたままに行動して、更に血液型がB型およびO型の少年達から強姦未遂および殺人の被害を受けたという事実を裁判所が認定している根拠は、捜査段階における少年達の自白は信用出来るという判断のみである。
形式論上は、裁判所が行ったのは捜査段階における少年達の自白に基づく判断なのであるから、刑事訴訟法三一七条の証拠裁判主義には反しない。しかし、スカートの内側の精液が別の機会に付いた可能性があるという部分の事実認定は、証拠裁判主義に反して何の証拠も無いままに行われており、かつ、そのような事態が生じる確率が低過ぎて、内容的にもあまりにも非常識な事実認定である。血液型がAB型の毛髪については、別の機会についた可能性もありえない訳ではないものの、犯人の毛髪が抜けて被害者のブラウスの上に落ちていたと考える方が自然である。
被害者の乳房から唾液を採取する際に、被害者の体垢が唾液に混じることはありうる。しかし、採取した唾液の分析に際して、そのような事態をも前提にした法医学上の法則をあてはめ、唾液自体がAB型を示しているというのが検査技師の判定であり、その後に行われた法医学者による鑑定結果である。少年達の無実を明らかに示しているこの事実について、体垢中のA型の血液型物質がB型で分泌型の唾液と混合するとAB型を呈するという恣意的な法則を勝手に創出してそれを適用し(16)、少年達が犯人であることと矛盾しないと認定することは、あまりにも非科学的な事実認定である。
草加事件において、恣意的な法則を勝手に創出したのは、公益の代表者であるべき検察官である。すなわち、検察官は先ず、被害者の体液(汗)と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成して裁判所へ提出した。ところが、被害者が非分泌型であることに気付き五日後に、被害者の体垢と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成し直して、裁判所へ提出している。裁判所が、このようなものでしかない検察官作成の報告書に依存して、恣意的な法則を適用した理由はおそらく、検察官の主張・立証への全幅の信頼であろう。 草加事件には、現場遺留AB型三物証の他にも、死体が発見された残土置場におけるタイヤ痕・足跡痕の存在と少年達との不一致、自白によれば被害者を乗せていた筈の車両の車内およびトランク内から被害者の痕跡が一切発見されないなど、豊富な物証が残されている。タイヤ痕について捜査機関は、取調べの過程で殺害場所を、アスファルト舗装された道路上とし、そこから死体を発見場所まで運んだという、現場での再現実験によれば運搬がかなり困難であると判明している内容の自白調書を作成している。しかし、足跡痕の不一致については、車内に被害者の痕跡が無いことについてと同様、何の説明もなされていない。
裁判所は、捜査段階で作成された自白調書の内容と矛盾する物証については、その有する客観的な証明力を排斥すべく、その存在を無視してしまう。他方、密室で作成された供述録取書でしかない自白調書の内容については、容易にそれを信じた事実認定を行う。このような事実認定を裁判所が行いうる現状を放置するのでは、草加事件と同様に明白な冤罪・誤判を必然的に生じ続けるであろう。
刑事訴訟法学研究者は、証拠の証明力評価の問題に対しても正面から取り組むべきであると、私は考えている。再審問題についてかつて盛んに論じられた、独立評価説か総合評価説か、総合評価説において評価変えが許されるか否かなどは、正に証明力評価の問題であった。生じてしまった冤罪・誤判を救済することは大切である。しかし、冤罪・誤判を生じさせないことの方がより望ましい筈である。証拠の証明力評価を規制する法的枠組としては、「経験則」という用語を用いて控訴理由を「訴訟手続の法令違反」と構成することに代えて、控訴に際しては端的に「事実誤認」と構成すべきである。何故なら、大切なのはまず第一審において、裁判官による恣意的な証明力評価に由来する誤判を生じさせないことであり、それでも誤判を生じてしまった場合に控訴審において、その「事実誤認」を正させることだからである。
刑事訴訟法学研究者は、経験諸科学研究者との共同研究により、証拠の証明力の有無・大小に関する法則の解明・収集・蓄積に努めるべきである(17)。既に解明されている法則を、幾つか挙げておこう。
間接証拠と呼ばれる現場遺留物証と、直接証拠と呼ばれる自白調書の内容とを比較すれば、現場遺留物証の証明力の方が明らかに大きい。それ故、両者が矛盾するときに自白調書の内容を優先することは、明白な誤りである。
現場遺留物証と自白調書の内容とが矛盾しないことは、とりわけ否認事件において、自白調書の内容の証明力が大きいことを意味しない。取調べの結果を踏まえて取調官により作成されたものである自白調書の内容の証明力の有無・大小の判断は、自白調書自体について行われるべきである(18)。
直接証拠と呼ばれる目撃証言についても、研究成果が蓄積されてきている(19)。この点について、法と心理学会の有志がその設立準備段階以来一貫して、「目撃証言に関するガイドライン」作成に務めて続けて来ていることが、重要である。また、法と心理学会第二回大会の個別報告において、目撃者の視力と識別可能距離について、実験の結果Y(距離m)=8.75X(視力)+3.32という法則が明らかになったと報告されている。警察および検察官はこれまで、被告人の顔を識別できたという内容である目撃者の供述録取書を作成し、それにより被告人と犯人との同一性などが目撃証言により証明できたとしてきたのであり、裁判所もまた、検察官によるそのような立証内容を信じた事実認定を行ってきた。しかし、経験諸科学による調査研究の成果により、検察官や裁判官による、その距離を超えていたにもかかわらず識別できたという事実認定の誤りないし虚偽性が、白日の下にさらされたのである(20)。
間接証拠についてばかりでなく直接証拠についても、経験諸科学による調査研究の成果が蓄積され始めたことは、冤罪・誤判の防止にとり重要である。何故なら、証明力の大きい間接証拠を無視や排除し、証明力の小さい供述証拠でしかない直接証拠に依存した事実認定をもしも裁判所が行った場合、その誤りは非法律家には明々白々なので、裁判所の行う事実認定への信頼は地に落ちるであろうからである。換言すれば、実は自己の価値観を振りかざしていただけであった事実認定者の独善性が、証拠の証明力自体へ注目が集まることによって、見破られてしまいつつあるのが現状なのである。

