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高知医療センター PFI 9 / 招聘

Posted by guideboard on 2007/09/19/Wed

既存の医局人事の枠にはまらなかった瀬戸山元院長。パイオニアだったのだが。

38 歳で舞鶴市民病院の院長に就任した。この頃まで、40 歳前後で田舎の中小公立病院の院長になる事例は珍しいことではなかった。

理想の医師研修システム構築から医師の古い体質を破壊したまでは、瀬戸山信者がついていた。島根県立中央病院に招かれ、公立病院の経営と行政への影響力に酔い、自身への利益の還流に目覚めてしまったのだろうか。島根県立中央病院にも富士通製電子カルテが入ったという。

瀬戸山 元一(せとやま もといち)チェア・プロフェッサー
1944年 宮崎県都城市生まれ
1970年 京都大学医学部卒業
大和高田市立病院外科医員、京都大学第二外科医員、
日本専売公社京都病院外科医員を経て
1979年 市立舞鶴市民病院外科医長
1982年 同病院病院長に就任
1985年 国保八雲病院病院長を兼務
1992年 島根県立中央病院病院長
2000年 高知県・高知市病院組合理事に就任
2005年3月より 高知医療センター病院長
2006年10月より 同志社大学大学院総合政策科学研究科チェア・プロフェッサーに就任

高知新聞 2005.2.5
高知市医師会の村山博良会長(現県医師会長)は、既成の医局外も視野に置いていた。「高知医大(当時)も含めた岡大、徳大医局の協力は必要だが、そうした系列や枠を超えて人材を全国に求める選択肢もある」
11年初夏。吉岡諄一・病院組合事務局次長(現病院組合管理者)と「市民」の大脇嶺副院長(現院長)は、後に新病院の院長予定者となる瀬戸山元一・島根県立中央病院長と出会う。
宮崎県出身の瀬戸山氏は、父親の転勤で小学2年から7年間、高知市で過ごした。京大医学部卒業後、市立舞鶴市民病院の院長として経営立て直しに手腕を発揮。島根では医局制度にこだわらず、全国初の電子カルテシステム導入を進める気鋭の院長として医療界の注目を集めていた。
民間病院の職員研修に講師として来高していた瀬戸山氏は、吉岡次長ら2人を前に3時間近く、持論の病院経営・管理論を熱く語った。大脇副院長には「病院運営の理念を持った病院管理のエキスパート」、吉岡次長には「精力的で(経営)論を持った珍しいタイプの医師」と映った。
「統合病院には瀬戸山クラスの院長が要る」。吉岡次長は「市民」の故・山本彰芳前院長の言葉を思い浮かべた。

以下に紹介する朝日新聞の社説は、瀬戸山元院長の紹介以外の所で医療に関する事実誤認、突っ込みどころがあるのだが、ここではそれはしない。

2001.8.5 朝日新聞 社説
瀬戸山さんは37歳で京都府の舞鶴市民病院長になり、赤字経営を黒字に変えた。その実績を島根県知事に見込まれて92年、中央病院を任された。47歳だった。

舞鶴市民病院の内科副院長と内科医が一斉に辞めてしまったのは、瀬戸山元院長の時代から 10 年以上下る。直接関係はないようだ。

【舞鶴市民病院歴代病院長 在任期間】
5代病院長 瀬戸山元一 昭和57年4月1日から平成4年3月31日

参考資料

高知医療センター PFI 9 / 招聘資料

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