五.おわりに
証拠能力があるとされた証拠の証明力評価を裁判官の自由な判断に委ねるのが自由心証主義であり、理性に従った判断を行いうる裁判官像を前提としていた。しかし、この前提が成り立ちえない場合がありうることが徐々に気付かれて、事実認定に際しては論理法則や経験則に従うべしという規範が形成されているのが現状である。だが、このような規範を示すことは、事実認定者である裁判官に対して、事実認定に際しての心構えを説くという効果しか有しないであろう。しかも、既に手垢にまみれてしまっている経験則という用語を用いることは、適用すべき経験則の内容をも裁判官が勝手に決めるという事態が起きた際にそれを否定し難いとの意味で、有効でないばかりか弊害をも生じかねない。
証明力の有無・大小についての従前の考え方は、事実認定者による評価に依存していた。しかし、それぞれの証拠がそれぞれの証明力を具有していることを認識すべきであり、それを無視・軽視することは許されない。すなわち、それぞれの証拠が具有する証明力の有無・大小について、事実認定者に恣意的な判断は許されないのである。
証明力の有無・大小について、経験諸科学による調査研究の成果の蓄積は、未だ十分ではないかも知れない。しかし、冤罪・誤判の防止は、調査研究を進めてその成果を蓄積して行くことによってこそ、その効果を上げうる。また、このような方策は、第一審の充実強化と矛盾せず、かえってそれを強化し補充するものなのである。

(1) 荒木伸怡著『刑事訴訟法読本ー冤罪・誤判の防止のために』(一九九六年)弘文堂は、私がこれまでに行ってきた諸提言の簡潔な要約でもある。
(2) 例えば、同前一五九〜一六五頁に記した内容は、この点に関する私なりの仮説であると共に法解釈である。
(3) 最(大)判一九四八年七月二九日刑集二巻一〇一二頁。
(4) 刑事訴訟法の施行後にも、最(大)判一九四九年四月二〇日刑集三巻五八一頁、最(大)判一九五二年六月二五日刑集六巻八〇六頁があるので、公判廷における自白には補強証拠を要しないことが、判例上確立している。とは言え、刑事訴訟法に明文が設けられた以上このような扱いは違法であり、その効果は、憲法違反ではないので上告理由とならないことにとどまる。
(5) 例えば草加事件の民事控訴審は、1)車上荒らしの際にコンドームを入手したという少年達の供述に基づき、車上荒らしの被害者に事情聴取したところ車内からコンドームを盗まれたという供述と被害届けをえられたことを「秘密の暴露」と捉えており、また、2)事件を報道した番組を録画したという少年の供述に基づき、自宅からそのビデオテープが発見されたことを「秘密の暴露」と捉えている。しかし、供述に基づいてその後に作成された被害届けは、被害者が警察に迎合しただけかも知れず、それによりコンドームの盗難のあったことが事実であると証明される訳ではない。しかも、仮にその盗難が事実であったとしても、(処女膜現存なので当然に)被害者の膣内から精液を採取出来なかったことを説明すべく作成された供述録取書中のコンドームを用いたという記述について、その入手先を明らかにしえたにすぎないのであって、他の者ではなく少年達が殺人事件の犯人であるか否かとは、全く無関係である。2)番組のビデオ録画は、既にマスコミが報道している事件内容について、その少年が関心を持っていたことを示すだけでしかなく、「秘密の暴露」ではない。これを「秘密の暴露」と捉えることは、もしも捜査機関もビデオ録画していたとすれば捜査機関が犯人だと捉えることであり、少年の供述によりビデオ録画をしていたと判明しても、録画をした少年が殺人事件の犯人であるか否かとは無関係である。常識を備えた市民にとってはあまりにも馬鹿らしいこの注の内容をわざわざ記さなければならない程に非常識である者が少なからずいるのが、わが国の裁判官・検察官・警察の現状なのである。
(6) 荒木伸怡「冤罪防止と裁判官の役割」警察研究五五巻七号(一九八四年)三三頁、四一頁参照。
(7) 団藤重光『新刑事訴訟法綱要七訂版』(一九六七年)創文社二八五頁参照。
(8) 最(二小)判一九六八年一〇月二五日刑集二二巻一一号九六一頁、九七八〜九七九頁参照。
(9) 司法研修所編『共犯者の供述の信用性』(一九九六年)法曹会
(10)守屋克彦「草加事件の事実認定についてー裁判所による手法の異なり」法学セミナー五四七号(二〇〇〇年)四二頁、四四頁。
(11)司法研修所編『自白の信用性ー被告人と犯行との結び付きが争われた事例を中心として』(一九九一年)法曹会。
(12)椎橋隆幸「草加事件民事最高裁判決を契機に考える」法学教室二四一号(二〇〇〇年一〇月号)五七頁。
(13)同前五八頁。
(14)例えば、田宮裕『刑事訴訟法(新版)』(一九九六年)有斐閣二九五頁参照。
(15)浜田寿美男著『自白の研究』(一九九二年)三一書房、同著『自白の心理学』(二〇〇一年)岩波新書、大橋他著『心理学者、裁判と出会う』(二〇〇二年)北大路書房など参照。
(16)草加事件の抗告審および民事控訴審は、この恣意的な法則を「経験則」とまでは明言していない。しかし、決定文・判決文の文脈上その必要があれば、「経験則」という用語を用いたのではなかろうか。この意味で「経験則」という用語は、かえって冤罪・誤判を生み出しかねない程に手垢にまみれているのである。
(17)荒木伸怡「刑事・少年司法と心理学の可能性」法と心理一巻一号(二〇〇一年)九三頁参照。私は、二〇〇〇年に創設された「法と心理学会」における共同研究の進展とその成果に、大いに期待している。
(18)前出・注(15)参照。
(19)E・ロフタス、K・ケッチャム著厳島行雄訳『目撃証言』(二〇〇〇年)岩波書店、渡部保夫監修『目撃証言の研究』(二〇〇一年)北大路書房、厳島他著『目撃証言の心理学』(二〇〇三年)北大路書房など。
(20)警察なり検察官なりがもしも反論しようと考えた場合、彼らなりの実験を行ってその結果を反証とすることになる。もしも両者の結果が対立した場合にその決着は、法律学的にではなく、経験諸科学の通常の方法により付けられることとなる。

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田村譲松山大学法学部教授
少年「有罪」見直しも・草加事件の民事訴訟

事件の経過
<1985年>
7月19日  —— 草加市の残土置き場で、少女の絞殺体を発見
7月23日〜8月4日 —— 13〜15歳の少年6人を殺人容疑などで逮捕・補導
8月26日 —— 浦和家裁で少年審判開始。少年らが自白を撤回し、無罪主張
9月 6日〜18日 —— 浦和家裁が「殺人犯」(実行犯は3人)と認定して少年らの少年院送致の保護処分を決定
19日 —— 少年側が東京高裁に抗告

<1986年>
6月16日 —— 東京高裁が少年側の抗告棄却を決定。婦女暴行既遂を未遂に変更。少年側は最高裁に再抗告

<1989年>
1月19日 —— 少女の両親が少年の親に損害賠償訴訟を浦和地裁に起こす
7月20日 —— 最高裁が少年側の再抗告棄却。保護処分(「有罪」)が確定
10月19日 —— 少年側が無実を訴え、(成人の再審請求に当たる)保護処分取り消しを浦和家裁に申し立てる。93年4月までに3回申し立て最高裁まで争ったが、「少年達が成人なり、保護処分が終わっているので、取り消しの請求は認められない」として、いずれも却下。少年側は、えん罪でも名誉回復を回復できない」と少年再審の制度化を求め議論を呼ぶ

<1993年>
3月31日 —— 損害賠償訴訟で浦和地裁が少年らを「無罪」と認定し、遺族の請求を棄却
4月 6日 —— 遺族側が東京高裁に控訴

<1994年>
11月30日 —— 損害賠償訴訟の控訴審で少年らの関与を認め、東京高裁が逆転判決
12月13日 —— 少年側が最高裁に上告

<1999年>
12月 9日 —— 損害賠償訴訟の上告審(最高裁)で口頭弁論

<2000年>
2月 7日 —— 最高裁破棄差し戻し判決

<2002年>
10月29日—— 差し戻し控訴審判決

草加事件損害賠償請求訴訟・浦和地裁判決理由要旨
☆衣服の体液と一致せず 自白、事実と矛盾
1 少年ら及び被害者の血液型
少年らは、O型、B型であり、被害者は、A型である。

2 スカート付着体液の血液型
被害者が死亡時に着用していたスカート後ろ側の裏面部分の6カ所に付着していた 体液の血液型は、AB型で、少年らの血液型とは一致しない。

3 被害者のシャツに付着していた毛髪の血液型と性別
被害者のシャツ襟部分に付着していた毛髪1本は、人の頭毛であり、その血液型はAB型(その性別は確定しえない)であって、少年らの頭髪ではない。

4 被害者の両胸付着のだ液班の血液型
被害者の左右両胸付着のだ液班が示したAB型反応がB型分泌型の犯人のだ液とA型の被害者の細胞片との混在によって示したAB型の反応であるとする理論的可能性はあるが、AB型の分泌型のだ液そのものの血液型反応(すなわち胸部に付着していただ液の血液型がAB型)であったと認めるのが相当である。

5 (略)

6 被害者の体内・外の体液の存否と自白
少年らの自白内容による事件の時間的経過、被害者の死亡推定時刻が解剖時から1日内外であることを総合して判断すれば、被害者の死体の検査結果自体からは、体液の存在は証明されなかったものと考えるのが合理的である。
したがって婦女暴行などに関する少年らの自白内容は、これを裏付ける客観的事実が存在しないだけでなく、客観的事実に明白かつ積極的に矛盾する。

7 コンクリート敷石の投棄と顔面の損傷等と自白
コンクリート敷石を被害者の顔面に投棄したとする自白内容は、表皮はく奪などの損傷(擦過打撲傷)が存在しないだけでなく、被害者の顔面の損傷が余りに軽微に過ぎ、被害者の顔面部損傷の内容にも明らかに矛盾する。

8 自白の変遷
自白内容は、最終内容に到達するまでに変遷があるうえ、自白の変更、付加訂正の経過及びその内容自体が捜査官が取得した情報に基づく捜査方針の変更(婦女暴行未遂から既遂への変更)に基づく誘導を疑わせる。

9 犯行場所の自白の変遷
真実犯人であれば、およそ思い違いをするはずのない犯行場所というような極めて印象的かつ重要な事実について、理由らしい理由もなしに変更し、3人がほぼ同時期に同一内容の変更をしている。このような変遷の状況、内容自体が捜査官の誘導によってなされたことを強く推認させるばかりか、変遷時期が捜査官側がその都度の各自白にかかる犯行場所について物的な裏付け証拠がないとの鑑定結果などの客観的情報を入手した時期に符合していることは、捜査官による誘導を疑わせる。
結局、少年らと本件事件の犯人とを結びつける証拠は、少年らの自白のほかにはなく、自白は、客観的証拠ないし事実に矛盾し、かつ著しい変遷、食い違いなどが以上のほかにも多数存在し、各自白を補強するに足りる物的証拠はなく、いずれも信用できないものである。
したがって、少年らが被害者を暴行して殺害したとする原告らの請求原因事実を基礎づけるに足りる証拠がなく認めることができない。

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古賀克重法律事務所

http://www.lawyer-koga.jp/

少年法改正

http://www.lawyer-koga.jp/shonen3-kaisei.htm

草加事件と少年法改正
草加事件とは、1985年(昭和60)年、草加市の残土置き場で、女子中学生3年生の絞殺死体が発見されました。その犯人として5人の中学生が逮捕されました。当時の新聞には、「暴発した青い性」、「学校・父兄に衝撃」、「聞けぬ反省の言葉」、「少年非行の低年齢化」などと、ショッキングさをかき立てるような扇情的な言葉が踊っています(85・7・25読売)。
さらに、新聞には、刑事の言葉として「それぞれの言うことが違いすぎる。肝心なことはしゃべらない。」とし、記事も「草加署の捜査本部は少年たちが犯行後に口裏を合わせている、と見て追求している。」と結びました(85・7・27朝日)。ところが、ここにこそ、本件の問題点が潜んでいました。5人の少年達が犯人でないからこそ、無理な自白を強要され、言い分に違いが出てきていたのです。

少年審判の推移
捜査段階で一度は、犯行を認めた少年達は、付添人弁護士が付いてからは、否認に転じました。しかし、浦和家裁は5人を少年院送致としました。少年らは、決定を不服として抗告しましたが、東京高裁は棄却し、最高裁も再抗告を退けました。つまり、少年審判段階では、少年の自白が重視されて、犯行関与が認定されたのでした。

民事裁判の推移
被害者の親が少年らの親に対して賠償を請求する民事訴訟が提起され、この民事裁判の中で、再び少年らの関与について審理されることになったのです。
浦和地裁は、少年らの自白に客観的証拠と矛盾する著しい変遷があるとして、少年らの自白は信用できないとしました。つまり、少年らの犯行を否定したのです。その控訴審である、東京高裁では、逆に少年らの自白には、秘密の暴露が含まれ、客観的事実と矛盾するとは言えず、少年らの犯行を認定しました。

最高裁判決の意味  
2000年(平成12年)2月7日、最高裁は、再度自白の信用性に疑問を投げかけて、高裁に差し戻しました。

警察ないし検察による証拠隠し
このように15年にも渡り、草加事件が複雑な軌跡をたどったのは、警察から家裁に重要な資料が送付されてなかったからでした。
「書類、証拠物その他参考となる資料があるときは、あわせて送付しなければならない。」(少年審判規則8条)とされています。つまり、捜査記録はすべて、家庭裁判所に送付しなければなりません。
家裁に送られた記録の中には、「遺体に付着していた唾液の血液型はAB型」という報告書がある一方、少年らの血液型に関する資料が家裁に送られていませんでした。そして少年らの血液型は、B型とO型であることは、捜査本部に判明していたにもかかわらず、家裁には送致していなかったのです。さらに、被害者の体やスカートに付着していた体液がAB型であるという「死体解剖鑑定書」が家裁に送付されたのは、少年らが少年院送致になった後、弁護側の求めでようやく出てきたのでした(2000・2・9東京新聞)。

少年法改正と検察
本件事件に果たした検察の役割は少なくありません。審判において、付添人側から、血液型の齟齬を指摘されるや、審判はいきなり休廷となり、午後再開されるや、検察官は慌てたように「B型のだ液とA型の汗が混じったため」との手書きの報告書が提出されました。
そして、裁判官は審判を続行することもなく、漫然とその日の内に、少年院送致の決定を出したのです。この手書きの報告書が、最後までこの事件を複雑にしました。
しかし、民事二審後に、弁護団は独自に実証を行いました。A型の女性の腕をB型の男性がなめ、付着した唾液を採取して血液型を調べるというものだ。大学教授の鑑定結果は、AB型の血液型は検出されませんでした。この鑑定書が、最高裁を動かしたのは間違いないでしょう。

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日本弁護士連合会

http://www.nichibenren.or.jp/

会長声明集 Subject:2000-02-07
草加事件最高裁判決に対する会長声明

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/2000_1.html

最高裁判所は、本日、草加事件損害賠償請求訴訟事件に対し、少年らの自白の信用性を肯定した控訴審の判断過程には経験則に反する違法があるとして原判決を破棄し、事件を東京高等裁判所に差し戻した。

本件は少年審判手続で強姦および殺人の非行事実を認定された元少年らがえん罪を訴えていた事件であり、本日の最高裁判所判決は、元少年らの無実を事実上認めたものと言えよう。事件発生以来15年、この間の元少年らの労苦、そして事件未解決の状態におかれた被害者御遺族の心情は、察するにあまりある。

本件の控訴審判決およびそれに先行した本件の少年事件手続を検討すると、主要な問題点は次の点にあった。第1に、警察が自白を強要し、加えて検察官が警察の捜査を点検することなく家庭裁判所に事件を送致したこと、第2に、自白と物的証拠の矛盾が明白になった後においても検察官が警察の捜査の誤りを取り繕うとしたこと、第3に、裁判官が予断と自白調書に引きずられて判断したこと、第4に、少年審判において適正手続の保障・厳格な証拠法則がなく、警察・検察が作成した捜査報告書がそのまま証拠として裁判官の判断に影響を与えたこと、第5に、捜査段階のみならず家庭裁判所の第1回審判期日においてさえ、少年らに弁護士が付いていなかったことである。

現在、国会に少年法「改正」法案が上程されているが、当連合会は、かねてから捜査・少年審判での適正手続の保障を求め、現行職権主義構造での検察官関与に強く反対してきた。前述した本件の主要な問題点及び最高裁判所判決をみれば、同法案では本件のようなケ−スの発生を防止することにはならず、かえって少年えん罪事件を増加させるおそれを裏付けている。

よって、当連合会は、重ねて少年法「改正」法案に対し、強く反対するものである。

あわせて、当連合会は、捜査および審判の各段階における国費による弁護士援助制度の実現を求めるとともに、当連合会の1998年7月の「少年司法改革に関する意見書」と1999年10月の「犯罪被害者に対する総合的支援に関する提言」に基づき、あるべき少年司法制度の改革にむけて全力を尽くす決意である。

2000年(平成12年)2月7日
日本弁護士連合会
会長 小堀 樹

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毎日新聞 2002年10月29日 東京夕刊

草加事件

埼玉県草加市で85年7月、中学3年の女子生徒が殺害され、14〜15歳の少年5人が逮捕され、13歳の1人も補導された。少年審判で浦和家裁は逮捕の5人を少年院送致の保護処分にした。少年側は抗告したが、東京高裁、最高裁ともに退け、89年に「有罪」が確定した。一方、民事訴訟では、1審「無罪」、2審「有罪」、上告審「無罪の可能性」と、異なる判断が出ていた。

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JBM / ガリレオ裁判資料

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

» JBM / ガリレオ裁判

毎日新聞 2006.9.12

医療過誤:病院に慰謝料8100万円支払い命令 千葉地裁

千葉県鴨川市の亀田総合病院で01年に死亡した高校2年の男子生徒(当時17歳)の両親が、病院を運営する医療法人鉄蕉会(てっしょうかい)(亀田俊忠理事長)に約8800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、千葉地裁であった。小磯武男裁判長は「出血性ショックによる死亡で、カテーテルを適切に挿入せずに血管を傷つけた過失があった」などと両親側の主張を認め、病院側に約8100万円の支払いを命じた。病院側は「控訴を検討する」としている。

判決によると、男子生徒にはぜんそくの持病があり、治療のため同病院に入通院していた。01年1月1日午前4時半ごろ吐き気を訴えて受診したところ、ぜんそく薬による中毒と診断され、胃洗浄、薬物投与などの治療を受けたが、けいれんなどを起こした。医師が血管にカテーテルを挿入した数分後、血尿が止まらなくなり、午後9時半ごろ死亡した。

病院側は「死因はぜんそく薬による中毒だった」などと主張したが、小磯裁判長は「病院側に過失があったと言わざるを得ない」と退けた。

【倉田陶子】
毎日新聞 2006年9月12日 0時25分

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東京新聞 2006.9.11

亀田総合病院に賠償命令
処置ミス認定、8200万

千葉県鴨川市の亀田総合病院(亀田信介院長)でぜんそく治療を受けていた高校2年の二男=当時(17)=が出血性ショックで死亡したのは処置のミスが原因として、両親が約8800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千葉地裁は11日、病院側に約8200万円の支払いを命じた。

判決理由で小磯武男裁判長は「カテーテル挿入時に血管を傷つけた過失が大量の出血をもたらした」と死亡と処置ミスとの因果関係を認めた。

病院側は「血管損傷の事実はない。死因はぜんそく薬の成分『テオフィリン』によるショック症状などだ」と反論していた。

(共同)
(2006年09月11日 17時27分)

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共同通信 2006.9.12

亀田総合病院に賠償命令 処置ミス認定、約8200万

千葉県鴨川市の亀田総合病院(亀田信介(かめだ・しんすけ)院長)でぜんそく治療を受けていた高校2年の二男=当時(17)=が出血性ショックで死亡したのは処置のミスが原因として、両親が約8800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千葉地裁は11日、病院側に約8200万円の支払いを命じた。

判決理由で小磯武男(こいそ・たけお)裁判長は「カテーテル挿入時に血管を傷つけた過失が大量の出血をもたらした」と死亡と処置ミスとの因果関係を認めた。

病院側は「血管損傷の事実はない。死因はぜんそく薬の成分『テオフィリン』によるショック症状などだ」と反論していた。

判決によると、二男は2001年1月1日未明、吐き気などを訴え受診。ぜんそく治療で病院から処方されていたテオフィリンの血中濃度が高いことが判明。処置の過程で医師が脚の付け根にカテーテルを挿入した際、動脈や静脈を傷つけたため、後腹膜腔から大量に出血。二男は同日夜、死亡した。

亀田院長は「強い憤りを感じており、ただちに控訴する」とコメントしている。

亀田総合病院は電子カルテシステムの本格運用をいち早く導入するなど先進的な医療施設として知られ、浅田次郎(あさだ・じろう)氏の小説「天国までの百マイル」のモデルとされる。

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JBM / ガリレオ裁判

Posted by guideboard on 2007/10/07/Sun

本記事の原典は、2006 年 9 月 12 日、http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/post_ca0c.html にアップされた。原典は削除された。


キーワード
医療訴訟、医事紛争、医療事故、医療過誤、医療ミス、科学、裁判、テオフィリン中毒、出血性ショック

非科学で科学を裁くとどうなるか。

亡くなった方とそのご家族にとっては気の毒なことであり、残念な気持ちは理解できるが、この出来事が医事紛争となり、科学を曲げる結果になっては、誰にも得るものはない。

毎日新聞 2006.9.12
医療過誤:病院に慰謝料8100万円支払い命令 千葉地裁
判決によると、男子生徒にはぜんそくの持病があり、治療のため同病院に入通院していた。01年1月1日午前4時半ごろ吐き気を訴えて受診したところ、ぜんそく薬による中毒と診断され、胃洗浄、薬物投与などの治療を受けたが、けいれんなどを起こした。医師が血管にカテーテルを挿入した数分後、血尿が止まらなくなり、午後9時半ごろ死亡した。
病院側は「死因はぜんそく薬による中毒だった」などと主張したが、小磯裁判長は「病院側に過失があったと言わざるを得ない」と退けた。

他人がこの判決を見て、何かを得ようと思ったら、医療の記録と解剖結果、裁判の記録、これらがそろって、そこから検討を始めるしかないのだが、この新聞報道からだけでもおかしなことが一点指摘できる。

血管にカテーテルを挿入する手技に過失があったら、血尿が出るのだろうか。

以前、A 型の血液と B 型の血液が混じったから AB 型の血液ができたとでも言うような頓珍漢判決があったが ( 草加事件東京高裁判決 )、科学の素養がない人は、いくら優秀な頭脳を駆使しても、こんなことを言うのだ。

草加事件東京高裁判決
被害者の血液型が A 型 ( 非分泌型 )、その体垢と加害者らの B 型および O 型の体液が混合して、被害者の体に付着した体液が AB 型 ( 分泌型 ) を呈する可能性がある、という検察の主張が東京高裁で認められた。

———-

裁判官がなぜとんでもない判断を下してしまうことがあるのか、以下の論述が参考になるだろう。

立教大学大学院法務研究科教授 荒木伸怡
証明力評価に関する一考察

http://www.rikkyo.ne.jp/~araki/chikanenzai/shiryou/takakubo.htm

自由心証主義の下ではあっても恣意的な事実認定を許さぬことを目的として用いられている「論理法則」や「経験則」という用語が、その目的に叶う機能を十分に果たしているとは思われない。とりわけ、「経験則」という用語は、それを裁判官が用いることにより、恣意的な事実認定を隠蔽したり正当化したりすることすらありうる用語である。そして、もしもこのような事態を生じた際に、たとえそれを「訴訟手続の法令違反」として控訴しえるとしても控訴審において、法令としての効力を有するのは裁判官が適用した「経験則」と控訴人が主張する「経験則」とのいずれであるのか、いや第三の「経験則」があるのかという論争が起きてしまうであろう。

経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味で「経験則」という用語を用いるという共通理解が法律家の間に存在せず、各人がそれぞれの思いを込めてこの用語を用いているのが現状であるから、法解釈の場合と同様にその決着は、控訴審の裁判官の有する価値観により付けられることになる。すなわち、もしも弁護人が経験諸科学の調査研究により見出された法則という意味での「経験則」を示したとしても、控訴審の裁判官がそれに全く理解を示さず、自分の価値観に基づいて選択した「経験則」により結論を出すこともありうるのである。その結果、恣意的な事実認定を制約すべく研究者が教科書等に「経験則に反してはならない」旨を記述しても、ほとんど実効性が無いのである。

私は、このような状態に至ってしまっている理由の一つは、「経験則」という用語が経験諸科学の発生・発達前から、法律家の間で用いられてきた用語であり、いわゆる手垢にまみれた用語となってしまっていることだと考えている。
…..
証拠の証明力の有無・程度を、事実認定の役割を担う者が抱いた心証の程度により決めることは、合理的でありかつ説得力を有するであろうか。「少年達の自白調書があり、その内容により確信の心証を抱いたので、犯人は少年達である。少年達の血液型がB型およびO型であり、他方、現場遺留三物証が血液型AB型で分泌型を示していることは、少年達が犯人であることと矛盾しない。精液と毛髪は別の機会に着いた可能性がある。唾液は被害者の体垢と混合してAB型を呈している。」草加事件の抗告審および民事控訴審が採るこのような論理に、合理性および説得力があると思えないのは決して私のみではあるまい。では何故、合理性および説得力が無いのであろうか。

思うに、供述証拠であれ非供述証拠であれ、直接証拠であれ間接証拠であれ、それぞれの証拠は証明力の有無・大小を具有しているのである。それ故、事実認定の役割を担っている裁判官がそれを無視して証明力の有無・大小を恣意的に決めることを許しては、過去に起きた一回的犯罪事実の解明を妨げ、冤罪・誤判を生み出すであろう。また、経験諸科学により既に解明されている法則を無視しつつ恣意的な法則を創出して判断することについても、同様である。
…..
被害者の乳房から唾液を採取する際に、被害者の体垢が唾液に混じることはありうる。しかし、採取した唾液の分析に際して、そのような事態をも前提にした法医学上の法則をあてはめ、唾液自体がAB型を示しているというのが検査技師の判定であり、その後に行われた法医学者による鑑定結果である。少年達の無実を明らかに示しているこの事実について、体垢中のA型の血液型物質がB型で分泌型の唾液と混合するとAB型を呈するという恣意的な法則を勝手に創出してそれを適用し(16)、少年達が犯人であることと矛盾しないと認定することは、あまりにも非科学的な事実認定である。

草加事件において、恣意的な法則を勝手に創出したのは、公益の代表者であるべき検察官である。すなわち、検察官は先ず、被害者の体液(汗)と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成して裁判所へ提出した。ところが、被害者が非分泌型であることに気付き五日後に、被害者の体垢と唾液とが混合してAB型を呈したという報告書を作成し直して、裁判所へ提出している。裁判所が、このようなものでしかない検察官作成の報告書に依存して、恣意的な法則を適用した理由はおそらく、検察官の主張・立証への全幅の信頼であろう。

参考資料

JBM / ガリレオ裁判資料
JBM / ガリレオ裁判 / 草加事件資料

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